2014-08-29
軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り/『ものぐさ精神分析』岸田秀
・宗教とは何か?
・唯幻論の衝撃
・吉田松陰の小児的な自己中心性
・明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物
・軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り
・『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。そのアメリカへの憎悪にはすさまじいものがあった。この憎悪は、単に鬼畜米英のスローガンによって惹き起こされたのではなく、100年の歴史をもつ憎悪であった。日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。
軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤りである。いくら忠君愛国と絶対服従の道徳を教えこまれていたとしても、国民の大半の意志に反することを一部の支配者が強制できるものではない。この戦争は国民の大半が支持した。と言ってわるければ、国民の大半がおのれ自身の内的自己に引きずられて同意した戦争であった。軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう。
【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】
特定の思想・信条・宗教を持つ者は必読のこと。岸田唯幻論に価値観を揺さぶられるのは確実だ。吉本隆明が『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)で国家というシステムは共同幻想であると説いたが、岸田は価値観そのものを幻想と捉えている。
抑圧された感情は消えることがない。意識から無意識へと追いやられても超自我となって自我に影響を及ぼす。
黒船来航を「強姦」と表現したのは司馬遼太郎であった(『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー:トレヴィル、1986年)。そこから太平洋戦争敗北に至るまでの日本を一人の人格と見なして岸田は精神分析を試みた。
黒船来航(1853年)から88年後に太平洋戦争(1941年)が始まった。1945年の東京大空襲と原爆投下は日本人のメンタリティをずたずたにした。東京裁判を経て戦後教育が自虐史観を植えつけても抑圧された感情は消えることがない。そして今まさに日本国民は歩調を揃えるようにして右方向へ歩みつつある。
何事においても責任を自分の外部に求めることは、その容易さゆえに自分を変革することがない。
2014-08-28
斎藤喜博著『君の可能性 なぜ学校に行くのか』が文庫化
ちくま少年図書、1970年/ちくま文庫、1996年
君はどうして学校へ行って勉強しなければならないのだろう、と考えたことはないだろうか? また、僕なんかもうだめなんだ、と思ったことはないだろうか? 人間はだれでも無限の可能性を内に秘めているのだ。どうしたらその可能性がひらかれるのか、数々の事実に基づいて“君の可能性”について語ってくれる本。
・斎藤喜博
・便所に咲いた美しい花/『詩の中にめざめる日本』真壁仁編
2014-08-25
ジョー・オダネルと日本人の交流
昭和20年の夏も盛りを過ぎたころ。占領軍の一員として日本に上陸した米国の従軍写真家ジョー・オダネルさんは福岡の農村で、ある墓を見る。木で手作りした十字架に、「米機搭乗員之墓」とある。墜落した米軍機の搭乗員を、地主夫妻が手厚く葬ったものだと知る。▼「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」と地主の妻は語った。別の日、ある市の市長宅でごちそうを振る舞われる。奥さんが作ったのだと考え「奥様にお会いしたい」と請うと、市長は穏やかに答えた。「1カ月前の爆撃で亡くなりました」。オダネルさんは動揺し、おわびを述べ、逃げるように宿舎に帰った。▼敵国日本を憎み軍に入ったオダネルさんは、こうして現実の日本人と交流を重ねる。教会で仲良く並ぶ米兵の靴と日本人の草履を見て、このように皆が平和に暮らせればいいと思うようになった。撮影された写真と体験記は「トランクの中の日本」という題で出版され、2007年の没後も増刷されるロングセラーになる。▼日本の最大の資産は誠意、寛容、潔さを備えた日本人だとの説がある。戦後、政府と占領軍の交渉でも日本側の誠意が米側の好意を引き出したと、五百旗頭真氏は「占領期」に書いている。オダネルさんの場合も市井の日本人が元敵兵の価値観を変えた例だ。毎年この時期、混乱の中で礼節を失わなかった先人たちを思う。
【春秋/日本経済新聞 2014-08-25】
・アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
・米軍カメラマンが見た長崎
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