2012-05-10
カーティス・フェイス、中村元、田辺祥二
1冊挫折、1冊読了。
『伝説のトレーダー集団 タートル流 投資の黄金律』カーティス・フェイス:飯尾博信+常盤洋二監修、楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(徳間書店、2009年)/前著『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』とは打って変わって完全なビジネス書となっている。タイトルに難あり。徳間書店の下劣な営業姿勢が窺える。挫けたものの4分の3以上は読んだ。良書である。ただし読み手の資質が問われる。『リスクマネジメントの黄金率』にすれば、確実に売れたことだろう。
28冊目『ブッダの人と思想』中村元〈なかむら・はじめ〉、田辺祥二、大村次郷・写真(NHKブックス、1998年)/中村がNHKテレビで話した内容を田辺が編んだ作品。初期経典に手をつけようと思いながら中々進んでいないのだが、本書から開始しようと決意した次第である。秀逸なテキスト。ブッダの内省と中村の内省が響き合っているのだろう。時折、違和感を覚える言い回しがあるのだが特筆すべきほどでもない。ただし、時間論的視点を欠いている。仏教の思想性は時間論で捉えるのが手っ取り早いというのが私の持論だ。
2012-05-08
就活失敗し自殺する若者急増…4年で2.5倍に
就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2.5倍に増えた。
警察庁は、06年の自殺対策基本法施行を受け、翌07年から自殺者の原因を遺書や生前のメモなどから詳しく分析。10~20歳代の自殺者で就活が原因と見なされたケースは、07年は60人だったが、08年には91人に急増。毎年、男性が8~9割を占め、昨年は、特に学生が52人と07年の3.2倍に増えた。
背景には雇用情勢の悪化がある。厚生労働省によると、大学生の就職率は08年4月には96.9%。同9月のリーマンショックを経て、翌09年4月には95.7%へ低下。東日本大震災の影響を受けた昨年4月、過去最低の91.0%へ落ち込んだ。
【YOMIURI ONLINE 2012-05-08】
「死んではならない」と言うことは容易(たやす)い。「生きていれば、いいこともあるさ」という言葉に説得力はない。なぜなら、もっと悪いことがあるかもしれないからだ。「彼らは無能な政治家どもに殺されたのだ」との論法も虚(むな)しい。景気は人の「気」を左右する。生き死にに関わる場合もあるのだ。果たして彼らの苦しみに寄り添うことは可能だろうか? それとも今日のニュースの一項目として忘れ去ってしまうのだろうか?
シューカツがただの職探しじゃなくなって…人間の値打ちを決めるイベントになっちゃっている…でも、本来就職活動ってのは、ただの職探し。 eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/p… 先日TWの就活失敗を苦に自殺する若者増加のニュースについて、深層に迫るブログを教えてもらいました。
— 竹田昌弘さん (@TAKEDAmasahiro) 5月 10, 2012
NATO軍誤爆で市民数十人死亡、アフガン大統領が非難
アフガニスタン大統領府は7日、同国東部カピサ州などで5日から7日かけ、北大西洋条約機構(NATO)軍による誤爆で市民計数十人が死亡したと発表した。
誤爆が相次いだことを受け、カルザイ大統領はNATO軍のアレン司令官や米国のクロッカー駐アフガン大使を呼び抗議。大統領府によると、アレン司令官は「これらの事件について個人的に責任を取る」と述べたという。NATO報道官は事件を調査していると明かした。
大統領府が出した声明は、「カルザイ大統領は、米国とこのような事件を回避する目的で戦略協力協定に署名したが、アフガン国民が安全と感じられなければ、協定は無意味なものになる」と非難している。
戦略協力協定は、オバマ米大統領が国際武装組織アルカイダの元指導者ウサマ・ビンラディン容疑者殺害から1年を迎えた2日にアフガンを訪問して署名されていた。同協定は、米国がアフガンを将来的に支援・指導する役割を定めたもので、NATO軍がほぼ撤退する2014年以降も、米国がアフガンに関与することを示す狙いがある。
しかし、同国では昨年、NATO軍の市民殺害に抗議する数百人規模のデモが行われるなど、アフガン国民の反外国人部隊の感情が高まっている。
【ロイター 2012-05-08】
もしも欧州でアフガニスタン軍が誤爆したら、間違いなく戦争となることだろう。NATO軍の行為は9.11テロより酷(ひど)いと思う。
2012-05-07
レディー・ガガの涙
「声の限りに叫ぶわ、みんな、この美しい日本に来るべきよって」
レディー・ガガのカップ、600万円で落札 売り上げは震災復興支援に
インターネットオークションにかけられていた米人気歌手レディー・ガガ(Lady Gaga)のティーカップとソーサーの入札が6日午後11時に終了し、たった1回のみ使用されたカップにも関わらず601万1000円もの高値で落札されたと、オークションを開催したヤフージャパン(Yahoo Japan)が7日発表した。
1週間にわたって行われたオークションでは1300回以上の入札が行われたという。
このカップは前年3月の東日本大震災から3か月後に来日したガガが都内で開いた記者会見で使用したもの。
記者会見にてガガは、「日本の為に祈りを」とのメッセージや自身のサインと口紅の跡がついたこのカップをオークションにかけるつもりだと語っていた。
売り上げは全て、米国へ留学を希望する日本の若者のために寄付されるという。
ティーカップは震災の被災者を支援するチャリティーオークションに出品された品々の中で2番目に高い落札価格となった。
ヤフージャパンによれば、最も高く落札されたのはロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKIが使用した、河合楽器製作所(Kawai Musical Instruments Manufacturing)製のクリスタルピアノで、1100万1000円の値をつけた。
ガガは震災以降、3度にわたって来日しており、自身にならって世界の観光客が日本へもっと訪れるよう呼びかけている。今週にはアジアツアーのために再び来日する予定だ。
【AFP 2012年5月7日】
2012-05-06
白井洋子、文月悠光、宋鴻兵
2冊挫折、1冊読了。
『ベトナム戦争のアメリカ もう一つのアメリカ史』白井洋子(刀水書房、2006年)/良書ながら学術書特有の硬さについてゆけず。序盤とインディアンの部分だけ読む。「硬さ」と書いたのは、歴史叙述が目的化しており、テーマを掘り下げる勢いに欠けているように感じたという意味である。
『適切な世界の適切ならざる私』文月悠光〈ふづき・ゆみ〉(思潮社、2009年)/3分の2ほどでやめる。文月悠光は第15回中原中也賞を史上最年少の18歳で受賞。1991年生まれ。今知ったのだが道産子のようだ。瑞々しい言葉がほとばしっているのだが、五十に手が届こうとする男性が読む代物ではない(笑)。
27冊目『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉: 橋本碩也〈はしもと・せきや〉監訳、河本佳世〈かわもと・かよ〉訳(武田ランダムハウスジャパン、2010年)/時にひれ伏し、時に仰ぐような気持ちで読み終えた。大国の知性を思い知る。宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉は1968年生まれ。本書を書き終えた時、まだ40歳になったばかりだというのだから恐れ入る。前著『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』も増刷された。金融システムの本質と歴史を詳細に綴り、尚且つ近未来をも予測している。ユダヤ資本による世界の『一九八四年』化が静かに進行している。
2012-05-05
マクドナルドを食べてはいけない理由 最新版
ファストフードチェーン大手の米マクドナルドとディスカウントストアの大手の米ターゲットは、取引先の鶏卵業者によるニワトリ虐待が発覚したとして、この業者との取引を中止したことを明らかにした。
この業者をめぐっては動物愛護団体が、コロラド州など米国内3カ所の農場で5月から8月にかけて撮影されたとする映像を公開していた。映像にはニワトリが狭いケージの中に押し込められ、従業員がふざけてくちばしに火を付けたり、ヒヨコの首を折ったりする様子が映っている。
マクドナルドはこの映像について「見るに耐えず、容認できない。マクドナルドは仕入先に対して動物愛護の姿勢を求めていることをお客様に保証したい」と述べ、業者との取引中止を発表。ターゲットも同様の理由で取引を中止したことを明らかにした。
取引を中止されたのは、米国で第5位の鶏卵生産流通業者スパーボー・ファームズ。ニワトリ虐待について告発されたことはABCテレビのニュースで初めて知り、社内調査に乗り出したと話している。問題の映像は身元を偽って同社に採用された動物愛護活動家が撮影したものだという。
同社はこれまでの調査の結果、家禽の取り扱いを定めた従業員規則違反があったと判断、従業員4人を解雇し、管理職を処分したことを明らかにした。アイオワ州立大学の専門家による第三者調査も実施中だとしている。
同社に対しては米食品医薬品局(FDA)も施設5カ所に立ち入り検査を実施し、サルモネラ菌感染防止対策について定めた書面がないなどの問題を指摘していた。同社はFDAの指摘についても改善措置を取ると表明している。
末木文美士、水野弘元
『思想としての仏教入門』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉(トランスビュー、2006年)/試みはよいと思うが、古い枠組みから脱却できていない。がっかりするほどダメだ。こんなレベルでパスカル・ボイヤーなどに太刀打ちできるわけがない。
『原始仏教入門 釈尊の生涯と思想から』水野弘元〈みずの・こうげん〉(佼成出版社、2009年/同社、1993年『釈尊の思想と生涯』新装改題版)/良書。特筆すべきは著者によるパーリ語仏典訳が多数挿入されていること。ただし、ティク・ナット・ハンの『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』の後では読む必要がない。
湯殿川を眺める
・川はどこにあるのか?
・阿呆陀羅經さん 死後に関する無記のタターガタは衆生 2004,6,13,
・湯殿川
・湯殿川を眺める
・『川と人類の文明史』 ローレンス・C・スミス
・『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート
天気がよかったので湯殿川(ゆどのがわ)を見にゆく。川岸のコンクリートで結跏趺坐(けっかふざ)を組み、全身を耳と化す。
右手の下流からせせらぎが聴こえる。金色の風が静かにたなびく。生え放題の雑草を風が撫でているが音はしない。ただ気配だけが動いている。耳を澄ますと左側の上流からもせせらぎの低い音がする。遠くで雀が鳴き、どこかのベランダで何かがカタンと音を立てた。二つ向こうにある橋から自動車の騒音がかすかに流れてくる。
あらん限りの注意を払う。しかしパレスチナ人の叫び声は聞こえない。「なぜだろう?」といつも思う。
昨日の土砂降りのせいか、豊かな水量が澱(よど)みなく流れる。水はまさに来たり、間髪を入れずに去りゆく。
仏の別名を如来(にょらい/タターガタ)という。真如(=真理)より来(きた)りし者との意である。これに対して如去(にょこ)あるいは好去(こうこ)という呼称(スガタ)もある。十号の善逝(ぜんぜい)がこの意であろう。「善く逝く」とは輪廻(りんね)からの解脱(げだつ)を表す。
因(ちな)みにティク・ナット・ハンが仏典に基づいて描いた傑作『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』では「タターガタ」を両方の意味で使っている。
「来る」という語は何となく来迎(らいごう)を思わせる。Wikipediaに「如去は向上自利であり、如来は向下利他である」とあるが、如来にはやはり大乗的な臭みがある。
川を真横から見る。我々は未来を知る術(すべ)をもたない。川上に向かって立てば水は如来と感じるかもしれないが、実際に確認できるのは流れた後だけである。つまり水は流れ去り、時もまた流れ去るものとして知覚される。諸行無常という変化相を思えば、やはり「滅び去る」という実感が湧く。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)とは煩悩(ぼんのう)を吹き消した状態である。すなわち煩悩から離れ去るのだ。私という自我から離れる行為でもある。
ふと疑問が起こった。川はなぜ一定の水量で流れているのだろうか? 雨で多少の変化はあっても、目の前の流れは常に一定だ。「不思議だ、不思議だ」と目を丸くしながら私は川に見入った。
少したってから気づいた。水量は一定ではないことに。一定に見えるのは1日を24時間と感じる私の感覚で捉えているからだ。例えば1000年という単位で見れば、川は次々と変化しているはずだ。
私という存在も一定に見えて一定ではないはずだ。我々は一生という単位時間に支配されている。そして可能な限り生にしがみつき、朝露の如き存在となることを極端に恐れる。挙げ句の果てには墓石に名を刻んで、自我を末永くこの世に留(とど)め置こうとする。
去ることは死ぬことだ。どう抗(あらが)ったところで死ぬことだけは避けようがない。生は流れ、過去も流れている。過去を死なせ、自我を滅した時、諸法無我が現れる。
・来ては去っていくもの/『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン編
2012-05-04
2012-05-03
2012-05-02
杉良太郎の思い
被災地で活動した芸能人表彰式は正に感動的だった。特に杉良太郎さんのスピーチには涙した。「ここにいる芸能者は、皆胸が潰れる思いで被災地に立った。にも関わらず売名という声を投げかけられる。そんな貧しい文化しか、我々の国は持ってないのです。しかし、我々は被災地に関わり続けるでしょう。」
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazakiさん (@Hiroki_Komazaki) 5月 1, 2012
◎小林幸子の騒動呼び掛けにマツコが一喝!杉良太郎「原発の中に入りたかった」
2012-05-01
映画『ZEITGEIST(ツァイトガイスト) 時代精神』2007年
・映画『ZEITGEIST(ツァイトガイスト) 時代精神』2007年
・映画『ZEITGEIST : ADDENDUM 』(ツァイトガイスト・アデンダム)2008年
・映画『ZEITGEIST : MOVING FORWARD』2011年
キリスト教の起源、9.11テロの真実、金融システムの欺瞞を探ったドキュメンタリー作品。オープニンぐのスピーチはジョーダン・マクスウェル。
・サンタ=サタン そしてどのように全てが異教徒化されたのか
・世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
・イエス・キリストの言葉は存在しない
・聖書はオリジナルも複製も存在しない
・『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
為末大
26冊目『インベストメントハードラー』為末大〈ためすえ・だい〉(講談社、2006年)/先週読了。投資入門の好著。為末はtwitterでも秀逸なメッセージを発信している。おとなしい語り口からは窺い知ることのできない炎が燃えている。修羅といっていいだろう。マネーと人生を考える上で格好のヒントを与えてくれる。考えてみればハードルそのものがリスクである。リスクとは避けるものではなくコントロールすべきものだ。為末は陸上以外の世界でも頭角を現すことだろう。
英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
人は極限状況に置かれると生理的な現象が変化する。
「時間と空間が完全に支離滅裂になった」と、彼は後に書いている。「わたしのまわりの動きが、最初はスピードを上げているように思えたのに、今度はスローモーションになった。現場はグロテスクな動きをする、混乱した悪夢さながらの幻影のようだった。目にするものはすべて歪んでいるように思えた。どの人も、どの物も、違って見えた」(ディエゴ・アセンシオ、米国大使)
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
脳神経が超並列で機能することで認知機能がフル回転するのだろう。生命が危険に及んだ時、過去の映像が走馬灯のように駆け巡ったというエピソードは多い。ただし、この後で紹介されているが実験では確認できなかったようだ。
生死にかかわる状況においては、人は何らかの能力を得る代わりにほかの能力を失う。アセンシオは突然、非常にはっきりと目が見えるようになったことに気づいた(実際、テロリストたちに包囲されたあとの数ヵ月間は、視力がそれまでよりよくなったままで、一時的にメガネの度数を下げてもらうことになった)。一方、多くの調査によると、大多数は視野狭窄(きょうさく)になっている。視野が70パーセントほど狭くなるので、場合によっては、鍵穴から覗いているように思えることもあり、周囲で起こっていることを見失ってしまう。たいていの人はまた一種の聴覚狭窄に陥る。不思議なことにある音が消え、ほかの音が実際よりも大きくなるのだ。
ストレス・ホルモンは、幻覚誘発薬に似ている。
これは何に対してストレス(≒緊張)を感じるかで変わってくる次元の話であろう。ストレス耐性の低い人は「逃避」のメカニズムが働く。そうすることが本人にとっては進化的に優位であるからだ。グッピーの実験でも明らかな通り、リスクの高い環境で勇気を示せば死ぬ羽目となる。
「準備をすればするほど、制御できるという気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」(『破壊的な力の衝突』アートウォール、ローレン・W・クリステンセン)
確かに「慣れて」いれば対処の仕様がある。恐怖が判断力を奪う。それゆえいかなる状況であろうとも判断できる余地を残しておくことが次の行動につながる。
彼(ブルース・シッドル、セントルイスの警察学校指導教官)は、心拍数が毎分115回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。【それ以上になると機能は低下する】
人間は適度なストレスがある時に最大の能力を発揮する。スポーツをしている人なら実感できよう。才能は練習よりも試合で開花することが多い。
もっとも意外な戦術の一つは呼吸である。(中略)どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。(中略)警察官に教える一つの型は次のようになっている。四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、四つ数える間息を止める。また最初から始める。それだけだ。
人体の内部は自律神経によって制御されているが、自律神経系の中で唯一、意識的にコントロールできるのが呼吸である。
・歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
緊張すると呼吸は浅くなり、スピードを増す。その動作がフィードバックされて脳を恐怖で支配する。ヘビに睨(にら)まれたカエルも同然だ。
黙想をしている人たちは、黙想をしているときに使われる前頭葉前部の皮質の一部で、脳組織が5パーセント分厚くなっていたのである。そこは、そのどれもがストレスの制御を助ける、感情の統制や注意や作動記憶をつかさどる部位である。
なぜ瞑想ではなく黙想と翻訳したのかは不明だ。原語は「meditation」ではなかったのだろうか? いずれにせよ、瞑想が脳を鍛えているという指摘が興味深い。欲望から離れ、本能から離れる行為が全く新しい刺激を生んでいるのだろう。脳のインナーマッスルみたいなものか。
ここから本書の白眉となる。大きな事故や災害で英雄的な行動をした人々の共通点を探る。
オリナー(社会学者サミュエル・オリナーと妻パール・オリナー。400人以上の英雄にインタビュー調査)が発見したことは、いわく言いがたいものだった。「なぜ人々が英雄的行為をするのかについて説明することはできません。遺伝的なものでも文化的なものでも絶対にないのです」。だがまず、何が問題に【ならなかった】かについて考えてみよう。信仰は違いをもたらしていないように見えた。
まずこのような英雄・勇者を私は「人格者」と定義付けておきたい。人格とは「人間の格」を意味する。また、「格」には段階の他に「法則」「流儀」の意味もある。人格は言動と行動によって発揮される。口先だけの人格者は存在しない。
仏教における「菩薩」、キリスト教における「善きサマリア人」が人格者を象徴している。彼らは困っている人を見て放置することができない。反射的に寄り添い、自動的に手を差し伸べる。
では話を戻そう。英雄的人物=人格者の要素は遺伝的なものでも、文化的なものでも、宗教的なものでもなかった。何が凄いかって、ここに挙げられたものは全て「差別の要素」として機能しているものだ。つまり人格が差別的要素と無縁であるならば、人格こそは人間に共通する要素と言い切ってよい。そして差別主義者どもは当然ここから抜け落ちるわけだ。
「善なるものは私どもの専売特許です」――宗教者は皆、そういう顔つきをしている。奴等は自分たちの善を強要し、押し売りする。自分たちだけが真人間で、他の連中は人間もどきだと言わんばかりだ。そんな彼らにとっては深刻な実験結果だ。信仰と人格を関連付ける確証がないのだから。
政治も行動を予測する要素にはならない、ということがオリナーの研究でわかった。救助者も被救助者もそれほど政治に関心を持っているわけではなかった。しかしながら、救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった。
次に熱烈な政党支持者も脱落する(笑)。「民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向」とは「他人の意見を傾聴する者」と考えてよかろう。特定のドグマに染まった人物は「耳」を持たない。彼らは「党の決定に従う」存在である。スターリンの支配下にあってソ連では“「何が正しい文化や思想であるかは共産党が決める」という体制”になっていた。
・中国-大躍進政策の失敗と文化大革命/『そうだったのか! 現代史』池上彰
そして英雄的人物の共通点が浮かび上がる。
しかし両者の間には重要な違いがあった。救助者のほうが両親との関係がより健全で密接である傾向があり、そしてまたさまざまな宗教や階級の友人を持っている傾向も強かった。救助者のもっとも重要な特質は共感であるように思われた。どこから共感が生じるのかを言うのはむずかしいが、救助者は両親から平等主義や正義を学んだとオリナーは考えている。
・他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
・チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
結局、人格を陶冶する最大の要因は親子関係にあったのだ。驚天動地の指摘である。意外な気もするが、よく考えると腑に落ちる。
認知機能はバイアス(歪み)を回避することができないが、人格者には「文化」や「宗教」に基づく差別的なバイアスが少ないのだろう。そもそも我々は最初の価値観を親から学んでいるのだ。その価値観を根拠にしてあらゆる事柄を判断するのだから、親子関係から築いた価値観は人生のバックボーン(背骨)と化す。より具体的には親というよりも、「よき大人」というモデルが重要なのだろう。更にこのデータは教育の限界をも示している。
英雄的行為をとる人々は、日常生活においても「助ける人」であることが非常に多い。
自分の周囲を見渡せば一目瞭然だ。英雄的素養のある人物は直ぐわかる。
一方、傍観者は、制御できない力にもてあそばれているように感じがちである。
主体性の喪失が人生を他罰的な色彩に染めてゆく。これまた親子関係が基調になっているのだろう。人は自分が大切にされることで、他人を大切にする行為を学んでゆくのだ。
英雄たちは幾度となく自分がとった行動を「もしそうしなかったら、自分自身に我慢できなかったでしょう」という言い方で説明している。
英雄は「内なる良心の声」に従って行動する。神仏のお告げではない。他人の視線も関係ない。ただ、「自分がどうあるべきか」という一点で瞬時に判断を下す。「それでいいのか?」という問いかけが鞭のように振るわれ、英雄はサラブレッドのように走り出すのだ。
ここで終わっていれば、めでたしめでたしなのだが、著者はヘビに足を描くような真似をしている。
「利他主義も一皮むけば、快楽主義者なのだ」とギャラップは言う。
別に異論はない。我々利他主義者は利他的行為に快感を覚えているのだから。たとえ自分が犠牲になったとしても、人の役に立てれば本望だ。
九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くとはこのことだ。せっかくの著作を台無しにしたところに、アマンダ・リプリーのパーソナリティ障害傾向が見て取れる。彼女は何の悪意も抱いていないことだろう。そこに問題がある。
同様の不満を覚えた人は、『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子訳(英治出版、2010年)を参照せよ。
・「リーダーは作られるものではなく生まれつくもの」、トゲウオ研究
・脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
・REAL LIFE HEROES
・進化における平均の優位性/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ
・平時の勇気、戦時の臆病/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ
2012-04-30
蒙古族ホーミー
・Music of Mongolia : winter session
これほどの番組はそうそうお目にかかれるものではない。異なる世界が音楽を通してコミュニケイトし、同じ人間の顔が浮かび上がってくる。理解という英知が悟りに通じる。
・ニーナ・シモン / Nina Simone
2012-04-29
クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ、ジョン・ガイガー、J・クリシュナムルティ
2冊挫折、1冊読了。
『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ:木村博江訳(文藝春秋、2011年)/二人の著者は「見えないゴリラ」の実験を考案した心理学者だ。認知科学入門といっていいだろう。値段も良心的だ。文章の構成が悪く、もったいぶった論調となっているのが難点。成毛眞〈なるけ・まこと〉の解説も余計だ。各所に後味の悪さを覚えた。
『奇跡の生還へ導く人 極限状況の「サードマン現象」』ジョン・ガイガー:伊豆原弓〈いずはら・ゆみ〉訳(新潮社、2010年)/絶体絶命の極限状況で正体不明の味方が現れ、困難を打開する力を与えてくれる現象があるという。これが「サードマン現象」だ。あまり興味が湧かなかった。いてもいいし、いなくてもよい。ただ、「いる」と信じた場合、サードマンを求める気持ちが生じるところに問題があると思う。幼い頃から守護天使を刷り込まれた影響もあるに違いない。とてもじゃないがクリシュナムルティと併読でき得ず。
25冊目『真理の種子 クリシュナムルティ対話集』J・クリシュナムルティ:五十嵐美克〈いがらし・よしかつ〉、武田威一郎〈たけだ・いいちろう〉、大野純一訳(めるくまーる、1984年)/原題は「Truth and Actuality」。デヴィッド・ボームとの対談、講話、質疑応答の三部構成。『自我の終焉』か『恐怖なしに生きる』あたりと内容が重複しているような気がした。調べてはいないが。読みやすく、しかもわかりやすい内容であった。大野純一による40ページ近い「あとがき」は読む必要なし。クリシュナムルティ本はこれで51冊読了。
フランスのサルコジ大統領がリビアのカダフィ大統領から政治資金5千万ユーロ〔約53億円〕を受け取っていた
爆弾ニュース。仏のサルコジ大統領がリビアのカダフィ大統領から政治資金5千万ユーロ〔約53億円〕を2007年の大統領選挙資金を受け取るという証拠書類が暴露された。これは現在地下に潜る旧リビア情報部員が公にしたもの。やはり本当の話だった。j.mp/JCbWxI
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
フランスでは2007の大統領選挙資金としてサルコジがこの53億円をカダフィから貰っていて、政治資金法に抵触し、今までの5年間の大統領は無効ではなかったか、などという議論も起きている。一体どう処理するつもりなんだろ?もう大統領やっちゃった訳だし。そりゃ、腹が立つだろうね。
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
◎サルコジ
2012-04-28
9.11テロ以降、アメリカ人は航空機事故を恐れて自動車事故で死んだ/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
人間の認知回路は常に歪(ゆが)んでいる。そして強い印象を受けるとバイアス(歪み)は強化される。
1980年代から1990年代にかけて少年犯罪がメディアを賑わした。繰り返される報道が不要な詳細にまで迫り、加害者や被害者のプライバシーをも晒(さら)す。コメンテーターは一様に少年犯罪の増加を憂(うれ)えた。ところが実際は少年による凶悪犯罪は減少していた。
・少年犯罪-少年犯罪は増加しているのか
・病む社会と少年犯罪を考える
9.11テロの目的は航空機の乗客を殺害することが目的ではなかった。アメリカの繁栄を象徴するツインタワーに衝突させることで強烈な物語を構成した。アメリカの世論は一気に戦争へと傾き、26日後の10月7日に「対テロ戦争」の御旗(みはた)を掲げてアフガニスタンを攻撃した。
9.11のあと、アメリカ人の多くは、飛行機の代わりに車で移動しようと決心した。車のほうが安全だと感じられたのだ。さらに空港での、突発的に設定された新しいセキュリティチェックのわずらわしさを考えれば、車のほうが楽なことは確かだった。9.11以後の数ヵ月間に、攻撃以前の同じ時期に比べると、飛行機の乗客数は約17パーセント減少した。一方、政府の概算によると、車の走行距離は約5パーセント増えた。
だが常識を覆(くつがえ)す恐ろしいことが起こった。9.11以降の2年間に、飛行機の代わりに車で移動していたために、2302人によけいに亡くなったと考えられるのだ。これはコーネル大学の3人の教授が2006年に行なったアメリカの自動車事故についての調査結果である。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
日航ジャンボ機墜落事故(1985年)の時もそうだった。1984年の国内線旅客の対前年度比は9%増であったが、事故が起こった1985年は2.1%減となり、新幹線を利用する人々が増加した(Wikipedia)。
それにしても何という運命のいたずらであろうか。安全を求めて車を選んだにもかかわらず、死亡リスクが高まるとは。認知-判断という脳のメカニズムは生死にかかわることが理解できよう。
「アメリカン・サイエンティスト」誌に掲載された2003年の分析によると、1992年から2001年にかけて主要な民間の国内線飛行機で死ぬ可能性は、おおよそ1億分の8だった。それに比べて車で平均的なフライト区間で同じ距離を走れば、約65倍もの危険を伴うのである。
65倍と聞けば危険の度合いはわかりやすい。しかし1億分の8と1億分の520を比較すると、我々の認知はどうしても分母(1億)に集中する。数値の表現法ひとつで受け止め方は180度異なる。
「狼が出た!」と羊飼いの少年が叫び、大人たちは武器を持って集まってきた。面白がった少年は何度となく嘘をつく。本当に狼が現れた時、大人たちは耳を貸さなかった。そして村の羊をすべて食べられてしまうのだ。
憲法を守らない国家、労基法を守らない世間、道交法を守らないお父さん、「本当の事を言えば許すわよ」と言ってるのに本当の事を言うとお尻を叩くお母さん、「大丈夫、痛くないよ」と約束して強引に歯を抜く歯医者さん、こんな嘘つきばかりの世の中で子供がまともに育つはずがないじゃないですかー
— リナ・フィード@>ヮ<さん (@iTerwtt) 4月 27, 2012
現代において「狼が出た!」と叫んでいるのは国家であり、メディアであり、専門家であり、大人たちである。原発安全神話はその最たるものだ。嘘や偽りの情報が認知を歪め、誤った判断へと導く。人間は感情の動物である。だからこそ理性を働かせ、正しく「勘定する」ことが重要だ。
2012-04-27
震災後の過酷な生活を示す震災関連死数は福島県がトップ
復興庁、先ほど、震災関連死者数発表しました。なんと、地震・津波の直接の死者・行方不明者では圧倒的に宮城県なんですが、震災後の過酷な生活を示す震災関連死数では、福島県がトップです。これほどはっきりでるのですよね。胸がひりひりしますね。 reconstruction.go.jp/topics/120427s…
— möbius-rebelliusさん (@MobiusRebellius) 4月 27, 2012
平安から近世にかけては火葬が主流だった
大化2年の薄葬令の影響もあってか、702年に崩御した女帝・持統が火葬に付されたのを嚆矢に、平安から近世にかけては仏教的な火葬が主流だった。巨大な陵墓に土葬する復古主義が始まったのは孝明天皇以来。このように幕末・明治以降、新政府の権威付けのための宮中儀礼の「捏造」が多くみられた。
— tetsuya kawamoto さん (@xxcalmo) 4月 26, 2012
わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。
【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
2012-04-26
岸田秀、山本七平
24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。
2012-04-25
映画『スライブ いったい何が必要になるのか』
◎生々流転
ミステリー・サークルを持ち出した時点で「ユニークなドラマ」と認識すべきだろう。もちろん宇宙人も。
◎地球外文明(ETC)は存在しない/『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ
飯嶋和一
1冊読了。
23冊目『神無き月十番目の夜』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1997年/河出文庫、1999年/小学館文庫、2005年)/昨夜読み終えた。今朝、吐き気を催しながら目が覚めた。アルコール以外の二日酔いは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来のことだ。15年前に新刊を購入。本はきれいなままだった。飯嶋和一は寡作なので、アスリートがオリンピックに照準を合わせるように読むタイミングを測る必要がある。常陸国(現在の茨城県)小生瀬(こなませ)村で三百数十人の村民全員が虐殺された。徳川家康の時代のこと。物語は死屍が累々と連なる場面から始まる。果たしてこの村で何が起こったのか? 小生瀬(こなませ)を含む保内(ほだい)は特殊な地域であった。伊達政宗の脅威にさらされる要衝の地ゆえに、半農半士の土豪による自治が長らく認められていた。彼らは月居騎馬衆(つきおれきばしゅ)と呼ばれた。そこは「日本のアフガニスタン」であった。年貢を納めるために打ちひしがれた人生を選んだ百姓とは趣を異にしていた。水戸藩の正史には一行も記されていないという。飯嶋は聖地「火(か)の畑(はた)」に横たわる遺体を指さし、人々の人生に光を当てた。ルビが少なくて読むのが難儀であるが得るものは大きい。
2012-04-24
シリア ディルエルゾル(プロパガンダ創作チャンネル)の撮影現場
◎シリア危機 アルジャジーラ情報捏造の現場
レオポルド・ストコフスキーとの対談/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ
・クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの
・あなたは「過去のコピー」にすぎない
・レオポルド・ストコフスキーとの対談
・ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト
真の対話は化学反応を起こす。著名人による対談は互いに太鼓を抱えて予定調和の音頭を奏でるものが多い。対話の中身よりも、むしろ名前が重要なのだろう。あるいは肩書き。ま、形を変えて引き伸ばした営業や挨拶みたいな代物だ。
私はクラッシクをほとんど聴かないのでレオポルド・ストコフスキーの名前を知らなかった。フィラデルフィア・オーケストラの著名な指揮者だそうだ(当時)。クリシュナムルティ33歳、レオポルド・ストコフスキー46歳の時の対談が収められている。
まずはレオポルド・ストコフスキーの指揮を紹介しよう。
レオポルド・ストコフスキーの戸惑う様子が各ページから伝わってくる。クリシュナムルティ特有の文脈を異次元のもののように感じたはずだ。ストコフスキーは戸惑うたびに注意を払い、問いを深めている。
クリシュナムルティ●直観は、英知の極致、頂点、精髄なのです。
【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)以下同】
直感、ではない。直感は「感じる」ことで、直観は「捉える」ことだ。第六感のような感覚的なものではなく、英知の閃(ひらめ)きによって物事をありのままに見通す所作(しょさ)である。
直観という瞬間性に時間的感覚はない。主体と客体の差異も消失する。そこに存在するのは閃光(せんこう)の如き視線のみだ。
我々は普段見ているようで見ていない。ただ漫然と眺めているだけだ。あるいは概念やイメージというフィルター越しに見てしまう。つまり、ありのままを見るのではなくして、過去を見ているのだ。これはクリシュナムルティが一貫して指摘していることだ。
ストコフスキー●私はかねがね、芸術作品は無名であるべきだと思ってきました。私が気にかけていた問いはこうです。詩、ドラマ、絵あるいは交響曲は、その創造者の表現だろうか、それとも彼は、想像力の流れの通路となる媒介だろうか?
本物の芸術は作り手の意図を超えて、天から降ってくるように現れる。意思を超越した領域に真理や法則性が垣間見えることがある。ストコフスキーが只者でないことがわかる。
無名性は永遠性に通じる。作者の名前を付与したものは自我の延長にすぎないからだ。何であれ世に残すことを意図したものは死を忌避していると考えてよい。
私は大乗仏教の政治性に激しい嫌悪感を抱いているが、その無名性には注目せざるを得ない。
クリシュナムルティは次のように応じた。
「創造的なものを解放するためには、正しく考えることが重要です。正しく考えるには、自分自身のことを知らなければなりません。自分自身を知るためには、無執着であること、絶対的に正直で、判断から自由でなければなりません。それは、自分自身の映画を見守るように、日中、受け入れも拒みもせずに、自分の思考と感情に連続的に気づくことを意味するのです」
「無執着≒判断から自由」という指摘が鋭い。我々は何をもって判断しているのか? 本能レベルでは敵か味方かを判断し、コミュニティレベル(社会レベル)では損得で判断している。判断を基底部で支えているのは所属や帰属と考えてよさそうだ。
社会人として、大人として、親として、日本人として、「それはおかしい、間違っている」と我々は言う。相手を断罪する時、私は「社会を代表する人物」みたいな顔つきをしているはずだ。集団には必ず不文律があるものだが、結局のところ「村の掟」と同質だ。
「判断から自由」――これこそが真のリベラリズムといえよう。せめて判断を留保する勇気を持ちたい。
「いったんはじめられ、正しい環境を与えられると、気づきは炎のようなものです」 クリシュナムルティの顔は生気と精神的活力で輝いた。「それは果てしなく育っていくことでしょう。困難は、その機能を活性化させることです」
「正しい環境」とは脳の環境のことであろう。すなわち思考を脇へ置くことを意味する。思考から離れ、判断から離れることが、自我から離れる=自我からの自由を示す。
「自由な思考」という言葉は罠だ。思考は過去への鎖であり、自我への束縛であり、最終的に牢獄と化すからだ。哲学の限界がここにある。
2012-04-23
ヴェルナー・ゾンバルト、村松恒平
1冊挫折、1冊読了。
『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳(論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)/原著刊行は1913年。第一次世界大戦が翌年のこと。「戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった」との指摘が重い。詳細を極める内容についてゆけなかった。
22冊目『達磨 dharma』村松恒平(メタ・ブレーン、2009年)/やられた。文章道場は本書の販促が目的だったのだろう。巧みなマーケティングといえる。つまり村松はメールマガジンをソーシャル・ネットワーキングとして活用したのだ。B5判の薄い本で、本文は左ページのみ。短篇というよりは掌編である。ページの余白部分に言葉の響きが広がる。小説自体は「フーン」といった程度ではあるが、味わい深いのは確かだ。
2012-04-22
「知性とは何か」茂木健一郎
G1サミット2012 第10部分科会 知性とは何か
知性とは何か。太古から人は言語を生み、火を使い、森羅万象の中に法則性を見出すことによって進歩を遂げてきた。闇の深淵に何があるのかという畏怖と探求心は、宗教を生み
スピーカー:
茂木健一郎 脳科学者
聴き手:
國領二郎 慶應義塾大学 教授
2012年2月12日 於:青森
【みどころ】
・才能とは「非典型的な知性」であり、これこそがグローバル社会で求められている
・知性のあり方、学力観を問い直さないと、日本はあぶない
・自然科学者が英語、文系学者が日本語で研究することが相互交流を分断している
・TOEICという検定試験のようなもので英語力を図るのはおかしい
・英語を学ぶ真の意味は、世界の知のバトルや現場の息吹を知るため
・圧倒的な知性の持ち主は、ペーパーテストなしでも話して、書いたものを見ればわかる
・遺伝の相関係数は平均50-60%、あとは環境によって決まる
・スティーブ・ジョブズのように「欠落」が非典型的な知性をはぐくむこともある
・美人は収束進化、皆の顔を平均的にしたものが美人。一方天才は収束的でなく、脳の特定部位の部分最適による
・大事なのはソーシャル・センシティビティ、グループで互いに能力を補い合うことで素晴らしいものを生み出せる
・面倒くさいことを粘り強くすると、脳の回路が活動しジェネラル・インテリジェンスは上がる
・非典型的な知性の育み方はケース・バイ・ケースで脳科学的にも不明
・パッション(受難が語源)、苦しんだ人、欠落した人が持つもの
・天才は、意識が押さえている無意識をうまく「脱抑制」できる人
・何が起こるかわからない状況にも適応できる知性を、いかにはぐくむか
◎茂木健一郎
2012-04-21
避難を拒む人々/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
災害は被災者だけではなくメディアをも混乱に陥れる。報道陣が「より悲惨な情報」を探し回ることにも起因するのだろう。
ハリケーン「カトリーナ」の犠牲者たちは、人口の割合からいって、貧しい人たちではなく高齢者だったことが後に判明した。「ナイト・リッダー・ニュースペーパーズ」紙の分析によると、死者の4分の3は60歳以上で、半数は75歳を越えていた。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
これは知らなかった。念のためWikipediaを参照したところ、案の定「避難命令があったものの、移動手段をもたない低所得者が取り残され」と書かれている。つまり誤った情報が7年を経た今でもまだ生きているのだ。
更に驚くべき事実が判明する。多くの高齢者が「避難することを拒んだ」のだ。家族の懸命な説得も彼らの心を動かすことはなかった。
つまり、重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。
ここに落とし穴があった。通常の認知レベルでは「被災~避難」という連続性に我々は疑問を抱くことがない。ところが実際は客観的な被災状況がわからず、避難を迷う人々もいれば、避難を思いつかない人々もいるし、更には避難を拒む人々も存在するのだ。
すなわち巨大ハリケーンは一人ひとりに対して「別な顔」で現れたと考えるべきなのだ。
今日では、意思決定を研究しているほとんどの人々が、人間は理性的ではないということに同意している。
そりゃそうだ。だいたい理性を司る大脳新皮質なんてえのあ、脳味噌の上っ面にすぎない。深部にあるのは情動を司る大脳辺縁系だ。実際に上司を殺害するサラリーマンは少ないが、密かに殺意を抱いている連中は山ほどいることだろう(笑)。
生きるとは反応することだ。快不快を判断するのは理性ではない。極めて本能的な領域だ。つまり我々はまず本能で判断した後で「考える」のだ。理性は感情に基づいていると考えてよかろう。
コーヒーとドーナツは合計で1ドル10セントである。コーヒーはドーナツより1ドル高い。ドーナツの値段はいくらか?
最初に出した答えが10セントなら、答えているのはあなたの直観システムだ。それから考え直して正しい答え(5セント)に到達したら、それはあなたの分析システムが直観を支配下に置いたのである。
個人的に直観という言葉は英知を意味するものと考えているので、ここは「直感」とすべきだろう。経験則に基づく直感的判断をヒューリスティクスという。
五感による認知機能は膨大な外部世界の情報を網羅することよりも、むしろ大半を切り捨て特定の情報をピックアップしている。我々は「見える」「聞こえる」と実感しているが、実際は「見たいもの」しか見ていないことが認知科学によって判明している。
固い信念や強い確信を抱く人物ほど世界を固定的に捉える傾向が強い。他人の意見に耳を傾けることができない人物は「死ぬ確率」が高いことを弁える必要がある。