2015-11-14
2015-11-13
2015-11-12
ロシア革命の実態はユダヤ革命/『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
・『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
・『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
・ロシア革命の実態はユダヤ革命
ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。
【『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)以下同】
アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は新生ソ連に対して「素晴らしい民主主義国家が誕生した」と賛美した。ウィルソンといえばパリ講和会議(1919年)で日本が提案した人種的差別撤廃提案に対して、唐突に「全会一致が望ましい」と言い出し、国際連盟の議長権限で否決した人物である。さしずめ有色人種の人権は軽くユダヤ人の人権は重いといったところか。
「ユダヤ系国際金融」と聞けば陰謀論めいているが、キリスト教が利息を禁じていたため金融業はユダヤ人が行ってきたヨーロッパの歴史がある。信用創造や株式による投資を編み出したのも彼らであった。
では、ウィルソン大統領はなぜロシア革命を礼賛したのでしょうか。その理由は、彼の周囲を固めていた側近たちが皆社会主義者であったということです。ウィルソン大統領が第二の自分とまで呼んで信頼していたエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義者でした。ハウス大佐は一介のユダヤ系民間人にすぎませんが、ホワイトハウス内に執務室を与えられていました。ウィルソン大統領の側近中の側近の補佐官であったのです。このように、議会の承認を必要としない、いわば令外官(りょうげのかん)がアメリカ大統領に最も影響を与える地位に就くことができるのです。
この方程式は現在まで続いています。有名なヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(1923年~)は、私人の身分でニクソン大統領の外交政策を牛耳りました。カーター大統領の安全保障担当補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキー(1928年~)は、オバマ大統領の外交顧問を務めたほど、長期にわたり民主党の外交政策に影響を与え続けました。
「エドワード・マンデル・ハウス」で検索したところこの動画を見つけた。どうやら社会主義よりも国際主義に重きがあるようだ。
当時の米ソを理解するために欠かせないのはアーマンド・ハマー(1898-1990年)だろう。共産主義のシンボルである「鎌とトンカチ」がそのまんま名前となっている(アーム・アンド・ハンマー)。
アーマンド・ハマー(1898-1990年) pic.twitter.com/JuD4W3m4ak
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 11月 12
共産主義のシンボルの鎌とトンカチ。 pic.twitter.com/PvZoD6T0m6
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 11月 12
「ハマーの父親ジュリアスはロシアから移住してきたユダヤ人医師で、アメリカで最初に『共産党』を組織した男だった」(石油王Dr.ハマー 米ソ貿易で巨利を得たユダヤ大富豪)。正確には「アメリカ共産党の元となった社会主義労働党の創設者」である。「冷戦時代に東西両陣営を股にかけて活躍し、米ソ外交の“影の主役”として歴史に名を残した」(アメリカで活躍するユダヤ人)。更に中国への出入りも自由であった。彼は自家用ジェット機で晩年に至るまで世界を飛び回った。
ソ連建国が1922年。ウッドロー・ウィルソン政権下でFRB(連邦準備制度)の設立が1913年である。「J・P・モルガンが所有するジキル島クラブで秘密会議が開かれ」「多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した」(Wikipedia)。きな臭い匂いがプンプンする。
後にソ連のスパイであったハリー・デクスター・ホワイトによってIMFが設立された(『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男、2000年)ことを考えると、FRB設立はユダヤ人によるアメリカ乗っ取りシステムの構築と考えていいだろう。ハマーの資金が投じられたという説もあるが年齢を踏まえると父親によるものか。
アーマンド・ハマーは池田大作や中丸薫とも親交を重ねた。まったくユダヤ人は恐ろしいものだ。
・元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
・ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史
・ロシア・ユダヤ人実業家の興亡
・歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
・ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠
2015-11-11
国産発のジェット旅客機MRJが初飛行/『始祖鳥記』飯嶋和一
・『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
・『雷電本紀』飯嶋和一
・『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
・時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語
・国産発のジェット旅客機MRJが初飛行
・『黄金旅風』飯嶋和一
・『出星前夜』飯嶋和一
・『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一
暮し向きが定まれば、所帯を持つことを人は考える。子をもうけ、妻子を養うために日々を送って年老いてゆく。腕のいい表具師と言われ、他国木綿の移入で財をなした商才のある者と呼ばれ、あるいは運がいいと噂される。通常人が望むものが目の前にあっても、その時に幸吉がまず感じたものは耐えがたい腐臭だった。
【『始祖鳥記』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2000年/小学館文庫、2002年)以下同】
日本で初めて空を飛んだとされるのは備前岡山の浮田幸吉〈うきた・こうきち〉(1757-1847年)である。7歳で父を亡くし傘屋へ奉公に出され、のち表具師となる。後年には晒(さら)し木綿商人となり、更には時計の修繕と義歯の製作も行った。
一度目は失敗。幸吉は足を骨折した。初めて飛んだのは旭川にかかる京橋で天明5年(1785年)8月21日のこと。それ以降、「岡山の幸吉」「鳥人幸吉」と呼ばれた。折しも天明の大飢饉で各藩は世情の動向に目を光らせていた。幸吉の飛行は「天狗が出た!」と大騒ぎになり、当局はこれを見逃さなかった。世を騒がせ人々を不安に陥れたとして所払いの処分を受ける。
人々にとって空は眺めるものであった。だが幸吉にとって空は翔(か)けるものであった。飛ぶ情熱は埋み火のように胸の底で燃え続けた。幸吉が感じた腐臭は、敗戦後の日本が国家として独立する力を奪われ、平和という名の下で高度経済成長を遂げてきた姿と重なる。平和は澱(よど)み、腐臭を放っている。
マッカーサーは日本の再軍備を認めなかった。それだけではない。零戦(ぜろせん)の技術力を恐れたGHQは日本に飛行機をつくることも許さなかった。70年という歳月を経て、やっとジェット旅客機が日本の空を飛んだ。戦後レジームからの確かな脱却といってよい。ひょっとするとイランの核合意と同じ文脈にあるのかもしれない。
イラン核合意は「核保有を認めた」と考えていいだろう。アメリカとキューバの国交回復も同じ文脈で、中国の覇権を牽制するものだ。思わぬアメリカの方向転換でとばっちりを受けるのはサウジアラビアやイスラエルなど。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 10月 15
50歳になった幸吉は再び空を目指した。
飛ぶことは、すべてを支配している永遠の沈黙に抗(あらが)う、唯一の形にほかならなかった。
「飛ぶことは、すべてを支配しているアメリカに抗う、一つの形にほかならなかった」と思いたいところだが現実はそれほど甘いものではない。アメリカの国防戦略は日本を軍事化し、南沙諸島で中国軍にぶつける方針なのだろう。核保有国同士が戦争をすることは考えにくい。日本の世論はぬるま湯に浸かった状態から抜け切れないので、米軍はゆくゆく沖縄から撤収するに違いない。
アメリカのジャパン・ハンドラーズに操られているだけなのか、それともアメリカの手のひらに乗ったと見せかけておいて実は別の戦略があるのかは、5年以内に判明することだろう。
尚、幸吉初飛行の2年後の1787年には琉球国で飛び安里(あさと)が断崖から飛んだとされている。二宮忠八がゴム動力による模型飛行器を製作したのが100年後の1890年(明治23年)で、ライト兄弟の初飛行は1903年である。
2015-11-10
マーク・グリーニー、水間政憲、石原結實、他
5冊挫折、2冊読了。
『模倣の殺意』中町信〈なかまち・しん〉(創元推理文庫、2004年/江戸川乱歩賞応募原稿、1971年「そして死が訪れる」改題/雑誌『推理』掲載、1972年「模倣の殺意」改稿/双葉社、1973年『新人賞殺人事件』改題)/久々の推理小説。40年前の作品が今頃になって35万部のベストセラーになっているらしい。富山の女性が東京山の手の言葉づかいをしている時点でやめた。謎解きは一級品らしいが読み物としては今ひとつ。中町のデビュー作である。
『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2015年)/北欧ミステリの傑作警察小説との謳い文句に疑問あり。父親と娘の動きが交互に綴られるが、父親の方が全く面白くない。
『知覧からの手紙』水口文乃〈みずぐち・ふみの〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)/知覧ものでは有名な穴沢利夫少尉。彼の婚約者であった伊達智恵子さんからの聞き書きを編んだもの。女学生が桜の枝を振りながら特攻機を見送る有名な写真があるが、それに搭乗していたのが穴沢であった。若い女性は読むといいだろう。
『偽りの幕末動乱』星亮一(だいわ文庫、2009年)/星は仙台市生まれだが、福島民報記者、福島中央テレビ報道政策局長との経歴からもわかるように「会津寄り」の人物である。それは構わないのだが新聞記者やテレビマンにありがちな誤謬が各所に散見される。例えば「ペリーは断固、江戸湾での交渉を主張し、拒否すれば砲撃を加える覚悟だった」(22ページ)などという記述はデタラメ極まりない。ミラード・フィルモア大統領は戦争を避けるよう厳命し、自衛以外の砲撃も禁じた。黒船が使用したのは空砲だけである。来航中に変わったフランクリン・ピアース大統領は更なる穏健派であった。星亮一だけ読むと歴史認識を誤る。意外と見落としがちだが、ペリー来航(1853年)、南北戦争(1861-65年)、明治元年(1868年)との流れは覚えておくべきだ。
『いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉監修(角川SSCムック、2007年)/飛ばし読み。おすすめ。写真が大きい。大きすぎか。タマネギは切ってから15分以上空気にさらすことで栄養価が高まるそうだ。早速実践。
147冊目『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲〈みずま・まさのり〉(PHP研究所、2015年)/水間はチャンネル桜でお馴染みの人物。絡みつくような話しぶりが好きになれない。写真は星五つ、文章は星三つと評価する。Kindleを持っている人は迷わずKindle版を。朝日新聞を嫌うことでは私も人後に落ちないつもりだが、水間の批判は拙(つたな)すぎる。大本営体制という時代背景の説明が弱く、キャプションの一部も実に短絡的だ。それでも尚、本書に掲載されている写真の数々は日本人であれば必ず見ておくべきである。
148冊目『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(ハヤカワ文庫、2012年)/読ませる。デイヴィッド・マレル風の国際謀略もの。主人公のグレイマンが超人すぎるのが難点。あと子供の場面に大人の視点が混じるのが気になった。翻訳の問題かも。
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