・『廃市・飛ぶ男』福永武彦
・『物語の哲学』野家啓一
・「文字禍」
・必読書 その一
ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ麻痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損なうことが多くなった。(中略)ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。埃及(※エジプト)人は、ある物の影を、その物の魂の一部と見做(みな)しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。(「文字禍」)
【『中島敦』中島敦(ちくま日本文学、2008年)以下同】
新潮(218ページ)・角川(256ページ)・岩波(421ページ)からも文庫版が出ているが筑摩(480ページ)以外の選択肢はない。なぜなら「文字禍」が収められているからだ。
中島は旧制一高(現在の東大)に入ってから小説を書き始めた。喘息の発作に苦しみながらもペンを執(と)った情熱を思わずにはいられない。その後高校の教員をしながら書き続けた。活字となったのは、『山月記』、『文字禍』、『光と風と夢』のわずか3作品で、亡くなる直前に2冊の本が刊行された。喘息のため33歳で逝去。名を遂げることはなかったが作品は今も尚生き続け、多くの人々が親しむ。本物の芸術家は時代に先駆けるゆえ正当な評価は遅れてやってくる。
「文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損なうことが多くなった」――1942年(昭和17年)の『文學界』5月号に掲載されたということは多分31歳で書いた作品だと思われる。文明の発達と肉体の衰えを捉えて見事な一文である。漢籍の素養が日本語の抽象度を高め、矢の如く一直線に迫ってくる。しかもメタフィクション的な手法を使いながら、学者が文字を否定するというジレンマがユーモラスな興趣を添える。
至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし(「名人伝」)
こうなると老荘思想や仏教の空に近い。中島敦にとって小説とは書くことで完結した行為であったのだろう。名誉やカネ目当てでは戦争の真っ最中に小説を書くことなど出来ない。
そんなある日、敦が珍しく台所にいる妻に創作の報告をした。「人間が虎になった小説を書いたよ」。何て恐ろしいことと感じたが、後にこの小説「山月記」を読む度に妻は夫を思った。「あの虎の叫びが主人の叫びに聞こえてなりません」
【中島敦「何故こんな運命になったか……」/YOMIURI ONLINE 2016年08月08日】
しかし、なぜこんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きものの【さだめ】だ。(山月記)
中島の中には虎が生きていたのだろう。抑え切れない猛々しさが彼を原稿に向かわせたのだ。ペンは剣(つるぎ)と化した。その自在な動きの痕跡を我々は読むことができるのだ。偉大な人物は偉大であるというだけで人々を幸福にする。
・70年の時を経て、中島敦の遺稿を〝リマスタリング〟
・人間の知覚はすべて錯覚/『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ