2016-05-18
アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ
・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ
ま、個人的な所感に過ぎない。若い頃ほど音楽を聴くことに情熱を傾けていないため、見逃しているアーティストもたくさんいると思う。それでもこの3人は私のアンテナに引っ掛かった。ポピュラーミュージックの淵源はアフリカのリズムとアジアの謡(うたい)にあると中村とうようは指摘する。そのアフリカから生まれたメロディは優しく耳をくすぐる。広告会社が牛耳るメディアにおいては全てがマネーに換算される。音楽はポップという計算に基きベスト10化に向かう。この大衆性は衆愚であり、経済的には収奪を意味する。私がこよなく愛する沖縄音楽も伝統的な大衆性に支えられている。ケイナーン(K'Naan)はソマリア、テテ (Tété)はセネガルの出身。ストロマエ(Stromae)はベルギー生まれで父親がルワンダ人。
2016-05-16
美しい言葉/『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子
・「浦島記」
・美しい言葉
どんな所に置かれても光る言葉を
首にかけて置きたい
何時までたっても色あせない言葉を
目の底にやきつけて置きたい
長い長い時間の歴史の上で
美しい風化を遂げた言葉の清潔さを
耳に飾って置きたい(「墓」)
【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)】
「何気に」とか「ムカつく」とか「――じゃね?」などという言葉を聞くと殺意を覚える。公私の区別がつかない愚かさと、美意識のかけらもない浅薄さが露呈する。汚い言葉は、粗雑な心、汚れた心から生まれる。
低俗なテレビタレントの影響もあるのだろう。特に芸人を自認するお笑いタレントの言葉遣いが酷い。
目上の人や年長者の前で自分のことを「俺」と言う若者も多い。俺に対するのはお前である。相手を「お前」呼ばわりしていることにも気づいていないのだろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013年4月14日
上京して直ぐに気づいたのは中年女性が口にする女言葉であった。「そうよ」「――だわ」という響きが耳に心地よかった。私が生まれた北海道では性差を強調するような言葉遣いはない。今きちんとした言葉で話すのはオカマだけのような気がする(笑)。彼女たちの会話には敬語や丁寧語がふんだんに盛り込まれている。
世の乱れは言葉の乱れとなって水面に現れる。そして言葉の乱れは思想の乱れとなり、モラルを崩壊させる。
ブッダが最初に説いたのは八正道であった。その中に正語(しょうご)がある。「妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである」(Wikipedia)。また四摂法(ししょうぼう)には愛語とある。慈愛に満ちた言葉・優しい言葉との意である。
容姿を変えることは難しい。が、生き方を変えることは常に可能だ。醜い心を変えることは難しい。が、美しい言葉を心掛けることは誰もができる。
2016-05-15
Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ
中野信子の好きな曲。ストロマエはベルギー生まれのヒップホップミュージシャンだ。父がルワンダ人で母がベルギー人という家庭に生まれ、幼い頃に父がルワンダへ去ってしまう。そして父はルワンダ大虐殺の犠牲となった。こうした実体験を踏まえると、歌詞が示すものはあまりにも複雑で重い。
ニコ動が表示できないので、リンクを貼り付けておく。
・【ニコニコ動画】【HD】 Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
・stromaeのpapaoutaiが衝撃的!!
2016-05-14
マーティン・J・ブレイザー、サリー・ボンジャース、西山俊彦、カルロス・ルイス・サフォン、片田敏孝、他
7冊挫折、8冊読了。
『風水先生 地相占術の驚異』荒俣宏(集英社文庫、1994年)/文章が悪くてびっくりした。
『検屍官』パトリシア・コーンウェル:相原真理子訳(講談社文庫、1992年)/文章が全く頭に入らず。他数冊も全部挫ける。
『企業指揮官のための戦争の原則』ウイリアム・E・ピーコック:小関哲哉〈おぜき・てつや〉訳(二見書房、1986年)/オペレーションズ・リサーチといえなくもないが底の浅い内容。
『U理論 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』C・オットー・シャーマー:中土井僚〈なかどい・りょう〉、由佐美加子〈ゆさ・みかこ〉訳(英治出版、2010年)/「U理論」というネーミングがよくない。狙いはいいのだが専門用語が多すぎて読む気が失せる。わかりにくい理論を信じる必要はない。真理は単純なものだ。
『ホールシステム・アプローチ 1000人以上でもとことん話し合える方法』香取一昭、大川恒(日本経済新聞出版社、2011年)/全く読めず。別世界の話である。この手の「恊働の仕組み」みたいな本は面白いのが見当たらないね。
『リラックスと集中を一瞬でつくる アイスブレイク ベスト50』青木将幸(ほんの森出版、2013年)/見知らぬ人が集まった際に緊張を和らげるアトラクションの紹介本。幼稚園でやるようなものばかりで参考にならず。
『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子(青灯社、2012年)/「叢書 魂の脱植民地化 1」。amazonレビューの「議論が足りていない」と似た印象を私も抱いた。この文章を安冨歩が解析したのが「『魂の脱植民地化とはなにか』へのアマゾンのコメントに示された魂の植民地化の構造」である。冒頭で安冨は「気持ち悪い」と書いているが、これでは批判の応酬にしか見えない。「知性の脱植民地化」ではなく「魂の脱植民地化」を目指すのであれば、宗教的な深度が求められると思う。なぜなら最終的には家族や自分自身に対しても懐疑する態度が必要となるためだ。仮に安冨の「プロファイリング」が当たっていたとしても好ましい文章とは思えない。
59冊目『教科書には載っていない! 戦前の日本』武田知弘(彩図社、2009年/文庫化、2016年)/一部飛ばし読み。雑誌のような代物でスイスイ読める。岩波書店の小僧たちによるストライキの話が目を惹いた。
60冊目『血の咆哮』ウィリアム・K・クルーガー:野口百合子訳(講談社文庫、2014年)/一部飛ばし読み。インディアンが登場するので何とか読み終えることができた。主人公一家の娘を巡るトラブルが必要とは思えない。出てくる女性が皆美しいのも妙だ。
61冊目『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)/片田の仕事は東日本大震災で「釜石の奇蹟」として広く知られている。強いメッセージ性が胸を打ってやまない。山村武彦著『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』の後に読むのが望ましい。必読書。
62、63冊目『風の影(上)』『風の影(下)』カルロス・ルイス・サフォン:木村裕美訳(集英社文庫、2006年)/『ユゴーの不思議な発明』→『ぼくと1ルピーの神様』→本書→『香水 ある人殺しの物語』の順に読むことをお勧めする。物語まみれ。『風の影』という稀書を巡る物語で劇中劇の趣がある。過去と現在が錯綜し、同じ音色を奏でる。舞台はスペインであるが、インディアン虐殺や闘牛文化に連なるような暴力性が垣間見える。
64冊目『カトリック教会と奴隷貿易 現代資本主義の興隆に関連して』西山俊彦(サンパウロ、2005年)/西山は現役のカトリック司祭である。その勇気に敬意を表して最後まで読んだ。最終章で教会のあるべき理想の姿を書いていることに愕然とした。どのような事実があろうとも人は神を信じることができるのだ。振り上げた拳は過去に向かって放たれるが、神には向かわない。運命を司る神を疑うべきではないのか?
65冊目『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(ブイツーソリューション、2014年)/一気読み。7人が全く同じことを語っている。仏教では無色界の非想非非想処(ひそうひひそうしょ/有頂天)と涅槃を峻別するが、彼らはどこに位置するのだろうか? その辺の宗教者よりはずっと高みにいるように思われる。やたらとトニー・パーソンズの名前が出てくる。長年に渡る疑問の一つが本書を読んで氷解した。
66冊目『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー:山本太郎訳(みすず書房、2015年)/あらゆる生き物は膨大な数の細菌と共にマイクロバイオームを構成している。人体においては細胞の数よりも細菌の方が多いそうだ。人類と長らく進化を共にしてきたその細菌が抗生物質などによって破壊されている。ピロリ菌は潰瘍の原因とされるが、同時に喘息やアレルギーを防ぐ役割があることを著者は突き止める。またヒトは母胎にいる時は無菌状態だが産道で母親から細菌を譲り受ける。帝王切開だと細菌の受け渡しができない。これが様々な現代病の原因になっている可能性が高いと指摘する。自信をもってお勧めできるが250ページで3200円は高い。紙質も悪く、原注が巻末にあるのも不親切だ。
2016-05-12
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