2014-01-13

まざまざと蘇る記憶/「メロディー」玉置浩二


 昔は何とも思わなかった歌が、突然心を揺さぶることがある。

 例えばJ-WALKの「何も言えなくて…夏」。ヒットした当時は鼻にもかけなかった。ところが数年前に聴いた時、「時がいつか 二人をまた/初めて会った あの日のように導くのなら」というワンフレーズに私の心は激しい反応を示した。

 わかっている。ただ単に自分の経験と歌詞が偶然マッチしただけであることは。だがメロディーが感情を増幅してやまない。




 この歌もそうだ。

 あの頃は なにもなくて
 それだって 楽しくやったよ
 メロディー 泣きながら
 ぼくたちは 幸せを 見つめてたよ

 確かにそうだった。あの頃は……。胸を刺す痛み。取り返しのつかない悔い。今流れる別々の時間。

 数々の場面がフラッシュバックしては消え去る。思い出されるのは楽しいことばかりだ。

 ありがとう。ごめん。またな。

田園 KOJI TAMAKI

日本に真のジャーナリズムは存在しない/『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝、藤原肇


『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇

 ・強靭なロジック
 ・日本に真のジャーナリズムは存在しない

『藤原肇対談集 賢く生きる』藤原肇

正慶●メディアが社会を支配するメディアクラシーも進んでいます。したがって、コマーシャリズムとセンセーショナリズムに支配されるマスメディアが改まらない限り、日本に福音はもたらされないような気がします。

藤原●しかも、日本の場合、新聞社がテレビを支配する構造になっています。本来、新聞とテレビはまったく異質の媒体だから、それぞれ独立した形であるべきですが、日本はテレビ局が新聞社の天下り先になっている。こんな構造がまかり通っている間は、日本に真のジャーナリズムは存在しないと言えます。

【『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝〈しょうけい・たかし〉、藤原肇(清流出版、2003年)】

 ジャーナリストやアナウンサーがもてはやされる時代は嘆かわしい。メディアへの露出度が権威と化した時代なのだろう。テレビに「ものを作っている」ような顔つきをされると片腹が痛くなる。お前さんたちは単なる加工業者にすぎない。

 報道とは世の中の出来事を知らしめることであるが、「道」の字に込められた願いはかなえられているだろうか? 報道は偏向することを避けられない。なぜなら観測者は複数の位置に立つことができないからだ。ところが昨今のジャーナリストは少々の取材で「すべてを知った」つもりになっている。まるで神だ。

 権力を監視する役割を担うマスコミが既に第四の権力と化している。テレビは許認可事業で広告収入によって支えられている。当然のように政治家・官僚&業界とは持ちつ持たれつの関係となる。そしてテレビはあらゆる人々をタレント化する。最も成功したのは小泉元首相であろう。繰り出されるワン・フレーズはあたかも優れた一発芸のようであった。多くの視聴者が求めているのは事実でもなければ真実でもない。単なる刺激だ。我々は強い反応を求める。そう。涎(よだれ)を催すベルが欲しいのだ(パブロフの犬)。

 マスメディアは改まることがない。もちろん我々もだ。幸福とは十分な量のパンとサーカスを意味するのだから。

「真のジャーナリズム」を求めるところに依存が生じる。むしろ「ものを見る確かな眼」を身につけながら、情報リテラシーを磨くべきだろう。

 存在しないのはそれだけではない。真の政治家もいなければ、真の教育者もいなければ、真の宗教家もいない。真の奴隷は存在するようだが。



立花隆氏の基調講演(1)テーマ「ジャーナリズムの危機」
時代に適した変化が求められるジャーナリズム

2014-01-12

今、一番大きなバブルは、日本円の購買力

2014-01-11

無学であることは愚かを意味しない/『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン


現実の入り混じったフィクション
・無学であることは愚かを意味しない

 バター茶が運ばれてくると、ハジ・アリが口を開いた。
「ここでうまくやっていきたいとお思いなら、我々のやり方を重んじてくだされ」お茶に息を吹きかけながら言った。
「バルティ族の人間と初めていっしょにお茶を飲むとき、その人はまだよそ者だ。2杯目のお茶を飲む。尊敬すべき友人となる。3杯目のお茶をわかちあう。そうすれば家族の一員となる。家族のためには、我々はどんなことでもする。命だって捨てる。グレッグ先生、3杯のお茶をわかちあうまで、じっくりと時間をかけることだ」
 温かい手を僕の手に重ねた。
「たしかに、我々は無学かもしれん。だが、愚かではない。この地で長いこと生きのびてきたのだから」

 この日、ハジ・アリは僕の人生の中でいちばん大切なことを教えてくれた。

【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)】

 何となくわかったつもりになっていた副題がここでストンと腑に落ちる。バルティ族はパキスタンの最北西部に住む部族で元々はチベット領であった。過酷な風土が人間に奥行きを与えるのだろうか。優しさの中に哲学性が光る言葉だ。

 無学であることは愚かを意味しない。無学は事実にすぎない。恥ずべきは愚かである。

 そして焦りがよい結果をもたらすことはまずない。魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけるサザエさんは確実に怪我をする。また短期間でつくり上げた建築物は短期間で崩壊するというのが歴史の鉄則だ。

 アレクサンドル・デュマは『モンテ・クリスト伯』の結末に「待て、しかして希望せよ!」と書いた。エドモン・ダンテスは無実の罪で14年もの間、監獄でただひたすら復讐の時を待った。ダンテス青年の不屈を黒岩涙香〈くろいわ・るいこう〉は『岩窟王』と訳した。

 人生には必ず不運や不遇がつきまとう。じたばたしたところで上手くゆくことはない。私の場合、しっかりと腰を下ろして本を読んだり、深夜の月を見上げることにしている。あるいは、ひたすら寝るという手もあるな(ニヤリ)。

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)

新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間/『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子


ハサミの値札の法則~報道機関は自分が当事者になった事件の報道はしない
・新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間

 7年も政権の座にあった佐藤に、国民はウンザリしていた。沖縄返還で延命をはかるも不人気に歯止めはかからず、7月6日、ついに佐藤内閣は退陣を表明する。退陣会見の席で彼が口にした台詞はあまりにも有名だ。
「テレビはどこにあるんだ。テレビを通じて国民に直接話をしたい。偏向的な新聞は大嫌いだ。新聞記者は出て行け」
 新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間である(ということにしよう)。

【『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子(中央公論新社、2007年)】

 7月6日は内閣総辞職をした日のようだ。私が9歳になった日でもある。もちろん記憶にない。この年の出来事で覚えているのは、グアム島で横井庄一発見・札幌冬季オリンピック千日デパート火災ミュンヘンオリンピック日中国交正常化といったところ。

佐藤栄作:退陣表明記者会見

 新聞が社会の木鐸(ぼくたく)であることをやめた年と考えてもよさそうだ。


 小田嶋隆は新聞の編集能力を評価しているが、全国紙の代わり映えしない紙面を見ると眉に唾をつけたくなる。ナベツネや橋本五郎(読売新聞特別編集委員)あたりの増長ぶりを目の当たりにすると彼らが権力にコミットしているのは明らかであろう。

 それでも今なお新聞社の人間はテレビ局の人間を小馬鹿にしている。格が違うとでも思っているのだろう。そして現在、メディアの主力はテレビからインターネットに移りつつある。

 人々は一方的に情報の受け手となることを拒み始めた。これは革命的な出来事といってよい。民主主義が実質を伴って動き出したのだから。その意味で情報の双方向性を嫌う公式サイトもやがて葬られてゆくに違いない。

 今はまだ小さな動きだがインターネットは経済にも影響を及ぼす。更に文化のスタイルさえ変えてゆくことだろう。

 SNSが台頭した後に訪れるのはネット上の階層化ではあるまいか。つまり、馬鹿を削除する何らかのシステムが生まれそうな予感を覚える。

たまには、時事ネタ

女の毒舌

世界の楽器


 不思議だ。電子音とまったく違う。楽器自体の震えが温度を伴って響いてくる。エアコンの暖気とストーブの違いと似ている。我々の日常に音楽は溢れている。だがそれは「聴くための音楽」だ。カラオケがなければ歌うことも少ない。オーディオがなくとも楽器を奏でる人々の方がずっと豊かに見える。










孔子は作詞家でもあった。もちろん自ら楽器の演奏も行った

2014-01-10

「編集手帳」のボヤき


 元日の各紙を購入するのは今年でやめようと思う。買うだけの価値がもうない。

 昨年は日本経済新聞を購読していた。経団連の機関紙といわれるだけあって提灯記事がずらりと並ぶ。株価が上がると一段と威勢がいい。一般的には経済紙と思われているがテクニカル分析がデタラメでファンダメンタルに関しても鋭さを欠く。これは日経に限ったことではないが専門性の高い記事ほどいい加減になるのが新聞の弱点と言い切ってよい。

 契約期間の途中であったが、一面コラム「春秋」が放つ腐臭に耐え切れず毎日新聞に替えてもらった。新聞記者の奢り高ぶりが行間にぎっしりと詰まっている。あれを毎日読んで平気な人は自分の感覚を疑うべきだ。それほど酷い。

 一方、読売の一面コラム「編集手帳」はここのところ文学づいている。やたらと俳句・和歌・川柳などを引用しては一人ほくそ笑む姿がありありと目に浮かぶ。1月8日付では見事に馬脚を露(あら)わした。

 コラムの執筆に得意科目や不得意科目はないが、この十余年でとくに稽古を積んだのは「ボヤき」である。景気や賃金を取り上げては、いろいろな言葉を借りてボヤいてきた。

【読売新聞 2014年1月8日付】

 コラム子(し)の本音は「原発事故をボヤく」ことにあるのではないか?

 不振に陥っていた読売新聞の経営権を買収して立て直したのは正力松太郎であった。準A級戦犯であり、戦後はCIAの手先として「原子力発電の父」となった人物だ。関東大震災(1923年)の折には警察官僚の身でありながら「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」とのデマを流した人物でもある。

正力松太郎というリトマス試験紙
原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略

 全国紙はしばらくの間、反原発デモすら意図的に報じてこなかった。それも当然だ。彼らは原子力発電を推進してきたのだから。

 原発事故の悲惨さは裁かれる人がいないことにある。そして東京電力は従来通り原発を稼働させるべく着々と前へ進んでいる。

 家族を喪った人々の悲しみは行き場をなくし、引っ越したくても引っ越せない事情を抱えた人々が放射線物質に汚染された大地に伏す。株価が上がっているとはいえ、派遣社員は苦しい生活を余儀なくされていることだろう。沖縄の米軍基地問題も揺れたままだ。

 敗戦後に抱え込んだ矛盾がありとあらゆる場所で噴火の炎を上げている。

 編集手帳はかような時にコラムとは名ばかりの文学趣味を披露し、挙げ句の果てにはボヤきに磨きをかけているのだ。私には「亡国の兆し」としか思えない。


読売新聞東京本社の新本社ビル完成