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『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格
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『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
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宗教とは何か?
キリスト教の教祖であるイエス・キリストは、紀元30年ごろに復活した。復活というのは、実はそんなに異常な現象ではありません。なぜならば、近代より前の人たちの世界像というのは、日本でもヨーロッパでも中東でも同じで、哲学でいうところの素朴実在論の立場にたっているからです。すなわち、夢で見たこと、坐禅をしているときに体験したことと、現実に起こっていることとの間に差異がない。権利的に同格なんです。
もちろん、仏教の場合は、存在論が縁起観によって構成されていますから、関係性によって実体が見えてくる。しかし、その実体というものは、そもそも虚妄であるという考え方ですから、そこにはなんら違和感がないと思うんです。
キリスト教の場合は、夢で見たことと復活ということの間に差異はありません。基本的に同じです。あるいは白昼の幻を見る。当時サウロといってキリスト教徒を弾圧していた後の使徒パウロがダマスカスに行く途中で、光にうたれて幻を見る。これは実際に出会ったのと同じことなんです。
『源氏物語』でも、なぜ六条御息所(みやすどころ)の怨霊をみんなあんなに恐れるのか。それは、実際に六条御息所が出てくるのと同じことだからです。夢の中で見ることと現実とは同格なのです。
この二つが分かれたのは近代に入ってからです。近代に入って分離したのですが、19世紀の終わりから20世紀になると、フロイト派、ユング派の心理学が生まれて、再び夢の権利を回復しようとしているわけです。
【『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)】
臨済宗相国寺派の僧侶を対象に行った講義を再編集したもの。2012年に4回行われた。クリスチャンを講師に招くという度量もさることながら、佐藤に対する質問のレベルもかなり高い。
カトリック教会では
ペトロを初代のローマ教皇とみなすが、キリスト教神学を確立したのは
パウロであり、実質上のキリスト教開祖といってよい。
キリスト者を迫害していたサウロ(後のパウロ)はある時、光に打たれ、イエスの声を聴く。いわゆる啓示である。サウロは失明する。その後イエスの声に従って町へゆく。キリスト者が手を置き祝福を告げると、サウロの目から鱗(うろこ)のようなものが落ち、再び目が見えるようになった。これが「目から鱗が落ちる」の語源である(
ペテロ、パウロ、そしてアウグスティヌス)。
そしてキリスト教を世界宗教にしたのは
コンスタンティヌス1世(272-337年)である。彼は夢のお告げによってキリスト教に改宗した(『
「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ)。人々は夢に支配されていた。
これを心理学の
夢分析(深層心理学)に結びつけるところに佐藤の卓見がある。夢を鵜呑みにすることは決して笑えない。現代においてもテレビや映画は非現実であり、形を変えた夢といってよい。そして我々も彼らと同じように知性と感情を刺激され、大なり小なり影響を受ける。小説や漫画も同じメカニズムである。
他にも例えばサードマン現象というのがある(『
サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。一種の啓示と考えてよかろう。
現実と非現実を意識と無意識に置き換えることも可能であろう。私も一度だけだが月明かりの下で亡き友人の声をはっきりと聴いたことがある。それは早まろうとする私を諌(いさ)める声だった。聴こえたのはたった一言だったがそれで私は思いとどまった。
キリスト教が行ってきた殺戮の歴史を思えば、到底神がいるとは思えない。神よ、あんたが創造した世界は混乱と悲惨に覆われている。近代の扉が開き、科学技術が発達し、世俗化が進んだとはいえ、まだアメリカはキリスト教原理主義国家である。そして現在、ソ連に代わって社会主義国家の中国が台頭する。これまた一党独裁の原理主義国家だ。きっと人間の脳は支配されたがっているのだろう。
体力の衰えが気力の衰えにつながると考え、少し前から腕立て・腹筋・背筋・スクワットを行っている。まだまだ回数は少ないものの、心地良い疲労感の中でぐっすり眠れる。夢は全く見ない。神様と巡り合うことも当分ないだろう。
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『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
佐藤 優
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