2019-11-28

凡人はなぜ偉業を達成できないのか?/『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァン


・『天才は親が作る』吉井妙子
・『天才! 成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル/2009年
・『非才』マシュー・サイド

 ・凡人はなぜ偉業を達成できないのか?

・『超一流になるのは才能か努力か?』アンダース・エリクソン、ロバート・プール/2016年

 結局のところ、周囲のほとんどの人は、おそらく、そこそこ上手に良心的で、勤勉に取り組んでいる。なかには20年、30年、40年という長い期間にわたって取り組んできた人たちもいたはずだ。なのに、なぜこうした努力にもかかわらず、彼らは偉業を達成できないのか。その理由ははっきりしない。実際、偉業を達成したり、その域に近づいた者さえほとんどなく、いたとしてもほんの一握りにしかすぎないというのが厳しい現実の姿だ。
 この謎はあまりにも当たり前のことのように見えるので、謎であることにさえ気がついていない。にもかかわらず、この謎は、我々の組織、そして人生が成功するかどう失敗するかということや信じている理念が正しいのか間違っているのか、という点で決定的に重要なことなのである。

【『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァン:米田隆〈よねだ・たかし〉訳(サンマーク出版、2010年)】

 エリクソンの著書と内容の見分けがつかないほどだが文章は断然こちらの方がいい。因みにエリクソン本は1/3ほどで挫折した。「限界的練習」の中身をもったいぶって手の中に隠すような構成にウンザリしたためだ。尚、「究極の鍛錬」と「限界的練習」が単なる翻訳の違いなのかどうかは確認しておらず。たぶん一緒だと思う。マルコム・グラッドウェルの著作はまだ読んでいない。

 本書が説くのは「才能の否定」である。なんとタイガー・ウッズから果てはモーツァルトに至るまで才能が否定されている。天才と呼ばれ、偉業を成し遂げた人々は例外なく一定量の鍛錬を積んでおり、凡人と天才を分けるのは時間の差でしかないと断言する。つまり天才の所以(ゆえん)は「努力の天才」にあるのだ。「練習の虫」と言い換えてもよい。「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(『論語』)との孔子の教えが蘇る。

 当然ではあるが漫然と時間をかけても偉業は成し得ない。クルマの運転を思えばわかりやすいだろう。ある程度思う通りに操ることができるようになると、そこで技術の上達は止まってしまう。しかも「止まった」と思うのは錯覚で実際はレベルが低下してゆくのだ。

 あれこれ考えていると『ピーターの法則』や『パーキンソンの法則』が他人事とは思えなくなってくる。

 なぜか意を決して11月25日から走り始めた。走るのは幼い頃から苦手だった。私には人より秀でた運動神経があるので足は遅くてもいいや、くらいに思っていた。ランニングは短距離も長距離もダメだった。昨年から自転車に乗り始めたのだが長時間にわたって同じ姿勢でいるため微妙なストレスが溜まってきた。しかも股下が圧迫されるため自転車ED(勃起不全)を実感するまでになった。そこで近頃は散歩にいそしんできたわけだがムラムラと走る衝動が湧いてきた。やはりウォーキングだと負荷が物足りない。そしてランニング2日目の今日、3km走ってきた。私にとっては偉業である。


捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生

2019-11-27

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 amazletのサーバーが落ちているようなので、今日から本家のリンクを採用する。

2019-11-26

紋章の情報美学/『自然観と科学思想』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通

 ・紋章の情報美学

『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

 日本の伝統文化を考える上で忘れてはならない事は、日本の紋章の事である。世界で紋章を有する地域は西欧と日本のみである。これは正当な意味の封建社会の成立した地域であり、古代官僚制や古代帝王制が最近まで続いていた地域には紋章は発生しなかった。シナ、ロシア、インドのような雑然たる農業社会にも、中央アジア、アラブのような遊牧社会にも家紋は発達せず、日本や西欧のように農業社会に専門武士団が発生し、封建領主が一定の領域を確保して統治するという地方自治的な、自律的な武士団のすんでいた社会に、それぞれの家系を示す紋章が生れてきたと云える。遊牧社会などでも家畜の識別のため、焼印を押したりするのに、ごく簡単な符号は存在しているが、高度に情報化され、すぐれたデザインによって洗練された美しさを持つ紋章は生じなかった。
 遊牧社会などでは部族という意識がつよく、それぞれが独立自営する家族という意識が余り育たなかった。それゆえ、家紋を象徴する紋章が発達しなかったのであろう。封建制の下では、家族単位の自立自営がすすんだので紋章が必要になったと考えられる。
 紋章の美しさでは、日本は世界に比類がない。西欧の紋章は王家や貴族のものとして、主にライオンや熊や鷲のような猛獣や猛禽をかたどったものが主である。そして庶民には紋章はない。
 それに比べ、日本の紋章は花鳥風月を題材にえらび、簡潔で美しいデザインを完成した。その紋章の数は6000に達し、今や、どこの家庭でも紋章を持っている。戦後の憲法が家族制度を否定する立場を示しているにもかかわらず、日本人は核家族化してゆきながら、それぞれが紋章を有するようになった。日頃は意識しなくても、何かの時には紋章が気になるし、きちんとした正式の服装には紋が入る。洋装の場合でもカフス・ボタンに紋章入りのものを使ったりする。(中略)
 情報科学と云う言葉は最近非常に普及してきたが、日本の紋章は「情報美学」の結晶である。日本人は四季の美的情感を紋章の形に情報化したのである。

【『自然観と科学思想』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(南窓社、1976年/Kindle版、2018年)】

 紋章については稲垣栄洋〈いながき・ひでひろ〉著『弱者の戦略』も参照せよ。

 私は辛うじて古書を手に入れることができたがamazonにも在庫はない。序盤は西洋を中心に自然観の変遷を辿る科学史を俯瞰し、日本古来の自然観と宗教的感覚の相違を論じ、更に最新の科学的知見を網羅している。書籍では初めてルイセンコ論争を目にしたが、武田邦彦はきっと本書を読んでいたのだろう。入手しにくいので教科書本としておくが、もう一度読んで必読書にするかもしれない。

 封建時代とは前近代的な有り様を罵る言葉と化した感があるが実はそうではなかった。藩は一種の独立国であり軍隊を持っていた。参勤交代は幕府による人質戦略で諸藩の軍事力を削ぐ目的があった。最終的には明治維新で幕府は薩長の軍事力に膝を屈した。封建制とは農業革命の次の段階と考えてよい。

 私が小学生だった1970年代は家制度家父長制を嘲笑する教師が多かった。現在は夫婦別姓を唱えている連中がその類いだ。打倒天皇制とともに家族意識を薄めることで日本を弱体化させることができる。形を変えた御家断絶といってよい。

 

日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也

2019-11-25

病院の都合(満室だから)で個室にされた場合、差額ベット代は支払わなくて良い





2019-11-24

祭祀とテロ/『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編

 ・祭祀とテロ
 ・ルネサンスと宗教改革が近代化の鍵

『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

必読書リスト その四

 祭祀(さいし)という言葉と、テロという言葉を並べることは、いかにも奇妙に読者には映るかもしれない。しかし、古代から、祭祀と、何らかの「血の祭り」つまり、テロとは不可分のものであった。「血祭りにあげる」という言葉は日本にも昔から存在している。
 日本のようなうっそうと茂った照葉樹林帯の中で、静寂でおとなしい自然祭祀を数千年来、続けてきた国でさえ、時として、「血祭り」とか「人柱」とか「人身御供(ひとみごくう)」という発想が、あらわれた。これは多分に狩猟民の系譜が、シベリア方面から日本列島へ流入してきた影響かも知れないが、現生人類には本来、そのような「情動(エモーション)」が大脳皮質の奥深いところに潜在しているのかも知れない。
 殊に、日本列島のように、温和な気候に恵まれ、食糧の豊富な環境で民族形成をなしとげた民族と違って、アラビア半島のような、酷烈で非情な風土の中で、苦しい生活にあえぎながら、ひとときのやすらぎを、ほんの僅かの間、熱烈な祈祷の陶酔の中に見出してきたグループにとっては、祭壇に血塗られた「いけにえ(犠牲)」を供することが、祭祀の必須条件であった。
 羊や牛の首を打ち落し、その溢れ出る血潮が、神の祭壇を血塗るとき、はじめて、彼等が奉ずる呵責なき嫉む神の怒りを鎮めることができる。しかも、異なる神を拝む者、つまり、異教徒は動物であって、人間ではないというドグマが、アラビアに発生した三大宗教では、特に顕著にあらわれた。
 キリスト教徒が、つい最近まで、異教徒を人間として遇しなかった事は歴史の証明する所である。
 このような宗派が異常な熱狂を帯びた時、異教徒に対する大量虐殺が、祭祀のための「いけにえ」として、歴史上、数限りなくおこなわれてきた。
 その中で、例えば流浪のユダヤ人などは、「血祭り」にあがるには最も良き対象であった。チブスが流行したといってはユダヤ人を大量に殺害し、ペストが流行したといってはユダヤ人を大量虐殺してきたのが、ヨーロッパのキリスト教社会の特色である。ユダヤ人は異教徒であるから人間でなく、動物の一種にすぎないという宗教的免罪符が、彼等キリスト教徒の良心を麻痺させた。
 ヒトラーのユダヤ人虐殺は、このようなヨーロッパの歴史の一貫にすぎない。これは、まさに、「祭祀とテロ」の不可分の関係を示すものである。

【『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(創拓社、1978年/Kindle版、2018年)】

 倉前盛通の著作はなぜか図書館にも少ない。一度国会図書館から取り寄せたのだが「禁コピー」指定されていて驚いたことがある。本気で取り組もうと思えばKindle版で読むのがいいだろう。ただし、amazonタブレットFireは頗(すこぶ)る評価が低いので、個人的には「Vankyoタブレット10インチ」か「Dragon Touch タブレット10.1インチ」あたりを狙っている。

読書とは手の運動」(草森紳一)と考えてきたが鈴木傾城〈すずき・けいせい〉のテキストを読んで大いに考えさせられた。

もう紙の書籍にこだわるな。電子書籍に完全移行を成し遂げよ │ ダークネス:鈴木傾城
変われないと生き残れない。今の日本が必要としているのは新しい人間だ │ ダークネス:鈴木傾城
紙の本・紙の資料・紙の写真からの脱却。私はこのようにやることにした │ ブラックアジア:鈴木傾城

 今日現在で私が保存している書籍のページ画像は11.7GBである。2011年から9年間で6万ページ分の撮影をしてきたわけだ。これだけで300ページの書籍200冊分に相当する。情報は無限に増殖する。死の間際まで。私がただただ欲するのは有能な秘書だ。

 倉前盛通の全集が出て然るべきだと思うのだが指をくわえて待っていても仕方がない。いよいよ電子書籍の海に船出する時が来たのだ、と覚悟を決めた。

 刊行された1978年においてテロとはハイジャックなどを中心とする赤色テロのイメージが強かった。しかし倉前はもっと広義に捉えており、「政治的・宗教的目的を果たすための暴力行為」と考えてよかろう。

 似たようなテーマは立花隆著『文明の逆説 危機の時代の人間研究』(1976年)にもあり、「戦争は人類の人口調節機能」と書いてあったはずだ。

 人類の歴史において「暴力の噴出」は至るところにある。あたかも句読点のように散りばめられているといっても過言ではない。魔女狩り~白人帝国主義による植民地での殺戮~インディアン虐殺が近代の歴史であり、二度の大戦を経てからは社会主義国で粛清の嵐が吹き荒れた(スターリン、毛沢東、ポル・ポト、ヒトラー)。そしてルワンダ大虐殺(1994年)に至るのである。

 高度に情報化された社会では憎悪が一気に拡大・増幅される。なかんずくインターネットでつながる人々は条件反射的に感情を拡散する傾向が強い。ここに新たな英雄や教祖が誕生すれば世界は右にでも左にでも動いてしまうことだろう。

 人類史において武器を手放した実績があるのはたぶん日本だけだ。16世紀には世界最大の銃保有国でありながら鉄砲を廃止し、明治維新では武士が刀を捨てた。子孫に誇るべき歴史である。人類の暴力性を抑制するには武士道を再興する以外にない。武士がひとたび刀を抜く時は切腹する責任が問われた。「殺す」ためには「死ぬ」覚悟が必要だった。幼少期からの厳格な教育がミラクル・ピースといわれた江戸200年の平和を支えてきたことは確かだろう。