2018-04-27

田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った/『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年

 ・IAEA(国際原子力機関)はアメリカの下部組織
 ・日米経済戦争の宣戦布告
 ・田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った

『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 アメリカのFBIは日本との関わりのなかで、どこにどれだけのお金が流れたかなど、あらゆる情報を把握しています。ロッキード事件では、それがたまたまロッキード・丸紅ルートとして表面化したけれど、アメリカが叩こうとしたのは日本の首相であって、それ以外はどうでもよかったのです。
 アメリカには罪を認めて当局の捜査に協力すれば刑を軽減したり不起訴にするという司法取引精度がある。アメリカの刑事裁判は大部分が司法取引で行われているから、事件の証拠などいくらでも出てきます。だから贈賄側であるロッキードの副会長コーチャンも司法取引に応じて、不起訴を条件にぺらぺらとしゃべる。その証拠をアメリカ政府はポンと出して、あとは日本の検察が好きなようにおやりなさいよとやる。その証拠を東京地検特捜部がアメリカまでもらいに行った。その中心にいて田中角栄に論告求刑したのが、現在「さわやか福祉財団」で理事長をつとめている堀田力さんです。
 しかし、いまもいろいろと問題を起こしていますが、当時から検察のやり方というのは実に卑劣です。一国の総理だった人物を外為法違反などということで捕まえる。そんなことが許されていいのかどうか。結局、これもまたアメリカの意向にそって検察が動いているからです。田中角栄を見せしめに締め上げて、「今後一切、アメリカに逆らうようなことは許さない」というアメリカのお先棒をかつぐ、日本の検察はまったく地に堕(お)ちてしまいました。
 地に堕ちたのは検察ばかりではありません。アメリカに逆らえば潰されるということを身にしみて知らされた日本の総理大臣もまた、このときから地に堕ちてしまった。とりわけ中曽根康弘から竹下登へとつづく内閣はアメリカの要求を100パーセント飲みつづけ、その後の自民党政権はことごとくアメリカの言いなりという状態になりました。海部俊樹しかり、宮澤喜一しかり、橋本龍太郎しかり、小泉純一郎しかりです。

【『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘(徳間書店、2011年)】

 ロッキード事件はアメリカに先んじて中国と国交回復を成し遂げた田中角栄首相に対するキッシンジャーの報復だった。ジャーナリストの文明子〈ムン・ミョンジャ〉が菅沼に語った。「角栄さんがクビになった最大の原因は何か知ってますか。それは日中国交正常化ですよ。もっといえば台湾問題なんですよ」と。キッシンジャーは田中角栄を「アンプレディクタブル・ガイ(何をやらかすかわからない野郎)」だと罵倒し、「あんな田舎者はもう徹底的にやっつける」と言った。エアフォースワンに同乗を許された彼女が直接聞いた話である。

 大東亜戦争以来、アメリカはずっと蒋介石政権を援助してきた。夫人の宋美齢もアメリカでは大変な人気があった。アメリカが台湾の存在に苦慮する中で突然日本が中国に手を出したわけだ。キッシンジャーの目には「身の程知らずな属国」と映ったのだろう。

 橋本龍太郎もまた日歯連闇献金事件(2004年)で失脚し、2年後に亡くなった。橋本はコロンビア大学で行った講演後の質疑で「大量の米国債を売却しようとする誘惑にかられたことは、幾度かあります」と発言し、翌日のニューヨーク市場は1987年のブラックマンデー以来最大の192ドルの下げ幅を記録した。これに対する意趣返しだと囁かれた。

 我々は大東亜戦争に敗れても尚、アングロサクソンの本当の恐ろしさを理解していないのだろう。国際社会にあって人の好(よ)さは致命的なマイナスとなる。第一次安倍政権もまたアメリカによって潰された

 田中角栄が葬られた後で堀田力や立花隆がメディアや出版界で活躍したのもアメリカからのご褒美に違いない。

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2018-04-21

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2018-04-19

化儀/『儀礼 タブー・呪術・聖なるもの』ジャン・カズヌーヴ


 ・化儀

『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 しかし、このような結論へと急ぐことはやめなくてはならない。なぜなら、個別的な儀礼は、一定の場所にしか見出されないが、儀礼という一般的事実は、普遍的に存在するからである。むしろ、民族(ママ)学者の調査領域の中では、儀礼的なものを全く欠いた社会は、変則となろう。われわれにとって不合理に見えるものを、経験は、正常な、いつも存在する現象として示すのです。したがって、信仰を持つ者は、摂理の計画の中で、問題とされている儀礼は、もっと真実な原初的崇拝の堕落としての位置を持ってはいなかったか、あるいは、それらの儀礼は、むしろ、知的に啓蒙される以前に、救済に必要な宗教を求めた、人間のぎごちない努力を示すものではないかと自問することができよう。

【『儀礼 タブー・呪術・聖なるもの』ジャン・カズヌーヴ:宇波彰〈うなみ・あきら〉訳(三一書房、1973年)】

 天台系の仏教用語に「化儀」(けぎ)というものがある。仏が説いた方を化法(けほう)といい、説く方式を化儀と名づける。つまり形式・儀式を指すわけだが実際は「社会の中に展開する様相」を意味する。ずっと心に引っ掛かっていた言葉で集中的に調べた時期がある。

 人が集えば社会となる。社会には一定の形式が必要だ。例えば挨拶。礼儀、儀礼といってもよい。スタイルも様々で日本だとお辞儀、西洋だと握手。相手に対して「敵ではない」ことを意思表示しなくてはならない。ジャン・カズヌーヴは偉そうに御託を並べているが、私はもっと単純な本質があると考えている。形式とはスポーツや楽器演奏などのルールみたいなものだろう。

 スポーツや芸術から得られる喜びは決して合理性で割り切れるものではない。「なぜ歌うのか?」と問われれば「だって楽しいから」としか答えようがない。この場合、喜ぶことが悟りで歌が化儀となる。

 喜びが失せると化儀は形骸化し単なる儀式に堕落して葬式仏教ができあがる。スポーツや芸術も仕事となれば苦しみの方が多くなる。楽しむことではなく結果を出すことが目的と化すためだ。漁師と釣り人は同じ行為であっても心理状況が異なる。

 化儀をゲーム化と置き換えるところまでは思索が進んだのだが、そこで興味が潰(つい)えてしまった(笑)。

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天才数学者の墓碑銘/『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン


 ・天才数学者の墓碑銘

『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター

 やっと、これ以上愚かにならずにすむ。
          ――ポール・エルデシュが自分のために残した墓碑銘

 ポール・エルデシュは、本当にまれにしか現れない、たいそう特別な天才のひとりだった。にもかかわらず、わたしのようなただの人間といっしょに数学を研究することを、意識的に選んでくれたとわたしは思う。そして、そうしてくれたかれに感謝してやまない。かれが朝の4時にわが家の玄関先をうるとき、わたしのベッドへやって来て、「きみの頭は営業中かね」と尋ねることがなくなって残念だ。問題や予想だけでなく、およそあらゆる話題に関しても刺激的な会話が失われてしまったことが残念だ。しかしなによりも、人間としてのポールがいなくなってしまった、そのことが寂しい。わたしは心からかれを愛していた。
          ――トム・トロッター

【『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン:平石律子訳(草思社、2000年/草思社文庫、2011年)】

 天才は風変わりだ。常識に縛られた我々の瞳にはそう映る。日本人の多くはエルデシュの生き方に惹かれることだろう。放浪よりも漂泊が相応しい。多くの数学者と共同論文を発表した姿が、どこか松尾芭蕉や小林一茶と重なる。

 それにしてもエルデシュの墓碑銘は皮肉が効いていて含蓄深い。凡人は努力することで能力が少しずつ増してゆくと考えがちだが、天才たちの能力に対する自覚はスーパーカーのメンテンナンスを思わせる。彼らは自分の最大出力を見極めた上で、余計な情報や加齢によって衰えてゆくことに歯止めをかけるよう心掛けているのだろう。とすると人の能力が変わることはない。残念ながら。振れ幅があるのは23歳くらいまでか。

「なんだってSFはわしに風邪をひかせるとこにしたんだ。理解できん」(SFは至上〈スプリーム〉のファシスト、天上にいるナンバーワンのやつ……エルデシュのメガネを隠したり、ハンガリーのパスポートを盗んだり、もっと悪いことに、ありとあらゆる興味深い数学の問題の明解な証明をひとり占めしていて、エルデシュをいつも苦しめる神のことだ)。
「SFは、わしらが苦しむのを見て楽しむために、わしらを創りたもうた。早世すれば、それだけ早くかれの計画を阻むことになる」とエルデシュは言ったものだった。

 神をも恐れぬ火星人は口癖のように悪態をつく。あからさまにキリスト教を批判するよりも洒落っ気があって楽しい。たとえクリスチャンであってもニヤリとしてしまうことだろう。

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2018-04-18

オラショ/『黄金旅風』飯嶋和一


『青い空』海老沢泰久

 ・オラショ

・『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

キリスト教を知るための書籍

「ところがそれは、般若心経(はんにゃしんぎょう)ほどのもので、ほんの一部にすぎないもののようでございます。天主教の経典は大層長い、何十巻にも及ぶもののはずでございまして、それぞれの一部ずつを大勢の者たちが、諳んじて後の世に伝えようとしたもののようでございます。私が覚えさせられましたのは、『タダの十二』と聞いております。そして、私が諳んじておりますその部の前後を覚えております者の名を教えられました」
「それが、富松なのか?」
「はい、そのとおりでございます。富松が『タダの十一』。私が『十二』。そして、その後、『タダの十三』は市助、『十四』が吉兵衛でございます。『十五』は、吉兵衛の話ですと新町に住む女だそうで、『十』も確か女だと、富松が行っておりました。もちろん、その前後の者たちとは、一切の関わりを持ってはならないと、親からもきつく言い含められておりました。が、5年ばかり前に私は、どうしてもその前後を諳んじている者に会ってみたいと思うようになりました」(中略)
 文字として書き残されたものが許されないのならば、記憶しておくしかない。経典を細かく章に分けて、それぞれを覚えの早い子どもに記憶させ語り伝えさせる。何十章にも及ぶ天主教の経典を、長崎の内町、外町を問わず何百人もの人々が、頭の中に刻み込み、それを後世に伝えようと大切にかかえている。

【『黄金旅風』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2004年/小学館文庫、2008年)】

 本書以前の飯島作品については、『汝ふたたび故郷へ帰れず』のリンクを参照のこと。

 本当にこのようなことがあったのかと、かなり時間を掛けて調べた。どうやら「オラショ」というらしい。動画も見つけた。



 長い歳月を経て形骸(けいがい)だけが辛うじて残ったのか。意味不明な呪文にしか聞こえない。それでも尚、「伝わった」事実が重い。伝えようとした意志の痕跡であることは確かだろう。

 本書以降、飯嶋和一はキリスト教を物語の主要な要素として扱っているが、初期作品のような輝きが鈍くなったように感じる。虐げられた人々が存在するのは「悪い社会」である。つまりキリスト教を光として描けば日本社会は闇とならざるを得ない。私がすっきりしないのは東京裁判史観の臭いを嗅ぎ取ってしまうためだ。善の設定が弱者に傾きすぎていて、権力=悪という単純な左翼的構図が透けて見える。

 それでも今のところ「飯嶋和一にハズレなし」である。