2016-03-14

一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ


『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ
『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ

 ・ただひとりあること~単独性と孤独性
 ・三人の敬虔なる利己主義者
 ・僧侶、学者、運動家
 ・本覚思想とは時間論
 ・本覚思想とは時間的有限性の打破
 ・一体化への願望
 ・音楽を聴く行為は逃避である

『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ

『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

 あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜあなたは、自分自身のことをクリスチャン、ヒンドゥー、仏教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領や司祭、あるいは支持する指導者の意のままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。
 先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味合いに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。
 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は選び終えたのであり、いかなるものも彼を揺り動かすことはできなかった。これからは彼は心地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 既に再読を終え、三読目に入っている。書写行も開始。翻訳がこなれていない上に不要な読点が多く実に読みにくいのだが、文体は大野純一が一番よい。

 amazonレビューでも指摘されているが「“一体化”ではなく“同一化”が翻訳として適切」との意見は以前からある。私は英語に疎いので断言するにわけにはいかないが、一体化と同一化という日本語に違いはないと思う。大野龍一や藤仲孝司の他訳批判に読者も影響を受けているのだろう。

 不安定な個人が安定を求めて集団に帰属する。そうして「私」は私より一段上の存在となる。これは不思議なことだが経済的な見返りよりも、集団の有する理想が大きければ大きいほど帰属心が強まる傾向がある。例えば軍隊、古くは宣教師、現在だと東大OBや共産党・創価学会エホバの証人など。最近だとSEALDs(シールズ)あたりか。

 別の箇所で「一体化は逃避である」とも指摘されている。小さな自分を大きく見せる手段が一体化であるとすれば、地位や名誉が果たす機能と同じと考えてよさそうだ。虎の威を借る狐と言ってしまえば身も蓋(ふた)もないが、やはり欠けたアイデンティティを補う意味合いが強いのだろう。

 尚、文中の「誰某」は「だれがし」と読むのが普通だが「だれそれ」とも読むようだ。クリシュナムルティの客観的な視線は時に辛辣(しんらつ)さを伴う。「クリシュナムルティ信奉者」と名乗った人物を嘲笑うわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々と見つめている。

「一体化は、一切の創造的理解を終焉させ」る意味が何となく伝わってくる。当然ではあるが、クリシュナムルティの近くにいることが彼の教えを理解したことにはならないし、クリシュナムルティ一派に属したところで人生が変わるわけでもない。そもそもクリシュナムルティは弟子を持っていないし、生涯にわたって拒み続けた人物である。

 一体化への願望には隠された依存が横たわっている。ブッダは次のように遺言した。

 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版岩波文庫)、2001年】

 ブッダの言葉とクリシュナムルティの教えは完全に響き合っている。悟りとは「ありのままの自分自身をありのままに理解すること」である。一体化するのではなく、依存心をありのままに見つめることが即座の理解なのだ。

 偉大な人物に傾倒し、理想を実現するための運動に参加し、組織の手足となって身を粉(こ)にする営みは不思議な情熱を生む。そこに罠があるのだ。

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)】

 自分に欠けたものを別の何かで埋め合わせると心理的な充足感が得られる。だがそれは錯覚である。喉の渇きは終始つきまとい、より激しい自己犠牲へと向かう。大きな集団は下位集団を生み、下位集団では下位文化が形成されるが、どこまで行っても承認欲求には限りがない。闘争と競争の連鎖が果てしなく続いてゆくことだろう。

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北野幸伯


 1冊読了。

 29冊目『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(草思社、2007年)/予想以上に面白かった。著者は変わった経歴の持ち主である。ゴルバチョフに憧れてロシアに留学。しかもロシア外務省附属モスクワ関係大学という官外交官およびKGB要員を育成する大学で学んだ。卒業後、カルムイキヤ自治共和国の大統領顧問に就任する。ネット上で配信された情報がもとになっているので文章の軽さは否めないが、論理はしっかりしておりわかりやすい。世界の大国が熾烈に国益を追求する中で、国益を見失う日本に警鐘を鳴らす。内容は少々古いが原理・原則は今でも適用可能であり、逆に目まぐるしく変遷する世界のありようが実感できる。書き手の立場からすれば、有料ネット配信~大幅増訂で書籍化というスタイルの方が、単なる書き下ろしよりも実入りがよい。同様の書き手が増えれば、フリーランスの編集者が活躍する時代が来るかもね。

2016-03-13

比類なき日本文明論/『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政


『国民の歴史』西尾幹二

 ・比類なき日本文明論
 ・400年周期で繰り返す日本の歴史

『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

《中西》このほど西尾さんが、『国民の歴史』という【大きな】本をお書きになられました。それはボリュームや「部数が何十万部売れた」といった量的なインパクトの大きさだけではなく、日本人の知性や歴史への視線に与えた影響という点で、非常に大きなものがあったという意味です。(中略)
 結局この本で何が一番「大きい」かというと、私は内容が突きつけているものだと思うのです。この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。いい換えると、日本史をタテに貫く一つの大きな史観が、はっきりと提示されているのです。
 こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに最近の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。
 とくに最近の斬新な歴史研究の成果を積極的に取り入れ、大きな観点の提示とともに十分に実証的専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽(ろうばい)しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。

【『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)以下同 】

 人はどうしても見掛けで判断されやすい。西尾の風貌と話しぶりには傲然としたところがある。私は何となく「嫌なオヤジ」くらいにずっと思い込んできた。その見方が変わったのは福島の原発事故を巡るディスカッションの動画を見た時のことだった。西尾は推進派から脱原発派に宗旨替えをした。その率直な態度が私の心に何かを響かせた。もちろん逆の立場があってもいい。事故という現実と学問的な裏づけによって持論に固執しないことが重要なのだ。その意味で私は武田邦彦にも敬意を払う。西尾と武田はインターネットを駆使しているところまでよく似ている(西尾幹二のインターネット日録武田邦彦(中部大学))。

 西尾と中西は保守派論壇を代表する人物と目されているが、実は初めての対談であったという。普通の対談本とは異なり、議論の応酬ではなく長い主張を交互に行っている。これは中西のスタイルのようだ。冒頭では上記のように中西の絶賛から始まるが、途中から全く遠慮のない意見がぶつけられている。3日間に渡って12時間行われた対談を編集したもの。

 西尾は文学者である。歴史家ではない。その西尾がペンを執らざるを得なくなったのは、やはり日本人の歴史意識に危機感を抱いたためだろう。戦後教育はバブル崩壊まで一貫して戦前の日本を否定的に扱ってきた。まずGHQが巧妙に日本文化を破壊し、その後を日教組と進歩的文化人が引き継いだ格好だ。

 その流れを変えたのが1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」であった。西尾は設立人の一人で、初代会長に就任した。その当時は誰もが眉をひそめた。私も「何を今更」と思った。1995年には小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(扶桑社)が出ていた。渡部昇一や谷沢永一が右旋回した。世間の見方は冷ややかであった。ところが北朝鮮による拉致被害や中国・韓国での反日運動が激化するに連れて流れが変わっていった。戦後体制に疑問を抱けば自ずと敗戦時に目が向く。誘拐同然でさらわれた同胞を救い出すこともできない国家は国家たり得るのか? この国はどこかおかしい。そんな疑問が国民の間に少しずつ浸透していったように思う。

 たとえば、唯物史観が退潮したあと、今度は奇妙な偏向姓を持つ「ボーダレス史観」のようなものが現れ、戦前の「皇国(こうこく)史観」の逆をゆくものならどんな行きすぎでも許されるとばかりに、「日本」など存在しなかったかのような極限的な修正史観にまで行き着いています。つまり、一つの間違いを修正するのに、それよりはるかに悪い方向へ向かって修正しようとする。つまり、「真ん中」に寄せるのではなく、マイナスのベクトルにばかり向かっているのです。
 しかも、戦前の歴史を一括して、「皇国史観」とか「軍国主義史観」という言葉で語ってしまう。彼らにとって戦前というのは、昭和20年以前すべてを指します。だから、私はこれを本質的な意味を込めて「戦後史観」と呼ぶのですが、彼らは戦前までの日本のあり方のすべてを否定的に捉えるという偏見から出発していますから、それまでよしとされたものを批判しあらゆる歴史上の「偶像破壊」をしなければ実証史学でない、という強迫観念にとらわれつづけています。これは歴史への本来の姿勢ではありません。とくに彼らのいう「皇国史観」にとらわれすぎているから、それこそ何百年、何千年と遡(さかのぼ)る日本人の本来の歴史意識やトータルな歴史像をすべて否定してしまおうとしてきたのです。

 世界中どこの国でも愛国教育を行っている。そんな当たり前の事実すら我々は見失ってしまった。「第二次世界大戦が終わってから世界は平和になった」と錯覚しているのは日本人だけであろう。アフガニスタンやイラクが戦火に見舞われても他人事である。北朝鮮がミサイルを発射しても目を覚ますことがない。日本が仮にも平和を享受できたのは日米安保のおかげであり、アメリカの核の傘に守られてきたからだ。そのアメリカが今衰亡しつつある。国力が衰えればアメリカが「自分の国は自分で守ってくれ」と言い出すに決まっている。きっと昨年のオバマ来日で言われたに違いない。その後安倍首相がやったことといえば、特定秘密保護法の制定と集団的自衛権の行使で、現在は憲法改正を表明している。

 国民が自国の歴史を見失えば国家は大国に依存する。敗戦という精神的空白を経て日本はアメリカに身を委ねた。アメリカがダメになったら、今度は中国に身を擦り寄せるのだろうか? その可能性を否定できないところにこの国の悲しさがある。

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新装版『深代惇郎の天声人語』正続

深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)続・深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)

 朝日新聞1面のコラム「天声人語」。この欄を70年代に3年弱執筆、この短い期間に読む者を魅了し続け、新聞史上最高のコラムニストとも評されながら急逝した記者がいた。その名は深代惇郎――。氏の天声人語から特によいものを編んだベスト版が新装で復活!

2016-03-12

新版『パリは燃えているか?』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆訳

パリは燃えているか?〔新版〕(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)パリは燃えているか?〔新版〕(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

沢木耕太郎氏推薦「現代ノンフィクションにおける叙述スタイルの革命は、この著者の、この作品から始まったのだ」

柳田邦男氏「戦後70年の間に世界で書かれてきたすぐれた戦史ドキュメントの中で十指に入る作品だ」(本書解説より)

 第二次大戦末期、敗北を重ね追い詰められたヒトラーは命じた。「パリを敵の手に渡すときは、廃墟になっていなければならない!」。この命令を受けたコルティッツ将軍により、ドイツ占領下のパリの街なかには、至る所に爆薬が仕掛けられた。エッフェル塔、凱旋門、ノートル=ダム寺院、ルーヴル美術館……世界が愛する美しい街並みは、灰燼に帰してしまうのか? 1944年8月のパリ攻防をめぐる真実を描いたノンフィクション。