2020-07-27

成人病が生活習慣病に変わった理由/『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大
『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎

 ・成人病が生活習慣病に変わった理由

・『日本人の身体』安田登

小池●かつて「成人病」という語がありましたが、あれが今は「生活習慣病」になっていますよね。名前が変わった理由は、成人だからかかるのではなく、「生活習慣が原因だから」というのが、表面的な理由ですが、実はもっと深い理由があります。
 それは成人になったら誰もがしようがなくかかってしまうものならば、国や他人が面倒を見なきゃいけない。けれども生活習慣病という概念になった途端、「おまえの生活習慣が悪いから病気になったのだから、おまえの責任だ」といえてしまえる。つまり、自己責任の時代が来たんだという意味があるというものです。これは当然医療経済的な意味もあるわけで、ただ単に原因論的な名前に変わったという以上の意味があるわけです。そして一方で「生活習慣」といわれても急に変えられる人は少ないのが実情です。そうなると理想とはうらはらに「自己責任」にもどついてクスリで何とかしようと考える人も出てくるわけです。「急がば回れ」の反対の姿勢です。すると生活改善による予防を目的とした数値が、いつしか薬物治療の目標値になってしまうわけです。
 そうなると反対に病気でもないのに無理やり病気みたいに扱われてしまうこともありえるわけです。

【『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、小池弘人〈こいけ・ひろと〉(集英社新書、2013年)】

 厚生省(当時)が生活習慣病との改称を提唱したのは1996年12月18日のことである(生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申))。厚生大臣は菅直人(新党さきがけ)から小泉純一郎(自民)に変わった直後だ(11月7日就任)。大臣主導というよりは橋本内閣が掲げた「六つの改革」を踏襲したものだろう。

 但し、疾病の発症には、「生活習慣要因」のみならず「遺伝要因」、「外部環境要因」など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、「病気になったのは個人の責任」といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある。

生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)

 つまり厚生省(当時)は「疾病原因は生活習慣に限らない」が「生活習慣病」と呼ぶよう促しているのだ。支離滅裂である。現在、健康診断などの問診票を見ても自己責任を問う内容が増えており、運動をしていない人には自己嫌悪を覚えるような代物となっている。

 玄米食に興味を抱いている時に読んだ本なので今見返すと随分印象が違う。玄米は解毒性が強いため長期間にわたって摂取するのは問題があると私は考える(玄米の解毒作用)。本当に玄米が体にいいのであれば糠(ぬか)を食べればいいだけのことだ。生野菜も勧めているが短期間の感覚を重視するのは極めて危うい。

 身体(しんたい)や病気に関することで「これが正しい」との主張は眉に唾をした方がよい。体は人によって違うのだから。

2020-07-26

混乱が人材を育む/『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大

 ・混乱が人材を育む

『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
・『日本人の身体』安田登

身体革命

茂木●一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明できないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明できない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなくてはならない。
 そうすると結局、科学で説明できないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けていくしかないんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きていくためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学がすべてを解明するのを待つことはできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。

【『響きあう脳と身体』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(バジリコ、2008年/新潮文庫、2010年)】

 中々言えない言葉である。まして科学者であれば尚更だ。複雑系科学不確定性原理ラプラスの悪魔を葬った。宇宙に存在する全ての原子の位置と運動量を知ったとしても未来は予測できない。

 科学者が合理的かといえば決してそうではない。彼らは古い知識に束縛されて新しい知見をこれでもかと否定する。アイザック・ニュートンは錬金術師であった。ケプラーは魔女の存在を信じていた。アーサー・エディントンはブラックホールの存在を否定した。産褥熱は産科医の手洗いで防げるとイグナーツが指摘したが医学界は受け入れなかった。オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルがピロリ菌を発見し、これが胃潰瘍の原因だと発表した際も若い二人を医学界は無視した。

 科学は説明である。何をどう説明されたところで不幸な人が幸福になることはない。恋の悩みすら解決できないことだろう。

甲野●結局のところ、社会制度が整備化されて、標準化されることによって、つまらない人間が増えてきたということではないですか。たとえば明治維新後すぐの日本は、すべての制度が不備だった。会社や官僚組織なんかでも、ほとんどが縁故採用だったわけですが、多様な、ほんとうにおもしろい人材が育っていった。コネで採用するというのも選ぶ側に人を見る眼があると、けっこういい人材がそろうんですよね。
 ところが、日露戦争に勝ち、「日本は強くなった。成功した」という意識が広がり、いろんなインフラを整備して、社会がシステム化された結果、そういうシステムの中で採用されて育った人間が、太平洋戦争で大失敗してしまったわけですよ。やっぱり混乱期の、いろいろなことが大雑把で混乱している時のほうが、おもしろい人間が育ちやすいのではないかと思います。

 これは一つの見識である。さすが古文書を読んでいるだけのことはある。鎌倉時代から既に700年近く続いた侍は官僚と化していたのだろう。侍の語源は「侍(さぶら)ふ」で「従う」という意味だ。もともと侍=官人(かんにん)であるがそこには命を懸けて主君を守るとの原則があった。責任を問われればいつでも腹を切る覚悟も必要だった。ところが詰め腹を切らされるようなことが増えてくれば武士の士気は下がる。結局切腹という作法すら形骸化していったのだ。

 明治維新で活躍したのは下級武士だった。エリートは失うものが多いところに弱点がある。身分の低い者にはそれがない。まして彼らは若かった。明治維新は綱渡りの連続だった。諸藩の動向も倒幕・佐幕とはっきりしていたわけではなかった。戦闘行為に巻き込まれるような格好で倒幕に傾いたのだ。しかも財政は幕府も藩も完全に行き詰まっていた。外国人からカネを借り、贋金(にせがね)を鋳造し、豪商からの借金を踏み倒して明治維新は成った。

 実に不思議な革命であった。幕府を倒したという意味では革命だが西洋の市民革命とは様相を異にした。それまで日本の身分制度の頂点にいた武士が自ら権益と武器を手放したのだ。気がつけばいつの間にか攘夷の風は止んで開国していた。この計画性のなさこそが日本らしさなのだろう。

 果たして次の日本を担う人材は今どこで眠っているのだろうか?

2020-07-23

新型コロナ:感染者数は増加しているが日米で死者数が激減



島原の乱を題材にした小説


 松原久子〈まつばら・ひさこ〉著『黒い十字架』(藤原書店、2008年)読了。島原の乱前夜を描いた小説である。セオリーとしては『沈黙』と比較するのが筋なのだろうが、私としては『みじかい命』を推す。松原久子は竹山道雄の衣鉢(いはつ)を継ぐ人物だと考えているからだ。島原の乱は鎖国のきっかけとなった事件であった。鎖国を実現し得たのは日本がヨーロッパに対抗できる軍事力を有していたからだ。「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)にあって有色人種地域はほぼ全てがヨーロッパの支配下となった。豊臣秀吉のキリスト教弾圧も先見的な政策判断であった。以下に島原の乱関連書籍をまとめた。

・『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』若桑みどり
・『マルガリータ』村木嵐

・『沈黙』遠藤周作
・『島原の乱』菊池寛
・『幻日』市川森一
・『奇蹟 風聞・天草四郎』立松和平
・『完本 春の城』石牟礼道子

『黄金旅風』飯嶋和一
・『出星前夜』飯嶋和一

・『街道をゆく17 島原・天草の諸道』司馬遼太郎
『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

『みじかい命』竹山道雄