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2014-02-07

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 禁を破り、まだ読み終えていない作品を紹介しよう。第二次大戦後、アメリカが世界で何を行ってきたのかが理解できる。情報の圧縮度が高いにもかかわらず読みやすいという稀有な書籍。2冊で5000円は安い買い物だ。

 少なからぬ人々が中野剛志〈なかの・たけし〉の紹介で本書を知り、翻訳を心待ちにしていたことだろう。


【5分7秒から】

 ナオミ・クラインについては『ブランドなんか、いらない』を挫折していたので不安を覚えた。それは杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 書評の禁句を使わせてもらおう。「とにかく凄い」。序章と第一部「ふたりのショック博士」だけで普通の本1冊分以上の価値がある。CIAMKウルトラ計画で知られるドナルド・ユーイン・キャメロン(スコットランド生まれのアメリカ人でカナダ・マギル大学付属アラン研究所所長。後に世界精神医学会の初代議長〈※本書ではユーイン・キャメロンと表記されている。なぜドナルド・キャメロンでないのかは不明〉)と、マネタリズムの父にしてシカゴ学派の教祖ミルトン・フリードマンがどれほど似通っているかを検証し、同じ種類の権威であることを証明している。

ジェシー・ベンチュラの陰謀論~MKウルトラ

 枕としては巧妙すぎて私は首を傾(かし)げた。だが南米の国々を破壊してきたアメリカの謀略を読んで得心がいった。

 壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義」(ディザスター・キャピタリズム)と呼ぶことにした。

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 フリードマンはその熱心な追随者たちとともに、過去30年以上にわたってこうした戦略を練り上げてきた。つまり、深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだそのショック状態にたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、「改革」を一気に定着させてしまおうという戦略だ。
 フリードマンはきわめて大きな影響力を及ぼした論文のひとつで、今日の資本主義の主流となったいかがわしい手法について、明確に述べている。私はそれを「ショック・ドクトリン」、すなわち衝撃的出来事を巧妙に利用する政策だと理解するに至った。

 ショック・ドクトリンというレンズを通すと、過去35年間の世界の動きもまるで違って見えてくる。この間に世界各地で起きた数々の忌まわしい人権侵害は、とかく非民主的政権による残虐行為だと片づけられてきたが、じつのところその裏には、自由市場の過激な「改革」を導入する環境を考えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図が隠されていた。1970年代、アルゼンチンの軍事政権下では3万人が「行方不明」となったが、そのほとんどが国内のシカゴ学派の経済強行策に版愛する主要勢力の左翼活動家だった。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の目的も「アメリカのための市場開放」であることは間違いない。しかもフリードマン一派が常に待望している惨事(東日本大震災)がこれ以上はないというタイミングで発生した。あとは枠組みを作って根こそぎ奪うだけのことだ。

 利権が民主主義を脅かしている。政治は経済に侵略され、思想よりも損得で動くようになってしまった。既に巨大な多国籍企業は国家を超える力をもつ。富は均衡を失い富裕層へと流れ、先進国では貧困化が拡大している。このまま進めば庶民は確実に殺される。

 本書のどのページを開いても資本主義経済崩壊の警鐘が鳴り響いてくる。

 私も以前からミルトン・フリードマンに嫌悪感を覚えていたが、そんな彼でさえクリシュナムルティを称賛していたことを付記しておく。(ミルトン・フリードマンによるクリシュナムルティの記事




資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(前編)
資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(後編)

キャピタリズム~マネーは踊る プレミアム・エディション [DVD]

『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代
環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人
モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
『ザ・コーポレーション(The Corporation)日本語字幕版』
帝国主義大国を目指すロシア/『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優
パレートの法則/『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
アメリカ礼賛のプロパガンダ本/『犬の力』ドン・ウィンズロウ
官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
グローバリズムの目的は脱領土的な覇権の確立/『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人
シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
TPPの実質は企業による世界統治
近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない/『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
ヨーロッパの拡張主義・膨張運動/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
新自由主義に異を唱えた男/『自動車の社会的費用』宇沢弘文
フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎

2014-01-11

無学であることは愚かを意味しない/『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン


現実の入り混じったフィクション
・無学であることは愚かを意味しない

 バター茶が運ばれてくると、ハジ・アリが口を開いた。
「ここでうまくやっていきたいとお思いなら、我々のやり方を重んじてくだされ」お茶に息を吹きかけながら言った。
「バルティ族の人間と初めていっしょにお茶を飲むとき、その人はまだよそ者だ。2杯目のお茶を飲む。尊敬すべき友人となる。3杯目のお茶をわかちあう。そうすれば家族の一員となる。家族のためには、我々はどんなことでもする。命だって捨てる。グレッグ先生、3杯のお茶をわかちあうまで、じっくりと時間をかけることだ」
 温かい手を僕の手に重ねた。
「たしかに、我々は無学かもしれん。だが、愚かではない。この地で長いこと生きのびてきたのだから」

 この日、ハジ・アリは僕の人生の中でいちばん大切なことを教えてくれた。

【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)】

 何となくわかったつもりになっていた副題がここでストンと腑に落ちる。バルティ族はパキスタンの最北西部に住む部族で元々はチベット領であった。過酷な風土が人間に奥行きを与えるのだろうか。優しさの中に哲学性が光る言葉だ。

 無学であることは愚かを意味しない。無学は事実にすぎない。恥ずべきは愚かである。

 そして焦りがよい結果をもたらすことはまずない。魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけるサザエさんは確実に怪我をする。また短期間でつくり上げた建築物は短期間で崩壊するというのが歴史の鉄則だ。

 アレクサンドル・デュマは『モンテ・クリスト伯』の結末に「待て、しかして希望せよ!」と書いた。エドモン・ダンテスは無実の罪で14年もの間、監獄でただひたすら復讐の時を待った。ダンテス青年の不屈を黒岩涙香〈くろいわ・るいこう〉は『岩窟王』と訳した。

 人生には必ず不運や不遇がつきまとう。じたばたしたところで上手くゆくことはない。私の場合、しっかりと腰を下ろして本を読んだり、深夜の月を見上げることにしている。あるいは、ひたすら寝るという手もあるな(ニヤリ)。

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)

2014-01-09

現実の入り混じったフィクション/『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン


・現実の入り混じったフィクション
無学であることは愚かを意味しない

 アメリカで360万部を売り上げたベストセラーである。著者のグレッグ・モーテンソンはK2から下山する途中で遭難しかける。パキスタンの山間部であった。彼は地元の村人に救われる。その村には学校がなかった。無名のアメリカ人青年は村の子供たちのために学校をつくることを約束する。

 無謀な夢が3年後に実現する。しかも立て続けに3校がつくられた。後に財団を設立し、本書が刊行された時点で何と53校も建設している。

 異なる文化が摩擦を生む。だが手探りしながら共通の価値観を見出し、互いが互いに寄り添う努力をしながら学校は建った。アフマド・シャー・マスードを知り、中村哲〈なかむら・てつ〉を読んだ私は迷うことなく本書を「必読書」リストに入れた。

 内容を確認しようと思い検索したところ、本書に捏造疑惑があるとの記事を見つけた。

『スリー・カップス・オブ・ティ』の大嘘 | 葉巻のけむり 高田直樹ブログ
米軍必読のベストセラーに捏造疑惑 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 ウーーーム、疑惑は濃厚だ。著者は更に学校をつくるべく、過剰な演出・行き過ぎたマーケティング・結果オーライ志向の創作を行ったのだろう。もっと言ってしまえば、たとえ嘘をついてカネを集めようと、目的が正しければ構わないとまで考えたのかもしれない。

 私からグレッグ・モーテンソンにクリシュナムルティの言葉を送ろう。

 間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。

【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 ひょっとすると彼の目的は学校をつくることから、学校をつくる自分を宣揚することに変質した可能性がある。活字による嘘は読者を騙すとか自分を偽るという次元ではなく、平然と自然に生まれるものだと私は考える。書く営みはいつだって自分に正確さを強いる。私はツイッターですら嘘は書けない。それどころか言葉づかいや知識の正誤を確認すべく検索するのが常である。

 嘘つきは病気だ。馬鹿と嘘つきにつける薬はない。

 先ほど必読書から外した。だがそれでも本書は一読の価値がある。最初から「現実の入り混じったフィクション」と思って読めばよい。

 各章に配されたエピグラフが秀逸だ。長くなってしまったので、これだけ紹介しておく。

 暗いときには星が見える。
(ペルシアのことわざ)

【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)以下同】

「あなたの村に、何かお手伝いできることはありませんか?」
「教わることは何もありません。あなた方が持っているものも、たいしてうらやましくないです。どこをとっても、私たちの方が幸せそうだと思います。ただ、学校だけは欲しい。子どもたちを学校に通わせたいのです」
エドマンド・ヒラリー卿とウルキエン・シェルパの対話 『雲の中の学校』より)

 偉大さは、つねに次のものを基礎とする。
 ごく平凡な人間の姿と言動である。
(シャムス・ウッディーン・ムハンマド・ハーフィズ)

 心に哀しき憧れを抱け。
 決してあきらめず、決して希望を失うな。
 アラーいわく「我は打ちのめされた者を愛する」。
 傷つくがいい。打ちのめされるがいい。
(シャイフ・アブ・サイード・アビル・ヘイル またの名を、名も無き者の息子)

 アラーを信ぜよ。
 だが、自分のラクダはしっかりつないでおけ。
(スカルドゥの第5飛行団基地の入り口にあった注意書き)

 諸君、
 美しい女の瞳はなぜ許可制でないのか?
 弾丸のように勇気をつらぬくし、刃のようにするどいのに。
(バルティスタンのサトパラ渓谷にある、現存する世界最古の仏様にスプレーで書かれた落書き)

 ヒマラヤの原始的な暮らしが、工業化の進んだ私たちの社会に教えてくれる。ばかげた考えだと思うかもしれない。しかし、きちんと機能する未来の姿を求めれば、めぐりめぐって、人間と大地とが共存する暮らしに必ず回帰する。昔ながらの文化は、悠久の大地を絶対に無視しない。
(ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ)

 打ちおろされるかなづちではなく、たわむれる水こそが
 小石を完全なるものに歌いあげる。
ラビンドラナート・タゴール

 算数や詩の時代は終わった。兄弟たちよ、今は機関銃(カラシニコフ)や手榴弾から学ぶ時代だ。
(コルフェ小学校の壁にスプレーで書かれた落書き)

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2013-06-08

被災小学生が発行した壁新聞/『宮城県気仙沼発! ファイト新聞』ファイト新聞社


 2011年3月11日――東日本大震災は日本人の時間概念を変えた。時計が止まってしまったような感覚を覚える人も多いのではあるまいか。その後の管政権の対応を見て「ああ、日本は国家として終わったな」と私は感じた。人の命や苦しみを軽んじる国家が国家として成り立つわけがない。震災は今もなお原発問題などの形で日本を揺らしている。

 五十近いオヤジが日本に愛想を尽かしていた頃、被災地の宮城県で壁新聞を発行した小学生がいた。

 わたしは 手がみや えをかくことが大すきです。
 パパやママにかくとよろこんでくれます。
 ひなん所の人にも、あげたかったけど
 かわいいびんせんがありません。
 みんなしらない人だし、元気がないです。
 白い、大きな かみがあったので、
 新聞みたいに4コママンガや、ニュースをかいて、みなさんに、元気になってほしいとおもいました。
 さいしょは吉田新聞にしよーとおもったけど
 元気が出るよーに、ファイト新聞にきめました。
 よんだ人から、ほめられたり、えがおではなしをしてくれたら、わたしも元気になりました。

 吉田 りさ

【『宮城県気仙沼発! ファイト新聞』ファイト新聞社(河出書房新社、2011年)以下同】

 偉いっ! 私はキリスト教を信じないが君こそ天使だと思うぞ。思わず頬ずりしたくなるほどだ。初代編集長のりさちゃんは当時7歳。きっと親御さんの心掛けがいいんだろうね。ファイト新聞の実物については以下を参照されよ。

宮城県気仙沼発!ファイト新聞:河出書房新社
こどもの日なので…気仙沼小学校体育館の「ファイト新聞」

 しかし凄いよね、ネーミングが。目にした人々は心の中で「ファイト!」と読んでしまうわけだから。りさちゃんの一念が読者を通して次々と反響していったに違いない。「気合い」じゃダメだ。「根性」にも無理がある。「頑張ろう」だと暗い。どう考えても「ファイト」以外の適切な言葉が見つからない。「ファイト!」と呼び掛けられれば、「オー!」と応えるのが道理だ。「ファイト!」という文字を読めば、自然に自分が「オー!」と応じてしまう。

 18日付で発行された紙面は翌日付から何とカラーになる。

 昨日、えのもとかな子さまや大魔神で有名な佐々木さんなどが気小(※気仙沼小学校)に来ました。いっぱい写メをとったり、サインをもらったり、あくしゅをしたりしました!!(3月30日付)

 なかなか本格的な記事である。時にはローカルねたも書かれている。

 昨日の西村さん

・酒をのむ
・たくさんのむ
・さわぐ
・顔が赤い
・しつこい
・「しょせん おやじってそんなもんか」
・「○レ○チ学園」をすすめる

※酔いがさめたら ぜったいに こうかいする(4月13日付)

 西村さんの赤面が目に浮かぶ。

 編集部員の中には親御さんを喪った子供もいた。それでも尚、誰かのために何かを為したいという心に救われる思いがする。

 君たちは多くの大人に勇気と希望を与えた。否、君たちの存在こそ希望そのものである。どうか日本を救ってください。お願いします。私は君たちについてゆきます。

 子供たちの顔を見てもらいたいので大きな画像を貼りつけておく。

宮城県気仙沼発! ファイト新聞

大川小の行方不明者捜索自衛官に勇気を与えた小学生の手紙

2012-08-29

民主主義と暴力/『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎


 1996年10月30日、岐阜県可児郡(かにぐん)御嵩(みたけ)町長を務めていた柳川喜郎は二人組の暴漢に襲われ、滅多打ちにされた。

 左前頭部頭蓋骨陥没骨折、頭部打撲傷、右上腕部骨折、右肋骨3本骨折、その1本は肺に刺さって右肺が気胸(ききょう)の状態、それに右鎖骨骨折との診断であった。

【『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎〈やながわ・よしろう〉(岩波書店、2009年)以下同】

 右腕上腕部は直角に折れていた。御嵩町長襲撃事件である。柳川は意識不明の重体となるが辛うじて一命を取り留めた。

 前年の1995年、産業廃棄物処理場の建設反対を公約に掲げて柳川は町長選で当選する。

 襲撃事件の1年以上前から、産廃についての勉強会を開いた住民たちに暴力団や右翼から脅しが入ったり、町長室に広域暴力団の幹部が私に面会を求めてやってきて、「介入する」と凄んでいったこともあった。
 襲撃事件の1年前の95年9月、産廃処分場計画の一時凍結を県知事に要望してからは、ミニ新聞が一斉に御嵩町政批判と私に対する個人攻撃を反復し、執拗に敵意をむき出しにしていた。

 利権と暴力はセットメニューだ。利権に与(あずか)る企業にとって暴力団は必要悪の存在といえる。汚れ仕事はアウトソーシングするわけだ。

 柳川はNHK記者時代に戦場取材や暴動を経験してきた。そこに自信と油断があった。サポーターは監視カメラの設置を進言したが、結局間に合わなかった。

 御嵩(みかさ)町の隣りの可児(かに)市にある産業廃棄物処理業者、寿和(としわ)工業の韓鳳道(清水正靖)会長が平井儀男町長に面会して、御嵩町小和沢(こわさわ)に39ヘクタールの管理型産廃処分場を建設する計画について説明した。

 この会社は現在も営業中だ。

寿和工業

 木曽川には織田信長にもらったとされる農業用水の水利権、それに福沢桃介(ももすけ)がはじめた水力発電の水利権など、がんじがらめになっている。

 御嵩町には木曽川の水利権がなかった。この辺りについては以下のページが詳しい。

御嵩[1998/05]

 岐阜県は産廃処理場設置に積極的だった。柳川も梶原拓知事と小田清一衛星環境部長の名前を挙げて問題視している。

「協定書」の最大の問題点は、町民の知らないところで、いわば密室協議で決まり、締結されたことであった。それまで表向き産廃処分場は「不適」として建設に反対の意思を表明してきた町が180度方針を転換し、「協定書」で巨大産廃処分場受け入れを決めたことは、町民にはまったく知らされなかった。
 それに、町が産廃業者から受け取ることになっていた金額35億円は、町の年間一般会計予算額約60億円と対比させても巨額であり、町民の知らないまま受け取りを決定してよい金額ではなかった。

 ま、政治なんてえのあ、闇鍋みたいなもんだろう。この国ではジャーナリズムが機能していないため、政治家や大企業はやりたい放題だ。柳川は住民投票の実施を決意する。しかし、岐阜県がまた横槍を入れてきた。

 なぜならば、地元の御嵩町では住民投票で小和沢に産廃処分場を建設するか、しないかについて民意を問おうという矢先に、処分場の建設を前提とした「調整試案」を提示してきたのは、住民投票への妨害工作と解釈せざるをえなかったからである。

 こうなると寿和工業と岐阜県の間に何らかの利益構造があると見てよさそうだ。

 M右翼の元親分の追悼式は同じ年の9月7日におこなわれるが、その前日、寿和工業会長は高速道路のインター近くで、5000万円の現金をM右翼に渡す。香典にしては巨額であった。

 寿和工業の素性が知れる行為である。

 また、こんなこともあった。

 のちに捜査が進んで盗聴Aグループの実行犯が逮捕されたとき、新聞の犯人の顔写真を見て、私は飛びあがった。逮捕されたT興信所はテレビ取材班と一緒に現れた盗聴器発見プロ氏、その人であった。

 柳川の自宅電話は二つのグループによって盗聴されていた。

 結局、この事件は時効となる。なぜか?

「正直いって寿和にいる元警察幹部が障害になった」と、ある捜査官は私に語ったことがある。

 寿和工業には複数の警察幹部が天下りしていたのだ。警察OBが捜査に手心を加えさせることは決して珍しいことではない。

革マル派に支配されているJR東日本/『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介

 岐阜県警は凶器の特定すらできず、あろうことか柳川のX線写真すら確認していなかった。

 御嵩町で住民投票が実施された。

 即日開票の結果、産廃処分場建設に反対1万373票(79.6%)、賛成2442票(18.7%)、反対票が圧倒的だった。(※絶対得票率69.5%)

 この結果を受けて、

 産廃業者・寿和工業は住民投票後も町と町長に対する提訴を濫発し、合計10本となった。

 訴権の濫用ともいうべき醜態だ。凶暴な野獣を思わせる。

「民主主義は楽ではない」との一言があまりにも重い。柳川が描いたのは暴力に屈することのなかった地方自治の姿であった。柳川は我が身を暴力にさらすことで民主主義に魂を吹き込んだといってよい。民の無関心が民主主義のリスクを高める。その代償はあまりにも大きい。そして司法も警察もまともに機能していない現実がある。

 そもそも民主主義というものは理想的な概念であって、私としては信ずるに値するとも思っていないし、単なる欺瞞だと考えている。そんな私からしても柳川&御嵩町民の闘争は一筋の光明と感じた。

 本当はここからいじめについて書こうと思っていたのだが、長くなったので筆を擱(お)く。最後に新聞記事を紹介しよう。

犯人に異例の呼び掛け 岐阜・御嵩町長、事件10年で会見

 岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長(73)が襲撃された事件から30日で10年になるのを前に、町長は26日、御嵩町役場で記者会見し、犯人に呼び掛ける異例のメッセージを発表した。事件は時効まで5年に迫ったが、捜査は難航している。

「犯人に告ぐ」と題したメッセージで柳川町長は「もし、君たちに良心がかけらでもあるならば、自首してもらいたい」と呼び掛けた。会見では「10年間心当たりを探してきたが、事件の背景への心当たりは産廃以外にない」と指摘し「自首するならば、県警に減軽の嘆願書を出すだろう」と心境を語った。

 襲撃事件は1996年10月30日午後6時すぎに発生。町内の自宅マンションに戻った柳川町長を、待ち伏せていた2人組の男が棒のようなもので殴り、頭や腕などの骨を折る重傷を負わせた。

 県警はこれまでに、延べ14万8000人の捜査員を投入。柳川町長宅の電話が盗聴されていた事件で11人を逮捕したが、襲撃事件の犯人逮捕には結びついていない。

 事件解決を訴えてきた町民グループは11月3日午後1時半から、同町の中公民館で暴力追放を訴える集会を開催。右翼団体構成員に実家を放火された加藤紘一衆院議員、元日弁連会長の中坊公平氏、柳川町長が講演する。



町長メッセージ「犯人に告ぐ」

 この10年間、考え続けてきたが、どう考えても、君たちと私は互いに見知らぬ関係だ。
 君たちは「雇われた男」なのだ。
 金のために、暗闇で待ち伏せて、無抵抗の人間をメッタ打ちにするなど、卑怯(ひきょう)とは思 わないのか。
 もし、君たちに良心がかけらでもあるならば、自首してもらいたい。
 許すことを約束する。

【中日新聞 2006-10-27】

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柳川喜郎さん襲撃事件、時効
柳川喜郎前御嵩町長が住民投票条例について講演(1)
柳川喜郎前御嵩町長が住民投票条例について講演(2)
急接近:柳川喜郎さん 言論封じる暴力に社会が立ち向かうには/【社説】「知る権利」を侵すな 秘密保全法制
民主主義と暴力について/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
合理的思考の教科書/『リサイクル幻想』武田邦彦
金儲けのための策略/『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司

2009-08-27

不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 私はタゴールの言葉を想った。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」――。

 で、「侮辱された人」って誰のことなんだろうね? タゴールはマハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持していた。とすると、イギリス支配下のインドにいた上流カーストあたりを意味しているのかもしれない。

 ガンディーの尊称である「マハトマ(偉大なる魂)」は、タゴールが付けたという説がある。ガンディーは確かにインド独立を勝ち取ったが、カースト制度を終生にわたって支持した。彼は偉大なる魂ではなく、“偉大なる下半身”の持ち主だろう。ガンディーは晩年、若い女性を同衾(どうきん)させることを常としていた(※自分が性欲に打ち克つことを証明するために)。

 では、ガンディーが死守しようとしたカースト制度は、不可触民に対してどのような仕打ちをしてきたのか――

「わしの姪っ子二人は、この近くの村にいます。
 上は16、下は14です。二人ともまだ嫁入り前の生娘(きむすめ)だった。
 地主のところで畑仕事をさせてもらっていました。気立てのええ働きもんでの、地主も重宝がってくれとった。
 あれらの日当は、よそより低かったのが不満での。1日、3ルピーさ。いまどきよそはどこでも4ルピーは払うとるよ。
 上の娘は負けん気だったでの、地主に半ルピー(15円)でええから、日当を増やしてもらえんかって頼んだのじゃ。
 地主はまるっきり取り合ってくれなんだ。
 それで娘は、4ルピーで他に働くところはいくらもある、というたそうな。
 その一言が、地主の癇(かん)にさわったのじゃ。
 いきなり、もっとった杖で娘をひどく殴ったら、その娘が怒って、もうあんたんところでは働かん、いうたんだじゃよ(ママ)。
 他に人がいる前じゃったのが悪かったのよ。
 地主は、生意気な小娘じゃ、いうて、手下に命じて、上の娘を素裸にむいて、木にくくりつけた。そして木の枝で散々ぶったんじゃ。
 見物人が集まっての、面白そうに笑って見ておったそうな。だれも助けてくれるもんはおらん。みんな地主を怖れておるし、不可触民の娘なぞいい慰めにしか思うておらんでの。
 地主の家の若いもんが興がって、くくりつけられとるその娘の股倉に棒を押しこんだりはじめた。周りがもっとやれとけしかけ、娘のアソコに棒をムリヤリ突っこもうとしたんだ。
 娘は厭(いや)がってあらがったよ、当たり前じゃ。嫁入り前の小娘に、そんなむごい悪戯(いたずら)をしてええもんかの。娘があんまり暴れるんでロープがゆるんで、娘の足が運悪く、その若いもんの顔に当ってしもうた。
 男は大声で“不可触民がオレの顔を足げにした”とわめきおった。
 周囲は益々面白がって、懲(こ)らしめろ、見せしめにしろ、と騒いだ」
 老農夫は、そこでつばをぐっと呑みこみ、眼を光らせた。
「そいつはあんた、家の鍛冶場(かじば)から真赤な鉄火箸を持ってきて――。
 娘の、アソコにぐいと突っこんだのじゃ。怖ろしい悲鳴を上げて娘は気を失ってしまった。下の娘も気が違うなってその場に倒れてしもったのです。
 可哀そうに、上の娘は家でも病人ですじゃ。人相もなにも変ってしもうた。一生、嫁にもいけん体にされてしもうて――。
 あんた、たったの半ルピーで、どうしてあのような目にあわされんねば ならんのです」
「カーストヒンズーたちは、わしらを慰みもんにして楽しんどるだ」
 その言葉にホールの中の顔が一斉に頷いた。目の前の“母親”も、何度も深く頷いた。
「あいつらの一番の楽しみは、弱いもん苛(いじ)めなんじゃ」別の声がいった。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 私の中に怒りは湧いてこない。ただ、静かなる殺意が確固たる形を成すだけだ。法で裁くなどと悠長なことを言っている場合ではない。「速やかに殺害せよ」と私のDNAが命令を下す。宗教だとか文化だとか言語の違いは全く関係ない。罪もない少女にこんな仕打ちをするような手合いは人類の敵なのだ。

 この文章が恐ろしいのは、まず娘の惨状を傍観している親がいて、それを傍観している著者がいて、更に傍観する読者が存在するという点に尽きる。何層にもわたる傍観が、ともすると無力感へと導こうとしている。「どうせ、お前は何もできないだろう?」という問いかけが、「何もできなかった」という事実と相俟(ま)って私から力を奪おうとする。

 結局、ガンディーが守ろうとしたのは、上流カーストが不可触民を虐待する権利だったってわけだ。結果的にそう言われてもガンディーは反論のしようがあるまい。

 人類が犯してきた数多くの虐殺の歴史が教えているのは、「沈黙していれば殺される」という事実である。だから私は、殺される前に殺すことは罪にならないと考える。これは正当防衛なのだ。

 極論かもしれないが、私は人種差別者は死刑に処すべきだと本気で思っている。なぜなら、明日以降「殺されるために生まれてくる人々」による正当防衛であると信ずるからだ。差別とは「相手を殺す」思想に他ならない。

 私は歯ぎしりしながら、自分にできることを淡々と行う。そして、自分にできる範囲を少しでも広げてゆく。そうでなければ、生きている甲斐がないから。

2009-02-26

豊かな生命力は深い矛盾から生まれる/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 山際素男を初めて読んだが、この人は文章に独特の臭みがある。漬け物や演歌と似た匂いだ。漢字表記や送り仮名までが匂いを放っている。

 だが、これは名文――

 生命というものは、矛盾(むじゅん)そのものを一瞬一瞬、あわやというところで乗り越え、乗り越え損(そこ)ない、といった際(きわ)どい運動の非連続的連続のくり返しの中に存在するものであろう。
 だから、生命力が豊かだということは、より深い矛盾の中から生れてくるなにものかでなくてはなるまい。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 一読後、再びこの文章を目にすると「そいつあ奇麗事が過ぎるんじゃないか?」と思わざるを得ない。多分、インドの豊穣な精神を表現したものだろう。しかしながら、インドが抱えてきたのはカースト制度という「桁外れの矛盾」であった。

 暴力の社会階層化、差別の無限システム――これがカースト制度だ。インドは非暴力の国であり、核を保有する国家でもある。そして中国同様、文化・宗教・言語すら統一されていない巨大な国だ。大き過ぎる危うさを抱えているといってよい。

 山際の文章に何となくイライラさせられるのは、「矛盾を肯定するものわかりのよさ」を感じてしまうためだ。所詮、傍観者であり、旅行者の視線を脱しきれていない。苦悩に喘ぐ人々に寄り添い、同苦し、何らかの行動を起こそうという覚悟が微塵もない。「本を書くためにやってきました」以上である。

 読みながら何度となく、「山際よ、インドの土になれ! 日本に帰ってくるな!」と私は叫んだ。だが私の声は届かない。だって、30年前に出版された本だもんね。

 差別は人を殺す。ルワンダの大量虐殺もそうだった。人類は21世紀になっても尚、差別することをやめようとはしない。きっと差別せざるを得ない遺伝情報があるのだろう。問題は、自由競争のスタート地点で既に厳然たる差別があることだ。

2009-02-15

少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二


 ・少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした
 ・シエラレオネ反政府軍に使われた少年兵は5000人以上
 ・麻薬で殺人に駆り立てられる少年兵

『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー

 ユニセフは少年兵の数を25万人と想定している。では子供達が戦場でどのような攻撃をしているのか――

 子どもたちのなかには養女がいます。メムナちゃんといいます。妻エリザベスさんの姉の娘です。
 3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。
(こんなに小さな子が逆らうはずもないのに、なぜ? 兵士たちは狂っている…)
 わたしはこの時、自分の腕がじーんと痛くなるのを感じました。
 メムナちゃんがおそわれたのは、1年前のこと。
 勢いにのった反政府軍が、地方から首都フリータウンへ攻め入ってきた時のことです。
 反政府軍の残酷なやり方はこれまでよりも激しくなっていました。無差別に銃を乱射し、家に火をつけ、逃げまどう市民たちをつかまえては、列にならばせました。そしてまるで流れ作業のように手や足を切り落としていったといいます。(中略)
 エリザベスさんはその時のことを話してくれました。
 自分たちをおそった反政府軍の兵士は、10歳前後の子どもたちのグループだったといいます。
「そのグループはジョンダとよばれていました。リーダーは12歳と聞きました。」
 私は一瞬、自分の耳を疑いました。
「子どもの兵士だったのですか?」
「銃を持っていたのはほとんどが10歳前後の子どもたちでした。
 最初、わたしたちはメムナの家族といっしょにモスクにかくれていたんです。
 でも、ジョンダ・グループの子ども兵士たちに見つかって、わたしたち全員が建物の外に出されて、ならばされました。
 小さな体なのに大きな銃を持った子ども兵士たちは、わたしたちの列に向かっていきなり銃を撃ち始めました。
 その時、メムナは泣いていて、母親がかばおうとしました。すると、彼らは母親を撃ち、メムナを連れて、その場を笑いながら去っていったのです。」(3日後に右手が切断されたメムナちゃんが発見される)

【『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二(汐文社、2005年)】

 本書で紹介されている少年兵は、襲撃した村からさらってきた子供達であり、麻薬漬けにされている。表紙の拡大画面を見て欲しい。左目の下にある三日月の傷痕は、カミソリで切られて麻薬を埋め込まれたものだ。

 シエラレオネは世界一平均寿命が短い国である。アフリカ諸国は欧米に利用されるだけ利用され、踏みつけられるだけ踏みつけられてきた歴史がある。ルワンダもそうだ。欧米に共通するのはキリスト教という価値観であり、そこに差別的な発想があるとしか思えない。ノアの箱舟に乗れるのは自分達だけで、それ以外の有色人種はどうなろうと構わないのだろう。彼等がイエスを信じた時から、多分神は死んでいたはずだ。

 元少年兵を社会が受け入れ、苦悩し続けるシエラレオネ。殺した者と殺された者とが手を取り合おうと呻吟(しんぎん)するシエラレオネ。明るい未来を思わずにはいられない。


シエラレオネ 裁かれる戦争犯罪 - 孤帆の遠影碧空に尽き
後藤健二氏殺害の真相/『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘

2001-08-13

死して尚登り続ける遺体の崇高さ/『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン


・『星と嵐』ガストン・レビュファ
『神々の山嶺』夢枕獏
・『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』佐瀬稔
『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル

 ・死して尚登り続ける遺体の崇高さ

【動画】ジョージ・マロリーの遺体発見
『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』リアン・プーリー監督
・『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』丸山直樹
『凍(とう)』沢木耕太郎


【亡くなる4年前の写真。34歳】

 このあどけない風貌の男の内側で、修羅の炎が燃え盛っていた。

 副題は「伝説の登山家マロリー発見記」。著者に名を連ねるのはヨッヘン・ヘムレブ、ラリー・A・ジョンソン、エリック・R・サイモンスン。この3人がエヴェレストに登り、マロリーを発見したチームの主要人物。

 ニュース性が高い内容だけに、やや面白みに欠けるのは仕方がないだろう。夢枕獏の『神々の山嶺』(集英社)を読んだ方であれば、手に取らざるを得なくなるはずだ。表紙に配された2枚の写真。マロリーの肖像とエヴェレストにしがみつくような姿勢で真っ白な彫像を思わせる遺体。巻頭の写真をよくよく見ると、地面の傾斜角度は、ほぼ45度。右足首があらぬ方向を向き、完全に折れてしまっている。

 各章の頭にマロリーの言葉が掲げられている――

 打ち負かされて降りてくる自分の姿など、とても想像できない……

【『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン:海津正彦〈かいつ・まさひこ〉、高津幸枝〈たかつ・ゆきえ〉訳(文藝春秋、1999年)以下同】

 それがどんなに私の心をとらえているか、とうてい説明しきれない……

 大胆な想像力で夢に描いたものより遥か高みの空に、エヴェレストの山頂が現われた

 もう一度、そしてこれが最後――そういう覚悟で、私たちはロンブク氷河を上へ上へ前進していく。待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か

 マロリーの人とナリが窺えて興味深い。

 エヴェレストの山頂がエドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって制覇されたのは1953年5月。これに先立つこと約30年、1924年にジョージ・マロリーは山頂近くでその姿を確認されたまま行方不明となった。当時の写真を見て驚かされるのはその服装である。ツイード・ジャケットにゲートルを巻いた程度の軽装で、現在であれば、富士山にも登れないような格好をしているのだ。世界で最も天に近い地を踏んでみせる!――男達の顔はそんな不敵な匂いを放っている。

「マロリーは登頂に成功したのか否か?」という最大の関心事には、遺体があった位置などから、かなり真実性を帯びた推測がなされている。これは読んでのお楽しみ。

「なぜ、山に登るのか?」
「そこに山があるからだ」

 実はこれ、意訳。正確にはこうだ。

「なぜ、エヴェレストに登るのか?」(記者からのしつこい質問)
「そこに、それ(人類未踏の最高峰)があるからだ」

 この名言を吐いた男の亡き骸は、発見されるまでの75年間にわたって、山頂を目指していた姿だ。最後の最後まで戦い続けた男の執念は、死にゆくその瞬間まで絶対にあきらめようとしなかった。エヴェレスト北面8160mで彼は死後も戦い続けていたのだ。滑落姿勢を保ち、エヴェレストの大地に指の爪を立てたままで――。「生きるとはこういうことだ! 私を見よ!」。マロリーの死に様は、生ある全ての人の背筋を正さずにはおかない。この姿を一度(ひとたび)見れば、誰もが生き方を変えざるを得なくなるはずだ。

 それは単なる遺体ではなく、不屈の魂そのものだった。マロリーの精神は、エヴェレストの山頂よりも遥かな高みから山男たちを見守っていることだろう。