・光は年をとらない/『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン
・宇宙定数はアインシュタインの生涯最大の過ち/『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン
・ブライアン・グリーン
来るべき世界についての陽気な予言として、1960年5月6日に『セールス・マネジメント』誌の編集者は次のように断言した。
「もしわれわれアメリカ人が、オートメーション化した工場、販売促進、それに広告の一斉射撃が押しつけるものを全部買って消費するとしたら、われわれは皆、よぶんの収入だけではなく、よぶんな耳と目と、その他の感覚器官を持たなければならない。実際すべての要求に応ずる唯一の確実な方法は、スーパー消費者とでもいった、まったく新しい人種をつくり出す以外にないだろう。」
消費は上昇しなければならない。そうしてその上昇が続かなければならない。マーケティングの新しい専門家たちは、平均的な市民が、これからの十何年間に、いまよりも5割近く購買をふやさなければ、経済はだめになるだろうと言ってきた。わずか10年のあいだに、アメリカ市民は、消費のレベルを彼らの先祖たちが、植民地時代やら1939年までの200年間に行なってきたと同じ分量まで上げなければならないというのが、宣伝マンの言い分なのである。
【『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード:南博、石川弘義訳(ダイヤモンド社、1961年/原書、1960年)以下同】
アメリカ経済への刺激という点で、さらに大規模で決定的なのは、国防予算である。それは年間500億ドル近くになっている。国民の総生産高の10分の1に達して、アメリカ上院議員の多数は、彼らの州にある軍事基地、大きな航空機とミサイル製造の契約事業、海軍兵器廠を保護するようにと、強い圧力をかけられて、少しでも予算が削られると、議員のなかには、地位を失ない、その地方の産業が損失をこうむるということも出てくる。
アイゼンハワー大統領は、記者会見で、後退を防ぐために、国民はなにをすべきかを質問されたことがあったが、そのときの会話のやりとりは次のようである。
答「買うことだ」問「なにを買うのですか」答「どんなものでも」
飽和状態が強まってくるさなかで、売上高をさらに高める方法を探しているマーケティングの専門家たちは、消費者の一人一人が、いままで買ってきた製品をもっと多量に買わせなければならないということに、まず気がついた。
多くのペースト入れには、蓋の内側にブラシがついている。そうしてそのブラシは、底に届くには半インチほど足りない。つまり、どんなに苦心しても、底のほうに残っているペーストには届かないというわけである。こうした何百万という「空になった」ペースト入れが、まだスプーン何杯分か残っていながら、捨てられてしまうのである。同様に口紅は、全部使えないようにできているので、チューブに半インチくらい残ったまま、何百万の「使ってしまった」チューブが捨てられることになる。
「計画的な廃物化」ということに、近ごろ多くの実業家が、魅力を感ずるということは、戦後の大きな動きの一つである。製品の形や、消費者の態度に影響を与える戦略の一つとして使われる、この計画的な廃物化は、投げ捨て精神のエッセンスである。
ここでわれわれは現代のマーケティングの実際を検討するという見地から、この状況をよく精密に分析するために、製品が廃物にされる、三つのやり方を区別することにしたい。
機能の廃物化――よりよい機能をもった、新しい製品が導入されて、現在の製品が流行おくれになる場合。
品質の廃物化――比較的短い時期に、ある時点で、製品がこわれるか、あるいは消耗してしまうように計画する。
欲望の廃物化――品質、あるいは機能の点で、まだ健全な製品が、スタイルその他の変化のために、心理的にそれ以上望まれないものとして「古くなる」。
「すべてのファッションは極端に終る」というポアレーの法則(後略)
感性の磨耗ということに石原ほどに抵抗した者も少なかろう。
【『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介〈うちむら・ごうすけ〉(思潮社、1979年)以下同】
希望が一切持てないにもかかわらず、なお他の精神をいたずらにそこなうようなことだけはさしひかえようとして沈黙する者がある。雄々しくみずから耐えることを強いるのである。彼は沈黙し耐えることによって絶望を拒否する。この沈黙は屈従ではない。迎合という名の屈従を拒むものが彼のうちにあって、それを支えとして沈黙し、絶望と格闘するのである。希望がないというだけではまだ絶望ではない。耐える力を、みずからのうちのこの支柱を失ったときはじめて絶望が訪れる。それまでは、その瞬間までは、私たちは耐えなければならない。むろん他に対してでなく自分自身に対して耐えるのである。
感覚という門がある。快楽に固執=記憶の強化=自我への執着という公式が成り立つ。本能が司っていた快不快が、現代では情報に支配されている。社会化=ネットワーク化に潜む罠。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 8, 2011
私の中を感覚の川が走っている。刺激を感受し、快不快を想い、意志を行使し、認識・識別する。これを五蘊(ごうん)という。五蘊が仮に和合した状態が「私」なのだ。川を運ぶことはできない。なぜなら川に実体はないからだ。ただ川という現象があるだけだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 20, 2011
快不快への執着が自我の正体。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 3, 2011
ジョー・オダネルの子息タイグ・オダネルのflickr。/Flickr: The Phoenix Venture's Photostream http://t.co/zW6JsXIwcM
— 小野不一 (@fuitsuono) September 6, 2013