2012-05-01

英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー


『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ

 ・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
 ・避難を拒む人々
 ・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
 ・英雄的人物の共通点

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 人は極限状況に置かれると生理的な現象が変化する。

「時間と空間が完全に支離滅裂になった」と、彼は後に書いている。「わたしのまわりの動きが、最初はスピードを上げているように思えたのに、今度はスローモーションになった。現場はグロテスクな動きをする、混乱した悪夢さながらの幻影のようだった。目にするものはすべて歪んでいるように思えた。どの人も、どの物も、違って見えた」(ディエゴ・アセンシオ、米国大使)

【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】

 脳神経が超並列で機能することで認知機能がフル回転するのだろう。生命が危険に及んだ時、過去の映像が走馬灯のように駆け巡ったというエピソードは多い。ただし、この後で紹介されているが実験では確認できなかったようだ。

 生死にかかわる状況においては、人は何らかの能力を得る代わりにほかの能力を失う。アセンシオは突然、非常にはっきりと目が見えるようになったことに気づいた(実際、テロリストたちに包囲されたあとの数ヵ月間は、視力がそれまでよりよくなったままで、一時的にメガネの度数を下げてもらうことになった)。一方、多くの調査によると、大多数は視野狭窄(きょうさく)になっている。視野が70パーセントほど狭くなるので、場合によっては、鍵穴から覗いているように思えることもあり、周囲で起こっていることを見失ってしまう。たいていの人はまた一種の聴覚狭窄に陥る。不思議なことにある音が消え、ほかの音が実際よりも大きくなるのだ。
 ストレス・ホルモンは、幻覚誘発薬に似ている。

 これは何に対してストレス(≒緊張)を感じるかで変わってくる次元の話であろう。ストレス耐性の低い人は「逃避」のメカニズムが働く。そうすることが本人にとっては進化的に優位であるからだ。グッピーの実験でも明らかな通り、リスクの高い環境で勇気を示せば死ぬ羽目となる。

「準備をすればするほど、制御できるという気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」(『破壊的な力の衝突』アートウォール、ローレン・W・クリステンセン)

 確かに「慣れて」いれば対処の仕様がある。恐怖が判断力を奪う。それゆえいかなる状況であろうとも判断できる余地を残しておくことが次の行動につながる。

 彼(ブルース・シッドル、セントルイスの警察学校指導教官)は、心拍数が毎分115回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。【それ以上になると機能は低下する】

 人間は適度なストレスがある時に最大の能力を発揮する。スポーツをしている人なら実感できよう。才能は練習よりも試合で開花することが多い。

 もっとも意外な戦術の一つは呼吸である。(中略)どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。(中略)警察官に教える一つの型は次のようになっている。四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、四つ数える間息を止める。また最初から始める。それだけだ。

 人体の内部は自律神経によって制御されているが、自律神経系の中で唯一、意識的にコントロールできるのが呼吸である。

歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール

 緊張すると呼吸は浅くなり、スピードを増す。その動作がフィードバックされて脳を恐怖で支配する。ヘビに睨(にら)まれたカエルも同然だ。

 黙想をしている人たちは、黙想をしているときに使われる前頭葉前部の皮質の一部で、脳組織が5パーセント分厚くなっていたのである。そこは、そのどれもがストレスの制御を助ける、感情の統制や注意や作動記憶をつかさどる部位である。

 なぜ瞑想ではなく黙想と翻訳したのかは不明だ。原語は「meditation」ではなかったのだろうか? いずれにせよ、瞑想が脳を鍛えているという指摘が興味深い。欲望から離れ、本能から離れる行為が全く新しい刺激を生んでいるのだろう。脳のインナーマッスルみたいなものか。

 ここから本書の白眉となる。大きな事故や災害で英雄的な行動をした人々の共通点を探る。

 オリナー(社会学者サミュエル・オリナーと妻パール・オリナー。400人以上の英雄にインタビュー調査)が発見したことは、いわく言いがたいものだった。「なぜ人々が英雄的行為をするのかについて説明することはできません。遺伝的なものでも文化的なものでも絶対にないのです」。だがまず、何が問題に【ならなかった】かについて考えてみよう。信仰は違いをもたらしていないように見えた。

 まずこのような英雄・勇者を私は「人格者」と定義付けておきたい。人格とは「人間の格」を意味する。また、「格」には段階の他に「法則」「流儀」の意味もある。人格は言動と行動によって発揮される。口先だけの人格者は存在しない。

 仏教における「菩薩」、キリスト教における「善きサマリア人」が人格者を象徴している。彼らは困っている人を見て放置することができない。反射的に寄り添い、自動的に手を差し伸べる。

 では話を戻そう。英雄的人物=人格者の要素は遺伝的なものでも、文化的なものでも、宗教的なものでもなかった。何が凄いかって、ここに挙げられたものは全て「差別の要素」として機能しているものだ。つまり人格が差別的要素と無縁であるならば、人格こそは人間に共通する要素と言い切ってよい。そして差別主義者どもは当然ここから抜け落ちるわけだ。

「善なるものは私どもの専売特許です」――宗教者は皆、そういう顔つきをしている。奴等は自分たちの善を強要し、押し売りする。自分たちだけが真人間で、他の連中は人間もどきだと言わんばかりだ。そんな彼らにとっては深刻な実験結果だ。信仰と人格を関連付ける確証がないのだから。

 政治も行動を予測する要素にはならない、ということがオリナーの研究でわかった。救助者も被救助者もそれほど政治に関心を持っているわけではなかった。しかしながら、救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった。

 次に熱烈な政党支持者も脱落する(笑)。「民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向」とは「他人の意見を傾聴する者」と考えてよかろう。特定のドグマに染まった人物は「耳」を持たない。彼らは「党の決定に従う」存在である。スターリンの支配下にあってソ連では“「何が正しい文化や思想であるかは共産党が決める」という体制”になっていた。

中国-大躍進政策の失敗と文化大革命/『そうだったのか! 現代史』池上彰

 そして英雄的人物の共通点が浮かび上がる。

 しかし両者の間には重要な違いがあった。救助者のほうが両親との関係がより健全で密接である傾向があり、そしてまたさまざまな宗教や階級の友人を持っている傾向も強かった。救助者のもっとも重要な特質は共感であるように思われた。どこから共感が生じるのかを言うのはむずかしいが、救助者は両親から平等主義や正義を学んだとオリナーは考えている。

他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 結局、人格を陶冶する最大の要因は親子関係にあったのだ。驚天動地の指摘である。意外な気もするが、よく考えると腑に落ちる。

 認知機能はバイアス(歪み)を回避することができないが、人格者には「文化」や「宗教」に基づく差別的なバイアスが少ないのだろう。そもそも我々は最初の価値観を親から学んでいるのだ。その価値観を根拠にしてあらゆる事柄を判断するのだから、親子関係から築いた価値観は人生のバックボーン(背骨)と化す。より具体的には親というよりも、「よき大人」というモデルが重要なのだろう。更にこのデータは教育の限界をも示している。

 英雄的行為をとる人々は、日常生活においても「助ける人」であることが非常に多い。

 自分の周囲を見渡せば一目瞭然だ。英雄的素養のある人物は直ぐわかる。

 一方、傍観者は、制御できない力にもてあそばれているように感じがちである。

 主体性の喪失が人生を他罰的な色彩に染めてゆく。これまた親子関係が基調になっているのだろう。人は自分が大切にされることで、他人を大切にする行為を学んでゆくのだ。

 英雄たちは幾度となく自分がとった行動を「もしそうしなかったら、自分自身に我慢できなかったでしょう」という言い方で説明している。

 英雄は「内なる良心の声」に従って行動する。神仏のお告げではない。他人の視線も関係ない。ただ、「自分がどうあるべきか」という一点で瞬時に判断を下す。「それでいいのか?」という問いかけが鞭のように振るわれ、英雄はサラブレッドのように走り出すのだ。

 ここで終わっていれば、めでたしめでたしなのだが、著者はヘビに足を描くような真似をしている。

「利他主義も一皮むけば、快楽主義者なのだ」とギャラップは言う。

 別に異論はない。我々利他主義者は利他的行為に快感を覚えているのだから。たとえ自分が犠牲になったとしても、人の役に立てれば本望だ。

 九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くとはこのことだ。せっかくの著作を台無しにしたところに、アマンダ・リプリーのパーソナリティ障害傾向が見て取れる。彼女は何の悪意も抱いていないことだろう。そこに問題がある。

 同様の不満を覚えた人は、『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子訳(英治出版、2010年)を参照せよ。


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