2015-08-01

手塚治虫、田中正明、金森重樹、藤原肇、他


 14冊挫折、6冊読了。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』『戦争論争戦』『朝日新聞の正義 対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任』『教科書が教えかねない自虐』小林よしのり/やはり漫画は読めた代物ではない。まず自分を美化して描く感性が信じ難い。ただし小林の先見性は評価されるべきで、『戦争論争論』は田原総一朗との対談だが、東京裁判史観に毒された田原の姿がくっきりと浮かぶ。

百物語』杉浦日向子(新潮文庫、1995年)/杉浦の漫画作品を初めて読んだ。絵もストーリーもしっくりとせず。これは好みの問題である。

「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛』稲垣武(文藝春秋、1997年)/『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』とは異なり感情が前面に出ている。その苛立ちが読者を不快にする。イデオロギーや反イデオロギーに基づく著書は少し時間を置いてから読むと紙価がおのずと判明する。保守論壇はマチズモに傾きやすい。これを知性とユーモアにまで高める必要があろう。

東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎(文春新書、2012年)/著者はテレビマン。文章が気取っていて中々本題に入らない。「アンリ・ベルナールはパルより凄い」としながらも手の内を隠してもったいぶっている。決してよいテキストではないが「日本の近代史を学ぶ」には入れておく。

街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎(朝日新聞社、1994年/朝日文庫、2009年)/高砂族の件(くだり)を確認。あとは飛ばし読み。改行が目立つ。宮城谷昌光の文体は司馬遼太郎の影響を受けているようだ。

サンカ 幻の漂泊民を探して』『幻の漂泊民・サンカ』沖浦和光、『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎』礫川全次/ひょっとして高砂族は山窩(サンカ)となって日本に居ついたのではないかと考えたのだが、当て推量が外れた。三角寛〈みすみ・かん〉という人物による創作が大きいらしい。

日本と台湾』加瀬英明(祥伝社新書、2013年)/テーマがやや曖昧で総花的に感じた。鋭さを欠く。

風の書評』風(ダイヤモンド社、1980年)/「風」を名乗る匿名書評。昔、一度読んでいる。谷沢永一が絶賛していた。その後、書評子は朝日新聞記者であった百目鬼恭三郎〈どうめき・きょうざぶろう〉と判明した。博覧強記から下される批判は手厳しく、鉄槌を思わせる。衣鉢(いはつ)を継ぐのは高島俊男あたりか。ただし百目鬼の舌鋒がどんなに鋭くても、彼が小説を物することはなかったことを忘れてはなるまい。評者は作り手に依存するのだ。

 88冊目『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』藤原肇(山手書房新社、1991年)/天才本。インテリジェンスものの嚆矢(こうし)か。エントロピーにまで目配りをしているとは藤原恐るべし。政界の裏情報にも通じていて理論だけではなく実践の裏付けがある。唯一の瑕疵は自画自賛癖。やはり世間からの評価の低さが気になっているのだろう。アメリカ暮らしに由来する自己主張とは思えない。私が読んできた藤原本の中では断然1位。

 89冊目『借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記』金森重樹〈かなもり・しげき〉(大和書房、2009年)/「フリーターといっても東大卒だろ?」と思ってしまえばそれまでである。確かに片っ端から行政書士などの資格を取得するところなどは常人の及ばぬところであるが鍵は違うところにある。結局、資本主義では「借金を回して投資で増やす」者が勝利を収め、勝った者は更なる投資を続けて富を蓄積する。原理は『金持ち父さん貧乏父さん』と一緒だが、金森はロバート・キヨサキをも批判してみせる。田舎から出てきた若者を騙す大人がいるという現実が恐ろしい。私だったら相手を手に掛けていることだろう。

 90冊目『パール判事の日本無罪論』田中正明(慧文社、1963年/小学館文庫、2001年)/感動した。感動のあまりアンリ・ベルナール本を読めなくなった。インドから受けた恩を日本人は忘れてはならない。日本の法学部はパール意見書を中心に据えて国際法を学ぶべきだ。パール判事の名を高らしめる責務がある。

 91-93冊目『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』『きりひと讃歌 3』手塚治虫(COMコミックス増刊、1972年/小学館文庫、1994年)/文庫だと読みにくいので『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』のビッグコミックススペシャル版をおすすめする。ただし小学館文庫版には養老孟司の解説がある。町山智浩が『セデック・バレ』のレビューで「高砂族を知ったのは手塚治虫先生の『きりひと讃歌』という傑作漫画」と語っていた。正直に告白しよう。私は手塚治虫の絵があまり好きじゃない。それでも何とか最後まで読んだ。容貌が犬のようになってしまうモンモウ病という奇病をめぐる物語である。そこに日本医師会を巡る政争と陰謀が絡む。強姦シーンもあって少々たじろいだ。結局のところ見た目に左右されてしまう差別観を描くだけにとどまっているように感じた。私みたいな乱暴者からすれば復讐の仕方も甘すぎる。そして何よりもタイトルが示している通り、キリスト教を賛美する姿勢に嫌悪感を覚える。

2015-07-30

恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督


 ディレクターズカット版を観た。『セデック・バレ』は明らかに本作品から影響を受けている。山谷を駆け巡り、奇声を上げ、手斧を使うところがそっくりだ。ただし『セデック・バレ』を観た後では興醒めする。インディアも描けていなければ、戦争も描けていない。安っぽい恋愛を主題にしたのが失敗だ。恋愛茶番劇といってよし。そもそも主役のダニエル・デイ・ルイスが白人という設定がおかしい。尚、余談ではあるがダニエル・デイ・ルイスはニコラス・ブレイクの息子と知ってびっくりした。



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「駅」という漢字の由来

2015-07-28

頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性/『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子


『お江戸でござる』杉浦日向子
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子

 ・頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『日本人の誇り』藤原正彦

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本の(伝統)文化の紹介や解説は、異国趣味と外交辞令もあって歓迎されるが、「弁明」はかの地では激しい抵抗にあわねばならない。いかなる抵抗にあわねばならないか、松原氏が月刊誌『正論』(産経新聞社)の平成13年1月号の随筆欄に体験の一端を披露している。
 ドイツの全国テレビで毎週5カ国の代表が出演して行われる討論番組に、氏がレギュラーとして出演していた折りの逸話である。そのときのテーマは、「過去の克服――日本とドイツ」で、相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は捕虜虐待を、米国代表は生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。松原氏は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないと反論し、英国代表には、彼らの認識が一方的且つ独断的であることを指摘し、史実に基いて日本の立場を説明、弁明した。
 さて、逸話のクライマックスは番組終了後である。「テレビ局からケルン駅に出てハンブルク行きを待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきた。(中略)彼女は私の前に立ち、『我々のテレビで我々の悪口を言う者はこれだ。日本へ帰れ』と言うなり私の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」(中略)
 今や少なからぬ日本人が欧米で、講演、講座、討論会を通じ、「日本」を語っているが、彼らのなかで袋叩きに遭いながら反論し、そして平手打ちをくらうほど日本を弁明した人がいるだろうか。私は、いない、とはっきりいえると思っている。だから日本の世論はもちろんのこと、言論界でも、この事件は、この大事件は他人事なのである。(「訳者まえがき」)

【『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏〈たなか・さとし〉訳(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)】

 GHQの占領政策によって大東亜戦争の罪悪感(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を刷り込まれた日本人は、いまだに東京裁判史観から抜け出すことができないでいる。義務教育からは歴史が削除されて社会科となり、日本の近代史については目隠しをされたままだ。左翼は劣勢に立たされているものの、原発問題・環境問題・沖縄米軍基地問題・憲法擁護という隠れ蓑をまとって破壊工作を展開。一方、右側は過激な民族差別主義者からネトウヨと、幅はあるものの思想的な深さを欠く。

 我々が行うべきことは事実を虚心坦懐に見つめることである。政治性やイデオロギーに基いて歴史をつまみ食いすることこそ最も恐れなくてはならない。

 日本人同士が小競り合いを繰り返し、同じ日本人として歴史すら共有できない情況を思えば、松原久子の存在は我々の背に鞭を入れ、姿勢を正さずにはおかない。

 国家の安全保障をアメリカに委ねている以上、政治レベルで慰安婦捏造問題や南京大虐殺というフィクションに手をつけるのは危険であり、まして東京裁判に異を唱えることなどできようはずもない。それゆえ日本としては学問のレベルから反撃することが望ましい。就中、パール判事の反対意見書を基軸に据えた国際法研究を広く行うべきだ。学問的成果を一つひとつ積み上げてゆけば、自ずと映画や漫画などの文化にも反映されることだろう。

 尚、本書の原作はドイツ語で書かれており、純粋な翻訳書であることを付け加えておく。

2015-07-27

文体が肌に合わず/『カティンの森』アンジェイ・ワイダ監督


 2007年制作。ポーランド映画。どうもアンジェイ・ワイダの文体が肌に合わない。『灰とダイヤモンド』(1958年)もそうだが私はドラマ性を感じなかった。はっきり言えば、ぶつ切りの映像にしか見えない。主役のアンナは木村カエラみたいな顔で魅力を欠いているし、キャストというキャストがどうも冴えない。

 例えば甥っ子がソビエトのプロパガンダポスターを剥がす行為や、大将夫人が映画に抗議する場面など、見るからに拙い行為であり、正義よりも安易さが目立つ。

 唯一感動したのはポーランド人将校の収容所で大将が厳(おごそ)かに演説を行い、静かに皆で合唱をした場面だ。

 アンジェイ・ワイダの父親もカティンの森事件の被害者であった。構想に50年、製作に17年を要したらしいが、時間のかけ過ぎであると思う。

 現在ではカティンの森事件の被害者は22000人とされる。ドイツ軍が遺体を発見すると、ソ連は「ドイツの仕業だ」と喧伝(けんでん)した。共産主義と嘘はセットになっていると考えてよろしい。社会主義国家や共産党は病的な嘘つきである。

 思えば我が日本も大東亜戦争の終戦間際に日ソ中立条約があったにもかかわらず満州や北方領土を攻撃され、ソ連軍は虐殺、強姦、強盗の限りを尽くした。それどころではない。推定65万人もの日本人をシベリアに抑留し、強制労働をさせたのである。ソ連の行為はまさしく侵略戦争そのものであった。

 尚、カティンの森事件を知らない人のために動画を貼りつけておく。



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