2021-03-04

「権利」は誤訳


 昨年の10月から牛馬の如く働いている。「モーはまだなり。まだはモーなり」()と独り言(ご)つ。書評をちまちまと書いてはいるのだが、途中で検索が始まるとそこでピタリと止まってしまう。そこまでして正確を期す必要があるのかと問われれば何とも言い難い。ま、読むのが専門でも構わないのだが。

 Rightを西周〈にし・あまね〉が「権利」と訳し、福澤諭吉は「権理通義」と訳した、と私は思っていた。よくよく調べるとどうも違うようだ。権利という言葉にはポリティカル・コレクトネスと同じ異臭を感じる。

【通義】世間一般に通用する道理や意義。

通義とは - コトバンク

 通義とは文字通り「義に通ずる」意味で、すなわち(道)理を意味します。つまり天下公益、現代的に言うなら「公共の福祉」に適う=理に適った社会のあり方を追求するために必要な権力・権限こそが「Right」である、という考えです。

明治時代に持ち込まれた概念「Right」は権利?権理?福沢諭吉の「理」へのこだわり | ライフスタイル - Japaaan

 ところが、この「権利」という訳に、福沢諭吉が噛み付きました。
「誤訳だ!」というのです。
そして福沢諭吉は、ただ反発しただけでなく、
「『Right』は『通理』か『通義』と訳すべきで、『権利』と訳したならば、必ず未来に禍根を残す」と、厳しく指摘しています。(中略)
「Right」を「権利」と訳せば、個人が自らの利益のために主体となって主張することができる一切の利権という意味になります。
 けれど、英語の「Right」には、そんな意味はありません。
 一般的通念に照らして妥当なものが「Right」です。
 つまり、「Right」は、個人の好き勝手を認める概念ではなく、誰がみても妥当な正当性のあるものが「Right」の意味です。
 さらにいえば、「Right」には、正義という概念が含まれます。
 要するにひらたくいえば、誰がみても正しいといえる一般的確実性と普遍的妥当性を兼ね備えた概念が、「Right」なのです。

権利と通義 | 日本のこころを大切にする

「法」の【翻訳語の意味】(堅田剛)には「少なくとも西周において、「権利」は英語rightの訳語ではなく、ドイツ語Rechtの訳語である。(中略)ドイツ語の場合Rechtは(中略)「権利」と「法」という異なった意味を併せもっている」「Rechtをrightと訳すかlawと訳すかは、英米人にとっても悩みの種なのである。(改行)Rechtを一律に「権利」と訳した西周訳を未熟とか誤訳とかいう者もあるが、それはまったくの見当ちがいだ。」(p.250)とある。

right(s)の意味が「権利」として定着した背景がわかる資料があるか。特に、福沢諭吉が提案した新訳... | レファレンス協同データベース

 福沢は、「権利」とは、「分限」の意であるとしている。「人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるゝこともなく、罰せらるゝこともなかる可し。これ人間の権義と言ふなり。人たる者は他人の権義を妨げざれば自由自在に己が身体を用ひるの理なり」(「学問」三・七九)とし、「其分限とは、天の道理に基き人の情に従い、他人の妨げを為さずして我【一身の自由を達する】事なり」(「学問」三・三一)としていた。

PDF:福沢諭吉における「法」および「権利」に関する一考察:松岡浩

3)すなわちその【権理通義】とは、人々その命を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。

No.1217 【権理通義】 けんりつうぎ|今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース

 しかし“right”はけっして「権利」、「利にすぎない権」なんかではない。英和辞典を引くと(形容詞や副詞的用法は別にして、ここでは名詞だけを取りあげる)、「1(道徳的に)正しいこと、正当、正義(以下略) 2(法的・政治的な)権利、正当な要求 3(複数形で)本来の状態、正しい状態 4(複数形で)真相」と説明されている。そして古期英語では「まっすぐな」の意に用いられていたと。(派生的に「右」という意味にも使われるが、これも「右手の方が正しい」という『聖書』の言葉から生まれたものらしい。)
 他方、「義務」の方は、“duty”の訳語に当てられたが、この言葉もそれほど古くから使われれていたものではなく、明治になって、西周あたりによって創案されたものらしいという。それはともかくとして、いずれにしろ「権利」が「利」にすぎないものと貶められたのに対して、「義務」の方は「義」なる務めとして「義」を独占してしまうことになっった。そこからどいう結果が引き出されるか、誰にも推測できると思うが、義務優先の権利観が導かれてしまう。

(30)「権利と権理」 : yodonosuikou84のblog

「権利」を英語で表すと、「right」ですが、その意味の第1は、「 (道徳的に)正しいこと、正当とか、 正義、正道、公正とか、正しい行ない」を意味します。そして、第2に「(法的・政治的な)権利」があるのですが、その意味として「正当な要求」とあります。決して、多くの人がイメージするような「権利」ではないのです。他の言語でも多くの意味は「正義」として使われることが多く、その「正義」から「権利」を言う言葉が生まれたようです。

権理 | 臥竜塾

 公益というものの持っているライト「正しい」理(ことわり)に沿うべく自分の行為を権(はか)ること、それが権理(ライト)である。 (西部邁〈にしべ・すすむ〉)

「権理」と「権利」 - Freezing Point

 前述のヘボンの英語辞典『和英語林集成』では、“right” には「道理、道、理、義、善、筋、はず、べき」という語が当ててあり、また、福沢諭吉は “right” に「通義」という訳語を当てつつ、「訳字を以って原意を尽すに足らず」(この訳語では原意をじゅうぶんに表現しきれていない)と述べている。

権利と right : ことばの広場

 実は、英語rightを「権利」と翻訳したのはアメリカ人なのだ。

 このアメリカ人の名前は、William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916。漢語名は丁韙良。支那には仮名文字がないため、欧米人名を漢字で表記する。)という。プロテスタント長老派の宣教師として、清国で布教活動等をしていた。(中略)

 ウィリアム・マーティンが、アメリカの国際法学者であるHenry Wheatonヘンリー・ホィートン(1785〜1848。漢語名は恵頓。)の著書『Elements of International Law』(直訳すれば、国際法の要素。)を『万国公法』という書名で漢語に翻訳した際に、rightにこの「権利」という漢語を当てはめ転用したわけだ。この他にも、「主権」(sovereign rights)や「民主」(republic)も、ウィリアム・マーティンの翻訳語だ。

アメリカ人が作った翻訳語「権利」 | 源法律研修所



「ひとりごちる」という語は存在するか? : 日本語、どうでしょう?

2021-02-28

おとうさんにもらったやさしいうそ


2021-02-26

人間が「マシン化」する未来/『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド


『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本

 ・人間が「マシン化」する未来

『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

 コートニー・S・キャンベルを中心とする生命倫理学者の研究グループは、2007年にCambridge Quarterly of Healthcare Ethics誌に論文を投稿して、次のように述べている。
「ある時点まで来ると、おそらく『他者』であるマシンと、それが埋め込まれている『自己』との区別をつけることが、ますます困難になるだろう。マサチューセッツ工科大学人工知能研究所のディレクター、ロドニー・A・ブルックスの見解によると、『人は過去50年ほどの間にマシンに【頼る】ようになったが、今世紀になってからは、人が【マシン化】しつつある』」。

【『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド:佐藤やえ訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)】

 現代人が眼鏡や靴を文明の恩恵と感じることはない。「あるのが当たり前」で思い出すのはなくした時くらいだろう。例えば義歯がなければ健康を維持することは難しい。あるいは鬘(かつら)によって人間心理ががらりと変わる場合もあるだろう。デバイスや周辺機器が脳内や体内に埋め込まれれば人類はポストヒューマンへと進化する。マンマシンシステムが構築されると我々の視界もターミネーターのようになるはずだ。


 すでに、障害を持つ人たちにコンピュータチップや半導体アレイを植え込んで、視覚や聴覚、運動能力、記憶力などを修復しようとする試みは、もう準備が整いつつある。この流れでいくと、いずれ私たちが現在持っている「標準」的な能力をはるかに超えて、知覚を増幅させたり、記憶力や学習能力を強化したりするテクノロジーへと進化することは間違いない。

 知識や記憶は既にパソコンかウェブ上に存在する。思い出す営みは検索という作業に変わり果てた。知識は記憶するよりも、ラベルやタグで検索に紐づける方が効果的だ。完璧なライフハックがあれば記憶や性格のアップロード、ダウンロードも可能になるはずだ。人間は情報的存在と化して死んでも尚ウェブ上で生き続けることだろう。

 この事態が避けられないと見る理由のひとつは、「標準」という概念の定義のしにくさにある。科学者と哲学者の間では「標準」の定義についての議論が続いているが、いつか私たちが能力増強テクノロジーを幅広く受け入れるようになれば、何を「標準」とするかの考え方も変わってくることだろう。

 既に高性能の義足は陸上競技において健康な脚を上回るポテンシャルを秘めている。ゆくゆくはタイヤ付きの義足が登場するかもしれない。更にモーターやエンジンがつけば年老いた人々もどんどん外に出ることができる。

 ただしユートピアを想像するのは間違いだ。国家が国民に対して常に求めるのは賦役(ふえき)と徴兵である。ロボットが不得手なのは肉体労働である。知的労働のスキルを持たない多くの人々はやがて肉体労働に従事する羽目となる。社会は形を変えた貴族と奴隷に分かれる。こうした未来を察知すればこそ発達障害や自閉傾向が顕著になってきているのだろう。貧困層は炭水化物中心の食事となり生活習慣病や慢性疾患、あるいはアレルギー疾患や知的障碍を持つ子供たちが生まれてくる。