2014-08-08
2014-08-07
唯識における意識/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
・『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
・手引き
・唯識における意識
・認識と存在
・「我々は意識を持つ自動人形である」
・『イーリアス』に意識はなかった
・『新版 分裂病と人類』中井久夫
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
この研究所の中心を成す考えの数々を初めて公に概説したのは、1969年9月にワシントンで行なった米国心理学会の招聘講演でのことだった。(プリンストン大学にて、1982年)
【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(原書、1976年/紀伊國屋書店、2005年)以下同】
「宗教とは何か?」の順番で読むことが望ましい。副読本については「手引き」を参照せよ。
当然ではあるが意識は宗教と歴史の発生に深く関わっている。ジュリアン・ジェインズの主張は実に刺激的だ。3000年前の人類に意識はなく左右の脳は分裂状態に置かれていた。当時の人類は右脳が発する神の声に従う自動人形であった。そして脳が統合され意識が誕生する。と同時に神の声は聞こえなくなった――というもの。つまり人類全体が統合失調症だったわけだ。
とすると宗教は右脳から生まれ、左脳で教義に置き換えられたと考えることが可能だ。しかし悟りは論理ではない。牽強付会を恐れず申せば教義(論理)から悟りに至ることは不可能だ。
ジュリアン・レインズはゾウリムシが学習できるのであれば意識があるに違いないと考えていた。この思い込みの誤りに気づいたのは数年後のことだった。
その理由は、言わばある大きな歴史上の強迫観念の存在にある。心理学にはこうした強迫観念が多い。心理学を考える上で科学史が欠かせぬ理由の一つは、それがこうした知性の混乱から逃れ、それを乗り越える唯一の方法だということだ。18世紀から19世紀にかけて心理学の一学派を成した連合主義(訳注 あらゆる心理現象を刺激と反応の関係で説明しようとする考え方)は、あまりにも魅力的に提示された上に、高名な学者多数に擁護されていたため、この学派の基本的な誤りが一般の人びとの考え方や言葉にまで浸透してしまった。当時ばかりか今なお残るその誤りとは、意識は感覚や観念などの要素が占める実際の空間であるという考え方、そして、これらの要素は互いに似通っていたり、同時に起きるように外界によって設定さていたりするから、これらの要素間の連合こそ学習であり、心であるという考え方だ。こうして、学習と意識は混同され、曖昧極まりない「経験」という用語と同一視されるようになった。
著者は「学習の起源と意識の起源は異なる」としている。私の「人生とは反応の異名である」という考え方は連合主義と同じだったのね。
唯識だと五感を統合するのが意識で、自我意識は末那識と立て分ける。認識作用を中心に展開しているため学習と意識という対比はない。学習はむしろ十界論の声聞界・縁覚界として捉えるべきだろう。
統一された脳から論理が生み出され、正義と不正の概念から意識が芽生えたのかもしれない。我々は一日の大半を無意識で過ごしている。意識的になるのは社会的な場面で自分の権利に関わる時であろう。
・サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
・脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
・戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
・ワクワク教/『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
斉藤道雄、奥山治美、加藤直樹、堤未果、他
3冊挫折、3冊読了。
『「ガンが食事で治る」という事実 済陽式ガンの食事療法vs星野式ゲルソン療法』済陽高穂〈わたよう・たかほ〉、星野仁彦〈ほしの・よしひこ〉(マキノ出版、2010年)/星野式だけ読む。ビタミンCの大量摂取、尿療法などの独自メニューあり。買って読むほどの内容ではない。
『ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果〈つつみ・みか〉(岩波新書、2008年)/40万部のベストセラー。「マイホームを持つというマリオの夢は崩れ去り、後には膨大な借金だけが残った」(4ページ)との記述に邪悪な意図を感じて読むのをやめた。アメリカでは住宅を差し押さえられると借金はチャラになるはずだ。ペンが走ったという言いわけは通らない。計算された小さな嘘だろう。
『風来記 わが昭和史 1 青春の巻』保阪正康(平凡社、2013年)/『九月、東京の路上で』に紹介された部分だけ読む。
48冊目『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』加藤直樹(ころから、2014年)/小田嶋隆がラジオで紹介していた一冊。何と関東大震災における朝鮮人虐殺の中心舞台となったのは私が青春時代を過ごした江東区であった。その事実に打ちのめされた。ブログが元になっている書籍だが、編プロにいた人物だけに文章が柔らかく読みやすい。歴史考証もしっかりしていて資料的な価値もある。ただし結論部分で左翼的な姿勢が露呈していて、九仞の功を一簣(いっき)に虧(か)く印象を受けた。プロフィールにも「社会新報に執筆」とある。ヘイトスピーチに対する警鐘は納得できるが、中国・韓国の激化する反日感情という背景を無視しているのはおかしい。
49冊目『本当は危ない植物油 その毒性と環境ホルモン作用』奥山治美(角川oneテーマ21、2013年)/怒りや恨みつらみが書く動機となっているため非常に読みにくい。説明能力にも問題がある。データ解釈が稚拙に感じた。参考程度に読むのがいいだろう。健康本は明らかに外れが多い。
50冊目『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄(みすず書房、2002年)/第24回(2002年) 講談社ノンフィクション賞受賞作品。ブログ記事を書こうと古いメールを読み漁っていたところ、後輩から勧められた本を発見。それが本書。べてるの家の名前は知っていたが読むのは初めてのこと。斉藤はテレビマンだ。心の柔らかな部分を丁寧に描ききった傑作だ。読めば価値観がひっくり返る。常識に縛られがちな20代、30代のお母さんに読んで欲しい。べてるの家は精神障害者の共同住宅だ。統合失調症患者が多い。「そのままでいい」「治らなくていい」との開き直りともいうべき姿勢が生きる力を育む。失敗から仕事を失ってしまった彼らは事業を立ち上げる。そして浦河(北海道)の住民とも少しずつ交流を深めてゆく。人は皆、異常な何かを心に抱えている。社会が極端に狂気を抑えることで成り立っている姿が見えてくれば、おかしいのは我々の社会であることに気づく。彼らは病から悟りを得ている。続刊の『治りませんように べてるの家のいま』も早速取り寄せる。必読書入り。
プリーモ・レーヴィ著『溺れるものと救われるもの』が朝日選書で復刊
アウシュヴィッツ生還から40年、レーヴィの自死の1年前に本書は刊行された。 善と悪とに単純に二分できない「灰色の領域」、生還した者が抱える「恥辱」、人間が持つ最も恐ろしい悪魔的側面を描いた「無益な暴力」、アウシュヴィッツが風化することへの恐れを論じた「ステレオタイプ」……これらは実際に地獄を体験した者でなければ語れない。
アウシュヴィッツは、生存者のその後の人生にもつきまとった。生き残ったものたちは、生きる喜びを奪われ、いわれのない罪の意識と戦い続けた。 生還以来、その体験を証言し続けてきたレーヴィは何を思い、生きたのか? そして、地獄を生き抜いた者が、なぜ自ら死を選んだのか――?
世界中の哲学者、歴史家が、アウシュヴィッツを語るうえで欠かせないとした古典的名著が、朝日選書として待望の復刊。
・嘘、悪意、欺瞞、偽善/『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
2014-08-05
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