2012-10-06

本覚思想とは時間論/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ


 ・ただひとりあること~単独性と孤独性
 ・三人の敬虔なる利己主義者
 ・僧侶、学者、運動家
 ・本覚思想とは時間論
 ・本覚思想とは時間的有限性の打破
 ・一体化への願望
 ・音楽を聴く行為は逃避である

『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ

 彼(※サンニャーシ)の関心と活力とはすべて、自分が来世においてきっとひとかどの者になるのだという確信に向けられていた。われわれはかなり長いこと話し合ったが、彼の強調点は常に、明日、未来に置かれていた。彼は言った、過去は存在するが、それは常に未来との関係においてである、と。現在は単に、未来への通路にすぎず、今日は明日あるがゆえにのみ興味を与えるにすぎないのである。もしも明日がなければ、――彼は問うた――努力して何になるのか? そうならば、人はぼんやりと、おとなしい牛のようにしている方がましだ、と言うのである。
 生の全体は、過去から現在の瞬間を通って未来へと続く、一個の連続運動である。彼は言った、われわれは、未来において何かになるために現在を利用すべきなのだ、と。そしてその何かとは、賢明で、強く、情け深くなることである。現在も未来もともに一時的ではあるが、果実が熟するのは明日においてのみなのである。今日は踏み石にすぎないから、それについて気を使いすぎたり、あれこれ言いすぎてはいけない、と彼は強調した。われわれは、明日の理想を明瞭にし続け、それに向けて首尾よく旅しなければならないのである。要するに、彼には、現在ががまんならない代物だったのである。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)】

 来世や将来を重んじることは「現在を軽視する」という点で一致している。よく考えてみよう。技術の獲得や学問の体得には時間を要する。確かに蓄積や経験が必要だ。しかし「生のアート」を同じ次元で考えてはなるまい。真の幸福が自由を悟ることであれば、それは技術ではないはずだ。

 知識の習得と聡明であることも同様だ。こうしたことを混同するがゆえに我々の生は技術志向となり、機械化してゆくのである。ただ、のんべんだらりと寿命を永らえることを「生きる」とはいわない。

「成仏」という言葉には二つの読み方がある。「仏に成(な)る」と「仏と成(ひら)く」。「なる」と読めば来世志向で、「ひらく」と読めば本覚論である。

本覚論の正当性/『反密教学』津田真一

 つまり本覚思想とは時間論なのだ。凡夫即仏は「凡夫がそのまま仏」という意味ではなくして、「凡夫であり仏でもある」と読むのが正しいのだろう。煩悩即菩提も一緒だ。「煩悩がそのまま菩提と【なる】」と読むのではなく、「煩悩があり菩提も具(そな)わる」と水平次元で見つめているのだ。左脳に煩悩、右脳に菩提ってわけだよ。

 もうひとつ付言すると、日蓮遺文において本覚思想が濃厚なものは偽書の可能性が高いと判断されているが、ひょっとすると作成者の意図は「初期仏教への原点回帰」にあったのかもしれない。

 サンニャーシ(出家者)の言葉を吟味してみよう。「過去は存在するが」――本当にそうだろうか? 存在するのであれば確認できるはずだ。では過去はどこにあるのだろうか? それは「記憶」の中だ。もう一歩突っ込むと、「現在の記憶」の中に過去は存在するのだ。記憶喪失や日常的な忘却によって消えてしまうような存在といってよい。

 人生は川の流れに例えられる。過ぎ去った流れを辿ることは可能だろう。しかし観測した時点でそれは現在となるのだ。おわかりだろうか? 本当は過去も未来も存在しない。我々はただ「現在」を生きるのだ。

川はどこにあるのか?

 資本主義経済は全参加者を「ひとかどの者になる」競争へと駆り立てる。我々は今日の苦役に耐えながら明日を目指して走り続ける。「24時間戦えますか」(リゲインCM)――戦えるとも。こうして多くの人々が過労死していった。

 人間最後は死ぬのである。理想主義や未来志向は死によって灰燼(かいじん)に帰す。【続く】

『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より

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