・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
即位した昭王が考えたことは、
――父と国の仇を討つ。
ということであり、斉に勝つにはどうするか、ということであった。一貫して自分を援けてくれた郭隗(かくかい)にその問いをぶつけた。
「斉はわが国の乱れに乗じて襲ってきて、わが国を破った。わが国は小さく国力もとぼしい。斉に報復するには力不足であることを重々承知している。それでも真の賢士を得て、国事をともにし、先王の恥を雪(すす)ぐのが、わしの願いである。先生、それができる者をみつけてくれまいか。身をもってその者に仕えるであろう」
それに対する郭隗の答えが、不朽の名言になった。
王必ず士を致(いた)さんと欲せば、先(ま)ず隗(かい)より始めよ。
王が賢士をどうしても招きたいと欲しておられるなら、この郭隗にまずお仕えなさい、といったのである。そういった郭隗自身、
「先従隗始」(せんしょうかいし)
が、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)し、東海中の島の民にも親しまれる語句になろうとはおもわなかったであろう。それはそれとして郭隗のことばにはつづきがある。
「そうすれば、隗より賢い者が、千里を通しとせずに燕(えん)にやってきましょう」
ふしぎないいかたである。昭王は眉(まゆ)をひそめた。郭隗はたしかに賢者であるが、国政をあずけてもよいほどの大才ではない。他国にその賢名がきこえているとはおもわれない男である。その郭隗に仕えると、諸国より賢士がやってくるとは、どういうことであろう。
それについて郭隗は懇々と述べた。(第二巻終了)
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
対話の妙味が問答にあることと、答えには物語が不可欠であることを教える故事だ。歴史を学ぶ目的は温故知新にある。「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」(『論語』)。物語は未来を志向する。占いがその典型だ(占いこそ物語の原型/『重耳』宮城谷昌光)。現状打開の智慧に物語の本質がある。郭隗の提言は「まず出来ることから始めよ」と受け止めることができよう。このエピソードは第三巻の冒頭で詳細が展開される。
郭隗は昭王に問われて、つぎのように答えた。
「帝者は師とともに処(お)り、王者は友とともに処り、覇者は臣とともに処り、亡国の主は役(えき)とともに処ります」
人君として至上の帝者には師があり、その下の王者には友があり、その下の覇者には臣があり、国を滅亡させる者には僕隷(ぼくれい)があるだけである。まずそういった郭隗は、つづいて、
「指を屈して師に仕え、北面して学を受ければ、自分より百倍も才能の豊かな者がやってきます。それより劣る礼ですが、敬意をあらわすために、その人のまえを趨(はし)り、その人よりおくれて息(いこ)い、はじめに問うてのちに黙ってその人の教えをきくようにすれば、自分より十倍もまさる人がやってきます。そうではなく、たがいに趨って礼をやりとりするのでは、自分にひとしい才徳の者しかきません。まして几(き)や杖(つえ)によりかかって、人を眄視指使(べんししし)するようであったら、不浄の者である厠役(しえき)の人しかこないでしょう。もっとも悪いのは、わがままに相手を睨(にら)み、打ちすえ、大声で叱(しか)ることで、それでくるのは奴隷ばかりでしょう」
と、いい、人君を五種類にわけた。
もっともすぐれた人君とは、自分が人君であることを忘れるほどの謙虚をしめす人である。これはまさに逆説といえる。王侯は自分の存在がその国でもっとも重く大きなものでなくてはならない。人は自分が存在していることをさまざまな手段をもちいて表現する。さらに、その表現の受け手である相手の反応をみて、異聞の存在を計算する。はやい話が、自分にたいして頭をさげる者が多ければ多いほど尊貴もますのである。だが郭隗の考えでは、自分の存在を無に近づける者のほうが偉いということになる。すなわち人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる。ことばをかえていえば、ひとりの師を得ることは百万の奴隷を得ることにまさる。いま全盛を誇っている斉に勝つほどの富国強兵をなしとげるためには、王としての誇りをなげすてて、賢人に指を屈し身を屈して教えを仰がねばならない。
「いま申し上げたことが、古来賢人を招致するやりかたです。王がほんとうに広く国中の賢人を求めて、その門をたずねたら、天下に評判が立ち、天下の賢人はかならず燕に馳(は)せてきましょう」
「なるほど。では、わしはいったいたれをたずねたらよいのか」
この昭王の問いにたいして郭隗は逸話をもって答えた。
こういう話である。
むかし、ある君主が千金をだしてでも千里の馬を手にいれようとしていた。千里の馬とは、むろん、一日に千里(約400キロメートル)も走ることのできる馬をいう。
が、3年たっても入手できなかった。宦官(かんがん)のなかでも宮中の掃除をおこなう者を涓人(けんじん)というが、その涓人が君主に、
「どうかその役目をわたしにお命じください。かならず千里の馬をさがしあててまいります」
と、自信ありげにいった。
「かならずだぞ」
念を押した君主は涓人に任務をさずけた。涓人は各地を歩き、3か月後に、ついに千里の馬をみつけた。が、不運なことに、その名馬は死んでいた。
「死んでいようが千里の馬は千里の馬だ。その首をわたしに売ってくれ」
涓人はなんと五百金という大金をだして、馬の首を買いとると、帰国し、復命した。君主が激怒したことはいうまでもない。
「わしが欲しいのは生きている馬だ。どうして死んだ馬を大事にして五百金を捐(す)ててきたのか」
そうなじられても涓人はいささかも萎縮(いしゅく)せず、
「君は千里の馬であれば死馬でさえ五百金でお買いになったわけです。生馬では、どうか、と世間でとりざたしている者たちは、君が馬の値うちのよくわかるかたであるとおもっておりましょう。まもなく千里の馬を売りにくる者があらわれるでしょう」
と、いった。はたして1年もたたぬうちに、千里の馬が3頭もやってきたという。
どこの国の逸話であるかはわからない。話のなかにあった千里の馬が、昭王の求める賢人にあたることはあきらかである。すなわち昭王が賢人を求めるために国中をさがしまわっても、おそらくむだであり、それより身近な者をつかって賢人をさがさせたほうがよいということであろう。郭隗は容(かたち)を端(ただ)して、
「いま王がほんとうに賢人を招きたいとおもっておられるなら、まず隗より始めるべきです。隗のような者でも王に仕えてもらえる。隗よりすぐれている者ならなおさらです。その者にとって千里の道など遠いことがありましょうか」
と、強い語気でいった。
遠くにいる賢人をさがすまえに、まぢかにいる賢人に師事しなさい。
自薦である。
が、これほどみごとな自薦はほかにない。
昭王は器量の大きな人である。
――いままでの話は、自分を売りこむためのものであったのか。
とは、おもわなかった。
郭隗の説述に理を認めた。なるほどむかしから聖王や名君にはみな師がいた。湯王(とうおう)の師である伊尹(いいん)、武王(ぶおう)の師である太公望(たいこうぼう)は在野の賢人である。君主が君主として威張っていては、けっしてみつけることのできない大才である。そのひとりをみつけたことにより、天下がころがりこんできた。とkろが伊尹や太公望は民間人なので、諸侯のたれもがかれらを招く機会を平等にあたえられていたのである。歴史のおもしろさであり、恐ろしさでもある。
――頭をさげ、腰をかがめ、指を屈し、辞を低くする者が勝つのか。
いや、勝利の条件とは、それだけではあるまい。大才をみつめるための姿勢、目の位置、志の高さが問題となろう。とにかく昭王にわかったことは、
――おのれを棄てなければ、人はみえぬ。
ということである。
「郭隗先生」
昭王は晴れやかな声を発し、郭隗にむかって拝手した。これから自分は郭隗を師と仰ぎ、北面して仕えるであろう、と昭王はいい、実際、郭隗のために黄金台という宮殿を建てた。燕人(えんひと)ばかりでなく、燕をおとずれた他国の者の目をおどろかすに充分な輝きをもった高■(木偏+射/こうしゃ)であり、そのまばゆい光が千里の馬を招きつづけているといえた。
郭隗はすかさず根拠となる例を示した。これに対する昭王の振る舞いはまさしく「君子豹変」(『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋)に相応しいものだ。人を求める心の本気が窺える。
国家や組織の行き詰まりはリーダーに起因する場合が多い。意のままになる者を好み、自分の物差しに合わない人を遠ざけるところから組織は澱(よど)み停滞を始める。巨大組織は腐敗することを避けられない。同族、閨閥(けいばつ)、学閥などが流動化を阻み、社会をタコツボ化する。
企業が真剣に人材を求めているかどうかは面接態度を見ればわかる。求職者に対して値踏みするような視線を送る企業が大半だろう。圧迫面接というカルト的手法もあるようだが、かような企業が淘汰される運命にあることは間違いない。
そもそもこの国のエリート選抜システムは受験制度においてペーパーテストを採用している時点で誤っている。教育は私塾レベルの単位で行い、もっと自由な競争をするべきだろう。広く門戸を開けば必ず人材は訪れる。
・先づ隗より始めよ 十八史略 漢文 i think; therefore i am!
・「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事/『晏子』宮城谷昌光