2011-08-04

美と暴力、昂奮と残虐


 放置していたtumblrを復活させてからというもの、ウェブ上の画像を数千枚見てきた。そして今日、この写真に辿り着いた。

 私は凍りついた。フォルムと色彩の美しさに。昂奮と残虐が交錯する瞬間に。写真の外側を埋め尽くす人々の欲望に。

 美と暴力は男女の象徴性だ。格闘技のリングには必ず美女が用意される。我々は美を求め、力を欲してやまない。

 罪のない動物が人間の手によって闘わされる。シャッター音は観客の固唾(かたず)と共に呑み込まれたことだろう。なけなしの金を全部賭けている連中だっているはずだ。

 闘鶏は私だ。上司の前では平身低頭しながら一言も抗弁できない私だ。公の場で狼藉を働く若者を注意できない私だ。女房から蔑まれ、子供からは愛想を尽かされた私だ。「いつかケリをつけてやる」と思いながら、勝負を先延ばしにし続ける私だ。

 戦意を20年前に喪失した私は、本当の自分を闘鶏にダブらせる。なりたくてもなれなかった己の姿を投影する。「中途半端に生きるくらいなら、死んだ方がましさ」とさえ思う。

 そんな嘘にまみれた空間でニワトリは闘う。二羽の間に嘘はない。トサカが焔(ほのお)のように燃え盛り、血しぶきのように撥(は)ねている。

 そして我々はニワトリ以下の日常に舞い戻るのだ。

cockfight
(Cockfight : Taken by Jan Sochor.)

闘鶏

自由と不自由


 寝たきりの老人が不自由に見えるのに、這(は)うこともできない赤ん坊が自由に見えるのはなぜか? 植物状態の人が不自由だと、どうして決めつけることができるのか? 自由に動けるのに不自由な人が多いのはなぜか? 相対的自由と絶対的自由。真の自由は、束縛からの自由でもなく不足からの自由でもない。

果断即決が斎藤秀三郎の信条


 ・若き斎藤秀三郎
 ・超一流の価値観は常識を飛び越える
 ・「学校へ出たら斃(たお)れるまでは決して休むな」
 ・戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」
 ・果断即決が斎藤秀三郎の信条
 ・斎藤秀雄の厳しさ

『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』民主音楽協会編

 家に帰って斎藤はさっそく書生を通して父と話し合う約束をとりつけた。
「ドイツに音楽の勉強に行きたいのです」
「ああ、いいだろう」
 ものの10分しないうちに秀雄の留学は決まった。
 音楽は男子がするものではないといった風潮の時代である。斎藤家の総領である秀雄の寝耳に水のような音楽留学の申し出を、あっけなく秀三郎が認めたなどということは、「果断即決が先生の信条」と納得していた弟子筋の人々にとっても驚嘆以外のなにものでもなかった。

【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】


嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)

石井美千子「昭和のこどもたち」


公式サイト
「昭和のこどもたち 石井美千子人形展」を見て

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昭和のこどもたちわれら腕白小僧―昭和のこどもたち (Shotor Museum)

2011-08-03

アフマド・シャー・マスードの思い出


アフマド・シャー・マスードの思い出(スライドショー)
アフガンの英雄アフマド・シャー・マスード/『マスードの戦い』長倉洋海

 マスードはアフガニスタンを民主化に導こうとしていた。もう少しで手が掛かりそうになったその時、彼は暗殺された。9.11テロの2日前のことだった。米国がアフガニスタンと戦争をするためには彼の存在が邪魔だったのだろう。パンジシールの獅子はメディア関係者を装ったテロリストに殺害された。

 大の読書家で、1997年時には、寝る間も惜しみ読書に時間を割いていたため、1日の睡眠時間はおよそ2時間程度だった。1996年のタリバーンの攻勢により、事前に首都から撤退したが、その際マスードは約3000冊の蔵書を持ち出している。持ち出した蔵書は実家のゲストハウスの廊下に山のように積み上げられていた。その読書に対する執着ぶりは、夜間、発電機が止まり、あたりが暗くなっても胸からペンライトを取り出し、何事もなかったかのように読書を続けるほどであったという。(Wikipedia

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マスード 愛しの大地アフガン ぼくが見てきた戦争と平和

獅子と呼ばれた男―アフガニスタンからの至急報スリー・カップス・オブ・ティー

伝統と調和