「流れに任せて漂うことは誰にでもできる。死んだ犬にだってな。」と私の父親はよく言っていた。
【『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』トム・ルッツ:小澤英実〈おざわ・えいみ〉、篠儀直子〈しのぎ・なおこ〉(青土社、2006年)】
家に帰って斎藤はさっそく書生を通して父と話し合う約束をとりつけた。
「ドイツに音楽の勉強に行きたいのです」
「ああ、いいだろう」
ものの10分しないうちに秀雄の留学は決まった。
音楽は男子がするものではないといった風潮の時代である。斎藤家の総領である秀雄の寝耳に水のような音楽留学の申し出を、あっけなく秀三郎が認めたなどということは、「果断即決が先生の信条」と納得していた弟子筋の人々にとっても驚嘆以外のなにものでもなかった。
【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】