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2014-07-19

将は将を知る/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 孟嘗君〈もうしょうくん〉が楽毅〈がっき〉の家を訪ねる。

 もっとも広い部屋に孟嘗君と従者をみちびきいれた楽毅は、躍(おど)る胸をおさえながら、言辞において喜びをあらわした。
 それにいちいちうなずいた孟嘗君は、ふと淡愁(たんしゅう)をみせ、
「わしが斉(せい)にいるあいだ、将軍は中山(ちゅうざん)で戦っていた。中山王は斃死(へいし)せず、中山の民は熄滅(そくめつ)しなかった。それが中山をあずかっていた将軍の愛の表現であると、わしは臨■(りんし)にいて考えていた。将軍は、まことによくなされた。みごとであったとたれも褒めぬのであれば、ここでわしが天にとどくほどの声で褒めよう」
 と、いった。いつのまにか孟嘗君の目が濡(ぬ)れている。その目をみた楽毅は、自分を囲んでいたものが音をたてて崩れはじめたように感じられた。
 ――ああ、このかたは、人の深奥(しんおう)がわかるのだ。
 と、おもいあたるや、どっと涙があふれた。楽毅はめずらしく泣いた。孟嘗君のまえにいるから泣けたともいえる。孟嘗君も泣いている。このふたりをみて室内にいるすべての者が、涙ぐみ、とくに楽毅の手足となって生死の境を走りぬけ、苦難をしのぎにしのいできた丹冬(たんとう)と趙写(ちょうしゃ)は、背をふるわせて欷歔(ききょ)した。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 楽毅が孟嘗君とまみえるのは留学していた時以来で二度目のこと。中山は小国であったがゆえに楽毅は将軍となってからも順風満帆とはいえぬ苦境の連続を凌(しの)いできた。将は将を知る。孟嘗君は楽毅の孤独をすくい上げるように自らの思いを述べた。美しい名場面である。

 人は年を重ねるにつれて妥協を余儀なくされ、いつしか腐臭の中に身を置くようになる。自分で自分に言いわけをしながら、やがて他人に言いわけを強いるような存在に変わってゆく。戦うことをやめた瞬間から人は老いる。老いとは成長を失った姿だ。

 孟嘗君と楽毅は勇猛で知られた人物だが、彼らが戦ったのは戦場だけではなかった。将は王ではない。駒(こま)のように扱われることもあった。その中で配下や民を思いやり、大義を追求した。二人は常に風雪にさらされる山頂のごとき高みにいた。

 孟嘗君は楽毅の饗応に対し、細やかな配慮を見過ごすことなく応じた。これが人間と人間の出会いというものなのだろう。心浅くして人を知ることはできない。

楽毅〈1〉 (新潮文庫)楽毅〈2〉 (新潮文庫)楽毅〈3〉 (新潮文庫)楽毅〈4〉 (新潮文庫)

2014-06-26

第二巻のメモ/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 よく光る目が沈黙を重々しいものにした。黙ってすわっていることが、かえって相手を威圧するという人物をはじめてみたおもいの楽毅は、この人物のなかにあるのは年月の厚みばかりではなく、戦場の外にもある死地を果敢に乗り越えてきた自信であろうと観察した。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】



 薛公(せっこう)は人にけっして恐怖をあたえない。むしろ、この人には以前どこかで会ったのではないかという親しげなものやわらかさをただよわせている。天下の信望を集める人は、あのようでなくてはなるまい、と楽毅は痛感したことがある。その薛公にくらべると司馬熹(しばい)の人格には深みが不足している。



 若い武将は、ふつう策を好まず、勇猛さを誇ろうとするあまり、戦陣における変化を無視し、応変ということができない。



 主従そろって目が■(目+毛/くら)いなかで、ひとり明察の目を具(そな)えていることは、いかに危ういことか、趙与という男にはわかっている。
 ――ここは魯(にぶ)さをよそおうしかあるまい。



 武将というものは感情を殺すべきときに殺し、ふるまうべきときにふるまうことのできる者をいう。



 現代に酔っている人々は、古人の知恵をつい忘れがちになる。現代にあって古言や古事を学ぶことは、知識を豊かにする以上に、おのれのいたらなさを知ることになり、むしろ学問の神髄とはそこにあるといえる。
 楽毅は3年間の留学でおのれが見えるようになった。ということは、相手をも見えるようになったのである。



「人を相する者は、無私でなければならぬ。その無私に人の運命を映しだす。それゆえ、一瞬であろうと、相手と運命をともにする。相手が吉祥の持ち主であればよいが、凶妖(きょうよう)をもっている場合は、それに憑(つ)かれるの、祓(はら)わねばならぬ。要するに天与の幸を享(う)ける者は希(まれ)にしかおらず、その人に付(ふ)すことによって幸をわけてもらうというのが幸運とよばれているものである。いまかるがるしく天命というが、天命を知る者はかつて天子しかおらず、諸侯でさえ地神を祀(まつ)る者でしかなかった。それゆえ貴殿のような人臣は、天地の命をうかがい知ることはできず、すべては人により運命は左右されるとお考えになるがよかろう。幸運の人にお属(つ)きなされよ」(唐挙)



「国難は人の虚飾を剥(は)ぐ」(楽毅)



 それがわかる丹冬は、
「雲は龍に従い、風は虎に従う、といわれます。聖王が龍虎(りゅうこ)であれば、それにしたがう風雲のゆくすえはさだまりますが、龍虎のいない天地で、風はどう吹き、雲はどう流れるのでしょうか」
 と、きいた。むろん風雲とは楽毅のことである。



 楽毅の心はきれぎれの想念を明るくまとめあげ、ひとつの決断にもってゆくというはずみをうしなっている。



 郊昔(こうせき)の推量は衍(ゆた)かである。しかも妄誕(ぼうたん)へながれてゆかない。



「公子、勇気をもたれることです。勇気とは、人より半歩すすみでることです。人生でも戦場でも、その差が大きいのです」



 天下の才は、天下のために使うべきであり、それが天意というものであろう。ひとりの人物が天業のために不可欠であるのなら、かならずその人物に天啓というものがある。その天啓をさまたげようとする者は、天の怒りを買い、天譴(てんけん)をくだされる。



「なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。わしは聖人でも非凡人でもない。人並みの困難を選ぶだけだ」(楽毅)



 こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深い



「兵の形は水に象(かたど)る。兵に常勢(じょうせい)なく、水に常形(じょうけい)なし、という」(楽毅)



「私欲を捐(す)て、兵を愛し、天の声、地の声、人の声をきけば、おのずと道はさだまる」(楽毅)

楽毅〈1〉 (新潮文庫)楽毅〈2〉 (新潮文庫)楽毅〈3〉 (新潮文庫)楽毅〈4〉 (新潮文庫)

2014-06-16

気格/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

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 ・外交とは戦いである
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 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

「薛公(せっこう)についていえば、天の気をもった人だな。風雨を吐きだすことができる。彼に撃ちかかろうとしても、ひと息で飛ばされよう。飢渇(きかつ)した者は、慈雨(じう)をあびることができよう。中山(ちゅうざん)は薛公にすがることだ」

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

「気」にまつわる文章をいくつか拾ってみよう。気とは陰陽(いんよう)を往き交うものと私は理解している。気息の場合は呼気が陽で吸気が陰となるようだが(第四難)、個人的には呼吸が陽で息の止まる一瞬が陰と考えている。(追記/ただし声で考えると前者がわかりやすい)

 陰陽の落差が気格の個性を表すのだろう。「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」(ウォルト・ホイットマン)。苦労や困難が人生の幅を押し広げる。生命の感応する力が豊かになる。そこに気の深さや太さがある。孟嘗君(もうしょうくん/薛公)は背が低かった。だが飄然とした態度の中に気宇壮大が滲み出た。その人格は楽毅の人生に鮮やかな色彩を加えた。先に『孟嘗君』を読んでおくと、まるで自分の親戚が登場したかのような親しみを覚える。

 狐午(こご)は中山(ちゅうざん)の貴門を出入りし、他国の貴族と面語することもあるが、楽毅のような人柄に会ったことがない。一言でいえば、ふところが■(ひろ)くて巨(おお)きい。人格からたちのぼる気が、虚空(こくう)をさわやかにあざやかに切りすすんでゆく。
 ――めずらしい人だ。
 と、狐午はおもった。好きになったのである。だが商人としての自覚が、そういう感情のかたむきを認めなかった。人への好悪(こうお)は商人が冷静におこなわなければならぬ計算を狂わせる。その自覚が商売という戦場を生きぬくための商人にとっての甲(よろい)である。

 第一巻なので楽毅はたぶん二十代であろう。人生経験の乏しい若者は底が浅い。そして底の浅さに甘んじる若者が多い。やはり溌剌(はつらつ)たる気を漲(みなぎ)らせるべきだろう。自己嫌悪に陥るよりも学ぶことを自らに課せばよい。10代、20代で悪い姿勢が身につくとものが見えなくなる。

 父は自分の子を毅然(きぜん)とつくっている魂胆(こんたん)の重厚な精強さに気づいた。暗殺者はもしかすると楽毅に両断されるまえに、楽毅の渾身(こんしん)から発揚された鋭気のようなものにうちのめされたのかもしれない。
 ――人とはふしぎなものだ。
 身分とはちがうところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のり■(こ)えることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。

 人生には気の通う出会いがある。もっと極端に言ってしまえば人生は出会いで決まる。その意味で誰と出会うかが肝心だ。数々の出会いが自分自身を染め上げてゆく。もちろん悪い出会いも多い。易(やす)きに流されればあっと言う間に転落してゆく。尊敬できる人物をもつ人は幸せだ。どんな世界にも人物はいるものだ。若者は血眼になって探し回れ。

楽毅〈1〉 (新潮文庫)楽毅〈2〉 (新潮文庫)楽毅〈3〉 (新潮文庫)楽毅〈4〉 (新潮文庫)

2014-06-20

王者とは弱者をいたわるもの/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

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 ・外交とは戦いである
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『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 楽毅(がっき)の心底に憤然と沸いてくる感情がある。
 王者とは弱者をいたわるものである。が、趙王はどうか。弱者である中山を攻め、あざむき、嬲(なぶ)り物にしようとしている。死んでも屈すべき相手ではない。心のどこかで武霊王を賛美していた楽毅は、大いなる失望を怨怒(えんど)で染めた。
 ――趙王とは戦いつづけてみせる。
 この怨讎(えんしゅう)の気分はおそらく楚(そ)の平王に父と兄とを殺されて呉(ご)へ亡命した伍員(ごうん/子胥〈ししょ〉)のそれににているであろう。が、復讎は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている、ということを楽毅は知っている。武霊王を怨(うら)むのはよい。が、その怨みにこだわりつづけると、怨みそのものが魂を宿し、生き物となって、みさかいなく人を喰いはじめる。それをさけるためには、世の人の目に復讎とわからぬ復讎をとげなければならない。
「微なるかな微なるかな、無形に至る。神(しん)なるかな神なるかな、無声に至る。ゆえによく敵の司命(しめい)を為(な)す」
 そう心のなかでつぶやいた楽毅には、にわかに孫子の教義があきらかになった。戦いは戦場にあるばかりではなく、平凡にみえる人の一生も戦いの連続であろう。自分が勝って相手をゆるすということはあっても、自分が負けてゆるされるということはない。それが現実なのである。相手にさとられないように戦い、それでこそ、敵の運命を司(つかさど)ることができる。真に兵法を知るとは、そういうことなのである。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

「王者とは弱者をいたわるものである」――若い楽毅の思いには甘さが潜(ひそ)んでいる。中国はおろか日本の権力者にも「弱者をいたわる」という志操は見えない。だからこそ胸を打つのだろう。強い者が弱い者をいじめる社会であるがゆえに光芒を放つのだ。

「恨晴らし(ハンブリ)」
 という言葉が韓国語にはあるが、それだ。「恨(ハン)」を持った者には、「恨晴らし(ハンブリ)をするまで「恨(ハン)」が宿る。そして多くの場合、「恨」は内に沈殿してその者の生活すべてに負に作用する。「恨」を昇華させなければならない。

【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】

 怨みはフロイト心理学の「抑圧」と考えてよい。怨念のあまり死にきれない幽霊の存在はPTSD(心的外傷後ストレス障害)を示唆する。

 私は直接報復でも構わないと思う。例えば大阪産業大学付属高校同級生殺害事件のように。何もせずに泣き寝入りするのが一番ダメだ。世の中がよくならない根本的な原因もここにある。

 プーラン・デヴィは直接的な復讐を果たした後に政治家となることで昇華したケースであろう(『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ)。

 賢者は日常において危機的状況に想像を巡らせ、愚者は窮地に追い込まれて取り乱す。いざ、という時に速やかな行動を起こせるかどうかが生死を分ける。

 復讐が「相手を凌(しの)ぐ」ことを意味するならば、より大きな自分をつくり上げることが真の復讐となる。ただしそこに自分を偽る姿勢があれば怨みは昇華されることがない。

 いずれにせよ、「怒り」は必ず「殺」を志向する。中途半端な怒りはさっさと手放すことが正しい。

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無境界の人 (集英社文庫)

2014-06-25

外交とは戦いである/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 外交の才は、平和時に必要とされる場合が多いので、甘くぬるいものにおもわれがちであるが、戦時や軍事の才となんらかわりなく、大局をつかみ臨機応変でなければならない。外交の場裡(じょうり)も、戦争の場裡とかわらぬ生死のかかったきびしさにある。外交とは戦いであるという認識で、楽毅は趙王に謁見(えっけん)したのであるが、その戦いには勝てなかった。楽毅の才覚が趙王の暴言をうわまわれば、実際に戦争は熄(や)み、趙兵と中山兵とは殺しあわずにすむのである。両国にとってそれが最善であることは、いうをまたない。が、楽毅が趙王の陰點(いんかつ)さを斂(おさ)めさせることができず、それからのがれることに終始したことで、たれの目にもあきらかな戦いが再来する。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 春秋戦国時代における中国の強味は亡命、すなわち人材の流動性を確保できたところにあった。

 翻って日本はどうか。野茂英雄〈のも・ひでお〉がアメリカ大リーグへ渡ったのは1995年のことだった。所属チームであった近鉄とマスコミは野茂を散々バッシングした。高輝度青色発光ダイオード(LED)を発明した中村修二に日亜化学工業が支払った報酬は2万円だった。中村は後に提訴し、東京地裁は発明の対価を約604億3000万円と算定した(東京高裁において8億4391万円で和解)。2000年、中村も渡米した。

 出る杭は打たれる。抜きん出た才能を疎(うと)ましく思い、横並びを奨励するのは、やはり日本人が村社会から脱却できていないためだろう。

 グローバリズムは人や資本の移動を容易なものに変えた。その意味では春秋戦国時代とよく似ている。

 弱い国は蹂躙(じゅうりん)され、強い国に飲み込まれる。激しい合従連衡の時代を生き抜くためには外交が死活問題であった。人材を確保する目的で行われた食客という風習が起こったのもこの頃である。

 外交では礼容と言葉、そして何よりも大義が問われる。些細な粗相や一言の失言で戦争になりかねない。ゆえに胆力と智謀なくして外交は務まらない。

 ヨーロッパが行った植民地主義に外交で対抗し得ることは不可能であった。圧倒的な物量差がヨーロッパをして傍若無人な振る舞いに駆り立てた。アフリカやアジアは今尚そのダメージを払拭できていない。

 楽毅の外交は見事なものであった。それでも戦争を回避するまでには至らなかった。若き猛将は恐れることなく起ち上がった。

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2014-06-15

勝利を創造する/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
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『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 むろん孫子(そんし)の兵法書は暗記するほどくりかえし読んだ。そうするうちに、
 ――なるほど、人も兵法も、じつにあいまいなものだ。
 ということに想いが到(いた)った。
 生まれて死ぬまで、おなじでありつづける人などどこにもいない。赤子の身重のまま死の牀(とこ)につく老人がないこと、そのひとつをとっても、人は変化するのである。
 兵も同じである。多数の兵は少数の兵につねにまさるとはかぎらない。陣形も地形によって変化する。それに将軍と兵のよしあしを考えあわせてみると、かならず勝つという戦いができるのは、一生のうちに一度あればよいほうであろう。むろん孫子はそんないいかたをしていない。必勝の法をさずけてくれてはいるのだが、楽毅〈がっき〉はむしろ、その法にこだわると負けるのではないか、とおもった。兵法とは戦いの原則にすぎない。が、実戦はその原則の下にあるわけではなく、上において展開される。つまり、かつてあった戦いはこれからの戦いと同一のものではなく、兵を率いる者は、戦場において勝利を創造しなければならない。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 諸葛亮(孔明)が敬慕した名将が楽毅〈がっき〉その人である(管仲・楽毅・晏嬰伝)。智だけでも勇だけでも名将たり得ない。情に人はついてくるが理を欠いては組織することが難しい。若き楽毅は戦場を「生きた現場」と捉えた。兵法に戦場を当てはめるのではなくして、理外の理を鋭く見抜いた。現在の言葉でいえばランダム性だ。

 思い通りに運べば未来は予測されたものとなる。そこに自分自身の変化はない。勝利は「計る」(『新訂 孫子』金谷治訳注)ものであると同時に「創造」するものなのだ。

「創造」の一言が重い。人生もまた同様であろう。トラブルや悲劇という不確定要素が自分の創造力を問う。創造は何も神様の専売特許ではない。

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2014-06-19

将軍学/『楽毅』宮城谷昌光


『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
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『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 これから出発する使者がぶじに往還すれば、(との)和平はいっそうたしかなものになるので、使者への期待は大きいのである。ところが、その使者である楽毅(がっき)が、
「この使いは失敗する」
 と、なんの逡巡(しゅんじゅん)もみせずにいったので、郊昔(こうせき)ははっとうろたえた。
 ――そういうことか。
 この男の頭脳の回転ははやい。漠然と感じていた不安が急に明確になった。国家の中枢(ちゅうすう)にいる者は、国民とおなじ感情に染まっていては、展望ということができないということをあらためてさとった。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

 楽毅は中山(ちゅうざん)の使者として趙へ赴くこととなった。上手く運ばないことはわかっていた。それどころか自分が殺される可能性もあった。楽毅は祖国のために立ち上がった。

 これが将軍学というものであろう。馬鹿の一つ覚えで「国民」を語る昨今の政治家とは雲泥の差がある。私は民主制よりも貴族制を支持するものだが、より一層その思いを強くした。左翼が語る「市民」もまったく信用できない。民の苦しみを知ることと苦しみに同調することは別次元のことだ。民が欲するのは衣食住の安定であり、それ以上のものではない。結局自分さえよければいいのだ。

 ノブレス・オブリージュを欠いた政治家ばかりだ。官僚化した政治家しか見当たらない。天下国家が語られることもなく瑣末な議論に終始している。そして彼らが操る言葉はとっくに死んでしまった。政治は我欲のレベルにまで堕した。

 そのとき肥義(ひぎ)は武霊王(ぶれいおう)の苦悩を察し、
「疑事(ぎじ)は功なく、疑行(ぎこう)は名なし」
 と、決断を勧(すす)めた。疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。迷いのなかで法令がくだり、施行(せこう)されても、上から下まで成果も利益も得られない。責任の所在が明確でないものは、かならずそうなる。君主が世の非難を浴びる覚悟をすえていれば、かえって世の非難は顧慮する必要はない。そのことを肥疑は、
「大功を成(な)す者は、衆に謀(はか)らず」
 と、表現した。さらにかれは幽玄の理念をこう説いた。
「愚者は成事に闇(くら)く、智者は未形に■(者+見/み)る」
 愚かな者はすでに完成された事でも理解をおよぼすことができないのにくらべて、智のある者は、その事が形をもたないうちに洞察してしまう。胡服騎射(こふくきしゃ)に関していえば、まだその軍政が形となっていなくても、自分にはその成果をありありと■(者+見/み)ることができる、と肥疑は武霊王をはげましたのである。ちなみに■(者+見)には、自分の目でたしかに、という強い意志がふくまれているので、人から■(者+見/み)られる、というような使い方はけっしてされない字である。

 臣とはかくあるべし。君主を時に諌め、時に励ますのが臣の役目である。それにしても見事な言葉だ。脳内のシナプスがタテ一直線に並ぶほどの説得力がある。しかも君主の自覚や責任に強く訴えている。言葉が盤石の根拠となり得るのだ。

 武霊王は趙の君主である。案の定、楽毅は謀(はか)られたが智慧を巡らせて危地を脱する。本書の名場面のひとつである。

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2017-12-10

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2014-07-01

大望をもつ者/『楽毅』宮城谷昌光


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『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 名君とはそういうものだ、といわれれば、そうかもしれない。しかしながら楽毅のおもう名君に武霊王はあてはまらない。なぜなら武霊王は自信過剰のためか、辞儀が高すぎる。
湯王(とうおう)や武王(ぶおう)を鑑(み)よ」
 ほんとうに大望をもつ者は、野人(やじん)にさえ頭をさげ、辞を低くする謙虚さがなくてはならぬ。武霊王にはその種の逸話がまったくない。だから武霊王にはかならず弱点があるはずだと楽毅はおもう。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

 大事業は人を得て成る。一人で築いたものは一代で終わる。精神の広がりは必ず人に伝わる。狭量な人物が大事業を成すことはない。

 精神と精神が打ち合い、魂と魂が通う中に音楽(リズムやメロディ)が生まれる。これがコミュニケーションの本質であろう。打たなければ音は出ない。そうでありながらも大太鼓と撥(ばち)は依存する関係ではない。息を吹き込まれて発する笛の音は息だけでも笛だけでも生まれないのだ。

 常に心を開いていれば必ず人は見つかる。自分の物差しに固執すれば規格外の人を見失う。盛衰興亡の差もここにあるのだろう。

 ――頭の高い者は、足もとが見えない。

 ゆえに躓(つまづ)き、そして転ぶ。時に足をすくわれ、払われる。

 人生(じんせい)の大病(たいびょう)は
 ただこれ一(いち)の傲(ごう)の字(じ)なり

【『伝習録』下巻】

 傲(おご)りが視野を狭め、盲点をつくる。心と目は同時に開く。

楽毅〈1〉 (新潮文庫)楽毅〈2〉 (新潮文庫)楽毅〈3〉 (新潮文庫)楽毅〈4〉 (新潮文庫)