2014-07-19

将は将を知る/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 孟嘗君〈もうしょうくん〉が楽毅〈がっき〉の家を訪ねる。

 もっとも広い部屋に孟嘗君と従者をみちびきいれた楽毅は、躍(おど)る胸をおさえながら、言辞において喜びをあらわした。
 それにいちいちうなずいた孟嘗君は、ふと淡愁(たんしゅう)をみせ、
「わしが斉(せい)にいるあいだ、将軍は中山(ちゅうざん)で戦っていた。中山王は斃死(へいし)せず、中山の民は熄滅(そくめつ)しなかった。それが中山をあずかっていた将軍の愛の表現であると、わしは臨■(りんし)にいて考えていた。将軍は、まことによくなされた。みごとであったとたれも褒めぬのであれば、ここでわしが天にとどくほどの声で褒めよう」
 と、いった。いつのまにか孟嘗君の目が濡(ぬ)れている。その目をみた楽毅は、自分を囲んでいたものが音をたてて崩れはじめたように感じられた。
 ――ああ、このかたは、人の深奥(しんおう)がわかるのだ。
 と、おもいあたるや、どっと涙があふれた。楽毅はめずらしく泣いた。孟嘗君のまえにいるから泣けたともいえる。孟嘗君も泣いている。このふたりをみて室内にいるすべての者が、涙ぐみ、とくに楽毅の手足となって生死の境を走りぬけ、苦難をしのぎにしのいできた丹冬(たんとう)と趙写(ちょうしゃ)は、背をふるわせて欷歔(ききょ)した。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 楽毅が孟嘗君とまみえるのは留学していた時以来で二度目のこと。中山は小国であったがゆえに楽毅は将軍となってからも順風満帆とはいえぬ苦境の連続を凌(しの)いできた。将は将を知る。孟嘗君は楽毅の孤独をすくい上げるように自らの思いを述べた。美しい名場面である。

 人は年を重ねるにつれて妥協を余儀なくされ、いつしか腐臭の中に身を置くようになる。自分で自分に言いわけをしながら、やがて他人に言いわけを強いるような存在に変わってゆく。戦うことをやめた瞬間から人は老いる。老いとは成長を失った姿だ。

 孟嘗君と楽毅は勇猛で知られた人物だが、彼らが戦ったのは戦場だけではなかった。将は王ではない。駒(こま)のように扱われることもあった。その中で配下や民を思いやり、大義を追求した。二人は常に風雪にさらされる山頂のごとき高みにいた。

 孟嘗君は楽毅の饗応に対し、細やかな配慮を見過ごすことなく応じた。これが人間と人間の出会いというものなのだろう。心浅くして人を知ることはできない。

   

水野和夫、中原圭介、マックス・ゲルソン、アルボムッレ・スマナサーラ、他


 17冊挫折、2冊読了。

般若心経は間違い?』アルボムッレ・スマナサーラ(宝島社新書、2007年/宝島SUGOI文庫、2009年)/「我こそ正義」という思いがチラチラ透けて見える。著作の多さも仏教者らしくない。解説者としては尊敬できるがつかみどころのない人物でもある。

小さな「悟り」を積み重ねる』アルボムッレ・スマナサーラ(集英社新書、2011年)/これも期待外れ。

老いと死について』アルボムッレ・スマナサーラ(大和書房、2012年)/食傷気味。

生きる勉強 軽くして生きるため上座仏教長老と精神科医が語り合う』アルボムッレ・スマナサーラ、香山リカ(サンガ新書、2010年)/スマナサーラの最大の欠点は声の悪さにある。しかも意図的に飄々と語ることでふざけた印象を与える。これほど多くの著作がありながらも、誰から何を教わったか、修行にまつわる苦労、テーラワーダ仏教の内情については何も書いていない。

イエス復活と東方への旅 誕生から老齢期までのキリストの全生涯』ホルガー・ケルステン:佐藤充良訳(たま出版、2012年)/これは表紙がダメだろうよ(笑)。タイミングが合わなくて中止。世界で400万部のベストセラーらしい。

カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 世界経済編』細野真宏(小学館、2003年)/タイトルが醜悪。無駄な改行が多いのも解せない。初心者向けの経済解説で基本的な経済の用語や仕組みについて書かれている。横書き。

円高の正体』安達誠司(光文社新書、2012年)/トンデモ本といってよいと思う。

誰も言わない政党助成金の闇 「政治とカネ」の本質に迫る』上脇博之(日本機関紙出版センター、2014年)/著者は共産党シンパと思われる。文章の独善的なところが赤旗そっくりだ。出版社もサイトを見る限りではそれっぽい。

どっこい大田の工匠たち 町工場の最前線』小関智浩〈こせき・ともひろ〉(現代書館、2013年)/文章を飾りすぎて時々行方がわからなくなる。

鉄を削る 町工場の技術』小関智弘〈こせき・ともひろ〉(太郎次郎社、1985年/ちくま文庫、2000年)/エッセイ風の文章が肌に合わず。

3日食べなきゃ、7割治る!』船瀬俊介(三五館、2013年)/トンデモ本でした。

漢字の字源』阿辻哲次〈あつじ・てつじ〉(講談社現代新書、1994年)/構成にもう一工夫欲しいところ。後半は飛ばし読み。

国家破産 これから世界で起きること、ただちに日本がすべきこと』吉田繁治(PHP研究所、2011年)/ロジックに傾きすぎていて読みにくい。

大恐慌情報の虚(ウソ)と実(マコト)』三橋貴明、渡邉哲也(ビジネス社、2011年)/渡邉哲也の著作を全部読もうと思っていたのだが、これ軽すぎて駄目。砕けた調子が雑談に見えてしまう。編集者に芸が無さすぎる。

ドル・円・ユーロの正体 市場心理と通貨の興亡』坂田豊光(NHKブックス、2012年)/文章が論文のように固くて読めず。

代替医療解剖』サイモン・シン、エツァート・エルンスト:青木薫訳(新潮文庫、2013年/新潮社、2010年『代替医療のトリック』改題)/代替医療を批判することで結果的に西洋医学を礼賛している。発想が逆だ。土俗宗教を嘲笑うことでキリスト教を持ち上げる手法と似ている。西洋医学が効果を発揮しているのは感染症くらいだろう。平均寿命が延びているのは医学の力ではなく衛生によるところが大きい。順序からいえば製薬会社を批判するのが先だ。

ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン:今村光一訳(徳間書店、1989年)/残念ながら1/3も読めなかった。関連作品を読む予定だ。マックス・ゲルソンは本書を著した後に不審な死を遂げた。暗殺説が根強い。

 44冊目『インフレどころか世界はこれからデフレで蘇る』中原圭介(PHP新書、2014年)/面白かった。シェール革命によってエネルギー価格が押し下げられ、世界がデフレに向かうという推測。中原によれば、よいインフレ、悪いインフレ、よいデフレ、悪いデフレの4種類があるという。長期的なファンダメンタルズに興味のある人は必読。

 45冊目『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫(集英社新書、2014年)/刮目の一書。資本主義を通した近現代史が俯瞰できる。キリスト教に関する記述もしっかりしていて目配りが行き届いている。やや重複した記述が目立つが、この手の本の中では頭ひとつ抜きん出た傑作だ。必読書入り。

2014-07-14

無我/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン


『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ

 ・等身大のブッダ
 ・常識を疑え
 ・布施の精神
 ・無我

『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬

ブッダの教えを学ぶ
必読書リスト その五

 シッダールタは、心とも体とも別の自己――すなわち、アートマン(我)――という考えを超え、ヴェーダで提唱されている誤ったアートマンの考え方の虜になっていた自分に気づいて唖然とした。実在の本質はわかれてはいない。無我――すなわち、アナートマン――こそが存在するすべての本質だった。アナートマンは何か新しい実在を表す言葉ではなく、すべての謬見を破壊する雷のごときものであった。シッダールタはあたかも瞑想の戦場で、無我を旗印に、洞察という名刀をふりかざす将軍のようであった。昼も夜もピッパラ樹の下に坐りつづけ、新しい気づきが稲妻の閃光のように次々と解き放たれていった。

【『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン:池田久代訳(春秋社、2008年)】

 出家したシッダールタは二人の師につくがやすやすと無所有処に至り、驚くべきスピードで非想非非想処(天界の最上位である有頂天)をも体得した。

2.ゴータマ・ブッダの出家と修行
非想非非想処と涅槃
滅尽定とニルヴァーナ

 悟りには明確な段階があるのだ。

 傍目からはなかなか判断できませんが、それぞれの段階の悟りを開いた人は、自分では自分がどの段階に悟ったか、よくわかるようです。それだけ明確な悟りの「体験」と、それによる心の変化が、悟りの各段階にあるからです。

【『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃(サンガ新書、2009年)】

 諸法無我を悟った瞬間が劇的に描かれているのだが致命的な誤りがある。「無我――すなわち、アナートマン――こそが存在するすべての本質だった」――いくら何でも「本質」はないだろう。たぶん翻訳ミスだと思われる。アナートマンとは否定語のアン+アートマンで無我・非我と訳す。訳語としては非我が相応しいような印象を受けるが、非我だとまだ我の存在を払拭できていない。ゆえに無我が正しいと私は考える。

梵我一如と仏教の関係

 デカルトは徹底した思索の果てに我を見据えた。ブッダは瞑想の果てに我を解体した。我は錯覚であり妄想であった。トール・ノーレットランダーシュは意識の正体を「ユーザーイリュージョン」と喝破した。

「私が存在する」という感覚から欲望が生まれる。人生の悩みは一切が私に基づいている。つまり私とは、神・幽霊・宇宙人に匹敵する錯覚なのだ。生はただ縁りて起こるものだ(縁起)。生は川の流れのように一瞬もとどまることがない。そこに「変わらざる自分」を見出すところに凡夫の過ちがある。自分から離れて、ただ生の流れに身を任すことが自然の摂理にかなっている。インディアンは確かにそういう生き方をしていた。

2014-07-13

語もし人を驚かさずんば死すとも休せず/『日本警語史』伊藤銀月


 3年前に読んだのだが書き忘れていた。書くのが不得手なため、どうしても読む量に追いつけない。多忙であっても読む時間は捻出するが、書く時間は失われる。限りある人生は優先順位によって進んでゆく。

 Google日本語入力に「警語」はない。やがては警句が死語になるのも時間の問題か。警語とは「人を驚かすような、奇抜な言葉」(デジタル大辞泉)である。「警」の字には「注意を与え、身を引き締めさせる。非常の事態に備える」(デジタル大辞泉)の意がある。類語には寸鉄(アフォリズム)など。

 伊藤銀月は萬朝報(よろずちょうほう)の記者をしていた人物で明治~昭和初期の小説家・評論家。

 語もし人を驚かさずんば死すとも休せず 何ぞ警語の日本史あらずして可ならんや

【『日本警語史』伊藤銀月〈いとう・ぎんげつ〉(実業之日本社、1918年/講談社学術文庫、1989年)以下同】

 今調べて初めて知ったのだが前段は杜甫の詩のようだ。

為人性僻耽佳句,語不驚人死不休。(わたしは人となりがすこしかたよった性質のようで、よい詩句を作ることにけんめいになっている。人を驚かすような良い語句を吐きだすまでは死んでも休まないということである)

春・春水 を詠う 律詩、絶句 : 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫全詩集1500

 近代デジタルライブラリーに本書の画像がある。

近代デジタルライブラリー

 ある意味においての名物男某なる者ありき。欧米における軽薄なる方面の流行を模(も)して、ただ到らざらんことを恐れ、その人目(じんもく)に新たなる特徴として、元来短く出来たる頸(くび)に、極めて高き襟(えり)を着け、これがためにほとんど咽喉(のど)を締めて頤(あご)を突き上げられたるが如き痛苦(つうく)と不便とを感じつつも、ひとえに外観の犠牲となりて忍耐し、己(おのれ)の足許(あしもと)を見るべく要求する時には、面(おもて)を俯(うつむ)くること能(あた)わざるをもって腰を直角に曲げ、背後(うしろ)より呼びかけられたる場合にも、頸だけ廻らねば、くるりと全身の方向を転ずるの労力に甘んぜるを得ず。かくて、その着くるところの標識たる高襟(ハイカラー)は、同時にその人格の浅薄劣悪をシンボライズするところの標識となり、「ハイカラー!」の一語よく彼を冷殺(れいせつ)もし、時人(じじん)の嘲笑の的とも為し、ついには、彼をして社会に安住するの重量を失わしむるに及びて已(や)みぬ。
 否、この語の感伝力の強大なる、すでにその本来の目的を達するに到りてもなお已みしにあらず、さらに広布(こうふ)して、「ハイカラー」より転化したる「ハイカラ」となり、あるいは「灰殻」(はいから)という宛字(あてじ)によって変形せしめられ、あらゆる皮相の欧化者流を嘲笑する目的に供せられ、女性にしてその頭髪を洋風にする者もまた、「ハイカラ」の部類に編入せらるるを免れざるに到りたるが、広布の範囲大なるに随(したが)って、これに含まるる嘲笑味もまた稀薄とならざるを得ず、何時(いつ)しか、「ハイカラ」の称呼がこれを受けたる者を傷つくる力を失うを致せり。

 ね、面白いでしょ(笑)。文語体の罵倒には短刀のような鋭さがある。ネトウヨ諸君もかくの如き格調高い言説を試みるべきであろう。ハイカラも既に死語だ。私の世代がこの言葉を知っているのは子供の時分にアニメ「はいからさんが通る」が放映されていたためだ。


 時代は歩調を早めた。1900年頃は西洋かぶれを表したハイカラという言葉は、やがて進歩的・お洒落を意味するようになる。今、我々が読むと古い時代にしがみつくジイサンの戯言(たわごと)のように感じるのは、書き手の不明がわかっているからだ。

 ある一時両国の本場所における力士が、正々堂々の角抵(かくてい/相撲)を避け、褌(ふんどし)を緩(ゆる)くして敵の指し手を無効ならしめんことを試むるところの、卑劣なる計画の流行を来(きた)りしより、「緩褌」(ゆるふん)の一語もって軟骨陋心(なんこつろうしん)の政客(せいかく)を冷罵(れいば)するの目的に応用せらるるに到り、人をしてその婉曲(えんきょく)んしてしかも痛切なるに感嘆を禁ずる能わざらしめしも、またこの類にあらずとせざるなり。警語(けいご)とはこれ此(かく)の如きものを意味するなり。

 今なら「八百長」あるいは「出来レース」か。緩褌は政治家の緊張を欠いた姿勢を衝(つ)くものだが、官僚のシナリオを演じる政治家には相応しくない言葉だろう。

 西大陸の植民新たに独立を企て、亜米利加(アメリカ)合衆国建設の萌芽(ほうが)を見るべき機運まさに到らんとせし際、衆心(しゅうしん)なお疑懼(ぎく)の間にあり。このとき、火の舌と焔(ほのお)の気とをもって天より降(くだ)されたる革命の子パトリック・ヘンリーあり。狂的熱弁を揮(ふる)って同胞を鼓舞し、最後に寸鉄殺人的一句を添加して曰く、「未だ諸君の出ずる所何(いず)れに在るかを知らずと雖(いえど)も、予はただ予自身のために祈る。神よ、予に自由を授けよ、しからずんば死を授けよ!」と。自由にあらずんば死。なんぞそれ語の沈痛なる。これを聴く者ためにひとたび■然(しょうぜん/りっしんべん+束)として黙思(もくし)し、しかして後(のち)、頭脳破裂して血液併発(併はニンベンではなくシンニュウ)せるが如き喝采の声を併せたり。この声須臾(しゅゆ/わずかの時間)に波動を伝えて、すなわち、新大陸を震撼するの激浪洪濤(げきろうこうとう)となり、人として革命の歌に合唱を与えざる者あらざるに至りぬ。警語とはそれ此(かく)の如きものを意味するなり。

「自由を与えよ。然らずんば死を(Give me Liberty, or give me Death!)」との有名な言葉が劇的に綴られている。警世の言が人々の胸に突き刺さり、時代を動かした。

 警語は、時として熱語(ねつご)なることあり、冷語(れいご)なることあり、正語(せいご)なることあり、奇語(きご)なることあり、軟語(なんご)なることあり、硬語(こうご)なることあり、柔語(じゅうご)なることあり、豪語なることあり、温語(おんご)なることあり、痛語(つうご)なることあり、甘語(かんご)なることあり、苦語(くご)なることあり、倹語(けんご)なることあり、誇語(こご)なることあり、また、必ずしも毒語(どくご)、悪語(あくご)、邪語(じゃご)なるを妨げざることあり。要するに、これを発する場所と時機とに適応して寸分の過不及(かふきゅう)なく、凱切(がいせつ)にして徹底、人の胸を刺し貫いて、鋒尖(ほうせん)白く脊梁(せきりょう)に出ずるものなれば足れるなり。したがって、警語は如何なる場合にも決して冗漫なるを得ざるの約束に支配せらる。節の長短、調(ちょう)の緩急は、場合によりての手加減あるべしと雖も、必ず常に、十二分に鍛錬緊縮せられて、精髄を結晶せしめたるが如く簡潔純粋なるものならざるべからざるなり。

 結局のところラジオやテレビが警語を死なせたのだろう。そして新聞は官報と堕した。大政翼賛に加担することで新聞記者は筆を折り、戦後はGHQに屈する格好で更に筆を折ったのだろう。既にペン先しか残っていないがゆえに、彼らはキーボードに乗り換えたのだ。

 しかして、警語はある場合においては批評たり、ある場合において形容たり、ある場合において告白たり、ある場合において主張たり、ある場合において論詰(ろんきつ)たり、ある場合において断定たり。

 死んだのは警語ばかりではない。言葉そのものが死につつある。やはり政治や教育の影響が大きいのだろう。歌われるのは恋愛沙汰ばかりで人生そのものが不毛になりつつある。

 もう一つだけ紹介しよう。

 彼等(※江戸っ子)はややもすれば、「蹴飛ばした!」と云い、「蹴飛ばされた!」と云う。

 古今亭志ん生の落語で聴いたような聴かなかったような……。うっちゃったとか、ひっくり返したも使っていそうだ。東京の人の多さがひしひしと伝わってくる。

 なお、ミスター警語といえば斎藤緑雨(『緑雨警語』)であり、アフォリズムとしてはエリアス・カネッティ著『蝿の苦しみ 断想』を推す。