2019-03-24

修理、魅せます。 #013「本」


不死身の日本軍人/『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘


 ・不死身の日本軍人

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 はつきり言へることは、近代戦のもつとも凄壮な様相が如実に描かれてゐる点で、又、ただ僥倖(ぎようこう)としか思へない事情で生き永らへた証人によつて、人間の「滅盡相(めつじんそう)」がはつきりと描かれてゐる点で、これは世界に比類のない本だといふことである。(「序」三島由紀夫)

【『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、1996年/新装版、2014年/文藝春秋、1966年『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』を改題)以下同】

 三島由紀夫にとって舩坂弘は剣道の先輩であった。船坂は死線をさまよいながらも激戦を生き延び、戦地へ行かなかった三島がその後自決する。まったく不思議な運命の交錯である。

 米軍が3日間で終える予定だったペリリューの戦いは上陸後、73日間に及んだ。船坂は繰り広げられる死闘の最先端を走った。彼はたった独りで米軍司令部への攻撃を試みる。

〈これが、私の知っているアンガウル島なのか?――〉
 かつて私たちが苦しめられた沼や湿地帯も埋め立てられ、別の島に変貌していた。島の東港から西港を結んだ線以南はいつの間にか平坦地に変えて、そこにはところ狭しとばかり米軍の天幕が張りめぐらされている。
〈米軍というやつは大変なことをするもんだ〉
 わずか1200名で旧式の武器・弾薬を節約して使った日本軍とは規模の点に置(ママ)いて比較にならない。南部地区の米軍天幕を眺めると、海水を濾過する設備、発電所らしい設備、給水塔などが見える。いわば、天幕の街である。天幕と天幕の間には電線が走り、電話線もちゃんと敷かれてあるようだ。
 これをみたとき、私は誰に言うともなく、
「ダメだ。これじゃダメだ。」
 と幾度も呟いていた。一方では洞窟の中で一滴の水もないのに、米軍テントの外では海水から濾過した水でジャブジャブと洗濯をしているではないか。私はつくづく物量戦の敗北を感じていた。

 物量の差は歴然としていた。それでも「いまにみている。物量戦には敗けたが、気力で勝った日本兵の真髄を見せてやる」と船坂の心は燃えた。その後、波しぶきを浴びながら断崖絶壁を3時間もかけて移動する。

 草叢は天の恵みかと思われるほど絶好の場所で、司令部天幕までは15~20米である。早速、私は手榴弾を1個1個手に取り、
「必ず爆発してくれよ」
 と子供をさとすように祈った。
 東の空はいよいよ白んできた。そっとうかがえば、この西港の海上にも米軍艦船がおびただしく浮かび、その下でキラキラと波頭が輝き始めている。明るくなるにつれて、周辺の天幕が目の前にはっきりしてくる。たしかに司令部らしき天幕も目にうつった。その黒褐色のテントが私の死に場所である。死を賭けて捜し、命を投げて3日間這い続けたのも、この天幕に近づかんがためであった。私は涙を流して千載一遇の好機をつかんだことを喜んだ。よくもここまで来られたものである。

 体中に手榴弾を巻き付けた船坂はターミネーターと化す。

〈あとわずかだ!〉
 司令部は目前である。グァァンと鼓膜を破るような音がして銃弾が足もとの大地に、ブスッとめり込むのが見える。私は右手に握った手榴弾の信管を叩くべく、固く握り直した瞬間であった。その時、私は左頸部の付根に重いハンマーの一撃を受けたような、真赤に焼けた火箸を首すじに突っ込まれたような熱さと激痛をおぼえると同時に、すうっと意識を失ってゆくのがわかった。
 天皇陛下万歳、を叫ぶ暇もない。
〈やられた! 残念だ!〉
 と薄れゆく意識の底で感じたまま、私は反動で2~3歩前進したが、急に目の前の大地はぐるりと回転し、前のめりに倒れて失神したのであった。
 ――このときにうけた傷は左頸部盲貫(ママ)銃創である。左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創2か所、東武打撲傷、右肩捻挫、左腹部盲貫(ママ)銃創……それに無数の火傷とかすり傷を負った私は、遂にこの左頸部盲貫(ママ)銃創を致命傷として“戦死”したのであった。時に10月14日と後できいた。
“屍体”となった私の周囲には米兵が群れをなして集まったという。私を見た米兵たちの一部はその無謀な計画に恐れをなしながらも、或る者は唾をかけ、或る者は蹴飛ばし、また或る者はあたりの砂を私の“死骸”に叩きつけたそうである。だが、それは戦場にある兵隊たちの当然の心理であったろう。
 駆けつけてきた米軍軍医は私の微弱な心音を聞いて「99%無駄だろうが」と言って野戦病院に運び込んだ。そのとき、私が握りしめて死んでも離そうとしな手榴弾と拳銃を取り除くため、5本指の指を1本ずる解きながら、米兵の観衆に向って、
「これがハラキリだ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ」
「日本人は皆、この様に最後には狂人となってわれわれを殺そうとするのだ」
 と語ったという。だが当時のアンガウル島の全米軍は私の最期を語り合って「勇敢な兵士」という伝説をつくりあげたらしい。
 元アンガウル島米軍兵であった現・マサチューセッツ大学教授のロバート・E・テイラー氏も、その後手紙を下さって、
「あなたのあの時の勇敢な行動を私たちは忘れられません。あなたのような人がいるということは、日本人全体のプライドとして残ることです」
 といういささか過剰な謝辞の言葉をいただいている。少なくとも当時の米軍が私の蛮勇に仰天したことは事実であろう。
 ――私はそのとき曲りなりにも精一杯戦い、気力を打ちこんで“名誉の戦死”を遂げたのであった。

 3日後に意識を取り戻した。「殺せ、殺せ」と叫び続ける船坂に対して、クレンショーという通訳が静かに語りかけた。「君のような心理で日本人の全員が玉砕してゆけば、焼け野原になったときの日本は誰が再建するのだ」と。クレンショーは船坂の心を開かせた。彼らの友情は戦後にまで続く。

 戦後21年、私が彼の消息を探り当てたとき彼が呉れた最初の手紙には、
「私の生命の一頁はあなたによって開かれました。あなたは私に“すべて生の目標には身体をもってぶっつかれ”“死を賭してかかれば為さざることなし”ということを教えてくれたのです」
 と書いてあった。多分にお世辞が含まれている言葉だが、彼自身も当時の私を一捕虜としてではなく、興味ある人間として関心を持ってくれたのだろうと思う。私たちは銭湯の弾音を近くで聞く場所で互いに深いところで尊敬しながら、かつ反撥し合っていたのである。まことに戦争という事実は悔んでも悔み切れない。戦争は人間のあるべき姿をかくし、相互理解を妨げる。私は、戦後の羽田空港でクレンショーと相擁したとき平和な世界の有難さをしみじみと感じたのであった。

 本物の人物はあらゆる差異を乗り越えて共鳴し合う。響き渡る余韻の長さがそれを証明する。理解と共感は互いの生命の緑野を大きく広げる。

 ペリリュー島に設けられた慰霊碑には次の碑文が書かれている。

「諸国から訪れる旅人たちよ
 この島を守る為に日本軍人が
 いかに勇敢な愛国心を持って戦い
 玉砕したかをつたえられよ。」

       米大平洋艦隊司令長官
               C.ニミッツ

 あの野蛮で残忍なアメリカ兵ですら称賛せずにはいられないほどの勇気を我々の父祖は示した。かくの如き一つひとつの歴史が有色人種に対する差別観を拭い去ったことは疑う余地がない。

 その戦争を徹底して「誤ったもの」と戦後教育は教えた。父祖が示した勇気という遺産を我々が継承できないのは当たり前だ。

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2019-03-12

自己組織化、適応的、ダイナミズム/『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ


 ・自己組織化、適応的、ダイナミズム

『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル

必読書リスト その三

 たとえば、
(中略)
● 1987年10月のある月曜日、たった1日で株式市場が500ポイントも急落したのはなぜか。コンピュータ化した株取引に原因があったとする説が多い。だがすでにコンピュータが登場して何年も経っていた。はたして、急落がその特定の月曜日に起こった特別な理由はなかったか。
● 太古の種やエコシステムが、しばしば、化石の記録中に何百万年間と安定した姿をとどめているのはなぜか。その後それらが、地質学的には一瞬のうちに死滅するか新しいものに進化するのはなぜか。恐竜の絶滅は小惑星の衝突によるものかもしれない。だが、当時それほど多くの小惑星は存在しなかった。何かほかのことが進行してはいなかったか。
(中略)
● アミノ酸などの単純な分子からなる最初の液体は、約40億年前、どのようにして最初の細胞にその姿を変えたのか。分子がランダムに組み合わさってそうなったとは考えられない。特殊創造論者が好んで指摘するように、それが起こる確率はばかばかしいほど小さい。では、生物の創造は奇跡だったのか。それとも原初の液体の中でわれわれの理解を超える何かが起きていたのか。
(中略)
● つまるところ、生命とはなにか。それは特別に複雑な炭素化合物にすぎないのか。それとも、もっと精妙なものか。またコンピュータ・ウイルスのような創造物を、われわれはどう解釈したらよいのか。人騒がせな生命の模倣にすぎないのか。それともある根本的な意味で、本当に生きているのか。
● 心とは何か。脳という3ポンドのただの物質の塊はどのようにして感情、思考、目的、自覚といった、言葉にしがたい特質をもたらすのか。
● そしておそらくもっとも根本的なことだろうが、なぜ無ではなく何かが存在するのか。宇宙はビッグバンという無形の爆発体からはじまった。そしてそれ以来、熱力学第二法則が説くように、宇宙は無秩序、崩壊、衰退へと向かう無情な傾向に支配されつづけている。にもかかわらず、宇宙はさまざまな規模の構造を生み出してもいる。銀河、恒星、惑星、バクテリア、植物、動物、脳。いったいどのようにして? 無秩序への宇宙の欲求は、秩序、構造、組織への同じぐらい力強い欲求と釣り合っているのだろうか。もしそうなら、どうしてその二つのプロセスは同時に進行し得るのか。

 一見すると、これらの問いに共通する唯一のことは、答えはみな同じ、「だれにもわからない」ということであるように思える。中にはまったく科学的とは思えないような問いさえある。しかし、少しくわしく見てみると、じつはそこに多くの共通点がある。たとえば、これらの問いのすべてが〈複雑な〉システムと関連しているということ。(中略)
 さらに、どの場合も、まさにこうした相互作用の豊穣さが、システム全体の自発的な自己組織化を可能にしているということ。(中略)
 さらに、こうした複雑な自己組織化のシステムは〈適応的〉である。(中略)
 最後にもう一つ、こうした複雑で自己組織的な適応的システムには一種のダイナミズムがあり、それによってそのシステムは、コンピュータ・チップや雪片のようにただ複雑であるだけの静的な物体とは質的にちがったものになっている。複雑系(Complex System)はそうしたものより、より自発的、より無秩序的、そしてより活動的である。

【『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ:田中三彦〈たなか・みつひこ〉、遠山峻征〈とおやま・たかゆき〉訳(新潮文庫、2000年/新潮社、1996年『複雑系 生命現象から政治、経済までを統合する知の革命』改題)】

 著者の名前は英語だと「M. Mitchell Waldrop」となっている。「M」は何なのだろう。気になるが判明せず。

 複雑系といえば、自己組織化や非平衡、散逸系、非線形、カオス理論といった専門用語で行き詰まりやすいが、大雑把にエントロピー増大則を理解すればそれでよろしい。「覆水盆に返らず」である。そしてコーヒーに入れたミルクは広がってゆく。更に風呂のお湯は時間が経つと冷める。形あるものは必ず滅びる。宇宙全体で見ればエントロピーは増大しているのだが、ミクロレベルでおかしな現象が生じる。生命体だ。生物は外部からエネルギーを取り込み平衡状態を保つ。これが自己組織化である。

 フレッド・ホイルは単細胞がランダムな過程で発生する確率は「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」ようなものだと言った。批判を目的とした極言ではあるが自己組織化を巧く言い表している。

非線形非平衡系の物理学 非平衡統計力学から見る生命現象

 複雑系ではゆらぎが未来を大きく変える。「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」(エドワード・ローレンツ)。ビッグバンも生命誕生もゆらぎから生まれた。何もないところから何かが生まれる時、相転移というダイナミズムが働く。

 サンタフェ研究所そのものが天才たちが織りなす複雑系に見えてくる。

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