・血で綴られた一書
・心理的虐待
・『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
私が簡単に支配された理由は、私が母親に対して抱いている無意識の恐怖心を、配偶者によって徹底的に利用され、同じような恐怖心を抱くように操作されていたからです。母親に対する恐怖心が生じたのは、基本的には愛されていなかったからです。私の母親は、この配偶者と同様に、私の特質のある部分のみを好みつつ、私の全人格を受け入れることを徹底して拒絶していました。私に与えられたのは、無条件の愛ではなく、常に条件付きでした。何かを達成してはじめて、少しだけ、まがい物の愛情を向けられたに過ぎなかったのです。
【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)】
「フム、母親と細君はパーソナリティ障害だな」と思いながら文字を辿り、この箇所でギョッとなった。心の深い部分に亀裂が生じ何かが滲み出した。私も「親から愛されていなかった」ことを初めて自覚した。もちろん安冨ほどの苛酷な情況ではない。我が家の場合は体罰が顕著で、私の顔に残っている小さな傷は全部母によってつけられたものだ。ただし私は小学校5年生くらいから猛反撃を試み、母の足に青あざができるほど蹴りを入れてやった。母はヤカンやイスを投げて応戦した。その頃から母親を「お前」と呼ぶようになった。現在でもそうだ。ま、個人的なことでお恥ずかしい限りだが。
安冨の自分自身を見つめる厳格な眼差しが私にまで作用して自省を促す。少年時代の私は個性的でアクが強く、かなり運動神経がよく、冗談を好んだので周囲からは常に評価されてきた。挨拶をきちんとすることもあって近所のおじさんやおばさんからも可愛がられた。その意味では親からの愛情不足を外部の愛情でカバーしてきた側面がある。
父からも随分殴られたが常に非は私にあった。だから逆らいようがなかった。二十歳を過ぎても殴られていたよ。数年前に父が死んだ。北海道の実家へゆき、遺体に触れた時、「ああ、これでもうぶん殴られることもないな」とホッとした。本当の話だ。それくらい恐ろしい存在だった。
安冨は小学生の頃から自殺衝動を抱え「死にたい……」と独り言をつぶやく癖が抜けなかった。東大教授という肩書も役に立たなかった。やはり幸不幸は形ではないのだ。妻からのハラスメントを通し、母親からの心理的虐待に気づいた安冨は逃げた。妻からも母親からも。
なかなか書けることではない。先ほど書いた私事だって結構ためらいながら書いたのだ。もしも死の衝動を抱えている人がいたら、今直ぐその場所から逃げ出すことだ。避難は早ければ早いほどよい。取り敢えず逃げて、後のことは後で考えればよい。意を決して「何とかする」などと思う必要はない。必ず何とかなるものだ。
例えば安冨が私の友達で直接こうした事実を告げられたとしたら、「俺も愛されてはいなかったな」とは言えない。ひたすら傾聴して、「そうか。大変だったな」と肩を叩くしかない。つまり読書と書評という行為であればこそ私の応答が成り立つわけだ。ここに読書体験の醍醐味がある。
・人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見
・人格障害(パーソナリティ障害)を知る