2011-07-04

力道山とジャック・デンプシー


 1920年代は、またラジオが急激に普及した時代でもあった。ラジオ放送は1920年11月に初めて行われたが、ラジオ受信機の売上げは、早くも1922年には6000万ドルになり、7年後の29年には8億4000万ドルを超えた。
 日本でテレビの普及をうながしたのは、力道山のプロレスだったが、1920年代アメリカでラジオの普及を促進したのは、ジャック・デンプシーのボクシングの試合だった。大衆は、自分たちの思いを託した英雄たちの活躍をラジオで聞くことを好んだのである。

【『「1929年大恐慌」の謎 経済学の大家たちは、なぜ解明できなかったのか』関岡正弘(PHP研究所、2009年/ダイヤモンド社、1989年『大恐慌の謎の経済学 カジノ社会が崩壊する日』改題)】

「1929年大恐慌」の謎

2011-07-03

乾いた熱風のような暴力/『荒ぶる血』ジェイムズ・カルロス・ブレイク


 ノワール(暗黒小説)が男心をくすぐるのは、苛酷な状況で厳しい選択を迫られるためだろう。死がありふれた光景において生(せい)はギラギラと輝く。のるかそるかの勝負に身を置いて、初めて生の証をつかむことができるのだ。イベントのような死は緊張感を欠いている。マラソンランナーがゴールを切るような躍動感がない。だらだらと散歩でもするような老境であれば生きながら死んだも同然だ。

「今日、この手で赤のやつらを300人殺した」暗い窓の外を見つめた。「やったのは昨日だったかもしれない。こうして日々は過ぎていく」また彼女に眼を戻す。「記憶と歴史のなかへ、嘘つきだらけの博物館のなかへと流れていく」

【『荒ぶる血』ジェイムズ・カルロス・ブレイク:加賀山卓朗訳(文春文庫、2006年)以下同】

 アメリカとメキシコの国境が舞台である。赤道に近づくほど灼熱の太陽が脳味噌を沸騰させる。水に恵まれた国土のような細やかな感情はどこにも見当たらない。乾いた大地に住む動物は攻撃的だ。

 名うての殺し屋に抱かれた娼婦が男の種を宿す。それは自ら選んだ行為であった。経済が支配する時代には金持ちを、暴力が支配する国では殺し屋を選択するのが女の本能ともいえる。進化的優位性は国や時代によって異なるのだ。「荒ぶる血」を受け継いだ男が本書の主人公である。

 エル・カルニセロは彼の髪をつかんで持ち上げ、自分のほうを向かせた。血まみれの眼球を手のひらにのせ、ドン・セサーロに見せた。こいつは──眼球の価値を見積もるかのように、手のひらを上下させながら獣はそう言った──ずっと正義を、真実を見ないできた。そしてドン・セサーロの顔を下に向けながら眼球を地面に落とし、ブーツの踵で踏みつけて土にめり込ませた。

 主人公のジミー・ヤングブラッドはエル・カルニセロの息子であった。そして後半で大農場主となったドン・セサーロとヤングブラッドは一人の女性を巡って対決する運命となる。

 闘い方は子供のころから知っていた──ボクシングではなく、文字通りの【闘い】だ。誰かが教えてくれたわけではないが、自然に身についていた。本物の闘いにルールなどないことも学んでいた。止める者もいなかった。本物の闘いは一方が戦えなくなるまで続く。それでも終わらないときもある。ボクシングは本物の闘いではない。技術と忍耐を要し、セルフコントロールを試される運動だ。自分が負けていても、どれほど傷つけられ、腹を立てていても、ルールを守らなければならない。ルールなど無視してしまえば、相手を殺せることがわかっていてもだ。リングの中で闘うことによって、規律が身につく。おれはそこが好きだった。

 ヤングブラッドはボクシングから人生を学んだ。リングでの乱闘シーンも絶妙なアクセントになっている。

 それまでにも死体は見たことがあった。盲腸が破裂して死んだ男、溺死した男、線路のうえで酔いつぶれ、汽車に轢かれた男。死者のちがいはただ、きれいに死ぬか、汚らしく死ぬかということだけだ。おれは死は死だと思っていた。この泥棒たちに引き金を引くずっとまえから、おれは死は死だと思っていた。汚らしく死んだ人間を見て胸を悪くしても仕方がない。牛肉を見て気分を悪くする理由がないのと同じだ。これは俺の座右の銘と言ってもいい。

 死は他人の眼によって目撃される。我々は睡眠を自覚できないように、死もまた自覚することができないのだろう。安全な位置を望めば堕落せざるを得ない。周囲に合わせて泳ぐように生きることを強いられる。

 男は一人の女性を愛することで信念を貫く。結末が悲劇で終わるのも安っぽくなくていい。

 歯軋(はぎし)りばかりしているうちに牙が丸くなってしまった男たちよ、本書を開いて牙を研(と)ぎ直せ。

無反応であること、無関心であること、無視され続けること


「無反応であるということ、無関心であるということ、無視され続けるということは、軍事攻撃を受けるということと同じように私たちを苦しめ続けます」

【『「パレスチナが見たい」』森沢典子〈もりさわ・のりこ〉(TBSブリタニカ、2002年)】

パレスチナが見たい

ゼロから無限が生まれた/『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ


 ・ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった
 ・数の概念
 ・太陽暦と幾何学を発明したエジプト人
 ・ピュタゴラスにとって音楽を奏でるのは数学的な行為だった
 ・ゼロから無限が生まれた
 ・パスカルの賭け

『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 数字のゼロはバビロニアで生まれ、インドで育った。ゼロは西洋で嫌悪され、東洋で大切に扱われた。そしてキリスト教がゼロを亡き者にし、仏教がゼロに魂を吹き込んだ。

 バビロニアの天文学とともにバビロニアの数ももたらされた。天文学上の目的でギリシア人は六十進法の数体系を採用し、1時間を60分に、また1分を60秒に分けた。紀元前500年頃、バビロニアの文献に空位を表すものとしてゼロが現れはじめた。当然、ゼロはギリシアの天文学界にも広まった。(中略)ギリシア人はゼロを好まず、使うのをできるだけ避けた。

【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)以下同】

 バビロニアのゼロは空位を示すだけのものであった。計算に用いられることはなかった。ギリシア人はなぜゼロを嫌ったのか?

 無限と空虚には、ギリシアを恐れさせる力があった。無限は、あらゆる運動を不可能にする恐れがあったし、無は、小さな宇宙を1000個もの破片に砕け散らせる恐れがあった。ギリシア哲学は、ゼロを斥けることによって、自らの宇宙観に2000年にわたって生きつづける永続性を与えた。
 ピュタゴラスの教義は西洋哲学の中心となった。それは、宇宙全体が比と形に支配されているというものだった。惑星は、回転しながら音楽を奏でる天球の一部として動いているのだった。だが、天球のむこうには何があるのか。さらに大きな天球があり、そのまたむこうにはさらに大きな天球があるのか。いちばん外の天球は宇宙の果てなのか。アリストテレスやその後の哲学者たちは、無限の数の天球が入れ子状になっているはずはないと主張した。この哲学を採用した西洋世界に、無限を受け入れる余地はなかった。西洋人は無限を徹底的に排除した。というのも、無限はすでに西洋思想の根元を蝕みはじめていたからだ。それはゼノンのせいだった。同時代人から西洋世界でもっとも厄介な人物と見なされていた哲学者だ。

 ギリシアは無限を嫌ったのだ。気持はわかる。無限は想像することを拒み、人間をどこまでも卑小にする。ま、底なし沼みたいなものだ。ギリシアの理性は「万物のアルケー」から始まっているから無限とは相性が悪い。そこでゼノンがちょっかいを出した。

 ギリシア人はこの問題に悩んだが、その根源を探り当てた。それは無限だった。ゼノンのパラドクスの核心にあるのは無限である。ゼノンは連続的な運動を無限の数の小さなステップに分割したのだ。ステップが無限にあるから、ステップが小さくなっていっても、競争はいつまでもつづくのだとギリシア人は考えた。競争は有限の時間のうちには終わらない――そうギリシア人は考えた。古代人には無限を扱う道具がなかったが、現代の数学者は無限を扱うすべを身につけている。無限は注意深く処理しなければならないが、征服できる。ゼロの助けを借りれば。2400年分の数学で武装した私たちにとって、振り返って、ゼノンのアキレス腱を見つけるのはむずかしくはない。

 永遠の向こう側にある無限ではなく、0と1の間にある細分化された無限だ。アキレスは亀に追いつくことができない。

 ギリシア人はこのちょっとした数学上の芸当をやってみせることができなかった。ゼロを受け入れなかったため、極限の概念をもっていなかった。無限数列の項には極限も目的地もなかった。終点もなく小さくなっていくように思われた。その結果、ギリシア人は無限なるものを扱うことができなかった。無の概念について思索はしたが、数としてのゼロは斥けた。そして、無限なるものの概念を弄んだが、数の領域の近辺のどこにも無限――無限に小さい数と無限に大きい数――を受け入れようとしなかった。これはギリシア数学最大の失敗であり、ギリシア人が微積分を発見できなかったただ一つの理由だった。
 無限、ゼロ、極限の概念はすべて結びついて一束になっている。ギリシアの哲学者は、その束をほぐすことができなかった。そのため、ゼノンの難問を解くすべがなかった。だが、ゼノンのパラドクスはあまりにも強力だったので、ギリシア人は、ゼノンの無限を説明して片づけてしまおうと繰り返し試みた。しかし、妥当な概念で武装していなかったので、失敗する運命にあった。

 当時の数学は宗教と密接に結びついていた。それを踏まえると思想的影響の大きさが窺い知れよう。ゼノンはエレアの圧政者ネアルコスを打ち倒そうと武器を密輸していた。これが発覚し逮捕、拷問。ネアルコスに共謀者の名前を告げるふりをして耳に噛み付いた。ゼノンは撲殺されるまで口を開かなかった。

 5世紀頃、インドの数学者は数体系を変えた。ギリシア式からバビロニア式に切り換えたのだ。新しいインドの数体系とバビロニア式との重要な違いの一つは、インドの数が60ではなく10を底としていたことだ。私たちの数字は、インド人が用いた記号が発展したものだ。だから本来、アラビア数字ではなくインド数字と呼ばれるべきである。

 アラビア経由でヨーロッパに伝わったため、アラビア数字という名称がついた。

 インド人にとっては、負の数は文句なしに意味をなした。負の数がはじめて姿を表したのは、インド(および中国)だ。7世紀のインドの数学者、ブラフマグプタは、数を割る規則を述べ、そこに負の数も含めた。「正の数を正の数で割っても、負の数を負の数で割っても、正である。正の数を負の数で割ると、負である。負の数を正の数で割ると、負である」と書いた。これらは今日認められている規則だ。二つの数の符号が同じなら、一方をもう一方で割ると、答えは正である。

 負の数は理解しやすい。借金がそうだ。返すことでゼロになるわけだから、マイナスの概念は腑に落ちる。ブラフマグプタはゼロに魂を吹き込んだ。

 ブラフマグプタは、0÷0は0だと考えた(後で見るように、これは間違っている)。そして、1÷0は……何だと考えたのか、実はわからない。何しろ、ブラフマグプタの言っていることは大した意味がないから。要するに、ブラフマグプタは、手を振って、問題が消え去ってくれるよう願っていたのだ。
 ブラフマグプタの誤りは、それほど長続きはしなかった。やがてインド人は、1÷0が無限大であることに気づいた。「ゼロを分母とする分数は、無限量と名づけられる」と、12世紀のインドの数学者、バスカラは書いている。バスカラは1÷0に数を加えると、どうなるかを語っている。「多くを足しても引いても、何の変化もない。無限にして不変の神のなかでは何の変化も起こらない」
 神は見いだされた。無限大のなかに。そしてゼロのなかに。

 よき問いはよき答えそのものだ。偉大なる問いが人類の知性を開拓してきた。ゼロは無限に変貌した。100という数字の00は、99.999……を示している。おわかりだろうか? 小数点以下の999……が無限に続いているのだ。ゼロは無であると同時に無限となった。それはそのまま「空」(くう)の概念をも意味した。

数字のゼロが持つ意味/『人間ブッダ』田上太秀

 アリストテレスはまだ教会をしっかり支配していて、どんなに優れた思想家も、無限に大きなもの、無限に小さなもの、無を斥けた。13世紀に十字軍が終わっても、聖トマス・アクイナスは、神が無限なるものをつくるなどというのは、学のある馬をつくるようなもので、そんなことはありえないと言い放った。しかし、だからといって、神が全能でないわけではなかった。神が全能でないという考えは、キリスト教神学で御法度だった。

 西洋で無限が認められるのは神だけであった。キリスト教は啓典宗教なのでテキスト絶対主義である。断固たる教条主義であり、神以外の権威を認めない。ゼロを否定したせいで、西洋の学問は大幅に後(おく)れを取る。元々十字軍(1096年)以前は中東の方が先進的であった。

 教会はさらに数百年アリストテレスにしがみつきつづけるのだが、アリストテレスの没落と、無と無限の台頭は明らかにはじまっていた。ゼロが西洋世界に到来するのに好都合な時代だった。12世紀半ば、アルフワリズミの Al-jabr の最初の翻訳がスペイン、イングランド、ヨーロッパのその他の地域に入ってきていた。ゼロは迫ってきていたのであり、教会がアリストテレス哲学の足かせを断ち切るとすぐに登場した。

 つまり端的にいってしまえば、教会とアリストテレスが西洋世界を作り上げたわけだ。数学世界ではゼロが風穴を開けたわけだが、今も尚両者の呪縛は随所に見られる。2000年に及ぶ緊縛プレイだ。

 ゼロは無限だ。だから資産がゼロでも嘆くな。



ゼロ

2011-07-01

R・ブルトマン


 1冊読了。

 44冊目『イエス』R・ブルトマン:川端純四郎、八木誠一訳(未來社、1963年)/序盤を乗り切れば後は何とかなる。凄まじいロジックだ。純粋教条主義、あるいは疾風怒濤原理主義ともいうべきか。これでルター派というのだから、カルヴァン派との違いが全くわからなくなった。岸田秀がキリスト教のことを「強迫神経症」と指摘しているが、本書を読めば病理を実感できる。啓典宗教はテキスト絶対主義を旨とする。神という存在が人智を超えたところに位置するため、これを信じさせるためには抑圧概念を作成するしかない。すなわち聖書とは服従のルールを絶対化したものである。人間は抑圧されると攻撃的になる。神に従う彼らが有色人種を奴隷にしたのも頷けよう。あいつらは神の代理人なのだ。異民族を殺戮することは神の命令であった。十字軍、魔女狩り、アメリカ先住民殺戮、ベトナム戦争などに共通している。