2012-11-27

文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊


 表現のなかで、人間がいちばん惹(ひ)かれるのは、その文体、スタイルである。人間を好きになる場合でも、その人のスタイルを好きになるのだ。どう生きているか、といった対他的、対社会的スタイルに共鳴するかしないか、である。

【『書く 言葉・文字・書』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(中公新書、2009年)】

 挫折本である。読書日記に書くのも忘れていた。多分今年の1月に読んだと記憶する。石川の頑(かたく)なさが、どうも肌に合わない。書字にこだわって主張が勝ちすぎている。相手の話に耳を傾けるゆとりが感じられない。文章は神経質で生硬さを帯び、『一日一書』のような軽やかさに欠ける。主張をすればするほど人間の幅が狭く見えてくる。

 それでも尚、この一文は光っている。私の内側でモヤモヤとした疑問が立ちどころに形をなして、そのまま氷解した。我々が物語に感動するのはストーリーや構成よりも、文体や語り口によるところが大きいのだろう。

歴史とは文体(スタイル)の積畳である」とまで石川は言い切っている。

人間の表出と表現の積畳が歴史

「生の本質は反応である」という我が持論からすれば、「反応は常に表現的である」と導かれる。これは意図や演出があろうとなかろうと、相手の瞳には「表現」と映ることを意味する。

 こう書くと何だか小難しい話に聞こえるかもしれないが、好きなヒーローやヒロインを思い浮かべると腑に落ちる。例えばロバート・B・パーカーが描くスペンサー、例えば私が敬愛してやまないアフマド・シャー・マスード鹿野武一〈かの・ぶいち〉など。そのスタイルを我々は「生きざま」と呼ぶのだ。

「ざま=様、態」とは「さま」が訛(なま)った言葉で、その意味は次の通りだ。「1.物事や人のありさま。ようす。状態。 2.姿かたち。かっこう。 3.方法。手段。 4.理由。事情。いきさつ。 5.おもむき。趣向。体裁」(「大辞林」による)。

 つまり「物」ではなく「事」である。固定ではなく変化。単独ではなく関係性。

 思考や性格を支えているのも多分文体である。石川の指摘はそれほど深い。


香る言葉/『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ
思想する体/『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
「自己」という幻想/『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』ローン・フランク

トマ・サンカラ 清廉の士


 ドキュメンタリー。2006年、フランス。アフリカのチェ・ゲバラと呼ばれる革命家トマ・サンカラの功績。








サンカラとブルキナ・ファッソ(1)
サンカラとブルキナ・ファッソ(2)
サンカラとブルキナ・ファッソ(3)
ブレーズ・コンパオレはトマ・サンカラを暗殺して大統領となった
革命家を殺すことはできても、その思想までは殺すことはできない~トーマス・サンカラを記念して
「アフリカの革命政権再考 : トマ・サンカラが遺したもの」岩田拓夫

シリア情勢 ティエリ・メサン 2012年6月12日

ロジェ・ガロディ「新世界無秩序とイスラエル」


 フランスの政治家、哲学者ロジェ・ガロディ(1913-2012)の講演。1996年。



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偽イスラエル政治神話

白水Uブックスのamazon評価レビュー順


白水Uブックス

 実は白水Uブックスを殆ど読んでいない。10冊も読んでないはずだ。今更ながらそんなことに気づいたので、少しずつ読んでみようかしらと思った次第である。白水社はあまり広告も見かけないので援護射撃したい。

2012-11-26

柿の木


 確固たる視点が迷いのないアングルを切り取る。枝のうねりと柿の実のバランスが力強い生命力を見事に捉えている。フィルターで着色することなく実の色をありのままにしているのも好ましい。侘び寂びがわかっているのだろう。gherm氏の写真はどれを見ても安定感がある。

Kaki no ki