・『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』須田慎太郎・写真、矢部宏治・文、前泊博盛・監修
・米軍機は米軍住宅の上空を飛ばない
・東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地
・砂川裁判が日本の法体系を変えた
・『戦後史の正体』孫崎享
・『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛編著
下の図の米軍機の訓練ルート(2011年8月の航跡図)を見てください。中央に太い線でかこまれているのが普天間基地、その両脇の斜めの線が海岸線です。普天間から飛び立った米軍機が、まさに陸上・海上関係なく飛びまわっていることがわかる。
でも基地の上、図版の中央上部に、ぽっかりと白く残された部分がありますね。これがいまお話しした、米軍住宅のあるエリアです。ここだけは、まったく飛んでいない。
一方、普天間基地の右下に見える楕円形の部分は、真栄原(まえはら)という沖縄でも屈指の繁華街がある場所です。そうしたビルが立ち並ぶ町の上を非常に低空で軍用機が飛んでいる。さらに許せないのは、この枠のなかには、2004年、米軍ヘリが墜落して大騒ぎになった沖縄国際大学があることです。
【つまり米軍機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。】以前、事故を起こした大学の上でも、相変わらずめちゃくちゃな低空非行訓練をおこなっている。簡単に言うと彼らは、アメリカ人の生命や安全についてはちゃんと考えているが、日本人の生命や安全についてはいっさい気にかけてないということです。
これはもう誰が考えたって、右とか左とか、親米とか反米とか言っている場合ではない。もっとずっと、はるか以前の問題です。
【『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)以下同】
米軍機の訓練ルート(2011年8月の航跡図)。 pic.twitter.com/0MsUG89jTw
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年4月12日
読書会にうってつけのテキストである。時の総理ですら知らなかった米軍基地と原発を巡る原理とメカニズムを明らかにしている。文章も意図的に砕けた調子で書いたのだろう。今日現在のamazonカスタマーレビュー数は209で、星四つ半という高い評価だ。時間があればインターネット上で読書会を開催したいところだが、如何(いかん)せんそれだけの余裕がない。
面倒なので手の内を晒(さら)してしまおう。言っていることは正しいのにどうしても好きになれない人がいる。私の場合だと佐藤優、金子勝、池田信夫、内田樹〈うちだ・たつる〉など。嫌いな理由はそれぞれだが、ブログの読み手を不愉快にしてしまうので敢えて書かない。矢部宏治も同じ匂いをプンプン発している。彼はたぶん心情左翼で内田樹と同じ民主党改め民進党支持者なのであろう。天皇陛下を軽んじる記述から私はそのように判断した。それでも読み終えることができたのは、やはり知らない事実がたくさん書かれていたためで、勉強になることは確かである。
以前、東京都下をクルマで走っていたところ、突然凄まじい轟音が響いた。「すわ、何事だ?」と思いきや、米軍機が上空を通過した。肝を冷やすほどの大音量と遭遇したのは横田基地付近であった。沖縄もまた窓ガラスがビリビリと震え、時には割れることもあると伝え聞く。劣悪な環境といってよい。昔、隣家のピアノがうるさいと一家が皆殺しにされた事件があった(ピアノ騒音殺人事件、1974年)。騒音は被害者からすれば日常的に暴力を振るわれているような心理に追い込む。ピアノが殺人に結びつくなら、米軍基地の周りでゲリラ戦が起こっても不思議ではない。
だがその米軍機は米軍住宅の上空は飛ばないという。地図上部の白い部分である。なぜか?
つまりアメリカでは法律によって、米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されているわけです。それを海外においても自国民には同じ基準で適用しているだけですから、アメリカ側から見れば沖縄で米軍住宅の上空を避けて飛ぶことはきわめて当然、あたりまえの話なのです。
だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にあるということになります。
つまり米軍は日米双方の法律を遵守しているというのだ。アメリカ側からすれば日米安保は長らく片務条約であったため、「俺たちが守ってやっている」くらいの思い上がりがあっても不思議ではない。いざとなれば命を危険にさらすのは彼らなのだから。
一番の問題は戦後の矛盾を抱えたままの政治を、「仕方がない」と無気力に見つめる国民の姿勢にあるのではないか。
GHQの大きな占領目的の一つは「日本を二度と戦争のできない国にすること」であった。敗戦という精神的空白期間を突いて、この任務は完璧に遂行されたと見てよい。日本は軍事力を完全に奪われ、長らく航空機の製造すら許されなかった。更にアメリカの余剰小麦を買わされ、学校給食にパンを採用。食糧安全保障も崩壊した。原発導入もエネルギー問題というよりは、むしろ安全保障に重きがある。日本の安全保障はアメリカからの要望でクルクルと変わり続けた。
イラク戦争後、アメリカに軍事的な余裕はなくなった。現在も国防費は削減されている。米軍が沖縄から撤退するのは時間の問題であろう。米軍基地は確かに問題があるのだが、「では日本の安全保障をどうするのか?」といった議論がいつまで経っても成熟しない。平和憲法万歳という輩が多過ぎる。知性と危機意識を眠らせてきたツケはあまりにも大きい。