2014-06-17
第一巻のメモ/『楽毅』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
英雄不在、というのが戦国の裏面である。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
「商の湯王は伊尹(いいん)を、周の武王は太公望(たいこうぼう)をしたがえただけで、天下をとったのです。すなわち天下は、野(や)のどこかにころがっている、とおもわれます」
龍元の目のかがやきもよい。
志望が穢(けが)れていない目である。山も川も人も国も、そういう目でみなければ、真のかたちをとらえることはできぬ。
目にみえぬ力に意味をみいだせない民族に文化はない。
成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。
人のうえに立つ者がおのれに熱中すれば、したにいる者は冷(ひ)えるものなのである。
「驕る者は人が小さくみえるようになる」
自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。
軽蔑のなかには発見はない
――わしがこの者たちを護(まも)り、この者たちによってわしは衛(まも)られる。
「目くばりをするということは、実際にそこに目を■(とど)めなければならぬ。目には呪力(じゅりょく)がある。防禦(ぼうぎょ)の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている」
――君命に受けざるところあり。
受けてはならない君命のあることを孫子の兵法はおしえている。とくに戦場における将は、たとえ王の命令でも、したがえないときがある。
楽毅は儒教についてくわしくないが、教祖である孔子は、
――道おこなわれず。桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。
と、いったそうである。国家に正しい道がないとき、流亡の旅もやむをえない。
よくよく考えてみれば、この世で、自分が自分でわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希(ねが)っているのかもしれない。
将の気が塞をささえているといっても過言ではない。将の表情に射したわずかな翳(かげ)でも、兵の戦意を殺(そ)ぐのである。
戦場の露(つゆ)をおのれの涙にかえる王にこそ、人は喜んで命をささげるものである。
かつて周(しゅう)の武王(ぶおう)が商(殷)王朝を倒したあと、難攻不落の険峻(けんしゅん)の地に首都をおこうとした。そのとき武王の弟の周公旦(しゅうこうたん)が諫止(かんし)した。
「このようなけわしいところに王都を定めれば、諸侯が入朝(にゅうちょう)するにも、諸方が入貢するにも、難儀をいたします。まして周王朝が悪政をおこなって万民を苦しめたとき、諸侯によって匡(ただ)されにくくなります」
王朝が天下の民にとって元凶にかわったとき、滅亡しやすいところに王都を定めるべきである、と周公旦はいったらしい。
――周公旦とは、何という男か。
と、楽毅は腹の底から感動したおぼえがある。また、周公旦の諫言を容(い)れて、あっさり山をおりた武王の寛容力の大きさにも驚嘆した。
2014-06-16
気格/『楽毅』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
「薛公(せっこう)についていえば、天の気をもった人だな。風雨を吐きだすことができる。彼に撃ちかかろうとしても、ひと息で飛ばされよう。飢渇(きかつ)した者は、慈雨(じう)をあびることができよう。中山(ちゅうざん)は薛公にすがることだ」
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
「気」にまつわる文章をいくつか拾ってみよう。気とは陰陽(いんよう)を往き交うものと私は理解している。気息の場合は呼気が陽で吸気が陰となるようだが(第四難)、個人的には呼吸が陽で息の止まる一瞬が陰と考えている。(追記/ただし声で考えると前者がわかりやすい)
陰陽の落差が気格の個性を表すのだろう。「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」(ウォルト・ホイットマン)。苦労や困難が人生の幅を押し広げる。生命の感応する力が豊かになる。そこに気の深さや太さがある。孟嘗君(もうしょうくん/薛公)は背が低かった。だが飄然とした態度の中に気宇壮大が滲み出た。その人格は楽毅の人生に鮮やかな色彩を加えた。先に『孟嘗君』を読んでおくと、まるで自分の親戚が登場したかのような親しみを覚える。
狐午(こご)は中山(ちゅうざん)の貴門を出入りし、他国の貴族と面語することもあるが、楽毅のような人柄に会ったことがない。一言でいえば、ふところが■(ひろ)くて巨(おお)きい。人格からたちのぼる気が、虚空(こくう)をさわやかにあざやかに切りすすんでゆく。
――めずらしい人だ。
と、狐午はおもった。好きになったのである。だが商人としての自覚が、そういう感情のかたむきを認めなかった。人への好悪(こうお)は商人が冷静におこなわなければならぬ計算を狂わせる。その自覚が商売という戦場を生きぬくための商人にとっての甲(よろい)である。
第一巻なので楽毅はたぶん二十代であろう。人生経験の乏しい若者は底が浅い。そして底の浅さに甘んじる若者が多い。やはり溌剌(はつらつ)たる気を漲(みなぎ)らせるべきだろう。自己嫌悪に陥るよりも学ぶことを自らに課せばよい。10代、20代で悪い姿勢が身につくとものが見えなくなる。
父は自分の子を毅然(きぜん)とつくっている魂胆(こんたん)の重厚な精強さに気づいた。暗殺者はもしかすると楽毅に両断されるまえに、楽毅の渾身(こんしん)から発揚された鋭気のようなものにうちのめされたのかもしれない。
――人とはふしぎなものだ。
身分とはちがうところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のり■(こ)えることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。
人生には気の通う出会いがある。もっと極端に言ってしまえば人生は出会いで決まる。その意味で誰と出会うかが肝心だ。数々の出会いが自分自身を染め上げてゆく。もちろん悪い出会いも多い。易(やす)きに流されればあっと言う間に転落してゆく。尊敬できる人物をもつ人は幸せだ。どんな世界にも人物はいるものだ。若者は血眼になって探し回れ。
2014-06-15
勝利を創造する/『楽毅』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
むろん孫子(そんし)の兵法書は暗記するほどくりかえし読んだ。そうするうちに、
――なるほど、人も兵法も、じつにあいまいなものだ。
ということに想いが到(いた)った。
生まれて死ぬまで、おなじでありつづける人などどこにもいない。赤子の身重のまま死の牀(とこ)につく老人がないこと、そのひとつをとっても、人は変化するのである。
兵も同じである。多数の兵は少数の兵につねにまさるとはかぎらない。陣形も地形によって変化する。それに将軍と兵のよしあしを考えあわせてみると、かならず勝つという戦いができるのは、一生のうちに一度あればよいほうであろう。むろん孫子はそんないいかたをしていない。必勝の法をさずけてくれてはいるのだが、楽毅〈がっき〉はむしろ、その法にこだわると負けるのではないか、とおもった。兵法とは戦いの原則にすぎない。が、実戦はその原則の下にあるわけではなく、上において展開される。つまり、かつてあった戦いはこれからの戦いと同一のものではなく、兵を率いる者は、戦場において勝利を創造しなければならない。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】
諸葛亮(孔明)が敬慕した名将が楽毅〈がっき〉その人である(管仲・楽毅・晏嬰伝)。智だけでも勇だけでも名将たり得ない。情に人はついてくるが理を欠いては組織することが難しい。若き楽毅は戦場を「生きた現場」と捉えた。兵法に戦場を当てはめるのではなくして、理外の理を鋭く見抜いた。現在の言葉でいえばランダム性だ。
思い通りに運べば未来は予測されたものとなる。そこに自分自身の変化はない。勝利は「計る」(『新訂 孫子』金谷治訳注)ものであると同時に「創造」するものなのだ。
「創造」の一言が重い。人生もまた同様であろう。トラブルや悲劇という不確定要素が自分の創造力を問う。創造は何も神様の専売特許ではない。
所有と自我/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
・『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
・『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
・『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
・『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
・『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
・犀の角のようにただ独り歩め
・蛇の毒
・所有と自我
・ブッダは論争を禁じた
・『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
・『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
・『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
・『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
・ブッダの教えを学ぶ
物を捨てられない老人という新聞記事があった。別々に暮らしている子供が処分しようとすると泣いて抗議をするケースも。過去の思い出といえば聞こえはいい。実際には所有が自我を形成する側面がある。我々は所有することで所有物に束縛されてしまうのだ。その典型がお金である。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 13
資本主義の恐ろしさは家族や友人さえも所有物に変えてしまったところにある。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 13
「お前は何を持っているのだ?」――我々は社会で常に問われる。出自、学歴、職業(勤務会社)、スキル(資格・技術)、地位、財産、家族を。社会はヒエラルキーを構成する。相手の位置を常に確認するのが我々の流儀だ。
「ひとはじぶんでないものを所有しようとして、逆にそれに所有されてしまう。より深く所有しようとして、逆にそれにより深く浸蝕される。ひとは自由への夢を所有による自由へと振り替え、そうすることで逆にじぶんをもっとも不自由にしてしまうのである」(『悲鳴をあげる身体』鷲田清一)。所有物が自我を形成する。思い出の品が私を規定する。認知症になれば記憶は瓦解する。私が私であることを証明するのは思い出の品に他ならない。物は残せる。私が死んだ後まで。
マニアを証明するものはコレクションだ。そんな関係と似ている。コレクションが増えるにつれてこだわりも増す。年を重ねるごとに自我意識も強化されるはずだ。私とは私の過去だ。
ヒエラルキーを登り詰めることが人生の目的であれば、我々はバラモンを目指していると見ることができよう。バラモンとはインドカーストの最高位であり、高貴・有徳を示す。
バーラドヴァーシャ青年は「生まれによってバラモンとなる」と主張した。これに対してヴァーセッタ青年は「戒律と徳行によってバラモンとなる」と反論した。結論を出せない二人はブッダを訪れ、問うた。
六二〇 われは、(バラモン女の)胎(はら)から生まれ(バラモンの)母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは〈きみよ、といって呼びかける者〉といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であって執著のない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二一 すべての束縛(そくばく)を断(た)ち切り、怖(おそ)れることなく、執著を超越して、とらわれることのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二二 紐(ひも)と革帯(かわおび)と綱とを、手綱(たづな)ともども断ち切り、門をとざす閂(障礙〈しょうげ〉)を滅して、目ざめた人(ブッダ)、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二三 罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二四 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二五 蓮葉(はちすば)の上の露のように、錐(きり)の尖(さき)の芥子(けし)のように、諸々の欲情に汚(けが)されない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二六 すでにこの世において自己の苦しみの滅びたことを知り、重荷(おもに)をおろし、とらわれのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二七 明らかな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し、最高の目的を達した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二八 在家者(ざいけしゃ)・出家者(しゅっけしゃ)のいずれとも交わらず、住家(すみか)がなくて遍歴(へんれき)し、欲の少い人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六二九 強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく、殺さず、また殺させることのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三〇 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、──かれをわたし(ママ)は〈バラモン〉と呼ぶ。
六三一 芥子粒(けしつぶ)が錐(きり)の尖端(せんたん)から落ちたように、愛著(あいじゃく)と憎悪(ぞうお)と高ぶりと隠し立てとが脱落した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三二 粗野(そや)ならず、ことがらをはっきりと伝える真実のことばを発し、ことばによって何人(なんぴと)の感情をも害することのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三三 この世において、長かろうと短かろうと、微細であろうとも粗大であろうとも、浄かろうとも不浄であろうとも、すべて与えられていない物を取らない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三四 現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれのない人、──かれをわたくしはバラモンと呼ぶ。
六三五 こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑(ぎわく)なく、不死の底に達した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三六 この世の禍福(かふく)いずれにも執著することなく、憂(うれ)いなく、汚(けが)れなく、清らかな人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三七 曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三八 この障害・険道・輪廻(りんね〈さまよい〉)・迷妄(めいもう)を超(こ)えて、渡りおわって彼岸(ひがん)に達し、瞑想し、興奮することなく、執著がなくて、心安らかな人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六三九 この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し、欲望の生活の尽きた人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四〇 この世の愛執(あいしゅう)を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生活の尽きた人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四一 人間の絆(きずな)を捨て、天界の絆を超え、すべての絆をはなれた人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四二 〈快楽〉と〈不快〉とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った健(たけ)き人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四三 生きとし生ける者の死生をすべて知り、執著なく、幸せな人、覚(さと)った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四四 神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間もその行方(ゆくえ)を知り得ない人、煩悩(ぼんのう)の汚れを滅しつくした人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四五 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、すべて無一物で、何ものをも執著して取りおさえることのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四六 牡牛(おうし)のように雄々(おお)しく、気高(けだか)く、英雄・大仙人・勝利者・欲望のない人・沐浴(もくよく)した者・覚った人(ブッダ)、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四七 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くすに至った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。
六四八 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。
六四九 (姓名は、かりに付けられたものにすぎないということを)知らない人々にとっては、誤った偏見が長い間ひそんでいる。知らない人々はわれらに告げていう、『生れによってバラモンなのである』と。
六五〇 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。
六五一 行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人(やといにん)となるのである。
六五二 行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。
六五三 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起(えんぎ)を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。
六五四 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。――進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。
六五五 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、――これによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である。
六五六 三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。
このように説かれたので、ヴァーセッタ青年とバーラドヴァーシャ青年とは師に向って言った、「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです。ゴータマさま。譬(たと)えば、倒れた者を起こすように、覆(おお)われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るように』といって暗夜に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。いまわたくしはゴータマさまと真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまはわたくしたちを、在俗信者として受けいれてください。わたくしたちは、今日から命の続く限り帰依いたします。」(第三 大いなる章「九、ヴァーセッタ」)
【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)以下同】
話を戻そう。我々が目指しているのはバラモンより前の段階の金持ち・成功者・有名人であろう。つまり「王」になりたがっているのだ。バラモンはその上に位置する。そしてブッダが説いたバラモンは世間で受け止められているバラモンとは明らかに異なる。これこそブラフマンではなくブッダ(仏)なのだ。随所に如来十号が散りばめられていることからも明らかだ。
ヴァーセッタ青年とバーラドヴァーシャ青年は「人間の位」を問うた。それに対してブッダは「真実の位」を説いた。ヴァーセッタ青年は「それ見たことか、俺の言った通りだろうよ」とは言わなかった。二人は同じ感激に打ち震えている。そして彼らの目は開いた(目覚めた)。
一三六 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為(こうい)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(第一 蛇の章「七、賤しい人」)
「七、賤しい人」には資本主義のあらゆる形態が描かれている。
「生れ」とは過去である。地位・名誉・財産も過去を示すものだ。すなわち我々は常に「相手の過去」を見つめているのだ。これによって現在の行為は過小評価・拡大解釈をされる。ブッダの指摘は「過去の完全否定」を意味する。
「発見するためには、自由がなければならない。もしもあなたが束縛され、重荷を背負っていたら、あなたは遠くまで行けない。もしもある種の蓄積があれば、いかにして自由がありうるだろうか?」(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ)。財産であれ悩みであれ荷物であることに変わりはない。「私」を成り立たせている過去が私自身を束縛するのだ。二人の青年と同じように目を開けば、まったく新しい過去の延長線上ではない現在が生き生きと流れ始める。
殆どの聖職者や僧侶が王を目指した。彼らは俗人以上の俗人だ。クリシュナムルティは王になろうとはしなかった。弟子やファンをも拒んだ。
ヴァーセッタ青年とバーラドヴァーシャ青年がブッダの弟子ではなかったことにも注目する必要がある。ブッダには誰でも会うことが可能であった。クリシュナムルティもそうだ。彼らは一切の差別からも自由であったのだ。
尚、文庫版はあまりにも活字が小さいため、当ブログではワイド版をお薦めする。
登録:
投稿 (Atom)