2021-03-08
2021-03-04
野生動物が家畜化を選んだ/『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
・『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
・『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
・『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
・野生動物が家畜化を選んだ
・『人類史のなかの定住革命』西田正規
・『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
・『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
・『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
新石器革命が始まった当初、地球の人口は1000万だったと見積もられているが、いまや地球上には70億を超える人々が住んでいる。人口の爆発的な増加は、人間以外のほとんどの生物にとって災難でしかない。しかし、幸運にも家畜や作物としての身分を保障されている生物にとってはそうではない。家畜や作物はわたしたちとともに繁栄の道を歩んできたのである。新石器時代以降、生物の絶滅率は、それ以前の6000万年間に対して100~1000倍になっている。タルバン(ウマの祖先)やオーロックス(ウシの祖先)など、家畜化された動物の祖先(野生原種)の多くも新石器時代以降に絶滅した。だが、家畜のなかには絶滅したものはいない。ラクダやイエネコ、ヒツジ、ヤギについては、それぞれの野生原種は消滅の瀬戸際にいるが、家畜化された子孫たちは地球上の大型哺乳類のなかで最も多い部類に入るのである。進化という観点からすれば、家畜化されて損はなかったのだ。 だが、家畜の成功にはそれ相応の代償もある。進化の主導権を握られてしまうのだ。家畜や作物がどのように進化するか、その運命の支配権のかなりの部分を、人間は自然からもぎとってしまっている。そのため、家畜や作物は、進化の過程を理解するための多くの情報をもたらしてくれる存在になっているのである。実際、家畜や作物は非常にドラマチックな進化の実例なのだ。特殊創造説〔生物の種は天地創造の6日間に神が創造したものであり、それぞれの種はそれ以来変化していないという説〕の信奉者でさえも、オオカミからイヌへの変化は進化によるものであったことを、ある程度にせよ認めてはいる。家畜の作出では、特定の形質をもつ品種を作り出すために人為選択が行われる。ダーウィンは「自然選択」(自然による選択)と「人為選択」(人間による選択)はよく似た過程だと考えていた。だからこそ、イヌやハトの人為選択について、かなり注力して議論したのである。
【『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス:西尾香苗〈にしお・かなえ〉訳(白揚社、2019年)以下同】
新石器時代とは大雑把にいえば紀元前6000~紀元前3600年の牧畜・農耕を開始した時代である。紀元前9000年前という説もある。「イギリスの考古学者J.ラボックによって設定された時代名。打製石器に加えて磨製石器が出現し,土器も用いられた。気候が温暖となり,農耕,家畜飼育が行われた。人類は定住・集団生活に移り,ムラ国家を経て氏族国家を形成するようになる」(百科事典マイペディアの解説)。謂わばムラからクニ(≒階級社会)へと文明が階段を上った時代である。
私は今まで野生の畸形化が家畜と考えてきた。その典型が座敷犬である。畸形同士を交配させることで小型化に成功したわけだ。ところがリチャード・C・フランシスの指摘は全く異なる様相を示している。家畜化とは共生系への移行らしい。
世界には、牛約14億頭、豚約10億頭、羊約10億頭、鶏190億羽の家畜がいる。それに対し人口は68億人である。人間2人に対し、家畜1頭と鶏5羽の比率である。現在、地表面積の42パーセントが畜産業(家畜飼育の場所や家畜の飼料生産)に使われており、国連食糧農業機関(FAO)は「家畜は世界最大の土地利用者」であると述べている。例えば毎日グラス1杯の牛乳のためには650㎡の土地が必要であり、この面積は乳代替品(豆乳やライスミルク、アーモンドミルク)等と比較して10倍も高い。
【Wikipedia】
食用作物41品目の収穫物として,世界全体で総計9.46×1015;(9.46兆)カロリーが生産された。この55%が人間の食用,36%が家畜飼料,9%がその他(工業利用やバイオ燃料)に利用された(表1)。飼料に利用された熱量の89%がロスされ,畜産物に保持されたのは12%,つまり,4%(36×0.12=4.32%)が人間の食料に変換されただけであった。換言すると,食用作物41品目中の熱量の59%(55%+4%)だけが,作物と畜産物として人間の食料として利用され,41%が非食用に利用されたりロスされたりしたことになる。
【No.244 穀物を家畜でなく人間が直接食べれば,世界の人口扶養力が向上 | 西尾道徳の環境保全型農業レポート】
米は殆どが食用になっているが、小麦は2割、トウモロコシは6割が飼料用だ(PDF:世界の穀物需給の行方)。バイオ燃料は食い物を燃やすわけだから日本人からすれば罰当たりな話だ。
本書でこれから見ていくように、多くの場合、家畜化過程をスタートさせるのは人間ではなく動物自身である。理由はさまざまだが、動物が人間のすぐそばで生活するようになるのが第一歩である。この自発的な人馴れ〔原語はself-taming」。2017年、国立遺伝学研究所が「人になつく動物の遺伝子領域を解明」と発表した。そのなかで、「自ら人に近づく」ことを「能動的従順性」としている。人間の近くに自ら近づいてきたオオカミには、この「能動的従順性」があったといえるだろう〕の過程は、主として通常の自然選択を通じて起こる。人間による意識的な選択、つまり人為選択が行われるのは、家畜化過程のもっとあとの段階である。
衝撃の事実である。なぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう? 動物を無理矢理飼うことはできても慣れさせることは難しい。当初はゴミ漁りが目当てだったのだろう。やがてヒトが餌を与えると大人しく撫でられるようになった。更には自らヒトに体をこすりつけたのだろう。人間にとって犬は最良の友である(『ゴルゴ13』第130巻)。
人間による選択がイヌの行動に及ぼした効果がドラマチックなのはいうまでもない。なかでも注目に値するのは、イヌが人間の意図を「読み取る」能力を進化させたという点だ。イヌは人間のジェスチャー、たとえば離れたところにある食べものを指さすなどの意味を理解する。野生のオオカミにはこんなことはできない。実際、人間の意図を読み取ることにかけては、人間に最も近い親戚であるチンパンジーやゴリラよりも、イヌのほうがよほど上手だ。ということはある意味、社会的認知に関しては、イヌのほうが大型類人猿(チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)よりも人間に似通っているというわけだ。
これまたビックリである。イヌとオオカミの脳の違いを調べて欲しいものである。「頭がよくなった」ということよりも「コミュニケーション能力を高めた」事実が重い。なぜならその方が圧倒的に進化的優位性が増すからだ。ここで一つ問題が浮かび上がる。高いコミュニケーション能力を進化とするならば、コミュニケーション能力が低い自閉症や発達障害をどう考えればいいのか? しかもイヌとのコミュニケーションは言葉を介さない。テンプル・グランディンは自らのアスペルガー症候群を『動物感覚』と表現した。知性は群れの形を変える。その先が今の私には見えてこない。
ただ、野生動物が家畜化を選んだのが事実であるならば、人間が奴隷化の道を歩むのは必然と言えそうだ。
・2乗や3乗などのn乗をHTMLで表示する方法 [ホームページ作成] All About
「権利」は誤訳
昨年の10月から牛馬の如く働いている。「モーはまだなり。まだはモーなり」(※)と独り言(ご)つ。書評をちまちまと書いてはいるのだが、途中で検索が始まるとそこでピタリと止まってしまう。そこまでして正確を期す必要があるのかと問われれば何とも言い難い。ま、読むのが専門でも構わないのだが。
Rightを西周〈にし・あまね〉が「権利」と訳し、福澤諭吉は「権理通義」と訳した、と私は思っていた。よくよく調べるとどうも違うようだ。権利という言葉にはポリティカル・コレクトネスと同じ異臭を感じる。
【通義】世間一般に通用する道理や意義。
【通義とは - コトバンク】
通義とは文字通り「義に通ずる」意味で、すなわち(道)理を意味します。つまり天下公益、現代的に言うなら「公共の福祉」に適う=理に適った社会のあり方を追求するために必要な権力・権限こそが「Right」である、という考えです。
【明治時代に持ち込まれた概念「Right」は権利?権理?福沢諭吉の「理」へのこだわり | ライフスタイル - Japaaan】
ところが、この「権利」という訳に、福沢諭吉が噛み付きました。
「誤訳だ!」というのです。
そして福沢諭吉は、ただ反発しただけでなく、
「『Right』は『通理』か『通義』と訳すべきで、『権利』と訳したならば、必ず未来に禍根を残す」と、厳しく指摘しています。(中略)
「Right」を「権利」と訳せば、個人が自らの利益のために主体となって主張することができる一切の利権という意味になります。
けれど、英語の「Right」には、そんな意味はありません。
一般的通念に照らして妥当なものが「Right」です。
つまり、「Right」は、個人の好き勝手を認める概念ではなく、誰がみても妥当な正当性のあるものが「Right」の意味です。
さらにいえば、「Right」には、正義という概念が含まれます。
要するにひらたくいえば、誰がみても正しいといえる一般的確実性と普遍的妥当性を兼ね備えた概念が、「Right」なのです。
【権利と通義 | 日本のこころを大切にする】
「法」の【翻訳語の意味】(堅田剛)には「少なくとも西周において、「権利」は英語rightの訳語ではなく、ドイツ語Rechtの訳語である。(中略)ドイツ語の場合Rechtは(中略)「権利」と「法」という異なった意味を併せもっている」「Rechtをrightと訳すかlawと訳すかは、英米人にとっても悩みの種なのである。(改行)Rechtを一律に「権利」と訳した西周訳を未熟とか誤訳とかいう者もあるが、それはまったくの見当ちがいだ。」(p.250)とある。
【right(s)の意味が「権利」として定着した背景がわかる資料があるか。特に、福沢諭吉が提案した新訳... | レファレンス協同データベース】
福沢は、「権利」とは、「分限」の意であるとしている。「人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるゝこともなく、罰せらるゝこともなかる可し。これ人間の権義と言ふなり。人たる者は他人の権義を妨げざれば自由自在に己が身体を用ひるの理なり」(「学問」三・七九)とし、「其分限とは、天の道理に基き人の情に従い、他人の妨げを為さずして我【一身の自由を達する】事なり」(「学問」三・三一)としていた。
【PDF:福沢諭吉における「法」および「権利」に関する一考察:松岡浩】
3)すなわちその【権理通義】とは、人々その命を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。
【No.1217 【権理通義】 けんりつうぎ|今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース】
しかし“right”はけっして「権利」、「利にすぎない権」なんかではない。英和辞典を引くと(形容詞や副詞的用法は別にして、ここでは名詞だけを取りあげる)、「1(道徳的に)正しいこと、正当、正義(以下略) 2(法的・政治的な)権利、正当な要求 3(複数形で)本来の状態、正しい状態 4(複数形で)真相」と説明されている。そして古期英語では「まっすぐな」の意に用いられていたと。(派生的に「右」という意味にも使われるが、これも「右手の方が正しい」という『聖書』の言葉から生まれたものらしい。)
他方、「義務」の方は、“duty”の訳語に当てられたが、この言葉もそれほど古くから使われれていたものではなく、明治になって、西周あたりによって創案されたものらしいという。それはともかくとして、いずれにしろ「権利」が「利」にすぎないものと貶められたのに対して、「義務」の方は「義」なる務めとして「義」を独占してしまうことになっった。そこからどいう結果が引き出されるか、誰にも推測できると思うが、義務優先の権利観が導かれてしまう。
【(30)「権利と権理」 : yodonosuikou84のblog】
「権利」を英語で表すと、「right」ですが、その意味の第1は、「 (道徳的に)正しいこと、正当とか、 正義、正道、公正とか、正しい行ない」を意味します。そして、第2に「(法的・政治的な)権利」があるのですが、その意味として「正当な要求」とあります。決して、多くの人がイメージするような「権利」ではないのです。他の言語でも多くの意味は「正義」として使われることが多く、その「正義」から「権利」を言う言葉が生まれたようです。
【権理 | 臥竜塾】
公益というものの持っているライト「正しい」理(ことわり)に沿うべく自分の行為を権(はか)ること、それが権理(ライト)である。 (西部邁〈にしべ・すすむ〉)
【「権理」と「権利」 - Freezing Point】
前述のヘボンの英語辞典『和英語林集成』では、“right” には「道理、道、理、義、善、筋、はず、べき」という語が当ててあり、また、福沢諭吉は “right” に「通義」という訳語を当てつつ、「訳字を以って原意を尽すに足らず」(この訳語では原意をじゅうぶんに表現しきれていない)と述べている。
【権利と right : ことばの広場】
実は、英語rightを「権利」と翻訳したのはアメリカ人なのだ。
このアメリカ人の名前は、William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916。漢語名は丁韙良。支那には仮名文字がないため、欧米人名を漢字で表記する。)という。プロテスタント長老派の宣教師として、清国で布教活動等をしていた。(中略)
ウィリアム・マーティンが、アメリカの国際法学者であるHenry Wheatonヘンリー・ホィートン(1785〜1848。漢語名は恵頓。)の著書『Elements of International Law』(直訳すれば、国際法の要素。)を『万国公法』という書名で漢語に翻訳した際に、rightにこの「権利」という漢語を当てはめ転用したわけだ。この他にも、「主権」(sovereign rights)や「民主」(republic)も、ウィリアム・マーティンの翻訳語だ。
【アメリカ人が作った翻訳語「権利」 | 源法律研修所】
・「ひとりごちる」という語は存在するか? : 日本語、どうでしょう?
2021-03-02
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