2015-10-08

映画『子宮に沈める』/『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之


 ・映画『子宮に沈める』

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史

 これは、誰もが目にすることがなかった光景だ。大阪二児遺棄事件の母親も、その周囲にいる人も、誰も。
 その密室の中にいたのは、餓死した2人の子供だけだった。その中で何があったのかを知ることは、もはや誰もできない。科学捜査で一部、推測できることはあるのかもしれないが、我々が知りたいことの多くには、たどり着けない。
 緒方監督は、フィクションという想像力でそれを「見よう」とした。生き残った母親や、その周囲の証言をどれだけ探っても、明らかにできるのはその密室の外部にあったものだけだ。取材報道という、記者である私が置かれた立場からはどうやっても提供できない情報を、緒方監督は社会に届けようとした。

【『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之(日経BP社、2015年)】

 気骨を感じさせるルポルタージュだ。書く姿勢と書かれた文章に清々(すがすが)しさがある。人としての正しい資質は、両手に抱えた荷物の重みに耐えるバランス感覚に現れる、というのが私の持論だ。中川は自ら重いテーマを掴んだ。

 早速DVDを借りた。1週間ほど見て見ぬ振りを決め込んだ。やはり気が重い。意を決してDVDプレイヤーのボタンを押した。平凡な親子の日常が描かれていた。だが私は最初から二人の幼子が餓死することを知っている。カットに工夫があった。意図的に顔を映さない。夫婦が諍(いさか)うシーンでは下半身しか見えない。その後間延びしたカットが延々と続く。母親の子供の抱き方が不自然だ。子育て経験のない女優を起用したのか? そもそもこの母子関係から育児放棄(ネグレクト)に至る必然性がまったく見えてこない。

 というわけで見るのをやめた。そう。本当は怖くなっただけだ。3歳の女児が包丁で缶詰を開けようと試みるシーンなど見たくない。実際の事件で発見された子供の遺体は腐敗・白骨化が進み、一部はミイラ化していた。母親(当時23歳)には懲役30年の実刑判決が下った。

 私の所感を述べよう。「こういう人間もいるのだな」以上、である。何も付け加えることはない。心理学的なアプローチをする必要もないだろう。それは「殺す物語」の正当化につながりかねないからだ。いかなる理由があろうとも許すべきではない。世界中の人々が許しても私は許さない。

 昔、社会への復讐を目的に罪なき4人を射殺した男が「無知の涙」(合同出版、1971年)を流した。10代で読んだ時は感動したが、今になって考えると無知が無恥に思える。恥知らずにも程がある。そもそも「人生はやり直し可能」という大いなる誤解に基いているのだろう。人生は引き返すことができない以上、やり直せるわけがないのだ。

 経済的な貧困も怖ろしいが精神の貧困はもっと恐ろしい。貧困は確実に社会を侵食する。そして親子の絆すらあっさりと断ち切ってみせるのだ。

ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投 資」子宮に沈める [DVD]

意味のない苦役/『シーシュポスの神話』カミュ


 神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖(おそ)ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

【『シーシュポスの神話』カミュ:清水徹訳(新潮文庫、1982年/『新潮世界文学49 カミュ2 カリギュラ・誤解・戒厳令・正義の人々・シーシュポスの神話・反抗的人間』清水徹訳、新潮社、1969年)】

 原書刊行は1942年(昭和17年)というのだから第二次世界大戦の真っ只中である。アルベール・カミュ(1913-1960)は繰り返される戦争の中で不条理を見つめたのだろうか。彼は立ち木に衝突する交通事故で死んだ。KGBによる暗殺説もある。不条理を説いた男の不条理な死。

 このギリシア神話は輪廻を圧縮したような趣の恐ろしさに満ちている。ひょっとするとドストエフスキーの翻案かもしれぬ。『死の家の記録』(原書1862年)に「穴を掘って埋める」懲罰の話が出てくる。意味のない苦役が重罪人を発狂させるだろうと。

 社会的動物である我々は意味に生きる。大義を与えられれば死ぬことさえできる。世のため人のためとあらば艱難辛苦(かんなんしんく)にも耐えることが可能だ。ただしその基準は時代によって異なる。

 帝国主義でイギリスと共に世界中を支配してきたフランス人が説く不条理は不条理に満ちている。アフリカの殆どの国の言語は英語かフランス語である。カミュは一度でもその不条理を見つめたのだろうか?

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カミュ
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2015-10-06

アメリカは世界経済に寄生


「あの国(米国)は借金暮らしをしている。だが、収入に見合った生活をせずに、責任の重さを他国に移している。いわば『パラサイト(寄生生物)』のような生き方だ」(ウラジミール・プーチン)ロシア中部のセリゲル湖畔で行われた与党支持・青年運動組織「ナーシ」のサマーキャンプにおける講演(AFP 2011年08月02日

2015-10-05

渡邊博史、他


 10冊挫折、1冊読了。

決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』ガルリ・カスパロフ:近藤隆文訳(NHK出版、2007年)/やはりルールがわからないのが難点。

宇宙論と神』池内了〈いけうち・さとる〉(集英社新書、2014年)/文章が冴えない。

もう日は暮れた』西村望〈にしむら・ぼう〉(立風書房、1984年/徳間文庫、1989年)/霧社事件を描いた小説。ぱっとせず。

ギリシア人ローマ人のことば 愛・希望・運命』中務哲郎〈なかつかさ・てつお〉、大西英文(岩波ジュニア新書、1986年)/これほど酷い箴言集は初めてのこと。見開き冒頭に掲げた言葉にさほど価値を見出だせない。岩波ジュニア新書は当たり外れが大きい。

シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ:岡田朝雄〈おかだ・あさお〉訳(草思社、2006年)/手塚富雄訳を超えるものではない。

白川静さんに学ぶ漢字は怖い』小山鉄郎〈こやま・てつろう〉(共同通信社、2007年/新潮文庫、2012年)/半分ほど読む。前著より勢いに欠ける。

働かないアリに意義がある』長谷川英祐〈はせがわ・えいすけ〉(メディアファクトリー新書、2010年)/冗長。

最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』重松清、渡辺考〈わたなべ・こう〉(講談社、2004年/講談社文庫、2007年)/NHKのテレビ番組を書籍化したもの。一粒で二度おいしいってわけだ。実は重松清が苦手である。ま、茂木健一郎との対談しか読んだことがないのだが。テレビ局としてはいい仕事をやり遂げたとの手応えがあったのだろう。書籍に価値は感じられない。

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部(桜の花出版、2006年)/イデオロギーに基づく出版社と判断した。今後「桜の花出版」の本は読まない。デヴィ夫人の文章だけ読む。

子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎〈すぎやま・としろう〉(学研のヒューマンケアブックス、2007年)/杉山は発達障害の権威らしい。海外の研究や事例も豊富だ。しかし人間性が伝わってこない。そもそも書籍タイトルが致命的な失敗で本来なら「被虐という第四の発達障害」にすべきである。私は当初「児童虐待をする親が発達障害なのか」と思い込んだ。高橋和巳と一緒に読んだのが運の尽きであった。

 122冊目『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史〈わたなべ・ひろふみ〉(創出版、2014年)/昨日の夕方手に取ってそのまま読了。まさに「巻を措く能(あた)わず」状態。お笑い芸人が芥川賞を受賞する時代である。犯罪者に直木賞を与えてもよかろう。それほどの衝撃があった。私はネットで渡邊の最終意見陳述書を知り、あまりの面白さに目を剥(む)いた。そして本書を開きシンクロニシティに驚愕した。渡邊は私が今紹介している高橋和巳著『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』を拘留中に読み、自分の過去の物語を上書き更新したのだ。彼は親から虐待され、学校ではいじめられ続けた。いじめは塾でも行われたという。『創』編集長の篠田博之から本の差し入れの相談を受けた香山リカが薦めたのが上記杉山本と高橋本であった。渡邊は高橋本を読むことで秋葉原無差別殺傷事件の加藤被告の動機まで理解できたと語る。高橋が「異邦人」というキーワードで被虐者の心象を示したのに対し、渡邊は「生ける屍」「埒外の民」「浮遊霊」「無敵の人」という造語に置き換える。彼が犯罪に手を染めるきっかけになったのは「上智大学」という言葉であった。言ってみれば言葉に翻弄された男が言葉によって過去から解放されるドラマが描かれている。説明能力の高さ、語彙の豊富さからも渡邊の頭のよさが伝わってくる。時折見せる剽軽(ひょうきん)さに終始笑いを抑えることができなかった。私が渡邊だったら、いじめた相手か小学校の教師を殺しに行ったことだろう。