2015-10-09

「私が20年刑務所に行くから被告人を殺させてください」


入間女子大生殺害 無期懲役を求刑 遺族は死刑望む 埼玉

 入間市で昨年10月、同市豊岡の大東文化大3年、佐藤静香さん=当時(21)=が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた同市豊岡、無職、沼田雄介被告(21)の裁判員裁判論告求刑公判が29日、さいたま地裁(片山隆夫裁判長)で開かれた。検察側は無期懲役を求刑した。

 論告で検察側は、「人生をリセットしたかった」などとした沼田被告の犯行動機について「理解不能で極めて身勝手」などと指摘し、被害者が1人の殺人事件の中で最も重く処罰されるべき事案だと主張。事件後の出頭も反省や後悔に基づくものではなく、減刑の理由にはならないとした。弁護側は沼田被告が深く反省しているとして、懲役18年が妥当と主張した。

 被害者参加制度を利用して公判に参加した佐藤さんの父(54)は「被告は自分が死刑にならないことを前提で静香を殺した。自分の命を保証された形で人を殺すことが許されていいのか。私が20年刑務所に行くから被告人を殺させてください」と涙ながらに心情を述べた。佐藤さんの弟(21)は「被告と同じような考えをもった別の犯人を出さないためにも、被告には死刑を求める」と訴えた。

産経ニュース 2015-09-30

2015-10-08

映画『子宮に沈める』/『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之


 ・映画『子宮に沈める』

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史

 これは、誰もが目にすることがなかった光景だ。大阪二児遺棄事件の母親も、その周囲にいる人も、誰も。
 その密室の中にいたのは、餓死した2人の子供だけだった。その中で何があったのかを知ることは、もはや誰もできない。科学捜査で一部、推測できることはあるのかもしれないが、我々が知りたいことの多くには、たどり着けない。
 緒方監督は、フィクションという想像力でそれを「見よう」とした。生き残った母親や、その周囲の証言をどれだけ探っても、明らかにできるのはその密室の外部にあったものだけだ。取材報道という、記者である私が置かれた立場からはどうやっても提供できない情報を、緒方監督は社会に届けようとした。

【『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之(日経BP社、2015年)】

 気骨を感じさせるルポルタージュだ。書く姿勢と書かれた文章に清々(すがすが)しさがある。人としての正しい資質は、両手に抱えた荷物の重みに耐えるバランス感覚に現れる、というのが私の持論だ。中川は自ら重いテーマを掴んだ。

 早速DVDを借りた。1週間ほど見て見ぬ振りを決め込んだ。やはり気が重い。意を決してDVDプレイヤーのボタンを押した。平凡な親子の日常が描かれていた。だが私は最初から二人の幼子が餓死することを知っている。カットに工夫があった。意図的に顔を映さない。夫婦が諍(いさか)うシーンでは下半身しか見えない。その後間延びしたカットが延々と続く。母親の子供の抱き方が不自然だ。子育て経験のない女優を起用したのか? そもそもこの母子関係から育児放棄(ネグレクト)に至る必然性がまったく見えてこない。

 というわけで見るのをやめた。そう。本当は怖くなっただけだ。3歳の女児が包丁で缶詰を開けようと試みるシーンなど見たくない。実際の事件で発見された子供の遺体は腐敗・白骨化が進み、一部はミイラ化していた。母親(当時23歳)には懲役30年の実刑判決が下った。

 私の所感を述べよう。「こういう人間もいるのだな」以上、である。何も付け加えることはない。心理学的なアプローチをする必要もないだろう。それは「殺す物語」の正当化につながりかねないからだ。いかなる理由があろうとも許すべきではない。世界中の人々が許しても私は許さない。

 昔、社会への復讐を目的に罪なき4人を射殺した男が「無知の涙」(合同出版、1971年)を流した。10代で読んだ時は感動したが、今になって考えると無知が無恥に思える。恥知らずにも程がある。そもそも「人生はやり直し可能」という大いなる誤解に基いているのだろう。人生は引き返すことができない以上、やり直せるわけがないのだ。

 経済的な貧困も怖ろしいが精神の貧困はもっと恐ろしい。貧困は確実に社会を侵食する。そして親子の絆すらあっさりと断ち切ってみせるのだ。

ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投 資」子宮に沈める [DVD]

意味のない苦役/『シーシュポスの神話』カミュ


 神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖(おそ)ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

【『シーシュポスの神話』カミュ:清水徹訳(新潮文庫、1982年/『新潮世界文学49 カミュ2 カリギュラ・誤解・戒厳令・正義の人々・シーシュポスの神話・反抗的人間』清水徹訳、新潮社、1969年)】

 原書刊行は1942年(昭和17年)というのだから第二次世界大戦の真っ只中である。アルベール・カミュ(1913-1960)は繰り返される戦争の中で不条理を見つめたのだろうか。彼は立ち木に衝突する交通事故で死んだ。KGBによる暗殺説もある。不条理を説いた男の不条理な死。

 このギリシア神話は輪廻を圧縮したような趣の恐ろしさに満ちている。ひょっとするとドストエフスキーの翻案かもしれぬ。『死の家の記録』(原書1862年)に「穴を掘って埋める」懲罰の話が出てくる。意味のない苦役が重罪人を発狂させるだろうと。

 社会的動物である我々は意味に生きる。大義を与えられれば死ぬことさえできる。世のため人のためとあらば艱難辛苦(かんなんしんく)にも耐えることが可能だ。ただしその基準は時代によって異なる。

 帝国主義でイギリスと共に世界中を支配してきたフランス人が説く不条理は不条理に満ちている。アフリカの殆どの国の言語は英語かフランス語である。カミュは一度でもその不条理を見つめたのだろうか?

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2015-10-06

アメリカは世界経済に寄生


「あの国(米国)は借金暮らしをしている。だが、収入に見合った生活をせずに、責任の重さを他国に移している。いわば『パラサイト(寄生生物)』のような生き方だ」(ウラジミール・プーチン)ロシア中部のセリゲル湖畔で行われた与党支持・青年運動組織「ナーシ」のサマーキャンプにおける講演(AFP 2011年08月02日