2014-01-30

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤


 インディアスに滞在した経験のない学級の徒ビトリアは、征服者フランシスコ・ピサロがアンデス山中の高原都市カハマルカで策を弄してインカ王アタワルパを捕らえ、大勢のインディオを殺戮したことや、約束どおり身代金として莫大な量の金・銀財宝を差し出したアタワルパを絞首刑に処したことを知って、ペルー征服の正当性に疑義を表明し、1539年1月にサラマンカ大学で『インディオについて』と題する特別講義を行った。ビトリアはその講義で、征服戦争の実態に関する情報を頼りに、トマス・アキナス(ママ)の理論に依拠して、ローマ教皇アレキサンデ6世の「贈与大教書」をスペイン国王によるインディアス支配を正当化する権原とみなす公式見解に異議を唱えたばかりか、当時主張されていたそれ以外の正当な権原(皇帝による譲与、先占権、自然法に背馳するインディオの罪など)をことごとく否定した。しかし、彼はそれにとどまらず、独自の「万民法理論」をもとに、新しくスペイン人による征服戦争を正当化する七つないし八つの権原を導いた。さらに、ビトリアは征服戦争の行き過ぎを防ぐために、同年6月、場所も同じサラマンカ大学で『戦争の法について』という特別講義を行った。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)以下同】

 本書によればフランシスコ・デ・ビトリアは後に「国際法の父」と謳われる人物だ。戦争とは人間の残虐さを解放する舞台装置である。殺し合いが目的なのだから、非道な残虐行為が必ず行われる。何をしようが相手を殺せばわからない。味方の国であっても信用ならない。

「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」

 ノルマンディー上陸作戦は1944年のこと。インディアン虐殺はその400年前である。人類史の大半は残酷というペンキで塗られている。

 ラス・カサスは「1502年に植民者としてエスパニョーラ島に渡航(中略)1514年にエンコメンデロの地位を放棄してインディオ養護の運動に身を捧げてから修道請願をたててドミニコ会士になるまで(1522年)、二度にわたってスペインへ帰国し、当局にインディアスの実情を訴え、その改善策を献じた。

 そのラス・カサスが1540年に帰国した(8度目の航海)。この時の報告内容が1522年に発表された『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の母胎となった。

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 不思議な時の符合である。閉ざされたキリスト世界から開かれた人間が登場したのだ。二人の存在はどのような環境に置かれようとも人間は自由になれることを教えてくれる。そして彼らが殺されなかった事実が歴史の潮目が変わったことを伝える。

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

 これが「普通の宗教的態度」であろう。信仰とは教団ヒエラルキーに額(ぬか)づいてひたすら万歳を叫ぶ行為だ。教団はサブカルチャー装置である。社会通念とは別の価値観を提供し、下位構造の中で競争原理を打ち立てる。更に教団内部でサブカルチャーを形成することで、信者に存在価値・役割・使命・生き甲斐を与えるのだ。資本無用のギブ・アンド・テイク。しかも黙っていてもお布施が入ってくるシステムだ。ああ、教祖になっておけばよかった。

目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 罰(ばつ)や罰(ばち)を持ちだして人間の罪悪感に訴える宗教には要注意。「自分こそ正しい」と思い込んでいる彼らにこそ天罰が下されるべきだ。

 ラス・カサスとビトリアの言葉が世界を変えたかどうかはわからない。ただ私を変えたことは確かだ。

2014-01-28

穀物メジャーとモンサント社/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会


なくならない飢餓
・穀物メジャーとモンサント社

『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
『タネが危ない』野口勲
 世界の食料供給は、すべてアメリカが掌握してきたといっても過言ではないだろう。従来の農業を根底から変え、「国際化」「大規模化・高収量化」「企業化」戦略を実現させた。その背景にあるのが、いわゆる“穀物メジャー”と呼ばれる多国籍企業による巨大資本だ。
 アメリカ国籍のカーギル、コンチネンタル・グレイン、オランダ国籍のブンゲ、フランス国籍のアンドレが五大穀物メジャーといわれ(現在はアメリカのADMが穀物メジャー第2位に急成長した)、全世界における穀物貿易の70~80%のシェアを握っていると推定される。オイルメジャーと並び世界経済の実質的な支配者といっていいだろう。
 日本のように食料の海外依存度が高い国にあっては、不測の事態が生じた時こそ穀物メジャーにビジネスチャンスが生まれる。
 なにしろ、自国の食糧さえ供給できれば、あとは市場で値をつり上げて売ればいい。食糧供給量が減って価格が高騰すれば、それだけ余剰利益を上げられる仕組みとなるからだ。
 こうした構造は、1954年に成立した農業貿易促進援助法(PL480号)にその萌芽を見ることができる。

【『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会(日本文芸社、2004年)以下同】

「カーギル、ブンゲ、ドレフェス、コンチネンタル、アンドレが、その五大穀物メジャーだが、カーギルを除き、すべてユダヤ系資本である」(笑う穀物メジャー。: 日本人は知ってはいけない。)。やっぱりね。ユダヤ人の世界戦略は数千年間にわたる怨念に支えられている。彼らの意趣返しを止めることは決してできない。

 以前から不思議でならないのは日本の食料自給率の低さである。きっと敗戦によって食の安全保障までアメリカに支配されているのだろう。小学校の給食でパンが出るようになったのも「アメリカの小麦戦略」であった。

 軍事・エネルギー・食糧を海外に依存しながら独立国家であり続けることは難しい。牙を抜かれた上に与えられる餌でしか生きてゆくことができないのだから。

 本書は軽薄なタイトルとは裏腹に硬骨な文体で国際情報の裏側に迫っている。

 たとえば、モンサント社はカーギル社の海外種子事業を買収するほか、アメリカ国内はもとより海外の種子企業まで軒並み買収している。市場規模ではアメリカが57億ドルとトップだが、それに次いで日本が25億ドルと、ニュービジネスに賭ける意気込みは強い。

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 アグリビジネスといえば聞こえはいいが、実際に行っているのは大掛かりなバイオテロに等しい。種の自爆テロ。穀物が実るのは一度だけ。農家は永久に種を買い続ける羽目となる。砂漠の民は自然を脅威と捉えて愛することがないのだろう。種に死を命じる発想がやがては人間にも及ぶことだろう。

 そもそも、種子市場で主要輸出国の上位3位を占めるのが、アメリカ、オランダ、フランスとくれば、いかに穀物メジャーと密接なかかわりをもつかは一目瞭然だ。これらで世界の種子輸出の53%をきっちり押さえ、複合的にビジネスが展開されていく。

 いつからだろうか。ビジネスがトレード(交換)を意味するようになったのは。右から左へ物を移して、差額分を儲けるのがビジネスだ。それを労働とは呼びたくない。かつては商いにだって志が存在したものだ。高値で売れればよしとするなら麻薬売買と変わりがない。

 遺伝子組み換え作物の開発主体が、多国籍アグリビジネスであることはもはや周知の事実。1980年台から農業や医薬部門を主力とする多国籍化学企業によるM&Aが進み、モンサント、デュポン、シンジェンダ、アベンティスの4社でシェアのほぼ100%を寡占している状態だ。

 企業はメガ化することで国家を超えた存在と化す。多国籍企業は最も法人税率の低い地域に本社を設置し、オフショアバンクを通じて国家から利益を守りぬく。彼らは租税を回避し、世界中から収奪した富をひたすら蓄え続けるのだ。彼らは飢餓をコントロールできる存在だ。

 エネルギーは少々困ったところで経済的な打撃を受けるだけである。だが食糧が絶たれれば生きてゆくことは不可能だ。その時になってから戦争を始めても遅い。

不二貿易 ちゃぶ台(幅60cm)

不二貿易 ちゃぶ台(幅60cm)

 なぜか画像が表示できない。サイズは幅60×奥行45×高さ29.5cm。ノートパソコンの架台にするのはLIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉よりもこっちの方がよさそうだ。私が使用しているキーボードの幅が50cm弱のため。

2014-01-27

クリシュナムルティ『知恵のめざめ』



知恵のめざめ―悲しみが花開いて終わるとき

なくならない飢餓/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会


 ・なくならない飢餓
 ・穀物メジャーとモンサント社

 人間一人が生きていくために必要な食料が穀物で年間約150キログラムとすると、数字の上では133億人分が確保されていることになる。
 ところが、その多くは人間のためだけではなく家畜の飼料に回され、先進国の食肉用として消費される割合が高いのが現状だ。
 その結果、生産地の国々に食料が回らず、先進国では飽食状態となる構造が生まれた。この偏在が是正されないかぎり、食料不足と飢餓人口の増大には歯止めがかけられないのだ。

【『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会(日本文芸社、2004年)】

 この状況を端的に表したのが以下の画像である。

IMF(国際通貨基金)を戯画化するとこうなる

 資本主義経済は椅子取りゲームであり、国家同士がプレイする場合には椅子の数は8脚しかない(G8)。そしてクラブに出入りできる国家も限られている(OECD)。

 胴元はFRBIMF世界銀行など。

 コモディティのメインである原油やゴールドは完全に白人が支配している。

経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
ODA(政府開発援助)はビジネスだ

 飢餓状態にある人間は学ぶことができない。反逆する意思すら持てないことだろう。彼らは乏しい糧食のためにどんな酷い仕打ちにも耐えながら生きてゆくほかない。病めば死ぬ。免疫力も抵抗力も削がれている。

 人間を奴隷という名で家畜化したのが白人の文化であり、日本は有色人種でありながらその恩恵を享受している。確かに貧富の差は拡大しているが、まだスラム化までには至っていない。

 以下のページで紹介した動画をよく見て欲しい。

暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ

 こんな世界は一度破壊しなければならない。同じような世界が再び現れるなら何度でも破壊すべきだろう。


中国人が肉を食べ始めた/『国家の自縛』佐藤優

2014-01-26

LIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉

LIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉 A7360-0 白

 大きさは、520×350×317mm。ノートパソコンの架台にする予定。外部接続するキーボードは邪魔にならないだろうが、少し高すぎるか。でも、LIHITLAB TEFFA 机上台〈590〉だと低すぎる。

高橋睦郎、宮城谷昌光、苫米地英人、今西憲之、他


 5冊挫折、5冊読了。

愚か者死すべし』原リョウ(早川書房、2004年/ハヤカワ文庫、2007年)/よもや、原リョウを挫折するとはね。主人公も気取りすぎだ。ハードボイルドをチャンドラー的修飾と勘違いしている節が窺える。しかも修飾が長すぎて文章の行方が危うくなっている。

ダック・コール』稲見一良〈いなみ・いつら〉(早川書房、1991年/ハヤカワ文庫、1994年)/美意識にあざとさがある。フィルターが強すぎて現実の姿が見えてこない。科白も冗長で説明的。フェティシズムを小説化しただけではないのか。

死をふくむ風景 私のアニミズム』岩田慶治(NHKブックス、2000年)/岩田の入門書とでもいうべき位置づけか。わかりやすいだけに総花的で散漫な内容。

カミの誕生 原始宗教』岩田慶治(淡交社、1970年『世界の宗教 第10 カミの誕生 原始宗教』/講談社学術文庫、1990年)/本格的なフィールドワーク。こちらは重すぎた。

カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治(講談社、1979年/講談社文庫、1985年)/これが一番しっくりきた。実に面白いのだが結論に感覚的跳躍があり合理性を欠く。本当に残念だが結果的に文学の域を脱していないと思われる。それでも尚、岩田のセンスは光を放つ。

 3冊目『年収が10倍アップする 超金持ち脳の作り方』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(宝島SUGOI文庫、2009年)/良書である。特に複式簿記的発想が参考にる。苫米地の著作は自我宣揚本であることに目をつぶれば問題はない。ただし本書は読む人を選ぶ。

 4冊目『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日編集部(朝日新聞出版、2013年)/読み物としては今ひとつである。機密ファイルとは西村成生〈にしむら・しげお〉(動燃総務部次長)が残したファイルを指す。西村はもんじゅのナトリウム漏洩火災事故において、ビデオ隠しの特命内部調査員を務めた人物で、後に変死体が発見されるも自殺と認定された。遺書すら偽造された可能性が高いようだ。動燃の選挙対策、メディア対策、CIA張りの調査手法などが赤裸々に描かれている。原発のカラクリを明かした点でやはり苫米地本に軍配が上がる。もっとスケールの大きな絵を描くべきではなかったか。

 5冊目『花の歳月』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1992年/講談社文庫、1996年)/読み始めて二度目であることに気づいた。広国という名に覚えがあった。宮城谷作品を読んだことがない人は本書から入るのがよいと思う。藤原正彦の解説も実に素晴らしい。所感を記す気が失せるほど。

 6冊目『長城のかげ』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、1996年/文春文庫、1999年)/劉邦〈りゅうほう〉を巡る短篇連作。項羽がチンパンジーで劉邦はボノボであった。有り体にいえば助平な野人だ。戦国時代の猛将が一筋縄でゆかない人物であるのは当然のこと。美しいリーダー像を求める方がどうかしている。宮城谷は苦味を込めて劉邦を描いている。表面にとらわれてしまっては人間の奥深さが見えてこない。その当たり前の事実が重い。

 7冊目『季語百話 花をひろう』高橋睦郎〈たかはし・むつお〉(中公新書、2011年)/久々の掘り出し物であった。さほど句歌には興味がないのだが季節感を味わうにはこの手の本が一番。朝日新聞の土曜日Be版連載。硬骨な文体が蝶のように舞う。花の名の由来から歴史を自由に語り、句歌を自在に紹介。西洋史から宗教にまで目が行き届いている。であるにもかかわらず博覧強記ぶりを感じさせない文章の清廉に驚く。巻末に付された川瀬敏郎との対談も味わい深い。