2015-12-11
紺谷典子、山崎正友、他
2冊挫折、2冊読了。
『骨風』篠原勝之(文藝春秋、2015年)/第43回泉鏡花文学賞受賞作品。あまりピンと来なかった。父親に虐待された過去と見舞いに行った現在とが混沌としていてわかりにくい。「オレ」とか「ゲージツ」という言葉も耐え難い。
『声に出して読みたい日本語 1』齋藤孝(草思社、2001年/草思社文庫、2011年)/良書。センスがよい。飛ばし読みで終わったが半分以上は読んでいる。齋藤はプレゼンテーション能力が高い。
168冊目『闇の帝王、池田大作をあばく』山崎正友(三一新書、1981年)/著者は元創価学会顧問弁護士。矢野絢也著『乱脈経理』を軽々と超える内容だ。こなれた文章で自分が携わってきた汚れ仕事を赤裸々に暴露している。創価学会の政治力は集票力もさることながら、池田の札束攻勢にあることがよくわかる。宗教団体というよりは手口が広域暴力団に近い。毎日新聞の内藤国夫が池田にインタビューしている事実を初めて知った。
169冊目『平成経済20年史』紺谷典子〈こんや・ふみこ〉(幻冬舎新書、2008年)/やっと読み終えた。新書ながら400ページのボリューム。専門家の矜持が静かな怒りの焔(ほのお)となってメラメラと燃え上がる。小泉政権時代にテレビから抹殺された一人である。小泉・竹中コンビによる日本経済破壊の失政に鉄槌を落とす。日本の政治とマスコミの現状を知るための教科書といってよい。住専問題については私も当時、総合雑誌の特集号などを読んでフォローしているつもりであったが、まるでわかっていなかった。明治維新から小泉政権に至る近現代史の解明が待たれる。「必読書」入り。
兵頭二十八
1冊読了。
167冊目『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)/いやはや勉強になった。『日本人のための憲法原論』小室直樹と『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』を先に読んでおくのが望ましい。憲法改正はマッカーサー偽憲法の肯定につながるため、直ちに廃棄するのが正しいと主張。本書に注目したのは「マッカーサー証言の『セキュリティ』を安全保障とするのは誤訳」という兵頭の指摘を確認するためだった。第二次世界大戦において日本が国際法を無視した姿も『日本の戦争Q&A』以上に詳しく解説。具体的にヒトラーやスターリンの論理を駆使した演説を紹介する。日本は「自衛」という概念を理解できなかった。兵頭の高い視点はリアリズムに貫かれている。ただし時折文章の揺れが目立ち、「軍学者」を自称しているが、やや「軍事オタク」の印象が強い。「必読書」入り。
【追記】なかなか難しいのだが読む順番は、『國破れてマッカーサー』『日本の敗因』『日本の戦争Q&A』『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』『日本人のための憲法原論』『「日本国憲法」廃棄論』としておく。
2015-12-10
藤原岩市、権徹
2冊読了。
165冊目『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市〈ふじわら・いわいち〉(バジリコ、2012年/原書房、1966年『F機関』/原書房、1970年『藤原機関 インド独立の母』/番町書房、1972年『大本営の密使 秘録 F機関の秘密工作』/振学出版、1985年『F機関 インド独立に賭けた大本営参謀の記録』)/大東亜戦争の真実がここにある。藤原は33歳(当時少佐)でマレー(イギリス領マレーシア)、北スマトラ(オランダ領インドネシアの州)の民族工作を命じられる。わずか数名の部下を率いて、現地住民に国家独立を促し、白人のもとで戦う現地兵士を寝返らせることが任務であった。「F」とはフリーダム、フレンドシップ、藤原の頭文字からとったもの。藤原の熱情が胸を打ってやまない。ハリマオこと谷豊も藤原のもとに参じた。シーク族(シーク教徒か?)の秘密結社IILと連携し、次々と人心をつかみシンガポールを中心にマレイ、タイ、ビルマ、スマトラの広大な地域に拡大。遂にはインド独立の機運をつくり、チャンドラ・ボースにバトンを渡す。藤原は大東亜共栄圏の理想に生きた。だが大本営はそうではなかった。シンガポールでは日本軍が華僑を虐殺している。藤原は歯噛みをしながら上官に意見を具申する。高名な山下奉文〈やました・ともゆき〉陸軍大将の振る舞いもスケッチされている。英軍探偵局長(階級は大佐)の取り調べに対して藤原は堂々とアジア民族の共存共栄を語る。局長はイギリスが人種差別感情を払拭できなかった本音を吐露する。昭和36年(1961年)、F機関の慰霊祭が初めて挙行された。巻末の「慰霊の辞」を涙なくして読むことのできる者はあるまい。
166冊目『てっちゃん ハンセン病に感謝した詩人』権徹〈ゴン・チョル〉(彩流社、2013年)/良書。異形(いぎょう)をありのままに撮(と)っている。読み手に突きつけられるのは「目を背けたくなる現実」だ。てっちゃんの顔はアシッド・アタックの被害女性と変わらない。目も不自由だ。そうでありながらも彼は自由だ。権徹〈ゴン・チョル〉の写真はどれも素晴らしい。モノクロが光と影を見事にとらえている。日本の社会はハンセン病の実態がわかった上でも尚、彼らを隔離し続けた。親と会うことも許されなかった。ハンセン病患者を罪人扱いしてきた我々には、彼らの姿を記憶する義務がある。
2015-12-09
真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた真相/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
・『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
・『國破れて マッカーサー』西鋭夫
・黒船の強味
・真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた真相
・『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
・日本の近代史を学ぶ
Q●宣戦布告を定めた国際法はどのようなものでしたか。
A●「開戦に関する条約」といい、日本の代表は1907年10月18日に、オランダのハーグ会議の場で署名をした。欧州の主だった国々の間で効力を発生したのは、1910年1月26日からである(これ以前は、まだどの国も義務を負わされない)。日本は、1911年12月13日に批准書を寄託し、日本に関しては、条約の効力は、1912年2月11日から発生した。それに先立つ1912年1月13日に、政府が日本国民に向けて公布している。
条約が国際法として有効になるためには、出席した代表者のサイン(調印)だけではだめで、本国の国会の批准が必要である。アメリカ合衆国であれば、連邦議会上院の外交委員会で審議の上、上院が批准する。日本でも、貴族院や枢密院が反対すれば、批准はできないようになっていた。
「開戦に関する条約」は、「戦争は予告なくして之を開始せざるべし。また、戦争状態は遅滞なく之を中立国に通告すべし」と謳(うた)い、これが主な趣意である。
【『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉以下同】
1907年は明治40年。1912年は明治45年で7月30日以降は大正元年となる。19世紀末、多くの国々が普仏戦争(1870-71年)に勝ったドイツ軍の動員奇襲に学ぶべくドイツ軍人を招聘(しょうへい)した。日本陸軍はメッケルを教官として受け入れた。本書はQ&Aの体裁となっているが、陸軍参謀の兒玉源太郎が動員奇襲によってロシアを防ぎ、満州国を最初に発想し、それが後に不良資産となってゆく様を詳述する。
兵藤は真珠湾奇襲を「卑劣」と断じている。日米開戦の情況について再確認しておこう。
アメリカ東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」を手交する。日本は「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」を発して、米国と英国に宣戦を布告した。この文書は、本来なら攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったのだが、駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官らが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった。そのため「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」と、アメリカから批判を受ける事となった。
【Wikipedia】
事務上の責任が問われる井口・奥村の罪は切腹ものだ、と指摘する声も少なくない。ところが実際はこの二人、戦後になって重用(ちょうよう)されているのである。対米覚書の手交が遅れた模様については、以下の説明が一般的だ。
・【外務省の本性】“日米開戦”という国難において『自国破壊行為』を行った2名の在米キャリア外交官はどう処分されたか
ところが2012年に新事実が判明する。
真珠湾攻撃の通告遅れ 大使館の怠慢説に反証/通信記録を九大教授発見 外務省の故意か
1941年12月8日の日米開戦をめぐる新事実が明らかになった。最後通告の手直しが遅れ、米国に「だまし討ち」と非難された問題で、修正を指示する日本から大使館への電報が半日以上を経て発信されていたことを示す傍受記録が米国で見つかった。これまで不明だった発信時刻が判明。「在ワシントン大使館の職務怠慢による遅れ」とする通説に一石を投じそうだ。
米メリーランド州にある米国立公文書記録管理局で9月末、記録を発見したのは九州大学の三輪宗弘教授。外務省が東京中央電信局からワシントンの大使館に向けた電報の発信時刻や、米海軍がそれを傍受した時刻などを記録した資料だ。
開戦直前に外務省が大使館に送った公電は901号に始まり、911号まである。中核となる電報は902号で、米政府が戦争回避のための条件を日本に突きつけた文書、いわゆるハル・ノートに対し、これ以上の交渉を打ち切るとした覚書がその中身である。それ以外の電報は、誤字訂正や暗号解読機の破壊を命じた訓電などだ。
■誤字など175カ所
902号電報は長文のため14部に分かれ、第1部から第13部までほぼ予定通りの時刻に発信された。しかし、12月7日午前1時(日本時間)までに発信するはずの14部は15時間以上遅延した。
しかも902号電報には多くの誤字脱字があり、外務省は175カ所に及ぶ誤字などの訂正を903号、906号の2通に分けて大使館に送信した。
外務省は戦後に、この2通の原本を紛失したとして、発信時刻に関して謎が残ったままだったが、三輪教授が今回の調査で2通の発信時刻を突き止めた。前に送った電報に誤りなどがあれば直ちに訂正電報を打つのが通例だが、調査結果によって、2通の発信時刻は前の電報(902号第13部)から十数時間後と大幅に時間がたっていることがわかった。
当時は文書の清書にタイプライターを使っていた。ワープロと違って、字句の修正や挿入、削除があると最初から打ち直さなければならない。つまり訂正電報が届かない限り、大使館は通告文書を清書できないが、この2通の遅れが、最終的に米政府に通告文書を手交する時刻が遅れる大きな要因となった。
なぜ2通は遅れたのか。訂正電報2通の発見は、通告遅延の真相解明に大きな意味を持つが、三輪教授は「発信の大幅遅れは、陸軍参謀本部のみならず外務省も関与していたことを示す証拠」と語り、外務省が故意に電報を遅延させた可能性が高いという。
元外務官僚で退官後に東海大学などで近現代史を教えた井口武夫氏は、こうした問題を長年にわたり追究、戦後の極東軍事裁判での証言、関係者の手記などを基に902号第14部の遅延は陸軍参謀本部が関与、これに外務省が協力した結果と推定している。今回、見つかった新資料はそれを補完するものとなる。
米国の通信会社が、日本からの暗号化したこれら電報を大使館に届けたのは7日午前9時前後(米国東部時間)とみられ、大使館が暗号を解読してタイプで清書、コーデル・ハル国務長官の手に渡ったのは真珠湾攻撃が始まった後の7日午後2時20分(同)だった。
遅くとも真珠湾攻撃の30分前と設定していた最後通告が攻撃の後になったのは、大使館の怠慢によるとされてきた。米国で客死した大佐の葬儀に大使が参列しミサが長引いたほか、届かない公電を待ちくたびれて帰宅、翌朝になって出勤したため、米政府に手交する通告文書作成が遅延したというものだ。
が、井口氏はそれを否定。「真実を歪曲(わいきょく)した開戦物語が一人歩きして国民に誤った印象を与えている」と指摘する。
■奇襲成功“支援”
近年の研究によって様々な事実も明らかになっている。開戦直前の緊迫した状況だったにもかかわらず、大使館宛てのこれらの訓電の「至急」の指定が取り消され、「大至急」を「至急」に引き下げたものがあった。
また、大佐の葬儀も、遅延には無関係だったことが長崎純心大学の塩崎弘明教授の研究によって明らかになった。
さらに今回とは別に、三輪教授は国立公文書館で「A級裁判参考資料 真珠湾攻撃と日米交渉打切り通告との関係」を発見している。通告文の遅れを在米大使館に責任転嫁するとした弁護方針を記した資料だ。目的は東郷茂徳外相が重い罰を科されないようにするためとされる。
今回の資料発見について、塩崎教授は「真珠湾の奇襲を成功させるため意図的に電報を遅らせたことがこれで明らかになった。打電時間についての新資料自体は細かなことだが、正確な歴史認識を得るためには、こうした史実を丁寧に掘り起こしていく必要がある」と語る。
また、東京大学の渡辺昭夫名誉教授は「通告の前に攻撃が始まったという問題の本質は(新資料によっても)変わらないと思うが、隠されていた事実を明らかにし、政策決定における問題を追究するのは学問的に意味がある」と評している。
【日本経済新聞 2012年12月8日付】
わかりにくい。実にわかりにくい。ストンと腑に落ちるものが一つもない。
一方では、「宣戦布告の有無など大した問題ではない」「アメリカはベトナムやイラクに宣戦布告していない」との意見も多い。ただし、ベトナムやイラクは軍事制裁であって戦争ではないとの声もある。そもそも「開戦に関する条約」は日露戦争に由来する。日本が宣戦布告なしで戦闘に突入したことを問題視したわけだ(宣戦布告の歴史については「宣戦布告とは何か」を参照せよ)。
更に二つある。「日本の暗号をアメリカはとっくに解読していたのだから、真珠湾攻撃は事前に知っていたはずだ」との指摘が一つ(真珠湾攻撃陰謀説)。そして「支那事変においてアメリカはフライング・タイガース(アメリカ合衆国義勇軍との位置づけ)を派遣して国民党を支援した時点において日米は戦闘状態に入った」とする説である。
どの指摘ももっともらしく聞こえる。が、すっきりしない。兵藤は「日本が意図的に遅らせた」と言い切る。
Q●1941年12月の対米開戦前に、野村吉三郎大使がすでに2月からワシントンに赴任していたのに、11月になって、あとからもう一人、来栖大使を二重にアメリカへ送り込んだのは、なぜなのですか? 来栖大使を送って野村大使を呼び戻すというのならばともかく、野村大使はそのまま残り続けて、駐米の特命全権大使が二人も居ることになってしまった。しかも、日米交渉の打ち切りの通告は、元から居た野村大使が、アメリカの外務大臣であるハル国務長官に手交していますよね。だったら来栖大使は、何をしに来ていたのか? これを説明してくれる参考書がみつかりません。
A●二人の大使の帯びていた任務が180度サカサマであったと考えれば、得心がしやすいだろう。簡単に言えば、野村大使の使命は、赴任の最初から、来た(ママ)るべき対米開戦通告をできるだけ遅らせることにしかなかった。つまり米国海軍を奇襲することしか頭にない帝国海軍の利害の、暗黙の代理人だった。それに対して、外務省のプロ外交官である来栖大使は、〈昭和天皇の避戦の意向を、東条内閣としては大いに尊重し、このように動いておりますから〉という、いわば昭和天皇を騙すための芝居をさせられたのだ。
対米開戦のプログラムはすでに9月から走り始めていて、11月ではもう誰にも止めようがない。来栖大使の派遣は、東条の天皇に対するポーズに過ぎなかっただろう。
もちろん外務省は、子飼いの来栖の方を重く用いたかったろう。しかし、帝国海軍(海軍省、軍令部、連合艦隊)は、野村を無理に使わせ続けた。
野村大使は元海軍大将だ。(中略)
野村にしかできぬと大いに期待された仕事とは、日本海軍の秘密の願望――つまり開戦通告を遅らせて、いざというときに以心伝心で大使館業務のサボタージュ(もし開戦通告が実際の攻撃開始時刻よりも前すぎるなと思われた場合は、それを独断で攻撃開始直後まで遅らせてしまう)をやってのけることだったろう。
日本外務省としても、外交官出身ではない野村などを駐米大使に発令されるのは、初めから面白くはなかった。大いに不満だったのだが、明治いらい(ママ)、日本外務省は、帝国陸海軍の奇襲開戦に奉仕するのが秘密の使命になっていたので、さいしょから米国に奇襲開戦する意欲に燃えていた海軍省からの露骨な人事要求を呑んでいたまでだ。
ヘッケルから教わったプロシア式動員奇襲の伝統から日本軍は抜け出すことができなかった。真相はやはり「真珠湾奇襲」であったのだろう。
確かに真珠湾奇襲は卑劣な行為であった。だが戦争行為そのものが罪とされるわけではない。ナチス・ドイツが第二次世界大戦において殆どの戦争において宣戦布告をしていないにもかかわらず、なぜ真珠湾だけが特筆されるのか? それはアメリカの開戦理由による。フランクリン・ルーズベルトは「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約して大統領になった。だが彼はイギリスがナチス・ドイツに苦戦するのを見て、参戦せずにはいられなかった。アメリカは世論の国である。大統領といえどもこれを無視することはできない。そこでエネルギーや資源の乏しい日本を禁輸で締め上げ、暴発する瞬間を待った。ルーズベルトは真珠湾奇襲を神に感謝したことだろう。モンロー主義を堅持してきたアメリカの世論は完全に引っくり返った。
近代日本の迷走は明治維新に始まり大東亜戦争で頂点に至り、敗戦以降、東京裁判史観に覆われた挙げ句に国家観を見失った。奇襲は卑劣な行為であったとしても、戦争行為そのものが卑劣とされるわけではない。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」(クラウゼヴィッツ)。国家には戦争をする権利があるのだ。戦後教育は戦争=悪という図式を児童に刷り込んだ。そんな国民が安全保障や憲法改正を正しく考えることなど不可能だろう。
2015-12-07
なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか?/『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか?
・『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
たった今、見終えた。究極の駄作であるが、アメリカのキリスト教原理主義傾向や反知性主義が透けて見える。なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか? それは神を守るためだ。
「トランセンデンス」は超越の意であり、映画では「シンギュラリティ」よりも上に位置づけている。きっと「神の超越」に掛けたのだろう。
主人公ウィルの意識を宿すコンピュータがなぜ悪役となったのかがわかりにくい。鍵はいくつかの場面にある。ひとつは不治の病をコンピュータが治すシーンで「イエスの奇蹟」を思わせるゆえ、神への冒涜に当たるのだろう。二つ目は妻エヴリンの詳細なデータ解析を行っている事実がバレるところ。神は全知であっても構わないが、人の全知はご勘弁といったところか。三つ目はウィルの再生で、これはイエスと肩を並べる行為だ。
レイ・カーツワイルは明るい未来を描いたにもかかわらず、やはり結論が気に食わない連中がアメリカには多いのだろう。カーツワイルは人工知能が全宇宙に広がってゆく様相(エポック6)まで示し、宇宙を満たした意識の連帯が「神」となる可能性にまで言及している。
永遠は神様の専売特許だ。つまりシンギュラリティ~トランセンデンスは神様の特許権を侵害しているのだ。この映画作品の主張はそこにある。
2015-12-04
中国人民元をSDR構成通貨に採用、IMF理事会が承認
・人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事
・中国人民元をSDR構成通貨に採用、IMF理事会が承認
国際通貨基金(IMF)は11月30日に理事会を開き、国際通貨の一種「特別引き出し権(SDR)」を算定する通貨に、中国の人民元を来年10月から加えることを正式に決めた。
米ドル、ユーロ、円、英ポンドに続く5番目の「国際通貨」としてSDRに加わり、構成割合では円を上回り3位になる。ドルを基軸とする国際金融で、人民元と中国の存在感が高まりそうだ。
人民元はSDRの構成割合で10・92%と、ドル(41・73%)、ユーロ(30・93%)に次ぐ3位になる。円は4位で8・33%。構成割合は、輸出規模や通貨の国際的な利用状況を踏まえて決める。
【YOMIURI ONLINE 2015-12-01】
IMFを背後から突き動かしたのは国際金融界である。2008年9月のリーマンショックでバブル崩壊、収益モデルが破綻した国際金融資本が目をつけたのはグローバル金融市場の巨大フロンティア中国である。その現預金総額をドル換算すると9月末で21兆ドル超、日米合計約20兆ドルを上回る。
【産経ニュース 2015-12-02】
中国の朱光耀財政次官は1日、米首都ワシントンで講演し「人民元相場が市場での自由な取引で決まるようにしなければならないが、変動相場制への移行は簡単ではない」と述べ、実現に時間がかかるとの認識を示した。
【産経ニュース 2015-12-02】
今般の国際通貨入りは、いよいよAIIBにより日米などを除いた圧倒的多数の国を人民元取引に惹きつけ、これまでのドルを基軸とした国際金融体制を、人民元を基軸とした国際金融体制へと移行させていこうという戦略だ。
【遠藤誉 2015-12-02】
世界の外貨準備の約97%は現在、ドル、ユーロ、日本円、英ポンドのわずか4通貨で運用されている。これらの通貨を発行する4つの中央銀行はいずれも、量的緩和(QE)を通じた紙幣増刷で準備通貨の地位を乱用している。これは多くの場合、供給主導型の成長に必要な改革を政府が成立させられないために行われている。QEはいずれインフレや通貨安につながり、結果として信頼できる世界の準備通貨の深刻な不足を招くだろう。そうなれば、各国中銀は人民元の早急な採用が促されるだろう。
人民元は最終的にドルに代わる主要準備通貨となる可能性が高い一方、中国の国債市場は世界の債券市場の主な指標になるだろう。中国の規模を踏まえると、この予想は当然と言える。中国の人口は米国の4倍を上回る。両国の1人当たりGDPが、米国でQEが始まった2011年から15年までの平均ペースで伸び続けた場合、2043年までには中国が米国を追い越す計算になる。
【アシュモア・グループの調査責任者、ヤン・デーン氏 2015-11-17】
アーナルデュル・インドリダソン
1冊読了。
164冊目『湿地』アーナルデュル・インドリダソン:柳沢由実子〈やなぎさわ・ゆみこ〉訳(東京創元社、2012年/創元推理文庫、2015年)/文庫化される。北欧ミステリ。アイスランド人作家としては初の「ガラスの鍵賞」を受賞した作品。一気読みである。年老いた男が殺される。現場には不可解なメッセージが残されていた。男の過去から別の犯罪が浮かび上がってくる。物語全体をアイスランドのどんよりした鉛色の空が覆う。横軸に主役警官のエーレンデュルの破綻した家庭を描く。長らく音沙汰のない元妻から娘を通して全く別の事件の捜査を頼まれる。縦軸は2本の線が螺旋状に連なる。そして娘はドラッグ中毒であった。エーレンデュルを取り巻く人間模様がリアリズムに徹している。単純な出来事から複雑な物語を紡ぐ手法が映画『灼熱の魂』と似ている。難点は馴染みのないアイスランド人の名前である。男女の判別もつかない。それから柳沢訳ということで安心して手を伸ばしたのだが時折妙な文章が見受けられる。今まで気づかなかったのだが柳沢御大は1943年生まれではないか! 出版社は本気で翻訳家の育成に取り組むべきだ。アーナルデュル(アイスランドでファミリーネームは使われないとのこと)の作品は『緑衣の女』『声』と続くがいずれも評価が高い。
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