2020-06-01

島田洋一「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」


 どういうわけか島田論文がGoogle検索でヒットしない。私が確認しただけでも15ページあるのだが、Googleでは1と2しか表示されない。エキサイト・ブログはブログ内検索もできないようなので、こちらにリンク集を作成した次第である。

「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(1)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(2)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(3)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(4)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(5)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(6)北岡伸一論文批判(その1)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(7)北岡伸一論文批判(その2)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(8)北岡伸一論文批判(その3)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(9)北岡伸一論文批判(その4)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(10)北岡伸一論文批判(その5)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(11)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(12)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(13)
「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(14)
【資料】 「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」

北岡君、日本を侵略国家にする気かね 伊藤隆(東京大名誉教授)

 ・加藤高明と対華21ヵ条要求
 ・『日本国紀』読書ノート(145) | こはにわ歴史堂のブログ

シルクジャスミン(月橘)の用土


ゲッキツ - Wikipedia

 シルクジャスミンの種は市販されておらず、株から採取したものを8~10月にまいて育てます。

 1. 赤く熟した実から種を取り、よく水洗いする
 2. 育苗ポットに赤玉土(小粒)かバーミキュライトを入れ、湿らせる
 3. 指で種が埋まる程度の穴を土に開け、種を埋める
 4. 軽く土を被せ、土が乾かないよう水やりをしながら日陰で管理する
 5. 1~2ヶ月で発芽し、本葉が2~3枚になるまで育ったら鉢や地面に植え替える

 水はけのよい土を好みます。鉢植えは、赤玉土(小粒)7:腐葉土3の割合で混ぜあわせた土か、市販の観葉植物用培養土がおすすめです。

シルクジャスミン(ゲッキツ)の育て方!剪定や挿し木、植え替えの方法は? - HORTI 〜ホルティ〜 by GreenSnap

 1~2ケ月ほどで発芽しますので、葉が2~3枚程度になるまでは、その状態のまま大きくして、葉が2~3枚になったら、ひとまわり大き目なポット(鉢)などに植え替えをして育てます。

シルクジャスミン 育て方|観葉植物 Dictionary|ブルーミングスケープ

 自分で作る場合は赤玉土(小粒)5、腐葉土3、パーライト2などで植え替えます。シルクジャスミンの植え替えは根鉢をあまり壊さない方がよいと思います。

シルクジャスミン

ポトスの土


 自分で単用土をブレンドして作る場合には、赤玉土と腐葉土、パーライト(砂)を6:3:1の割合で混ぜます。あらかじめ元肥として、緩効性肥料を施しておきましょう。

ポトスの育て方。コツとお手入れ、植え替えや寄せ植えを一挙紹介します | GardenStory (ガーデンストーリー)

 水はけのよい肥沃な用土(例:赤玉土小粒7、腐葉土2、堆肥1の配合土など)で植えつけます。

ポトスの育て方 - みんなの趣味の園芸 NHK出版

 植え替えに適した土を自分で配合する場合は、赤玉土(小粒)6:腐葉土3:川砂1 の割合で配合した土が良いでしょう。あるいは市販の観葉植物用の土に、水はけを良くするために赤玉土を2割ほど足す方法もあります。

ポトスの植え替えをしよう!支柱の使い方から育て方まで/おすすめ7選もご紹介 | ひとはなノート

 観葉植物用に調整された土がホームセンター等で販売されているのでそれを使うのが最も簡単な方法です。自分で土を作る場合は「赤玉土(小粒)5:ピートモス3:パーライト2」の割合でブレンドします。

ポトスの育て方 | 植物ノート

2020-05-31

ハッブル「天文学発展の歴史は地平線後退の歴史である」/『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清


 ・ハッブル「天文学発展の歴史は地平線後退の歴史である」

『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也
・『時間の本質をさぐる 宇宙論的展開』松田卓也、二間瀬敏史
『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・『宇宙の謎 暗黒物質と巨大ブラックホール』二間瀬敏史

 天文学の発展の歴史は地平線の後退の歴史である、とはハッブルの言葉です。確かに望遠鏡の発達、大型化により、また60年代以降のX線、γ線、紫外線、赤外線、電波とあらゆる波長帯の望遠鏡の開発、発展により、我々の目のとどく範囲は広がり、宇宙の様々な姿がうきぼりにされてきました。しかし“地平線の後退の歴史”というのは、たんにこあれだけのことではないようです。天文学の発展の歴史が、すなわち我々の自然に対する古い考えの後退、すなわち自然の認識の拡大の歴史である、ということも意味しているようです。

【『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也〈まつだ・たくや〉、中沢清〈なかざわ・きよし〉(ブルーバックス、1977年)】

 文章にやや問題あり。私は松田卓也を通して二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉を知った。知識や人脈というのは時に意外なつながりを見せることがあって侮れない。かつて地平線の彼方には海の淵があると考えられていた。


【Kansas - Point Of Know Return、1977年】

 人々は海が飲み込まれる場所を「Point Of Know Return」(帰還不能点)と考えて長い間航海をためらった。この常識を打ち破ったのが「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)である。確かにハッブルが言うように遠くの地平線は宇宙への入り口にすぎない。

 望遠鏡が発明されたのは16世紀末で、ガリレオ・ガリレイが手製の望遠鏡を作成したのが1609年5月であった。一方、顕微鏡は16世紀後半に原型が生まれたが、17世紀後半にレーウェンフックの単式顕微鏡が作られた。電子顕微鏡が商用開発されたのが1939年のこと。人類は初めて原子を目の当たりにした(顕微鏡の歴史 | 顕微鏡を知る | 顕微鏡入門ガイド | キーエンス)。

 宇宙の輪郭がわかってきた時に、今度は量子論というミクロ宇宙が扉を開けた。地平線はまたぞろ遠ざかって結局元の位置にある(笑)。