2015-04-30
ブライアン・セルズニック、レスリー・ヴァリアント
1冊挫折、1冊読了。
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント:松浦俊輔訳(青土社、2014年)/科学本に迷ったら松浦俊介の訳本を辿ればよい。外れが少ない。これは名著。レスリー・ヴァリアントは計算機学・応用数学の教授。チューリング賞も受賞している。流麗な文章だが、かなり手強い。私は歯が立たなかった。それでも「必読書」に入れ、「情報とアルゴリズム」にも加えた。挫けたのは私の知的レベルに問題があるためで本の問題ではないからだ。頑張れば読めるのだが、修行し直すことにした。尚、1ページの7行目に「与えられたのではななく」との誤植がある。青土社も随分といい加減になったものだ。
41冊目『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック:金原瑞人〈かねはら・みずひと〉訳(アスペクト文庫、2012年)/子供に読ませる場合は奮発してハードカバー版を買ってあげたい。500ページのうち、何と300ページほどがイラストである。ま、絵本だと思っていい。まだ映画が誕生したばかりの時代である。身寄りのいないユゴー少年とからくり人形の物語だ。鉛筆で描かれたイラストが映画のカットのようにダイナミックな構図で読者に迫る。これはオススメ。「必読書」入り。マーティン・スコセッシ監督が映画化した『ヒューゴの不思議な発明』も必ず見たい。
手に余る自負/『突然の災禍』ロバート・B・パーカー
・『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
・『初秋』ロバート・B・パーカー
・『チャンス』ロバート・B・パーカー
・手に余る自負
・『スクール・デイズ』ロバート・B・パーカー
「とにかく、あんたは、驚くほど端的な言い方をするな」
「時間の節約になる」
【『突然の災禍』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1998年/ハヤカワ文庫、2005年)以下同】
シリーズ第25作目。複数の女性からセクハラで訴えられた元夫を助けて欲しいとスーザンから頼まれる。スペンサーは現在の恋人であるが夫ではない。はたから見ると微妙な立場だが、スペンサーは微妙な男ではない。手に余る自負を抱えている。自己顕示欲全開である。
訴えた女性の夫に辣腕弁護士がいた。フランシス・ロナンという人物だった。
「彼はなにか意見を述べた?」
「フム、と言ったよ」
「それがどういう意味なのか、多少なりとも判ってるの?」
「彼は、この仕事は危険に満ちていることを、遠回しに言っていたのだ、と思う」
「フム」リタが言った。
「かもしれない」
「ロナンに会った、と言ったかしら?」
「言った」
リタが微笑した。「それで、話し合いはうまくいったの?」
「あまりうまくはいかなかった」
彼女の笑みがますます大きくなった。「あなたはそれ相応に敬意を表したの?」
「あんたは不快なくだらない小男だ、と言ったよ」
リタが大声で笑い、ツイードを着た男が二人、タラ料理から顔を上げて彼女を見ていた。リタが彼らの視線を捉えて見返すと、二人がタラに目を戻した。
「笑うつもりじゃなかったのよ」リタが言った。「実際にとても真剣な問題なんだけど、驚いたわね! あなたとフランシス・ロナン」まだ微笑しながら首を振っていた。「素晴らしい組み合わせだわ。あなたは彼に劣らず傲慢だから」
「それに、おれのほうが背が高い」
「彼には用心してよ」リタが言った。「これまで相手にしたどんな人間の場合より、用心して」
「判ってる。それに、彼はおれに用心する必要があるかもしれない」
リタ・フィオーレは『告別』、『蒼めた王たち』、『悪党』にも登場する美人弁護士。
この会話にスペンサーの性格がよく表れている。騎士道精神と子供染みた強がり。暴力がユーモアを支えている。そして彼は相手がどんな大物でも怯えることがない。マチズモの毒を中和するのは知性である。スペンサーは詩を愛する男でもあった。
「きみはそんなにタフである必要はないんだ」
「物事について、ひ弱な女性のステレオ版になりたくない」
「タフ、というのは、事の前後に、それについてどんな気持ちになるか、ではなく、なにをするか、なのだ。きみはとてもタフだよ」
「自分の過去については、さほどタフではなかったわ」彼女が言った。
「ステレオ版」との訳はおかしい。「ステレオタイプ」で構わないだろう。菊池光はカタカナの使い方にも違和感を覚える。
スペンサーがスーザンに説くのは「タフな精神」ではなく「行為としてのタフ」である。足を止めなければ思い悩む時間もない。
若い頃は堪能できたが、大の大人が読むにはチト甘すぎる。それでもスペンサーの諧謔(かいぎゃく)精神にはニヤリとさせられてしまう。ホークも健在だ
そのつもりになれば、ホークは、クー・クラックス・クランに潜入することができる。
それは無理だ。ホークは黒人なのだから(笑)。
2015-04-29
日本にとって危険なヒラリー・クリントン/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
・『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
・『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
・『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
・『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
・『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
・『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
・『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
・『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
・『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
・フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意
・日本にとって危険なヒラリー・クリントン
・『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
・『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
・『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
・『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
売国奴という言葉がありますが、国家観を持たない人間は平気で国を売ります。自分では国を売るという意識もないまま、「親米」だの「親中」だのと体(てい)のいい言葉の裏で、国を売って平然としています。私はこれまでどれほどそういう政治家を見てきたか。本当に嫌になるくらい見てきました。
【『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘(徳間書店、2012年)以下同】
今から30年ほど前までは「愛国心」という言葉が右翼を示すキーワードであった。この国は戦争に敗れて以来、「国を愛すること」すら許されなかった。
本多勝一〈ほんだ・かついち〉の「菊池寛賞を改めて拒否しなおす」(『潮』1983年11月号)に感激した私は、当然のように彼が批判する山本七平からは遠ざかった(『殺す側の論理』すずさわ書店、1972年)。浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫、1986年)にも私は手を伸ばした。時代の風は左側から吹いていた。それに断固として異を唱えたのが渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉や谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉であった。彼らは「右翼」と目された。
菅沼の指摘は右左の問題ではない。政治家が国益よりも私益を重んじたとの一点にある。新聞・テレビ・企業がこれに続くのは当然であろう。祖国は売り物と貶められた。
日韓関係についてもそうです。例の従軍慰安婦の問題について、ヒラリー・クリントン国務長官が従来の「コンフォート・ウーマン(慰安婦)」という英語の呼称を「セックス・スレイブ(性奴隷)」にするしかないと言いはじめています。
これは韓国の圧力によるもので、アメリカのニュージャージー州とニューヨーク州の2ヵ所には、旧日本軍従軍慰安婦の記念碑が建てられています。いずれも公共施設の中です。そこには「20万人の韓国の若い女性が日本帝国政府に拉致されてセックス・スレイブになった」と書かれている。せいぜい数万人とされていたのがいまや20万人になっているのです。
日本政府はこれを撤去するように申し入れていますが、アメリカはまったく撤去しようとしません。
この記念碑を見たアメリカ人は、これはひどい、日本は許せないとなるでしょう。それを受けてヒラリー・クリントンはセックス・スレイブと言い出した。
李明博大統領は来年2月で任期は終りですが、韓国というのは政権の末期になると必ず反日の気運を高めることになります。まして李明博政権は身内の収賄事件などが発覚してボロボロですから、世論を反日に向けさせて自分に矛先が向かないようにしています。それにアメリカも加担しているわけです。
老化が著しいヒラリー・クリントン。 pic.twitter.com/fu2cyUmWgp
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 4月 28
「米国は,アメリカ合衆国下院121号決議の成立と,ヒラリークリントンやバラクオバマの声明によって,韓国の売春婦(政府と売春婦の両方)をサポートした」(アメリカ人ジャーナリストのマイケル・ヨンさんの日本語のブログ)。
バブル景気に酔い痴れる日本に対して「経済戦争」を仕掛けたのが夫君のビル・クリントンであった(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)。その妻女が親日家であるとは考えにくい。夫婦揃って左派的要素が強いことでも知られる。
慰安婦問題を歴史的事実としないためにも、「いわゆる慰安婦問題」と表記することが望ましい。結果的に見ればアメリカにおける韓国のロビー活動に我が国が敗れたということだ。
本来であれば朝日新聞の慰安婦虚報が明らかになった時点で、これをテコに全国民的な歴史検証を開始すべきであった。アメリカ議会に対するロビー活動も必要だとは思うが、まずきちんとした英語情報を書籍やウェブサイトの形で日本から発信すべきである。
・渡部昇一の考える、いわゆる慰安婦問題について
そもそもなぜ慰安婦が必要になったか? 兵士に強姦させないためである。こんな簡単な理屈もわからなくなっている。欧米やロシアの場合は徹底的な強姦を行う。ノルマンディー上陸作戦に参加した米軍兵士たちはフランス人女性を思う存分犯した(AFP 2013-05-27)。ヒトラー率いるナチス・ドイツを破ったロシア軍も手当たり次第にドイツ人女性をレイプした。老女までもが犠牲となった。
東京裁判史観を完全に払拭することなしに戦後レジームからの脱却はあり得ない。現段階では正確な自国の歴史を述べる機会すら与えられていないのが日本の現状である。
2015-04-28
日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平
・断章取義と日蓮思想
・日本における集団は共同体と化す
岸田 つまり日本というのは、あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っているわけですね。
【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)以下同】
ま、早い話が親分子分の世界だ。確かにそうだ。後進の育成を我々は「面倒を見る」と表現する。この時点でもう兄貴分だ(笑)。結局、日本の集団は「一家」のレベルに過ぎないのだろう。日本経済をバブル景気まで支えてきた終身雇用制は、まさしく「擬制血縁の原理」が機能していた。
山本 私はね、ヨーロッパが血縁幻想を持つための条件をなくしたとすれば、それは二つあると思っているんです。一つは奴隷制ですね、人間を買ってくる。もう一つは僧院制、これは独身主義です。血縁ができない。したがって、これらは真の意味の組織だけになってくるんです。
奴隷制度はヨーロッパに唯一神が現れる前から、一種の組織だったんですね。あの時代の自由の概念はきわめてはっきりしていて、契約の対象か売買の対象かで自由民か奴隷かが決まるわけです。ひと口に奴隷といっても、いわゆる技能奴隷、学問奴隷などはムチでひっぱたいてもダメで、報酬を与えないと働かない。その結果、ずいぶん金持の奴隷もいたわけなんです。だけど、金を持っただけでは自由民になれない。奴隷は契約の対象じゃないんですから、いわば家畜が背中に貨幣でも積んでいるような形にすぎないんですね。
「民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に『創られた伝統』に過ぎない」(『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優)としても、やはりヨーロッパには異なる宗教や言語が存在したわけだから「敵」が多かったことは確かだろう。第二次世界大戦に至るまで戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。それゆえ集団内にあっても徹底的に主張をぶつけ合う。日本のように小異を捨てて大同につくなどということはあり得ない。
岸田 やはりヨーロッパは家畜文化であるというところに、根本の起源があるのかもしれませんね。
山本 そうかもしれません。
岸田 日本には奴隷制はなかったわけですからね。
山本 ないです。「貞永(じょうえい)式目」を見ると人身売買はありますが、ローマのような制度としての奴隷制というものはない。これははっきりしている。
人間を家畜化したのが奴隷である。
・動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
日本に奴隷制がなかった事実が、ヨーロッパと日本の帝国主義の違いにつながる。イギリスやフランスは植民地を奴隷として扱った。日本は一度もそんな真似をしたことがない。朝鮮も併合したのであって植民地ではなかった。イングランドとスコットランドのようなものだ。
ヨーロッパ人がアフリカ人やインディアンに為した仕打ちを見るがいい。キリスト教による宗教的正義がヨーロッパ人の残虐非道を可能とした。アメリカでは黒人奴隷が動産として扱われた(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)。
岸田 では、日本の集団はどういう原理で動いているでしょうかね。
山本 ただ一つ、言えるだろうと思う仮説をたてるとしますと、日本では何かの集団が機能すれば、それは「共同体」になってしまう。それを擬制の血縁集団のようにして統制するということじゃないでしょうか。ただ、機能しなくちゃいけないんです、絶対に。血縁集団というものは元来、機能しなくていいんですね。機能しなくても血縁は血縁。しかし、機能集団は別にある。しかし、日本の場合、それは即共同体に転化しちゃう。
これは日本がもともと母系社会であったことと関係しているように思う。父は裁き、母は守るというのが親の機能であるが、日本のリーダーに求められるのは母親的な役回りである。親分・兄貴分も同様で父としての厳しさよりも、母親的な包容力が重視される。考えてみれば村というコミュニティや談合という文化も極めて女性的だ。
ま、天照大神(あまてらすおおみかみ)は女神だし、卑弥呼(?-248年頃)という女性権力者がいたことを踏まえると、キリスト教ほどの男尊女卑感覚はなかったことだろう。
今この本を読むと、意外なことに「日本はそれでいいんじゃないか」という思いが強い。自立した人格の欠如とか散々自分たちのことをボロクソに言ってきたが、寄り合い、もたれ合いながらも、奴隷制がなかった歴史的事実を誇るべきだろう。俺たちは『「甘え」の構造』(土居健郎)でゆこうぜ(笑)。今更、砂漠の宗教にカブれる必要はない。自然に恵まれた環境なんだから価値観が異なるのは当たり前だ。それゆえ私は今こそ日本のあらゆる集団が「確固たる共同体」を構築すべきだと提案したい。
日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)
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・シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光
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