・ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた
・『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
・『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
・『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思
渡部●ルーズベルトは社会主義的なものに惹(ひ)かれ、共産主義とソ連に寛容でした。大恐慌後の不況対策として打ち出したニューディール政策には財産権を侵害するものも含まれ、最高裁で無効とされたものもあります。また、夫人のエレノアとともに社会運動に熱心なあまり、コミンテルンの工作員や共産党同調者の影響を受けてしまい、国務省や大統領周辺には、500人に及ぶ共産党員とシンパがいたと言われています。
馬渕●ですから、歴史の真実は、まだまだ明らかになっていない。アメリカで公文書が公開されるにつれ、ルーズベルトの政策を再検討する動きが出ています。有名なチャールズ・ビーアドさんという歴史学会の会長が書いた本(『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか』藤原書店)も、ようやく日の目を見るようになりました。ルーズベルトは一体何をしたのか。今までは英雄でしたけれども、現にアメリカの中から、それを見なおそうという機運が熟し、英雄像にほころびが出てきた。
アメリカ人はあれほどの犠牲を払いながら、いまだに戦争の本当の理由を知らされていないと言えるでしょう。
【『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(飛鳥新社、2014年)】
アメリカは世論の国である。いかに権限のある大統領といえども世論には逆らうことができない。ゆえに「世論をつくり上げる」。
やり方は至って簡単だ。自国民をわざと犠牲にした上で国民感情を復讐に誘導するのだ。
「アラモの戦い」(1836年)では当時メキシコ領であったテキサス州でアメリカ義勇軍が独立運動を起こした。義勇軍は何度も援軍を頼んだが合衆国軍はこれを無視。200人の義勇軍は全滅した。アメリカは惨殺の模様を誇大に宣伝し、「アラモを忘れるな!(リメンバー・アラモ)」を合言葉にテキサス独立戦争(1835-36年)に突入した。メキシコ合衆国は半分の領土を失った。テキサス共和国はアメリカに併合される。
19世紀後半になるとスペイン帝国が弱体化した。フィリピンではホセ・リサール(1861-96年)が立ち上がり、キューバではホセ・マルティ(1853-95年)がゲリラ戦争を展開。この頃アメリカの新聞は読者層を伸ばそうと激しい競争を繰り広げていた。「1897年の『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』という新聞記者による捏造記事をきっかけに、各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した」(Wikipedia)。「ピュリッツアーは、『このときは戦争になってほしかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを』と公然と語っている」(「死の商人」と化した新聞)。嘘にまみれた新聞の演出によって参戦の機運が国民の間で高まる。アメリカ海軍は最新鋭戦艦メイン号をキューバに派遣。ハバナ湾でメイン号は原因不明の爆発を起こし、260人余りのアメリカ人が死亡した。アメリカの新聞は「メイン号を忘れるな!」と連呼し米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)に至る。アメリカはキューバ、フィリピン、グアム、プエルトリコを手中にし、世界史の表舞台に登場する。
第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてアメリカはモンロー主義(孤立主義)を貫いた。1915年、米客船ルシタニア号がドイツ軍のUボートによる魚雷で攻撃され沈没した。乗客1200名に128名のアメリカ人が含まれていた。アメリカ世論の反独感情は沸騰し第一次世界大戦に参戦する。後にルシタニア号が173トンの弾薬を積載していることが判明。当時の国際法に違反しており、ドイツ軍の攻撃は正当なものと考えられている。
フランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目の大統領選に出馬。「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約した。ルーズベルトは日本に先制攻撃をさせるべく、ありとあらゆる手を尽くした。大東亜戦争における日本軍の紫暗号は当初から米軍に解読されていた。日本はその事実も知らないまま真珠湾攻撃を行う。この時不可解なことが起こる。日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」をコーデル・ハル国務長官に渡すのが遅れたのである。攻撃開始の30分前に渡す予定だったのが、実際は攻撃から55分後となってしまった。本来なら責任があった駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官は切腹ものだが、何と敗戦後、吉田茂によって外務省で事務次官に任命され、キャリアを永らえている。ルーズベルトは議会で「対日宣戦布告要請演説」を行う。「日本は太平洋の全域にわたって奇襲攻撃」「計画的な侵略行為」「卑劣な攻撃」との言辞を弄してアメリカ国民を欺いた。米軍は真珠湾から空母2隻と新鋭艦19隻は攻撃前に避難させていたのだ。「真珠湾を忘れるな!(リメンバー・パールハーバー)」を合言葉にアメリカは第二次世界大戦に加わる。ルーズベルトは日本に対する最後通牒ともいうべきハル・ノートの存在を国民に知らせなかった。
1964年、トンキン湾事件によってアメリカはベトナム戦争(1960-75年)に介入する。1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者がペンタゴンの機密文書を入手し、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。
こうして振り返ると自作自演こそアメリカという国家の本性であり、「マニフェスト・デスティニー」(明白なる使命)に基づくハリウッド国家、ブロードウェイ体制と考えてよい。
そのアメリカがソ連にコントロールされていたというのだから、やはり歴史というのは一筋縄ではゆかない。マッカーシズムの嵐が起こるのは1950年のことである。
・建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
・マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
・大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし