このように,スリランカ仏教と神智協会(※
神智学協会)との関わりは,イギリス植民地支配のもとで,キリスト教への反発から仏教王権が回顧されていた時期に生まれた。仏基論争に触発されたオールコット(※
ヘンリー・スティール・オルコット)と
ブラヴァツキーの2人は,1880年5月に,1人のイギリス人,5人のインド人とともにスリランカを訪れた。オールコットは,すでに1879年より教義論争の主役であったグナーナンダ師やスマンガラ師と親交を結んでいた。そのため,スリランカの側からも,その来島が待望されており,いわば,西洋の仏教理解者のチャンピオンとして歓迎されたのである。
【
「儀礼の受難 楞伽島綺談」杉本良男、P48(PDF)/一部に注(※)を施した】
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「比較による真理の追求 マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」杉本良男(PDF)
下記リンクの論文では、
スワミ・ヴィヴェーカーナンダが神智学協会を批判した事実にも触れている。
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