・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・戦争を問う
・学びて問い、生きて答える
・和氏の璧
・荀子との出会い
・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
・孟嘗君の境地
・「蔽(おお)われた者」
・楚国の長城
・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
・徳には盛衰がない
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
もっともこの年ごろの少年は、肉体の成長が意識の成長をはるかに超えてゆく。その点にかぎらず、人はいろいろな面において遅速(ちそく)があり、それらの足なみがそろうのが、四十歳なのであろう。
――四十にして惑(まど)わず。
と、孔子がいったのも、孔子個人の精神遍歴ではあるまい。旅が孔子にさまざまなことを教えたように、呂不韋(りょふい)の精神にことばをたくわえさせた。端的にいえば、
「問う」
ということができるようになった。耳目にふれるものが否応なく問いを発しているといってもよい。その問いに答える者は、けっきょく自身しかいない、ということもわかる。生きてゆくうちに答えを見つける、そういう答えかたしかできず、その答えかたこそ、おのれの生き方にある。呂不韋という内省に富んだ少年は、そのことに気づきつつある。
【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】
「旅」という言葉には心を掻(か)き立てる響きがある。止(や)み難い憧憬(どうけい)の理由がわかった。もちろんここでいう「旅」とは観光や出張のことではない。本格的な移動を意味する。文明が発達する以前、人や物は歩くスピードで交流する他なかった。移動のダイナミズムを想像してみよう。それはテレビの前で得られる感動とは質が異なるものだ。五感情報の桁(けた)が違う。映像は生(なま)の情報ではない。アナウンスで説明され、効果音やBGMが流れる。つまりメディア情報そのものが一つの装置であるといってよいだろう。
そう考えると交通手段の発達によって「旅」が失われたことに気づく。日本においても明治維新の熱気は人々の交流によるところが大きい。これ、という人物を知れば彼らは躊躇(ちゅうちょ)することなく直接会いにいった。珍しい蘭書があれば持ち主の元を訪(たず)ねて書き写した。その人と人とのぶつかり合いが時代を動かしたのだ。
現在でこの感覚に近いのは留学だろうか。そうであれば国内の学校や同業者間でも留学・研修などで交流する機会を作るべきだと思う。知識は豊かになったが実は狭い世界しか知らない人間が殆どだ。私なんぞは隣県に行くことすらない。人や地域を通して様々な世界を知ることがどれほど大きな力になるか計り知れない。
学問とは学びて問うの謂(いい)であろう。今の教育は「問う」を欠いている。与えられることに慣れると感覚がどんどん鈍り、刺激を刺激として感じられなくなってゆく。大いなる問いを立てることが大いなる人生につながる。世を問い、己を問う。特定の政治テーマは必ずプロパガンダに絡(から)め取られる。党派や宗派に生きてしまえば出会う人も限られる。そうではなくありのままの自分で先入観を払拭して曇りなき瞳で新しい世界と出会うところに旅の醍醐味がある。