今、ISIS(イスラム国)が日本人の人質を取って身代金を要求というNEWSが流れているけど、どう見ても合成のヤラセです。
陰の向きが左右の人物で逆になっていて、自然光の下ではこうなりません。 pic.twitter.com/x1Qfa18odB
— 多田星彦 (@bakuchyan) 2015, 1月 20
2015-01-21
日本人人質動画に合成疑惑
2015-01-20
生きるとは単純なこと/『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
・『心は病気 役立つ初期仏教法話 2』アルボムッレ・スマナサーラ
・何も残らない
・生きるとは単純なこと
・『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
・『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
・『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
1月1日 生きるとは単純なこと
生きるとは、複雑なようであって、じつはとても単純です。
歩いたり座ったり喋(しゃべ)ったり、寝たり起きたり。それ以外、特別なことは何もありません。
この単純さを認めないことが、苦しみの原因のもとなのです。
この単純さ以外に、何か人間を背後から支配している「宇宙の神秘」のようなものがあると思うのは、妄想です。
人生とはいともかんたんに、自分で管理できるものなのです。
【『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ(PHP研究所、2008年/PHP文庫、2017年)】
本年より書写行を開始。セネカ著『人生の短さについて 他二篇』を終えて、本書と取り組む。新書サイズで上下二段。1ページに2日分の内容となっている。何の解説もないのだが、たぶんスマナサーラ本からの抄録であろう。このエッセンスを理解するには、ある程度スマナサーラ本を読む必要あり。手軽に読んでしまえばかえって理解から遠ざかることだろう。
業(ごう)とは行為を意味する。日本だと悪業の意味で使われることが多いが善業も含む。その基本は歩く・座る・寝るの三つである。言われてみると確かにそうだ。健康の最低限の定義は「歩ける」ことだろう。身体障害の厳しさは歩くことを阻まれている事実にある。
悩みがあろうとなかろうと、幸福であろうと不幸であろうと、人間の行為がこの三つに収まることは変わりがない。
一方には豪華なソファに座る人がいて、他方には擦り切れた畳の上で胡座(あぐら)をかく人がいる。資本主義というマネー教に毒された我々は所有でもって人を測る。だが「座る」ことに変わりはない。つまり「座る」という姿こそが真理なのだろう。
後期仏教(いわゆる大乗)は絢爛(けんらん)たる理論を張り巡らせ、「宇宙の神秘」を説くことでヒンドゥー教再興に抵抗したというのが私の見立てである。結果的にブラフマンとアートマンを採用した(梵我一如)ことからも明らかだろう。
この神秘主義はなかなか厄介なもので、スピリチュアリズムと言い換えてもよいだろう。後期仏教を密教化と捉えれば神秘主義が浮かび上がってくる。そこには必ずエソテリズム(秘伝・秘儀)の要素が生まれる。
人間の脳は論理で満足することがない。どこかで不思議を求めている。ミステリーがマジックと結びつくと人は容易に騙される。宗教・占い・通販の仕組みは一緒だ。「物語の書き換え」によって人間を操作する。大衆消費社会を維持するのは広告なのだ。
歩く、座るといった振る舞いに何かが表れる。颯爽と歩く人には風を感じるし、猫背でとぼとぼと歩く人には暗い影が見える。小学生の歩く姿をよく見てみるといい。悩みがある子は直ぐにわかるものだ。
これに対して幼児はほぼ全員が歩くこと自体を喜びと感じている節(ふし)がある。だから見ているだけでこちらまで楽しくなってくる。きっと立った瞬間に、また歩いた瞬間に脳は激変している。そりゃそうだ。「見える世界」が変わったのだから。二足歩行を始めた人類の歴史が窺える。
「人生とは単純なものだ」と決めてしまえば、心の複雑性から解き放たれる。怒り、嫉妬、憎悪を生むのは心である。そこに宗教や思想が火をつけ、油を注ぐことも珍しくはない。
我々は「自分の人生」を失ってしまった。他人に操作された人生を送るがゆえに争いの人生を強いられている。決して心が安らぐことがない。絶えず不安の波が押し寄せる。
今、大事だと思っていることが、年を重ねるに連れてそうでもないことに気づく。手放せるものはどんどん捨ててしまえ。不要な物を捨て、不要な欲望を捨て、最後は自我まで捨ててしまえというのがブッダの教えである。
【追記】竹内敏晴は「人間が生きている、ということは、基本的には『立って』動いていることである」と指摘している(『ことばが劈(ひら)かれるとき』)。とすれば、人の行為は大別すれば、寝るか・起きるかに分けることができそうだ。
2015-01-17
安冨歩、谷沢永一、外山滋比古、陳舜臣
2冊挫折、2冊読了。
『実録 アヘン戦争』陳舜臣〈チン・シュンシン〉(中公新書、1971年/中公文庫、1985年)/陳舜臣とは相性が悪く、かつて何冊か手にしたことがあるが一冊も読み終えたことがない。どうも文体が私の脳に馴染まない。
『思考の整理学』外山滋比古〈とやま・しげひこ〉(ちくま文庫、1986年/筑摩書房、1983年『ちくまセミナー 1』の文庫化)/昔、読んだような読んでいないような……。ヒラリヒラリと舞う文章が心地よく、それだけに騙されているような気がする。巧みすぎて印象が薄い。そこにどうしても嘘を感じてしまう。例えば元宮内庁長官の羽毛田信吾〈はたけ・しんご〉という人物は名文を書くが、人物としての評価は非常に低い。私が尊敬する菅沼光弘は宮内庁時代の仕事を問題視し、あまり尊敬していない副島隆彦に至ってはボロクソに書いている。アクの強い個性を好む私にとってはどうでもいい本だ。
3冊目『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1995年/ワニ文庫、1997年)/大江健三郎のノーベル賞受賞後に刊行された。『完本・紙つぶて』と比べると文章の劣化が目立つ。しかも後味が悪いときている。表紙見返しで渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉が「傑作」とエールを送っているが、気分が滅入るだけだ。それでも読む価値がある。なぜというに、東京裁判史観に毒された進歩的文化人の正体を明快に解き明かしているためだ。俎上(そじょう)に乗せられたのは主に大江の海外講演で、彼は天皇陛下や日本を貶めることに全力を傾注してきた事実がわかる。公の場に引きずり出して公開討論させるべきだろう。ノーベル賞の授与も歴史ある日本の皇室を苦々しく思っている西洋白人の思惑が働いているとしか思えない。
4冊目『幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(明石書店、2012年)/続『原発危機と「東大話法」』である。安冨歩にはしなやかな「生の流儀」がある。その態度に私は感銘を受ける。論より振る舞いが重い。真実は挙措(きょそ)の中に表れる。現役の東大教授が同じ東大の原発御用学者を真正面から批判している。なかなか出来ることではない。安富は数少ない真の教師であると思う。
2015-01-16
日露友好の土壌/『なぜ不死鳥のごとく蘇るのか 神国日本VS.ワンワールド支配者 バビロニア式独裁か日本式共生か 攻防正念場!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
・『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
・『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
・『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
・『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
・『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
・『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
・『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
・『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
・『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
・『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
・『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
・『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
・『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘:2014年
・日露友好の土壌
・『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
菅沼●ロシアと日本が協力できるのは単に経済的な関係だけではないんですよ。宗教的に見てもそうです。ロシア正教は一般的なキリスト教とちょっと違う。
例えば彼らが一番愛するのがアイコン(イコン)です。それに何が描いてあるかというと、マリア様です。マリア様は女性です。日本も、伊勢神宮内宮の祭神はアマテラスです。女性に対する畏敬の念ということではロシアと日本には共通性がある。
【『なぜ不死鳥のごとく蘇るのか 神国日本VS.ワンワールド支配者 バビロニア式独裁か日本式共生か 攻防正念場!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄(ヒカルランド、2013年)以下同】
ベンジャミン・フルフォードの言説には慎みがない。思ったこと、感じたことをそのまま吐いている。その軽薄さが彼の言論を単なる陰謀論に貶める。部分的な真実があったとしても私は彼の言葉を信用しない。このような子供染みた人物を相手にする菅沼の意図も理解しかねる。菅沼ファンであってもベンジャミン関連は読む必要なし。
アイコンについては小田嶋隆が秀逸な解説をしている。
・アイコンとは/『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
「偶像崇拝」という言葉にはかくの如き西洋の歴史がある。一言でいえば「シンボルは神に非ず」ということだ。これは中々奥が深いテーマで宗教や脳機能の深淵に関わる問題が潜んでいる。
タレントとは本来「才能」を意味する言葉であるが、タレントのポスターが偶像である事実に気がつけば偶像崇拝はストンと腑に落ちる。例えば筋金入りのオタクがいたとしよう。彼は大好きなアイドルのポスターに向かって朝な夕な語りかける。ある時は悔しい思いを涙ながらに訴え、またある時は嬉しい出来事を輝く瞳で報告する。彼の脳内ではアイドルのポスターが実像と化している。幼い妹が誤ってポスターを破いてしまった事態を想定すればわかることだ。それはもう「ポスター」ではなくなっている。ご存じの人もいるだろうがアイドルとは「偶像」を意味する言葉である。
ここからもう一段深めるとシンボルとしての言葉に辿り着く。そこから横に移動すれば、表意文字としての漢字に込められた力、すなわち呪能が見えてくる。で、最終的には脳のアナロジー機能に行き着く。
・アナロジーは死の象徴化から始まった/『カミとヒトの解剖学』養老孟司
菅沼の指摘は「日本人とロシア人の脳が似ている」ことを示す。初耳だ。こんな話は聞いたことがない。聞いたことがないだけに鮮烈な説得力を感じる。
菅沼●ロシア人は、日本人に対して、イギリス人だとか何かみたいに人種的な偏見なんて全然ない。シベリアに抑留された人が現地のロシア人女性と一緒になって、帰ってこなかった例も随分ある。
言われてみると確かにロシアの美人は欧米の美人よりも日本人には取っ付きやすい印象がある。ただしロシアの女性と結婚すると性行為の回数が多くて日本男児では体が持たないと佐藤優が書いていた。1日3回とか。
菅沼●今まで日露関係は、イデオロギーや、北方領土の問題とかがあって、ギクシャクしてきたけども、そういうものが薄れてくると、ロシアと日本というのは、宗教的にも、人間的にも、また経済的にも非常にくっつきやすい条件ができつつあるわけですよ。
こういう卓見が随所にあるから菅沼本はやめられない。私は本来であればやはり東アジアを中心とした漢字文化圏が緩やかな共同体を目指すのが理想だと考えているが、中国との関係が上手くゆかない以上、日本とロシアが友好を深めることは望ましいと思う。
2015-01-15
目撃された人々 60
老夫婦と幼子が線路沿いの道を歩いていた。祖父が女児の手を、祖母が男児の手を引いていた。「あ!」と思った瞬間、私の目にはまざまざと十数年後の姿が見えた。中学生、高校生となった二人が祖父母の手を引いていた。同じ温もりを通わせながら。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 1月 14
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