2014-10-12

白川静


 1冊読了。

 75冊目『回思九十年』白川静(平凡社、2000年/平凡社ライブラリー、2011年)/日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と呉智英〈くれ・ともふさ〉によるインタビューおよび対談で構成。対談者は10人ほど。白川本人の話を1000円で聴けると考えれば破格の値段である。ネット上を跋扈(ばっこ)する有料情報はこれに比すれば1円でも高すぎる。白川の文章は硬筆で書かれたハードボイルド文体の趣がある。自分を飾るところが全く見られない。淡々と事実を簡略に記す。それで物足りないかといえば決してそうではない。若き日に『詩経』と『万葉集』の間に東洋の橋を架けることを志し、やがて漢字に辿り着き、遂には甲骨・金文の解読に至る。白川漢字学は長らく日の目を見ることがなかった。白川は学生運動の嵐が吹き荒れる中でも大学での研究を絶やさなかった。その集大成が『字統』『字訓』『字通』となって花開くわけだが、この字書三部作に着手したのは何と73歳の時であった。「その真意を解明した独自の学説は、1900年もの長い間、字源研究の聖典として権威をもった後漢の許慎『説文解字』の誤りを指摘した」(東洋文字文化研究所)。凄いよね。1900年振りの大幅更新だよ。尚、『三国志読本』の宮城谷昌光との対談は本書からの転載のようだ。個人的には酒見賢一〈さけみ・けんいち〉、江藤淳、石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉、吉田加南子〈よしだ・かなこ〉の対談が面白かった。多少難しいところはあるが若い人にこそ読んでもらいたい。

サインとシンボル/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ


『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 ・サインとシンボル
 ・アルゴリズムとは

『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 デジタルコンピューターは機械であり、あらゆる物質的対象と同じく、熱力学の冷酷な法則がもたらす結果に縛られている。時間が尽きると、活力も尽きてしまう。緊張した2本の指の先でキーボードを叩くコンピュータープログラマーのように。私たちすべてと同じように。だが、アルゴリズムは違う。アルゴリズムは刺すような欲望と、その結果生じる満足の泡とを仲介する、抽象的な調整手段であり、さまざまな目的を達成するためての手続きを提供する。アルゴリズムは、サインとシンボルから構成され、思考と同じく時間を超えた世界に属する。

【『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2001年/ハヤカワ文庫、2012年)】

 アルゴリズムは算法と訳す。問題を解決する方法や手順を意味する。函数(関数、ファンクション)と混同しやすいので注意が必要。

アルゴリズムってなんでしょか

 つまり「アルゴリズムが優秀であれば、計算量を減らすことができる」(ニコニコ大百科)。巡回セールスマン問題を考えるとアルゴリズムの本質がわかりやすいだろう。そしてアルゴリズムの概念を定式化したのがチューリングマシンであった。「つまり、アルゴリズムの判定をする機械がチューリング機械である」(チューリング機械の解説)。

 上記テキストだけではわかりにくいと思うが、デイヴィッド・バーリンスキはコンピュータ以前からアルゴリズムが存在したことを指摘する。例として古代中国の官僚機構を示す。思わず膝を打った。なるほど、確かに計算手順だ。社会には必ずルールが存在する。それが効率や成果を目的としていることは明らかだ。社会や教育をアルゴリズムと捉えれば一気に抽象度が高まる。

 そしてアルゴリズムが「サインとシンボルから構成され」ているとの指摘に私は度肝を抜かれた。「サインとシンボル」といえばマンダラである。「ああ、あれはアルゴリズムだったのか」と思わず溜め息をついた。だとすれば宗教ってのは「生のアルゴリズム」なのか? そうかもしれない。

 もう一段思索を伸ばしてみよう。文字と言葉もまた「サインとシンボル」である。つまり言語とは「コミュニケーションのアルゴリズム」なのだろう。とすれば天才とは演算能力の高い人物を指すのだろう。y=f(x) の x の質が違うのだ。

 スポーツの場合だと作戦やセオリーがアルゴリズムとなる。アルゴリズムvs.アルゴリズムというわけだ。

 社会機能がアルゴリズムとすれば、政治家の本質はプログラマーでなくてはならない。社会の歪みは無駄な計算手順によって生まれる。日本の場合、第二次世界大戦に敗戦して以来、オペレーションシステムはアメリカ製でセキュリティソフト(日米安全保障)もアメリカ頼みだ。しかもGHQによって最初からバグを埋め込まれている。更に教育においてマシンへの愛着(愛国心)は否定的に扱われる有り様だ。

 求人:日本をプログラムし直す若者を募集します。希望者は次の衆院選に立候補されよ。

史上最大の発明アルゴリズム―現代社会を造りあげた根本原理
デイヴィッド バーリンスキ
早川書房
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血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩


『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 ・血で綴られた一書
 ・心理的虐待

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 しかし、私が受けてきた教育は学んだ学問の大半は、この簡単なことを隠蔽するように構成されていました。ですから、この簡単なことを見出すのが、とても大変だったのです。

【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)以下同】

 昨年は同い年ということで1位にした佐村河内守〈さむらごうち・まもる〉にまんまと騙されてしまったわけだが、何と安冨も同い年であった。そして今年の1位はよほどのことがない限り本書で決まりだ。『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店、2012年)の柔らかな視点と剛直な意志の秘密がわかった。

 タイトルの「技法」はテクニックのことではない。エーリッヒ・フロム著『愛するということ』の原題"The Art of Loving"に由来している。つまり「生の流儀」「生きる術(すべ)」という意味合いだ。

 サティシュ・クマールが説く依存は調和を志向しているが、安冨がいう依存はストレートなものだ。クマール本は綺羅星の如き登場人物の多彩さで読ませるが、私はさほど思想の深さを感じなかった。これに対して安冨の精神性の深さは思想や哲学を超えて規範や道に近い性質をはらんでいる。もちろん著者はそんなことは一言も書いていない。その謙虚さこそが本物の証拠である。

【命題1-1】★自立とは、多くの人に依存することである

 このトリッキーな命題から本書は始まる。人々の心に根強く巣食う執着を揺さぶる言葉だ。命題は以下のように次々と深められる。

【命題1-2】★依存する相手が増えるとき、人はより自立する

【命題1-3】★依存する相手が減るとき、人はより従属する

【命題1-4】★従属とは依存できないことだ

【命題1-5】★助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

 ここで安冨は自分の人生を振り返り、親や配偶者から精神的な虐待を受けてきたことを明けっ広げに述べる。そこから文字が立ち上がってくる。魂の遍歴と精神の彷徨(ほうこう)を経て、いわば血で綴られた一書であることに気づかされるためだ。安冨の柔らかな精神は自分自身と対峙(たいじ)することで培われたのだろう。

 私はたぶん安冨と正反対の性格だ。そもそもハラスメントの経験がない。若い時分から態度がでかいし、何かあったらいつでも実力行使をする準備ができている。そんな私が読んでも心が打たれた。否、「撃たれた」というべきかもしれない。なぜなら、自分自身と向き合うという厳しさにおいて私は安冨の足元にも及ばないからだ。

 朱序弼〈シュ・ジョヒツ〉との出会いを通して、この命題は見事に証明される。そしてハラスメントを拒絶した安冨の人間関係は一変した。価値観とそれに伴う行動が変われば世界を変えることができるのだ。

 もう一つだけ紹介しよう。

 友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、

  【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない

ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。

 私は幼い頃からやたらと悪に対して敏感なところがあり、知らず知らずのうちにこれを実践してきた。たぶん父親の影響が大きかったのだろう。30代を過ぎると瞬時に人を見分けられるようになった。日常生活において善を求め悪を斥(しりぞ)ける修練を化せば、それほど難しいことではない。抑圧されるのは人のよい人物に決まっている。結果的にその「人のよさ」に付け込まれるわけだ。拒む勇気、逃げる勇気がなければハラスメントの度合いは限りなく深まる。何となく心が暗くなったり、重くなったりする相手とは付き合うべきではない。その理由を思索し、見極め、自分で決断を下すことだ。慣れてくると数秒で出来るようになる。

 人生や生活で何らかの抑圧を感じている人は必ず読むこと。アダルトチルドレンやハラスメント被害者は本書を書写することで精神科の名医と同じ効果を得ることができるだろう。いかなる宗教者よりも安冨は真摯に自分と向かい合っている。

 一つだけケチをつけておくと(笑)、ガンディーや親鸞はいただけない。ガンディーは国粋主義者であり、カースト制度の擁護者でもあった。アンベードカルを知ればガンディーを評価することはできない(『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール)。鎌倉仏教についてもブッダから懸け離れた距離を思えば再評価せざるを得ないだろう。

 私からは、『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル、『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ、『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳を薦めておこう。

2014-10-11

交換可能な存在とされた労働者/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編

 ・交換可能な存在とされた労働者

 企業はさらに生産性をあげ、もっと金もうけのできる方法を求めていた。その一つが、すべての生産工程をいくつもの単純作業に分けるという“分業”だ。分業によれば、たとえば、一人で一つの家具を最初から最後までつくる必要がなくなり、男であれ女であれ、その者は分担された一つの作業だけをすればよいことになる。ドリルで穴をあける、接着剤をしぼり出す、というような単純作業をひたすらくり返せばよいのだ。これで、会社は高い技術をもった者を雇わなくてもすむようになった。そして労働者は、その者がまさに動かしている機械類と大差のない、交換可能な存在にされ、個性と人間性は奪われてしまった。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)】

 近代の扉を開いた産業革命の本質は機械化にある。その機械化が労働の質を変えた。労働者は部品となった。こうして働く喜びが人類から奪われたのだろう。

 驚くべきことだが、この部分に続いてアメリカ国内で社会主義旋風が起こった歴史が記されている。もちろん実現することはなかった。町山智浩によると自動車産業が隆盛を極めた頃は労働組合の力が強かったというから、それなりにアメリカ社会のバランスは取れていたのだろう。その後、新自由主義の台頭によって労働組合は骨抜きにされる。

 21世紀に入り、格差は多重的な構造を形成している。世界には先進国と発展途上国という格差があり、国内にも格差が生まれ、地域内・会社内・学校内にまで格差が広がっている。

 労働も政治も経済に収斂(しゅうれん)される。資本主義とは社会の一切が資本へと向かうメカニズムを意味する。そして富める者はますます富み、貧しき者は貧窮を極める。

 現在、凄まじい勢いでロボット産業が前進している。ロボットに労働が奪われる日も近い。その時我々は何を糧(かて)として生きてゆくのだろうか。

 近代は先進国には意味のある歴史だが発展途上国を利することはなかった。それどころか先進国の発展を支えるために途上国は植民地とされた。

 過剰な貿易依存は国を傾ける。近代を否定するとなれば鎖国することが望ましいと私は夢想する。国内で産業や資本が回るようになれば貿易は最小限で済む。問題はエネルギーをどうするかだ。

 世界がひとつになることはあり得ないし、人類が皆兄弟になる日も来ない。国際化は必ず国際的な紛争に巻き込まれることを意味する。「日本はどちらにつくんだ?」とアングロサクソンは問う。

 国家の安全保障をアメリカに依存する以上、日本はアメリカにノーと言えない。我々が米軍基地と認識しているものは、ひょっとするとGHQかもしれない。

 

2014-10-10

虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


 ・虐殺者コロンブス

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編

 自分の過(あやま)ちを正すには、わたしたち一人ひとりが、その過ちをありのままに見つめなければならない。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)以下同】

 歴史は繰り返す(古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉)。なぜなら人類は歴史から学ぶことがないからだ。唯物史観は進歩を謳ったが歴史も人類も進歩することはないだろう。ただ「自分を正すかどうか」が問われる。「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公第十五)と。過ちを知りながら悔い改めないところに過ちの本質がある。

将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー

 ルビが多いので多分中高生向けと思われるが、アメリカ合衆国の歴史を知るには打ってつけの一書である。アメリカが反省していないところを見ると本書もさほど読まれていないことだろう。テレビに向かう人は多いが良書に向かう人は少ない。

 私の考える愛国心とは、政府のすることをなんでも無批判に受け入れることではない。民主主義の特質は、政府の言いなりになることではないのだ。国民が政府のやり方に異議を唱えられないなら、その国は全体主義の国、つまり独裁国家である――わたしたちは幼いころ、そう学校で教えられたはずだ。そこが民主国家であるかぎり、国民は自分の政府の施策を批判する権利をもっている。

 メディア・ファシズムが投票民主主義を葬った。そして政府は大企業と金融に支配された。資本主義経済-大衆消費社会の構図がそれを可能にしたのだ。我々は国の行く末よりも今月の給料で何を買うかに関心がある。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は次のように指摘する。

「有権者」と称しつつ、国あるいは自治体の財政収支、つまり【社会資本配分の内訳】を理解して投票する者など1%にも満たないわけです。【99%の国民にとって政治とは感情的に参画する抽象概念であり、統治の本質とは認知捜査に過ぎず、社会システムは迷妄(めいもう)の上に成立しています】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

 そして国家のバランスシートは全てを公開しているわけではない。私も含めて国民の99%はB層なのだ。

 アラワク族の男たち女たちが、村々から浜辺へ走り出してきて、目をまるくしている。そして、その奇妙な大きな船をもっとよく見ようと、海へ飛びこんだ。クリストファー・コロンブスと部下の兵たちが、剣(つるぎ)を帯びて上陸してくるや、彼らは駆けよって一行を歓迎した。コロンブスはのちに自分の航海日誌に、その島の先住民アラワク族についてこう書いている。
〈彼らはわれわれに、オウムや綿の玉や槍(やり)をはじめとするさまざまな物をもってきて、ガラスのビーズや呼び鈴と交換した。なんでも気前よく、交換に応じるのだ。彼らは上背があり、体つきはたくましく、顔立ちもりりしい。武器をもっていないだけでなく、武器というものを知らないようだ。というのは、わたしが剣をさし出すと、知らないで刃を握り、自分の手を切ってしまったからだ。彼らには鉄器はないらしく、槍は、植物の茎でできている。彼らはりっぱな召使になるだろう。手勢が50人もあれば、一人残らず服従させて、思いのままにできるにちがいない〉
 アラワク族が住んでいたのは、バハマ諸島だった。アメリカ大陸の先住民と同じように、客をもてなし、物を分かち合う心を大切にしていた。しかし西ヨーロッパという文明社会から、はじめてアメリカへやってきたコロンブスがもっていたのは、強烈な金銭欲だった。その島に到着するや、彼はアラワク族数人をむりやりとらえて、聞き出そうとした。金(きん)はどこだ? それがコロンブスの知りたいことだった。

 黄金と香辛料を持ち帰れば利益の10%がコロンブスのインセンティブとなる契約だった。当初、黄金は見つからなかった。船を空(から)にしたままスペインへ帰るわけにはゆかない。そこでコロンブスは1495年に大掛かりな奴隷狩りを行う。捕虜の中から500人を選別しスペインへ送った。

 航海の途中で、200人が死んだ。残る300人はなんとかスペインに到着し、地元の教会役員により競(せ)りにかけられた。
 コロンブスはのちに、信心深い調子でこう書いている。〈父と子と聖霊の御名(みな)において、売れんかぎりの奴隷をさらに送りつづけられんことを。〉

 ヨーロッパ人の恐ろしさはここにある。何かトラブルがあって殺害に至ったわけではなく、最初から略奪・虐殺を目的としていたのだ。その後、アフリカ大陸の黒人も奴隷としてアメリカに輸送される運命となる。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 サミュエル・エリオット・モリソンは、コロンブス研究でもっとも有名な歴史学者の一人だ。モリソンはみずからコロンブスの航海をたどり、大西洋を横断した。1954年には『大航海者コロンブス』という、一般向けの本も出版した。そのなかで彼は、コロンブスやあとに続くヨーロッパ人による残虐な行為のせいで、インディアンの〈完全な大量殺戮(ジェノサイド)〉が引き起こされた、と述べている。ジェノサイドとは、とても強い言葉だ。ある民俗的、または文化的集団の全員を計画的に殺害する、という恐ろしい犯罪の呼び名である。

 宗教的正義が大量殺戮を可能にする。アメリカ人の祖は人殺しと泥棒であった。自由の国とはヨーロッパ人が暴力を振るう自由であった。一神教(アブラハムの宗教)こそが世界を混迷させる一大要因であると私は考える。ハワード・ジンの良心はキリスト教を攻撃するまでには至っていない。それは東洋の仕事だ。一神教を撃つ学問を立ち上げる必要があろう。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹