2014-06-02
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
・『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン
・ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い
・『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
ただ、私は国家の通貨の発行を支配したいだけだ。それができれば、誰が法律を作ろうと、私はかまわない。
――メイヤー・ロスチャイルド(ロスチャイルド家初代)
【『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉:橋本碩也〈はしもと・せきや〉監訳、河本佳世〈かわもと・かよ〉訳(ランダムハウス講談社、2009年)以下同】
宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉はファニーメイやフレディマックで上級顧問を務めた新進気鋭のエコノミスト。やはり中国は大国だ。こういう人物がいるのだから侮れない。メイヤー・ロスチャイルドの言葉は「Money As Debt」(負債としてのお金)の冒頭にも出てくる。政治よりも金融にシステム性の優位があることを見抜いていたのだろう。
社会経済にとって通貨は血液であり、中央銀行は心臓であり、金融機関は血管である。心臓が正常に鼓動しなければ、あるいは血管が詰まって血液の循環が止まれば壊死してしまう。銀行家は外部の何者にも干渉を受けることなく、心臓の鼓動を速めることも血液の循環を止めてしまうことも可能なのだ。まさに国際銀行家にとって金融とは"Silent Weapons"であり、それは誰にも気付かれず、ひっそりと音もなく我々の生活を破壊することができる。(解説)
政治制度の違いは身体の動きとして現れる。ロスチャイルド家は血液を司ることを目論んだ(巨大金融詐欺2 通貨発行権の濫用、中央銀行という詐欺システム : ijn9266のブログ)。
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦いがドラマチックに描かれている。資料的価値が高いので長文の引用をしておこう。
ネイサン・ロスチャイルドは、ロスチャイルド家初代のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの三男として生まれた。5人の兄弟のなかでもっとも度胸があり、高い識見をもっていたネイサンに、父親はイギリスでロスチャイルド家のために銀行事業を開拓するように命じた。
1798年、ネイサンはフランクフルトからイギリスに赴いた。仕事では警戒心が強く、かたくなに意志を押し通すネイサンの心のなかを読み取れる人間は周りに誰もいなかった。それかあらぬか、彼は天賦の才と神がかり的な豪腕を発揮し、1815年にはロンドン屈指の大銀行を作り上げたのである。
その後、長男アムシェルはフランクフルトの本店(M.A. Rothschild and Sons)、次男サロモンはオーストリアのウィーン支店(S.M. Rothschild and Sons)、四男のカールはナポリの銀行、五男ジェームズはパリの銀行(Messieus de Rothschild and Sons)と、ロスチャイルド家の5兄弟は世界初の国際銀行ネットワークを構築した。そんな彼らが虎視眈々と注目していたのは1815年のヨーロッパの戦況であった。
この戦争でナポレオンが勝利すれば、フランスはヨーロッパの支配者になり、ウェリントン公が勝てば、イギリスがヨーロッパの国々を傘下に置くことになる。まさに、ヨーロッパ大陸の未来を左右する天下分け目の戦いだった。
ロスチャイルド家は将来を見越し、この戦いの前から、チャイルドと呼ばれる密偵団を組織し、ロスチャイルド家独自の情報収集ネットワークを作り上げていた。ヨーロッパ各国の首都、大都市、取引センター、ビジネスセンターに派遣され(ママ)チャイルドたちの手により、ビジネス、政治、その他のあらゆる情報が、ロンドン、パリ、フランクフルト、ウィーン、ナポリの間を飛び交ったのである。ロスチャイルド家は驚くほどのスピードと正確さと効率で、これらの情報を入手した。それは当時のどのような官製情報網よりもはるかに優れたものであり、ロスチャイルド家の競争相手はこの情報収集力に対抗できず、ほとんどの国際競争においてロスチャイルド銀行が、断然、優位に立っていた。
「ロスチャイルド銀行の馬車がヨーロッパの街道を疾走し、ロスチャイルド銀行の船が海峡狭しと行き交い、ロスチャイルド銀行の密偵たちがヨーロッパの町や街路のいたるところに現れると、そのたびにロスチャイルド家は莫大な現金と債券と書簡と情報とをつかみ取っていた。そして彼らが独占していた最新情報は株式市場や商品市場に徐々に流された。そのなかでも“ワーテルローの戦い”の情報はロスチャイルド家にとって出色のものであった」
1815年6月18日、ベルギーのブリュッセル郊外が主戦場となったワーテルローの戦いは、ナポレオン軍とウェリントン軍が雌雄を決する場であった。だが、それだけではなかった。勝った者だけが空前の富を手に入れ、負けた者はすべてを灰燼(かいじん)に帰す、幾千万の投資家の賭けの場でもあったのだ。
その日、ロンドン証券取引所は極度の緊張感に包まれていた。イギリス軍が敗退すれば、コンソル公債(英国政府により1751年以降に発行された永久国債。償還の期限を設けず、金利を支払い続ける契約の債券)の価値は奈落の底まで暴落し、勝てば天まで高騰する。投資家たちは決戦の結果をやきもきしながら待っていた。
今、二つの狭い道を挟んで両軍が命運をかけて戦っているまさにそのとき、ロスチャイルド家の密偵たちは両軍陣営の内部を駆け回り、あらゆる策を講じて戦況を収集していた。さらに、彼らは入手したての最新情報を戦場にもっとも近いロスチャイルド家の“情報センター”であるアジトへ送っていた。
夕刻になり、ナポレオン軍の敗戦が決定的となった戦況を目の当たりにしたロスチャイルド家の急使ロスワースは、すぐさまブリュッセルを駆け抜け、オステンド港まで馬を走らせた。オステンド港に着いたときはすでに深夜であったが、彼は特別航行証のある快速船「ロスチャイルド号」に飛び乗り、船員に200フランをつかませ、風が荒れ狂い、波が逆巻く英仏海峡に乗り出した。
ロスワースが夜を徹して英仏海峡を渡り、イギリスのフォークストンの海岸にたどり着いたのは、翌19日の朝まだきだったが、そこにネイサンが待っていた。ネイサンは封筒を開けてさっと報告書に目を通すや否や、すぐさまロンドン証券取引所に向かって馬を駆った。
翌日、ネイサンが証券取引所の立会場に入った瞬間、戦況報告を待ちわびていた騒々しい場内は一瞬のうちに静まり返り、すべての視線がネイサンの無表情な顔に集まった。ネイサンはゆっくりと歩を進め「ロスチャイルドの柱」と呼ばれている玉座に腰を下ろした。石像を思わせる彼の顔からはかすかな感情も浮かび上がってはこない。取引所の喧騒はすでに完全に消え去り、すべての人々が静寂のなかで己の運命を託したネイサンを見つめていた。
長い沈黙の後、ネイサンは自分の周りに立って様子をうかがっていたロスチャイルド家のトレーダーたちに目配せをした。するとその瞬間、トレーダーたちは一言も発す売ることなく取引台に突進し、コンソル公債をいっせいに売り始めたのである。場内は一瞬にして騒然となり、耳打ちをし合う者もいたが、多くはただ呆然と立ちすくんでしまった。トレーダーの手で数十万ドル相当のコンソル公債が一瞬のうちに市場に売りに出され、公債価格は下落を始め、相場はしだいに崩れ、やがて堰を切ったように暴落しだした。
ネイサンは無表情のまま、泰然と玉座に座っていた。やがて場内の人々は夢から覚めたように、「ロスチャイルドは情報を手に入れたんだ!」、「ロスチャイルドは情報を手に入れたんだ!」、「ウェリントン将軍は負けたんだ!」と叫び出し、われ先にと公債を売り始めた。そしてそれはまたたく間に大混乱へと変わった。
人々は理性を失い、強迫観念から他人の行動に引きずられ、自分のわずかな最後の財産を守ろうとして、ほとんど無価値となった手持ちの公債を、追い討ちをかけるように売り続けた。数時間にわたる狂乱の投げ売りが終わった後、コンソル公債は額面価格のわずか5%まで落ち込み、ただの紙切れ同然となってしまった。
ネイサンはその一部始終を冷徹な眼差しで見続けていたが、やがて長年の訓練を受けた配下の者しか決して読み取ることのできない、ほんのわずかな目の動きによって、ロスチャイルド家のトレーダーにふたたび新たな指示を発した。彼の周りに控えていたトレーダーたちがまたもやいっせいに取引台に突き進み、驚いたことに、今度はコンソル公債を1枚1枚買い集め始めたのである。
6月21日の夜11時、ウェリントン公の使者ヘンリー・パーシーがロンドンに到着した。そして、8時間に及ぶ激戦によりナポレオン軍は3分の1の兵士を失い、フランス軍は敗走したとの情報が――ロスチャイルド家より1日遅れて――ようやくロンドンに届けられたのだった。
そのたった1日で、ロスチャイルド家は、ナポレオンとウェリントン公が数十年の戦争を通じて獲得した財産をはるかに上回る、元金の20倍という巨万の富を手に入れたのであった。
ネイサンは、ワーテルローの戦いによるイギリス政府の最大の債権者となった結果、イギリス公債の発行に影響力をもち、そしてイングランド銀行をコントロールする力をも得たのである。イギリスの公債は、見方を変えれば政府の将来の歳入の証書であり、イギリス国民あ各種税金を政府に納付することは、その税金がロスチャイルド銀行にそのまま収められることを意味していた。さらに、イギリス政府の財政支出は公債を発行することにより賄われていたのだ。言い換えれば、イギリス政府は通貨の発行権をもっておらず、公債によって民間銀行から借り入れ、かつ約8%の金利を支払っていかなければならなかった。しかもその元本・金利ともすべて現金で支払うことになっていたのである。ネイサンにはコンソル公債の莫大な保有残高があったため、公債の価格を操作したり、イギリスの通貨供給量を操ることができた。イギリス経済は首根っこをロスチャイルド家に押さえられ、その生殺与奪は彼らのさじ加減一つとなっていた。
ネイサンは、大英帝国を征服した喜びを得意満面にこう豪語した。
私は、イギリスがどんな傀儡(かいらい)を諸国の王位に就けようと、あるいは太陽の沈まぬ帝国を治めさせようと、一切気にしない。大英帝国を支配するのは通貨供給を支配する者だ。それは私だ!
ネイサンの天才的な狡知(こうち)は得た情報を逆手に取って最大限の利益を見出した。自分が周囲に与える影響力と人心の動きを知り尽くしたところにメディア戦略の萌芽すら見える。
1815年、ロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めました。1913年には米国に連邦準備制度(FRB)を設立し、米国の通貨発行権と管理権を手中に収めています。 21世紀初頭、ロスチャイルド家が中央銀行の所有権を持っていない国は、全世界でアフガニスタン、イラク、イラン、北朝鮮、スーダン、キューバ、リビアの七ヵ国だけでした。その後、アフガニスタンそしてイラクに対する米国の侵攻により、現在では残り僅か五ヵ国のみになっています。
【なぜ反ロスチャイルドなのか(1)-お金の仕組み- <Anti-Rothschild Alliance>】
ジョージ・W・ブッシュが悪の枢軸と呼んだ3ヶ国が目を引く。他の国々も戦乱の極みにある。決して偶然ではあるまい。平穏そうに見えるのはキューバだけだ。穿(うが)った見方をすればロスチャイルド家が金融支配をするために擾乱(じょうらん)を工作したと考えられる。
宗教次元ではプロテスタントが生まれたわけだが、世界構造としてはプラグマティズムに重きを置くべきだろう。すなわち、イギリス産業革命(1760年代)-ロスチャイルド家の金融基盤確立(ネイサンの逆売り、1815年)がプラグマティズムの端緒となり、魔女狩りを終わらせたのだ(と言い切ってしまうぞ)。
【何が魔女狩りを終わらせたのか?】
「資本主義の精神とカルヴィニズムの間に因果関係がある」(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、1904年)とすれば、カルヴィニズムからプラグマティズムとは生まれたのだろう。そしてプロテスタントはカトリック教会が長きにわたって禁じてきた金儲け(利潤追求)を正当化させるに至った。
資本主義の「自由な商品生産によって利潤を追求しようという精神的態度」(資本主義 - Jinkawiki)は労働力をも商品化し奴隷を生むに至った。つまりイギリスによる北米征服~アメリカ独立に資本主義のエッセンスがあるのだ。
しかし、ドイツほど、ユダヤ人の経済力に依存した国もなかった。戦費、国家財政、貨幣の鋳造などを押さえ、三十年戦争からナポレオン支配を経て解放戦争にいたるまで、ユダヤ人の資金提供のない戦争はほとんどなかった。ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の兄弟の母は、戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対して「心配にはおよびませんよ。息子たちがお金を出さないかぎり戦争は起こりませんからね」と答えたという。
【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】
極東に位置する日本も例外ではなかった。
・明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
兵器売買よりも巧妙な「死の商人」といってよいだろう。
19世紀半ばに資本主義はレッセフェール(自由放任主義)の高みに達し、対抗思想として共産主義が誕生する。20世紀末になると共産主義を掲げた社会主義国家が次々と膝を屈し、地に倒れた。そして今度は新自由主義が足音も高く登場する。レッセフェールが息を吹き返したわけだ。
資本主義で勝利を手中にするのはより多くの資本を有する一部の資本家である。既に多国籍企業は国家を凌駕しつつある(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)。2007年のサブプライム・ショック、2008年のリーマン・ショックを経ても尚、世界各国が量的緩和を続行している。数年以内にマネーが国家を逆襲する場面が必ず訪れることだろう。
この手の歴史の真相を描いた本は一度絶版の憂き目にあうと二度と刊行されることがない(例えば『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン:広津倫子〈ひろづ・ともこ〉訳、徳間書店、2002年)。武田ランダムハウスジャパンの倒産(2012年)が惜しまれる。
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・戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
・歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
・ロックフェラーとニュー・ワールド・オーダー/『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通
バフェット氏はなぜタンガロイを選んだ?
東京電力福島第1原子力発電所の南40キロメートル余りに本社・工場を構える超硬工具大手のタンガロイ(福島県いわき市)。米国の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏が3月下旬の初来日の場所として選んだ会社だ。震災と原発事故で来日はキャンセルになったが、世界の経済人が「オマハの賢人」と敬愛するバフェット氏は、なぜわざわざタンガロイに足を運ぼうとしたのだろうか。
IHI相馬工場と同じく、タンガロイも東日本大震災の被害に遭ったが早期の復旧を遂げた。そこには親会社であるイスラエルの切削工具メーカー、イスカルを中核とするIMCグループの強力な支援があった。「小さな家族経営」。IMCのエイタン・ベルトマイヤー会長は、何よりも社員の気持ちを大切にする経営理念を掲げる。バフェット氏はこの考え方を高く評価し、IMCに巨額の投資をしている。ベルトマイヤー会長の経営がいかにタンガロイの現場の人々を励まし危機を乗り切るための支えとなったのか。そこには、窮地にある日本企業が学ぶべき教訓がある。
今回、バフェット氏は3月21日から2日間、タンガロイを訪れる予定だった。まずは、バフェット氏とタンガロイ、そしてIMCのベルトマイヤー会長、この3者の関係について詳しく紹介しよう。
タンガロイは2008年11月、超硬工具で世界2位のIMCに買収された。その2年前の2006年、IMCにはバフェット氏が当時の邦貨換算で4800億円を投じて、8割の株式を取得している。
バフェットが驚いた「小さな家族」経営
これは当時、バフェット氏にとって初めての米国以外での大型投資だった。決断の裏にはIMCのベルトマイヤー氏が実践している優れた経営があった。その極意は「社員の1人ひとりを大切にする、思いやりのある『小さな家族主義』経営」だ。目先のことよりも、社員の気持ちを大切にし、100年先を見据えて会社を動かす。バフェット氏は当時、「こんなすばらしい経営はみたことがない」と驚き、巨額投資を決断した。
もともと、投資話はベルトマイヤー会長から持ちかけたものだ。イスカルは非上場のため企業買収が難しいという悩みを抱えていた。世界最大手であるスウェーデンのサンドビックを追撃するためにはアジアなどでのM&A(買収・合併)は急務。バフェット氏のグループに入ることができれば、世界戦略は大きく前進する。バフェット氏は巨額投資をしても、経営そのものはベルトマイヤー会長に任せてくれた。そして同社にとって空白地帯に近かった日本で手に入れたのが、かつて「東芝タンガロイ」として知られたタンガロイだった。
ベルトマイヤー会長がバフェット氏の初来日に際してぜひとも見せたかったものがあった。タンガロイの新工場のオープニングセレモニーだ。単なる工場の竣工(しゅんこう)式ではなく、「タンガロイ復活の象徴」のイベントだったからだ。
IMCがタンガロイを買収したのはリーマン・ショック直後の2008年11月。主力顧客の自動車業界が設備投資を一斉に凍結し、注文した部品はキャンセルの嵐に見舞われた。タンガロイは大赤字に転落し、競合他社のような大規模なリストラは避けられそうにない状況に陥っていた。
東芝の子会社時代には業績悪化のたびに本社からの要請を受けて何度も人員削減した。しかし、リーマン・ショック後の危機を受けた打開策はこれまでとは全く異なるものだった。ベルトマイヤー会長はタンガロイの上原好人社長が温めていた新工場の建設計画をすぐに実行するように指示する。09年春のことだ。投資額は100億円強。売上高の2割以上に相当する額だ。
イスラエルから放射能の専門家派遣
危機こそ好機――。この決断がタンガロイの復活を後押しする。上原社長は「他社に先行して設備を発注できたため、古い工場建屋に導入して、2010年からの需要回復に対応できた。本当に良い会社に買収してもらったと思う」と語る。最新鋭の建屋は今年1月に完成し、大震災にもびくともしなかった。古い工場建屋から設備を移し、生産の早期回復にもつながっている。ベルトマイヤー会長が同社を家族のように扱ってくれるため、現場の士気が高まっていることも大きい。
上原社長は「震災でもイスラエルからの支援は素早かった。社員も喜んでいる」と話す。タンガロイのいわき工場は東電福島第1原発から40キロメートル程度しか離れていない。そのため、タンガロイ製品についての「風評被害」が出ていた。IMCはイスラエルの政府系機関から放射能測定の専門家を4月11日に派遣してきた。世界から認められた公的機関が製品の放射能を測定し、問題ないことを示す認証を与える。さらに、設備内に入る放射能を遮断するためにどんな方策が必要なのかを細かく教えてくれた。例えば、「工場内の芝生には入らないように」ということ。靴に放射能物質が付着しやすいからだという。IMCは主力輸出先である欧州でも、ベルギーの公的機関に依頼して、物流倉庫で製品の放射線量を調べ、顧客の心配の芽をすばやく取り除いた。
こんなこともあった。超硬工具の生産工程で重要なのがタングステンなどの原料を焼き固める焼結炉だ。新工場ではドイツの機械メーカーから購入し、4月にも据え付ける予定だった。だが、原発事故でドイツ人技術者が来日を拒否した。上原社長らが困っていると、イスラエルの本社から「タンガロイの技術者をすぐに送ってこい」との指示があった。焼結炉の据え付けや試運転に詳しいIMCの社員が2週間かけてすべてのノウハウを教えてくれる、というのだ。上原社長は5月中旬から2人の技術者を送り込んだ。「困ったことがあれば、なんでも面倒を見てくれる。子会社とはいえ、ここまで親身な親会社があるのか」と、上原社長も舌を巻いた。
ベルトマイヤー会長がタンガロイを全面支援するのは単なる「優しさ」だけからではない。そこには長期を見据えた深い戦略がある。
タンガロイが成長すれば欧米や韓国などにあるグループ企業との競争が激しくなる。そして各社による切磋琢磨(せっさたくま)によって企業グループはより強くなれる、という計算があるのだ。中核のイスカルは、複雑な形状の超硬工具を生産できる世界有数のプレス技術を持つ会社。360度すべての角度から圧力をかけて、切削する先端部を増やすような技術だ。こうした秘伝のノウハウもすべて、グループ会社には伝授される。タンガロイの新工場にはすでに、イスカルが使う独自のプレス機械が入れられている。
お金持ちでも「ランチは1日1度」
ベルトマイヤー会長とはいったいどんな人物なのだろうか。会長は創業者であるステフ・ベルトマイヤー名誉会長の息子。ステフ名誉会長はイスラエルの英雄として、尊敬を集める経済人であり、政治家でもあった。その創業者の経営哲学を息子が受け継いでいるのだ。
ステフ氏は1930年代後半、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害から逃れ、現在のイスラエルに渡ってきた。48年にイスラエルが独立を宣言した後の第1次中東戦争で義勇兵となる。ただ、名誉会長は手先が器用だったため、工作機械で使う超硬工具の開発を志した。武器を製造する基盤技術として重要だったからだ。現在のレバノンから近い北部の町テフェンの自宅で、52年にイスカルを創業した。
この会社の存在を一挙に世界に知らしめたのが67年の第3次中東戦争だった。アラブ諸国に配慮したフランスが、戦闘機「ミラージュ」のイスラエルに対する禁輸を決定した。イスラエル空軍は頭を抱えた。戦闘機エンジンを開発していくにはタービンブレードの加工が必要だが、その技術は極めて難易度が高いからだ。だがエンジン部品を削るために世界でも最高レベルの超硬工具を名誉会長らの技術チームは見事に開発した。
エイタン会長は「イスカルが長年成功できたのは父の存在が大きい。父は常に従業員を家族のように大切にしてきた」と語っている。何度も経営危機に直面したが、雇用にはほとんど手をつけていない。例えば、2008年秋のリーマン・ショックでも業績は一時的に悪化したが、従来と比べて単位時間当たりの切削量を3倍に増やした旋盤の超硬工具など強力な新製品を相次いで投入し、危機を乗り越えた。
ベルトマイヤー会長が社員を大切にするエピソードは数多い。同会長はバフェット氏にイスカルの8割の株式を売却したが、その売却益は1952年の創業以降、イスカルに所属していた従業員すべてに還元された。草創期からの従業員には亡くなっている人も多いが、それでも会長の指示で子供や孫を捜し出して、多額の「感謝金」を支払った。ベルトマイヤー会長は言う。「お金をたくさん持っても、ランチは1日に1度しか食べられない。1度しか寝られない。大切なのはポケット(お金)よりもハート(心)だよ」と。
【日経産業新聞 2014年5月31日】
2014-06-01
2014-05-31
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