2011-11-10

戦争があっても学問の火を絶やさなかった慶應義塾/『新訂 福翁自伝』 福澤諭吉


 新銭座の塾は幸いに兵火のために焼けもせず、教場もどうやらこうやら整理したが、世間はなかなか喧しい。明治元年の五月、上野に大戦争(彰義隊)が始まって、その前後は江戸市中の芝居も寄席も見せ物も料理茶屋も皆休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほどの混乱なれども、私はその戦争の日も塾の課業を罷(や)めない。上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済(エコノミー)の講釈をしていました。

【『新訂 福翁自伝』福澤諭吉:富田正文校訂(岩波文庫、1978年)】

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(経王寺山門の銃痕。上野戦争時に彰義隊士をかくまい、新政府軍から攻撃を受けた際のものという)

 4月に「慶應義塾」と命名したばかりであった。正確には慶応4年である。元号が明治になったのは9月8日のこと。鉄砲玉が飛んでこなくても砲声は聞こえたことだろう。銃火は一時(いっとき)のものであるが、学問の火には永続性がある。学ぶことは、そのまま国をつくることに通じていた。映画『HERO/英雄』に同様の場面がある。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)福翁自伝 (講談社学術文庫)新版 福翁自伝 (角川ソフィア文庫)福翁自伝

文明の火 福澤諭吉・ウェーランド経済書講述記念日

ヘレン・トーマス「米大統領とイスラエル」


Wikipedia
報道のファーストレディ 怒りのインタビュー
ヘレン・トーマス記者の引退記事の作法

2011-11-09

ほんの少しの便利

年中無休、24時間営業。ほんの少しの便利のために、多くの人が命を削っている国、日本。
Nov 25 10 via Keitai WebFavoriteRetweetReply

なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3


なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3

よりよい未来を建設するには

 2010年にハイチが直面した切実な課題は、100億ドルの援助をどうすれば社会を変貌させる復興と再建に生かせるかという点にあった。「かつてよりもよい状態へ再建する」。これが復興のキャッチフレーズになった。その任務は気も萎えんばかりに大きかったが、特に複雑なことではなかった。人々をより地震の影響を受けにくいところで生活させ、この地域で雇用を創出し、社会サービスを提供する。これが基本だった。

 これは本質的に新しい町を作ることを意味した。第1段階で住宅とインフラを建設する。このプロセスにおいて建設関連の雇用が創出される。第2段階で、建設需要による一時的雇用を、より持続的な雇用へと進化させていく。例えば、特恵的アクセスを認められている米市場向けの軽工業製品の生産工場を誘致すれば、持続的雇用が創出される。その結果、都市が成長していく。都市の成長は、経済開発が成功していることを示す大きな特徴であり、100億ドルの初期投資で、この流れを大きく刺激できたはずだった。

 だが、より基本的な問題は、こうした流れを作り出す意思決定構造が存在するかどうかだ。ハイチ政府も、NGOも開発機関もこの点では有望ではない。状況が慢性的ではあっても急性ではない(ハイチよりはましな)国においてさえ、このジレンマに遭遇することはよくあるが、それが解決されることは滅多にない。アウトサイダーも、こうした現状に正面から取り組むのを尻込みする。

 こうして、援助の拠出国は、怒りを禁じ得ない現実には目を向けずに、政府を迂回して直接NGOに資金を提供するか、援助そのものを打ち切る場合もある。ハイチでの慢性疾患を抱えるなかでの急性疾患は、この現実をさけられないものにした。

 この状況に対処するために、弱体国家でのモデルとできるような革新的な制度が考案された。ハイチ政府と国際コミュニティが共同運営する暫定ハイチ復興委員会(IHRC)だ。この委員会は一時的ながらも、独自に決断を下す権限を持っていた。この委員会には二人の指導者がいた。一人は、計画相を務めた経験のあるベルリーブ首相。もう一人が、この国に長期的に関わってきたことが現地で評価されているビル・クリントン元米大統領だ。

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 IHRCは、機能不全状況を打開するために立ち上げられ、拠出国に対しては何に資金を提供すべきか、NGOに対しては何をすべきかを指示し、政府に代わって采配をふるった。このような国際委員会が依然としてハイチには不可欠だ。もちろん、長期的には、この委員会は完全にハイチ人によって運営されるものへと進化させていかなければならない。

 予想された通り、IHRCは多くの敵を作り出すことになった。ハイチ政府はIHRCと調子を合わせたが、委員会との協力には必ずしも積極的ではなかった。政府の役人たちはIHRCのことを「自分たちの権限、そして略奪の機会を摘み取る脅威」とみなし、「委員会はハイチの主権を侵している」と公然と批判した。だが、役人が状況に不満を抱くのは理解できるとしても、こうした主張は不当だった。

 ハイチ政府とは違って再建に真剣に取り組んだルワンダ政府は、この点を理解していた。ルワンダの役人たちは、拠出国に対して、財政政策面での権限を共有して欲しいと申し入れた。拠出国を安心させ、彼らに一部責任を担わせることで、ルワンダ政府は次第に拠出国にとって援助を提供しやすい環境を整備していった。

 一方、IHRCがハイチで直面したのは、省庁の反発だけではなかった。国際的援助機関やNGOも、委員会の存在を「説明責任を負わない自分たちに対する脅威」とみなした。彼らの反対によって委員会の立ち上げは遅れ、あらゆる局面で障害が作り出された。この状況からみれば、IHRCを立ち上げたことそのものが妥当だったのかと問われても不思議はない。これにどう答えるかはIHRCのパフォーマンスに左右されるし、瓦礫の撤去がどの程度進んだかがパフォーマンスを判断するための単純な指標になる。

 ファーマーが言うように、「瓦礫の撤去こそもっとも切実で明快な優先課題」だが、現実には撤去はほとんど進んでいない。建設関連のNGOは切実な使命感を持ってこの課題に取り組もうと、巨大な瓦礫粉砕のための機材を現地に持ち込もうとしたが、これがハイチの税関で5ヶ月間も足止めされた。クリアランスが遅れたのは税関業務の怠慢のためではない。公益を無視して機材の持ち込みを阻止しようとハイチの国内勢力がロビイングを展開したからだ。

 瓦礫を撤去できたところには、新しい家を建てる必要があるが、現在も人々はテントで暮らしている。この領域での主要な障害は物質的なものではなく、法律領域にあった。土地名義をめぐる未解決の論争ゆえに、住宅建設を進められなかったのだ。

Deceased Quake Victims Left at Entrance of Port-au-Prince Morgue

 すべての領域の行動が利益団体の略奪的な動きによって妨げられ、この手詰まり状況を前に人々はシニシズムに陥っていった。唯一の解決策は、決意に満ちた権限を確立することだった。だが、IHRCはこれまでのところハイチの主権を乱用するどころか、過度に慎重になりすぎているようだ。

 とはいえ、この国にそうした意思決定構造が必要なことをIHRCは十分に立証している。すでにIHRCは世界有数のアパレルメーカーをハイチに誘致することに成功し、この企業は、地震ゾーンから離れた北東の沿岸部に建設される予定の新しい都市で2万の雇用を創出すると約束している。

 誘致と投資を成立させるにはきめ細かな調整が必要だった。例えば、都市と工場のインフラ整備のために資金を出すように援助拠出国を説得する必要があった。ハイチからのアパレル輸出をめぐる米市場へのアクセス改善に向けて米議会も説得しなければならなかった。ハイチ政府も、必要とされる許認可を出すとともに、規制枠組みを整備する必要が出てきた。地震の余波のなか、コレラが流行し、問題の多い選挙が行なわれるという困難な環境下で、プロジェクトのための投資を取り付けたのは、IHRCの非常に大きな成果とみなせよう。

 これこそハイチがまさに必要としていたプロジェクトだった。しかし、予想通り、感情的なNGOは「アパレル工場は環境を破壊する」と主張して、プロジェクトに反対した。ファーマーは「ハイチでのプロジェクトにはそれこそ数えるのがいやになるほど多くの批判が寄せられる」とこぼしている。

The Dead pile up at the Local Morgue

 ハイチが弱体な国家のままであっていいはずはない。この国は、よい近隣諸国と平和と繁栄に取り込まれている。近隣には軽工業製品を輸出できる広大な北米市場があるし、マンゴーなど栽培食物の輸出、ツーリズムなど、この国は数多くの機会に恵まれている。「慢性疾患を抱えるなかの急性症状」が引き起こした混乱に対処していくには、IHRCは適切なメカニズムだ。大規模な外国資金を必要としているものの、それをうまく管理できるシステムが存在しないからだ。IHRCがその機能を果たせる。

 5月にミシェル・マテリ大統領率いる新政府が誕生している以上、IHRCの権限を見直す必要はあるが、ハイチのポテンシャルを生かす政策決定のための政治的敷石がついに完成した。このメカニズムが動き出せば、統治エリートたちは略奪の機会よりも、経済的進展の機会を重視するようになり、いずれIHRCと権限を分かち合う時代が終わりに近づいていると感じる時がやってくるだろう。

 大地震は世界の関心を集め、ハイチへの大規模な援助が表明された。だが地震から時間が経つにつれて、世界の関心は薄れ始めている。ハイチの大きな悲劇に世界の関心を再び集めるであろうファーマーの熱い思いに満ちた著作は、国際社会に支援の約束を果たさせる助けになるだろう。

【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実国境を越えた医師―Mountains Beyond Mountains (小プロブックス)他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2


なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3

統治の空白と国際援助のジレンマ

 なぜ地震がかくも甚大な被害を与えたのだろうか。それは、地震が起きる前からハイチの統治が破綻していたからだ。ハイチ地震から数週間後にさらに大きな地震がチリを襲ったが、現地の建築基準がしっかりしていたおかげで、ハイチよりもはるかに小さなダメージで済んでいる。ハイチにおける脆弱な統治は、被害を大きくしただけでなく、救済・復興対策への大きな障害となっている。

 地震が起きる前から、社会の必要性を満たせていなかったハイチ政府は、地震によって社会サービスの必要性が爆発的に増大するという事態を前に、わずかに残されていた対応能力さえも失ってしまった。さらに悪いことに、選挙を控えていたために、政治、統治の機能不全はますますひどくなった。地震後の一年間は復興と再建がテーマとされるべきだったが、そうはならなかった。政治腐敗にまみれ、しかも長期化した大統領選挙の影響を引きずり、市民の政府への不信感はますます大きくなった。

 ハイチの統治制度は事実上破綻していたし、現地が必要とする支援の内容と規模からみて、唯一の選択肢は国際支援だった。しかし、これも克服し難い障害に遭遇した。

 ファーマーは、ハイチ政府が破綻したそもそもの原因は、植民地時代におけるフランス、その後のアメリカによる外部からの有害な介入だったと主張している。最近もアメリカは、事実関係のはっきりしない2004年のアリスティド大統領の追放劇に関与している。

Haiti Earthquake 2010

 民主的に選出されたポピュリスト政治家で、貧困層に多くの支持者を持っていたアリスティドは、ギャングが関係していた反乱によってポストを追われた。アリスティドはこの時以来、「介入のせいで自分はポストを失った」とアメリカの介入を批判している。このため、歴史的にも最近の出来事からも、ハイチ人は外国の介入に大きな猜疑心を持っており、これが人道支援にとっての大きな障害を作り出している。 

 支援の必要性は明らかに存在したが、政府が機能不全に陥っていたために、現地は、NGOにとって非常に活動しにくい環境にあった。

 地震が起きる前の段階でも、ハイチではNGOのスタッフ約1万人が活動していた。その一つを運営していたファーマーは、NGOが全般的に政府を迂回して活動していることに批判的だ。

 ファーマーも「政府の役人にはNGOの仕事を監督したり調整したりする能力はなく、NGO間の活動をどう調整するかが医療を提供する上での最大の課題の一つになっていること」と政府側に問題があることは認めている。だが、彼が言うように、問題はハイチの終わりのない膨大な必要性がNGOの対応能力をはるかに超えていることだ。子供の半分が学校に通っていないという問題をNGOが解決するのはどうみても不可能だ。

 だが、NGOの活動が政府の機能不全をさらにひどくしているのも事実だ。NGOは現地の優秀な人材を根こそぎ雇い入れ、教育領域では政府よりもNGOが大きなプレゼンスを持っている。この状況で、政府に対して社会サービスを提供するように求める圧力が作り出されることはない。NGOが政府に代わって社会サービスを提供しているようなものだからだ。

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ルワンダとハイチの違い

「効率のない国家をよりよい存在へと変えていくこと」と「さらに国家を形骸化させないようにすること」の間の矛盾と緊張は、ハイチのような脆弱な国家に介入する外部アクターがよく直面するジレンマだ。だが、地震がハイチの慢性的問題を急性の問題へと変化させたために、このジレンマはさらに大きくなった。

 地震に見舞われたハイチへの大きな同情と連帯を示した国際社会は、救済と復興のために総額100億ドル規模のハイチへの援助を約束した。

 だが拠出国は、腐敗まみれのハイチ政府に対する不信ゆえに援助資金を政府に渡すことを嫌がった。この点をめぐって、社会的混乱から復興への好ましいモデルとしてファーマーが思い描いているのはルワンダのケースだ。(現在ファーマーが活動している)ルワンダでは、1994年に大虐殺が起きた後、国際社会による援助によって効率ある国家の樹立が後押しされた。

 ルワンダでの課題は非常に大きく、現地の壊滅的事態はハイチよりも悲惨で、開発に向けた機会も乏しかった。だが、政治エリートの質という側面でルワンダとハイチは大きく違っていた。1994年以降、ルワンダを率いてきたのは、利益供与や政治腐敗を退け、職務に忠実で能力のある官僚たちだった。対照的に、ハイチ政府のエリートは腐敗にまみれ、カネでポストを手に入れることも日常的だった。ファーマーが指摘していないのは、援助拠出国がもっとハイチ政府を支援していれば、盗み出せるものが多くなる分、ますます腐敗が深刻になっていたと考えられることだ。

 政府が機能不全に陥っている原因を、悪意に満ちた外部勢力の介入に求めるファーマーの立場は間違ってはいない。しかし、だからといって、援助を提供する側がハイチの政治システムを信用しさえすれば、すべてがうまくいくことにはならない。

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 もちろん、私よりもファーマーのほうがハイチのことをよく理解している。だが、前首相で市民社会活動家のミシェル・ピエールルイを含む、私が尊敬するハイチの改革主義者たちは、ファーマーとは逆の処方箋を示している。「変化は内側からだけでは実現できない」と彼らは考えている。悪意に満ちた外部勢力の介入が、ハイチを機能不全へと追い込んだのかもしれないし、その結果、友好的な介入さえも難しくなっているのは事実だろう。しかし、外部アクターの介入が必要とされているのも間違いない。

 ハイチ政府に資金を提供するのを援助拠出国がためらうのは無理もない。どうみても、政府は救済や復興を管理していく能力を持っていない。ハイチ政府に巨額の援助を与えれば、石油資源が発見された弱体な国家でよくみられる、援助を政治的支持に置き換える動きを刺激することになる。

 だが、他の選択肢はもっと魅力に欠ける。この場合、ハイチ社会とは接点を持たない援助組織やNGOがばらばらに活動することを意味する。問題は、援助組織やNGOにとってこの状況が非常に魅力的なことだ。これを裏付けるように、地震後の活動の必要性、メディアでの露出、そして資金流入の組み合わせによって、現地で活動するNGOの数は5000へと膨れあがっている。地震前にも、NGOがハイチ全土で展開した無意味なプロジェクトの残骸が数多くある。その象徴としてファーマーは、3000万ドルの資金を要して建設され、いまは放棄されている風車の存在を指摘している。

【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実国境を越えた医師―Mountains Beyond Mountains (小プロブックス)他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る