2014-03-17

横田夫妻とキム・ウンギョンさんの面会が実現/『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会


 何ということであろうか。横田夫妻が失った時間はあまりにも長かった。初めて孫の存在を知った時、彼女は失踪した当時のめぐみさんと同じ年頃であった。そして遂に面会が実現すると、孫には小さな娘ができていた。横田夫妻の時計はめぐみさんが13歳の時から止まったままであった。孫のキム・ウンギョン(※後述)さんは26歳になっていた。


 偶然にも私は本書を読んでいる最中であった。本書は手記ではなくノンフィクションである。やはり手記だと感情がまさってしまう。北朝鮮による拉致被害は1963年の寺越昭二〈てらこし・しょうじ〉、外雄〈そとお〉、武志さん失踪に始まる。横田めぐみさんが忽然(こつぜん)と姿を消したのは1977年のことであった。その後1983年まで被害は続いた。「めぐみさんが北朝鮮にいる」と横田夫妻が知らされたのは1997年。失踪から既に20年を経過していた。それ以降も苦労は深まる一方であった。動かぬ政府、まともに取り合ってくれない官僚、そして絶えざる噂。読みながらこれほど泣いたのは東京HIV訴訟原告団著『薬害エイズ原告からの手紙』(三省堂、1995年)以来か。

 安明進〈アン・ミョンジン〉氏は後に名前も出して、北朝鮮の実態を暴く著書を出している。その中には、件(くだん)の実行犯から聞いた話として次のような話も登場する。

《……体格も一見して子供のようには思えなかったから拉致したと(その教官は)言った。ところが船に乗せると彼女があまりにも騒がしく泣き叫び抵抗するので、彼らはたまらず船倉に閉じ込めて清津(チョンジン=編集部注)まで帰還したという。船倉でも少女はずっと「お母さん、お母さん」と叫んでおり、出入口や壁などをあちこち引っかいたので、着いてみたら彼女の手は爪が剥がれそうになって血だらけだったという。少女が暗黒の船倉に一人きりで40時間以上も閉じ込められていたことを考えると、どんなに恐ろしかったことかと思わずにはいられない》

 この部分を読んだとき、早紀江は嘔吐(おうと)しそうになった。めぐみは、こんな酷(ひど)い目に遭いながら、よく生きていた。どうやって我慢したんだろう。だが、涙は流さなかった。心の奥底からわいてきたのは、深い深い怒りだった。

【『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(光文社、2003年)】

 早紀江さんは20年間にわたって泣き明かしてきた。街角で娘と似た女性を見つけては声をかけた。娘とよく似た絵を見ては画家の元まで押し寄せた。いつめぐみさんが帰ってくるかわからないから家を空けることもできなかった。滋さんの転勤も引き延ばしてもらった。そしていよいよ引っ越す際には心を引き裂かれる思いで移転先の住所を貼りつけておいた。心の穴ではない。この人たちは文字通り穴の中で生きてきたのだ。闇はどこまでも暁(あかつき)を退けた。

 早紀江は、話を聞くうちに、この安明進氏もまた国家によって工作員に仕立てあげられ、いまは亡命して北朝鮮に残してきた両親と兄弟を案ずる、“体制の犠牲者”なのだと感じた。別れ際、早紀江は彼にこう声をかけた。
「めぐみのことを、よく話してくださいました。私は毎日めぐみちゃんのことを祈っていますが、これからは、安さんのご家族のことも一緒にお祈りさせていただきます」
 早紀江が後に聞いたところによると、この日、安明進氏は拉致被害者の両親に会わせられるのだということを直前に知って、その場から逃げ出そうとしたという。自分は実行犯ではないが、かつて同じ組織にいた経歴の持ち主として、とても両親には会えないという思いだったのだろう。そして、面会後、安明進氏は早紀江の最後の言葉に号泣したという。この出会いが彼が自分の顔を出して拉致を語ろうと決意する大きなきっかけとなった。

 早紀江さんはクリスチャンとなっていた。涼やかな声からも人柄がしのばれる。傷つき痛みを知る者は人を思いやることができる。そして出会いが人の心を変える。

 そのキム・ヘギョンちゃんとの対面をめぐって、滋と早紀江、滋と息子たちの意見は対立している。滋の言葉からは情が滲(にじ)み出る。「家族会としては訪朝しないということになっていますが、個人的には、孫ですから会いたいし、私が向こうに行って会えば、めぐみのことについても、何らかのことは聞けると思うんです。最善のケースは、私の帰国と一緒に日本に連れてこられることなのですが……」。


 キム・ウンギョンちゃんはめぐみさんとよく似ていた。今26歳となった彼女に横田夫妻は成長しためぐみさんの面影を見たに違いない。そしてウンギョンちゃんは母親になっていた。何という天の配剤であろうか。子を持ったことで彼女は横田夫妻の気持ちを察することができただろう。今回の面会についてあれこれ詮索すべきではないと私は思う。もうこれ以上被害者の家族を傷つけることはあるまい。真相は不明のままだ。しかし祖父母と孫が見つめ合う視線の中に自(おの)ずから明らかな何かが通ったことだろう。それだけでよい。ただそれだけで。

家族

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