2016-03-26
アルボムッレ・スマナサーラ、他
4冊挫折、1冊読了。
『パリは燃えているか?(上)』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆〈しま・たかし〉訳(早川書房、1966年/ハヤカワ文庫、1977年/ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース、2005年/ハヤカワ文庫新版、2016年)/二度目の挫折。体力不足で読み切れず。
『無縁社会』NHKスペシャル取材班(文春文庫、2012年/文藝春秋、2010年、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会 “無縁死”三万二千人の衝撃』改題)/行間から嫌な匂いがプンプンしている。NHKという安全な立場から社会正義の鎧(よろい)を身にまとい、「不幸な人々」を商品化するビジネスモデルといってよい。しかもテレビ番組の二次商品化である。文章は悪くない。悪くないからこそ、より一層悪臭が際立つのだ。平成26年度のNHK職員平均年収は1160万2859円となっている。「取材班」の給与は当然もっと上だろう。「こんなに大変な人がたくさんいるんですよ」といった内容を超えていない。
『老人漂流社会 他人事ではない“老後の現実”』NHKスペシャル取材班(主婦と生活社、2013年)/これまた同様。社会問題を指摘するだけの似非ジャーナリズム。
36冊目『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2003年)/再読。易(やさ)しいのだが決して浅くない。真理というものは我々が想像するよりもずっとシンプルなのだろう。ただし悟性の輝きは見られない。この人は飽くまでも解説者である。別の本で中村元訳に対する嫌味を書いていたが、もしそれが本当ならきちんとした『ダンマパダ』の訳書を出すべきだろう。それをしないところにこの人物の性根が透けて見える。
ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』が文庫化
「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」「頼まれごとならがんばるが安い報酬ではやる気が失せる」「同じプラセボ薬でも高額なほうが効く」――。人間は、どこまでも滑稽で「不合理」。でも、そんな人間の行動を「予想」することができれば、長続きしなかったダイエットに成功するかもしれないし、次なる大ヒット商品を生み出せるかもしれない!行動経済学ブームに火をつけたベストセラーの文庫版。
・比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
2016-03-24
大塚貢、田中森一、佐藤優、北野幸伯、他
2冊挫折、5冊読了。
『報復』ジリアン・ホフマン:吉田利子訳(ヴィレッジブックス、2004年)/訳が悪い。
『日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』菊地浩之(平凡社新書、2015年)/読み物たり得ず。単なる資料だ。
31冊目『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(ダイヤモンド社、2008年)/北野の著作はインテリジェンス入門としてうってつけだ。佐藤優のような嘘も感じられない。日本にとって真の脅威は中国であり、単純な反米感情の危険性を説く。食料安保、移民問題など。
32冊目『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2013年)/ロシアを追われたプーチンが日本を訪れ柔道三昧の日々を送る。そこへ日本の首相がやってきて諸々の政治問題を相談する。プーチンという強いリーダー像を通して日本の政治家に欠けている資質が明らかになる。わかりやすく巧みな設定だ。
33冊目『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2014年)/北野本4冊目。重複した内容が目立つ。ただし最新情報が盛り込まれている。最終章の「『イデオロギー』は国家が大衆を支配する『道具』にすぎない」という見出しは覚えておくべきだ。
34冊目『正義の正体』田中森一〈たなか・もりかず〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社インターナショナル、2008年)/面白かった。19時間の対談で1冊の本が出来上がるのだから、やはりこの二人は只者ではない。佐藤が凄いと思った人物は小渕恵三とエリツィンであるという。どちらのエピソードも実に興味深く、知られざる素顔が見える。
35冊目『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平(コスモ21、2012年)/DVD付きで1500円。北野本で知った。一読の価値あり。DVDを先に見た方がよい。この講演会から生まれた書籍である。大塚が校長を務めた中学では、学校の廊下をバイクが走り回り、煙草の吸い殻を拾うと1時間でバケツが一杯になったという。大塚は三段階改革で学校を変えた。まず最初に非行の原因は「面白くない授業にある」として、授業を魅力的なものに変えた。続いて給食をパンから米中心に変え、無農薬・低農薬の地元野菜にした。地産地消である。そのために学校への補助金が打ち切られた。最後に学校を花で飾った。各クラスが花壇を担当して種から花を育てた。生徒たちは激変した。安部司の引用など危うい記述も目立つが、取り組み自体は素晴らしいと思う。本を先に読んでしまうと、まるで鈴木が主催するエジソン・アインシュタインスクール協会の宣伝本に見えるが、講演DVDを先に見れば腑に落ちる。西村は新日本の現役プロレスラーで東京文京区議会議員と二足のわらじを履く人物。
2016-03-20
2016-03-18
スティグリッツのTPP批判を日本の新聞は報道せず
スティグリッツ教授の昨日の官邸での発言。消費税先送りだけでなく、TPP反対も明言しているのに、報道は日本農業新聞くらいしかなく、日本経済新聞などは全く書かない。なぜか?総理に都合のいいことだけつまみ食いで報道しているのか。おかしい。 pic.twitter.com/WD0z1tCUsY
— 玉木雄一郎 (@tamakiyuichiro) 2016年3月17日
2016-03-16
障害者か障碍者か/『漢字雑談』高島俊男
・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
・障害者か障碍者か
漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。
【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】
当用は「当座用いる」との意で「将来はわからないが、しばらくの間さしあたって用いる」(Wikipedia)ことを示す。なぜ将来は「わからない」のか? GHQのジョン・ペルゼルというタコ野郎が日本語をローマ字表記にしようと目論んでいたからだ。当時、文部官僚であった今日出海〈こん・ひでみ〉も小林秀雄との対談でそのことに触れている(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄)。
権力は文字・暦・度量衡を統一する。
どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。
【『国家の自縛』佐藤優(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】
辛うじてローマ字化は防ぐことができたが、日本の歴史は徹底的に書き換えられた。そして「当用漢字」という言葉はまだ生き永らえている。
それで、ぜひもう一度考えてもらいたいことがある。同音の他の字で間にあわせていたのを、正しい字にもどしてもらいたい。
もどったものもある。名誉毀損は棄損と書いていたのだが、毀損にもどった。しかし別字のままなのが多数のこっている。
たとえば、これは小生たびたび言っていることだが、障碍物、障碍者の碍は「さまたげる」の意である。これが使えないので「障害者」と書く。害は「危害を加える」「害虫」の害である。ぜひもどしてもらいたい。
・障害者を障碍者と書くことになった経緯
「碍」は「礙」の略字らしい。もともと障礙は仏教用語で「しょうげ」と読んだ。日蓮の遺文にも「障礙出来(しゅったい)すべし」と山ほど出てくる。
害には「そこなう」との意味もある(損害)。だが、やはりイメージは悪い。害には「わざわい」の意味もある。これは自殺を自死とするような意味づけの問題ではなく、単なる漢字表記の問題だ。私は障碍(障礙)を選ぶ。
言葉に対する鈍感や無気力から文化は滅んでゆく。いたずらに古きを尊(たっと)ぶつもりはないが間違いは間違いなのだ。
・@檸檬の家: 「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?
2016-03-15
島田裕巳
1冊読了。
30冊目『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』島田裕巳〈しまだ・ひろみ〉(SB新書、2016年)/島田の文章は読みやすい。ただしその分だけ底が浅くなりがちで、宗教学者というよりは宗教ジャーナリストが実態に近い。日本と世界の宗教人口が激減する様子をわかりやすく解説し、更には資本主義とイスラム金融の入門書的な内容となっている。島田が創価学会本を出しているせいもあって、やや創価学会に偏りがちな記述が目立つ。大学での講義がもとになっているのでデータは正確だと思われる。ただし結論が弱い。弱すぎる。宗教社会学的な世俗化という視点ももはや古い。現代の宗教は科学と経済であると見極める必要があろう。いずれにせよ生と死の問題が解明されていない以上、教団が滅んでも宗教が滅ぶことはない。
2016-03-14
一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ
・『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ
・『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ
・ただひとりあること~単独性と孤独性
・三人の敬虔なる利己主義者
・僧侶、学者、運動家
・本覚思想とは時間論
・本覚思想とは時間的有限性の打破
・一体化への願望
・音楽を聴く行為は逃避である
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ
・『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ
あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜあなたは、自分自身のことをクリスチャン、ヒンドゥー、仏教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領や司祭、あるいは支持する指導者の意のままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。
先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味合いに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。
彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は選び終えたのであり、いかなるものも彼を揺り動かすことはできなかった。これからは彼は心地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。
【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】
既に再読を終え、三読目に入っている。書写行も開始。翻訳がこなれていない上に不要な読点が多く実に読みにくいのだが、文体は大野純一が一番よい。
amazonレビューでも指摘されているが「“一体化”ではなく“同一化”が翻訳として適切」との意見は以前からある。私は英語に疎いので断言するにわけにはいかないが、一体化と同一化という日本語に違いはないと思う。大野龍一や藤仲孝司の他訳批判に読者も影響を受けているのだろう。
不安定な個人が安定を求めて集団に帰属する。そうして「私」は私より一段上の存在となる。これは不思議なことだが経済的な見返りよりも、集団の有する理想が大きければ大きいほど帰属心が強まる傾向がある。例えば軍隊、古くは宣教師、現在だと東大OBや共産党・創価学会・エホバの証人など。最近だとSEALDs(シールズ)あたりか。
別の箇所で「一体化は逃避である」とも指摘されている。小さな自分を大きく見せる手段が一体化であるとすれば、地位や名誉が果たす機能と同じと考えてよさそうだ。虎の威を借る狐と言ってしまえば身も蓋(ふた)もないが、やはり欠けたアイデンティティを補う意味合いが強いのだろう。
尚、文中の「誰某」は「だれがし」と読むのが普通だが「だれそれ」とも読むようだ。クリシュナムルティの客観的な視線は時に辛辣(しんらつ)さを伴う。「クリシュナムルティ信奉者」と名乗った人物を嘲笑うわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々と見つめている。
「一体化は、一切の創造的理解を終焉させ」る意味が何となく伝わってくる。当然ではあるが、クリシュナムルティの近くにいることが彼の教えを理解したことにはならないし、クリシュナムルティ一派に属したところで人生が変わるわけでもない。そもそもクリシュナムルティは弟子を持っていないし、生涯にわたって拒み続けた人物である。
一体化への願望には隠された依存が横たわっている。ブッダは次のように遺言した。
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版岩波文庫)、2001年】
ブッダの言葉とクリシュナムルティの教えは完全に響き合っている。悟りとは「ありのままの自分自身をありのままに理解すること」である。一体化するのではなく、依存心をありのままに見つめることが即座の理解なのだ。
偉大な人物に傾倒し、理想を実現するための運動に参加し、組織の手足となって身を粉(こ)にする営みは不思議な情熱を生む。そこに罠があるのだ。
情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。
【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)】
自分に欠けたものを別の何かで埋め合わせると心理的な充足感が得られる。だがそれは錯覚である。喉の渇きは終始つきまとい、より激しい自己犠牲へと向かう。大きな集団は下位集団を生み、下位集団では下位文化が形成されるが、どこまで行っても承認欲求には限りがない。闘争と競争の連鎖が果てしなく続いてゆくことだろう。
生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉
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生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉
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生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より
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生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より
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北野幸伯
1冊読了。
29冊目『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(草思社、2007年)/予想以上に面白かった。著者は変わった経歴の持ち主である。ゴルバチョフに憧れてロシアに留学。しかもロシア外務省附属モスクワ関係大学という官外交官およびKGB要員を育成する大学で学んだ。卒業後、カルムイキヤ自治共和国の大統領顧問に就任する。ネット上で配信された情報がもとになっているので文章の軽さは否めないが、論理はしっかりしておりわかりやすい。世界の大国が熾烈に国益を追求する中で、国益を見失う日本に警鐘を鳴らす。内容は少々古いが原理・原則は今でも適用可能であり、逆に目まぐるしく変遷する世界のありようが実感できる。書き手の立場からすれば、有料ネット配信~大幅増訂で書籍化というスタイルの方が、単なる書き下ろしよりも実入りがよい。同様の書き手が増えれば、フリーランスの編集者が活躍する時代が来るかもね。
2016-03-13
比類なき日本文明論/『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
・『国民の歴史』西尾幹二
・比類なき日本文明論
・400年周期で繰り返す日本の歴史
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二
・日本の近代史を学ぶ
《中西》このほど西尾さんが、『国民の歴史』という【大きな】本をお書きになられました。それはボリュームや「部数が何十万部売れた」といった量的なインパクトの大きさだけではなく、日本人の知性や歴史への視線に与えた影響という点で、非常に大きなものがあったという意味です。(中略)
結局この本で何が一番「大きい」かというと、私は内容が突きつけているものだと思うのです。この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。いい換えると、日本史をタテに貫く一つの大きな史観が、はっきりと提示されているのです。
こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに最近の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。
とくに最近の斬新な歴史研究の成果を積極的に取り入れ、大きな観点の提示とともに十分に実証的専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽(ろうばい)しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。
【『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)以下同 】
人はどうしても見掛けで判断されやすい。西尾の風貌と話しぶりには傲然としたところがある。私は何となく「嫌なオヤジ」くらいにずっと思い込んできた。その見方が変わったのは福島の原発事故を巡るディスカッションの動画を見た時のことだった。西尾は推進派から脱原発派に宗旨替えをした。その率直な態度が私の心に何かを響かせた。もちろん逆の立場があってもいい。事故という現実と学問的な裏づけによって持論に固執しないことが重要なのだ。その意味で私は武田邦彦にも敬意を払う。西尾と武田はインターネットを駆使しているところまでよく似ている(西尾幹二のインターネット日録/武田邦彦(中部大学))。
西尾と中西は保守派論壇を代表する人物と目されているが、実は初めての対談であったという。普通の対談本とは異なり、議論の応酬ではなく長い主張を交互に行っている。これは中西のスタイルのようだ。冒頭では上記のように中西の絶賛から始まるが、途中から全く遠慮のない意見がぶつけられている。3日間に渡って12時間行われた対談を編集したもの。
西尾は文学者である。歴史家ではない。その西尾がペンを執らざるを得なくなったのは、やはり日本人の歴史意識に危機感を抱いたためだろう。戦後教育はバブル崩壊まで一貫して戦前の日本を否定的に扱ってきた。まずGHQが巧妙に日本文化を破壊し、その後を日教組と進歩的文化人が引き継いだ格好だ。
その流れを変えたのが1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」であった。西尾は設立人の一人で、初代会長に就任した。その当時は誰もが眉をひそめた。私も「何を今更」と思った。1995年には小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(扶桑社)が出ていた。渡部昇一や谷沢永一が右旋回した。世間の見方は冷ややかであった。ところが北朝鮮による拉致被害や中国・韓国での反日運動が激化するに連れて流れが変わっていった。戦後体制に疑問を抱けば自ずと敗戦時に目が向く。誘拐同然でさらわれた同胞を救い出すこともできない国家は国家たり得るのか? この国はどこかおかしい。そんな疑問が国民の間に少しずつ浸透していったように思う。
たとえば、唯物史観が退潮したあと、今度は奇妙な偏向姓を持つ「ボーダレス史観」のようなものが現れ、戦前の「皇国(こうこく)史観」の逆をゆくものならどんな行きすぎでも許されるとばかりに、「日本」など存在しなかったかのような極限的な修正史観にまで行き着いています。つまり、一つの間違いを修正するのに、それよりはるかに悪い方向へ向かって修正しようとする。つまり、「真ん中」に寄せるのではなく、マイナスのベクトルにばかり向かっているのです。
しかも、戦前の歴史を一括して、「皇国史観」とか「軍国主義史観」という言葉で語ってしまう。彼らにとって戦前というのは、昭和20年以前すべてを指します。だから、私はこれを本質的な意味を込めて「戦後史観」と呼ぶのですが、彼らは戦前までの日本のあり方のすべてを否定的に捉えるという偏見から出発していますから、それまでよしとされたものを批判しあらゆる歴史上の「偶像破壊」をしなければ実証史学でない、という強迫観念にとらわれつづけています。これは歴史への本来の姿勢ではありません。とくに彼らのいう「皇国史観」にとらわれすぎているから、それこそ何百年、何千年と遡(さかのぼ)る日本人の本来の歴史意識やトータルな歴史像をすべて否定してしまおうとしてきたのです。
世界中どこの国でも愛国教育を行っている。そんな当たり前の事実すら我々は見失ってしまった。「第二次世界大戦が終わってから世界は平和になった」と錯覚しているのは日本人だけであろう。アフガニスタンやイラクが戦火に見舞われても他人事である。北朝鮮がミサイルを発射しても目を覚ますことがない。日本が仮にも平和を享受できたのは日米安保のおかげであり、アメリカの核の傘に守られてきたからだ。そのアメリカが今衰亡しつつある。国力が衰えればアメリカが「自分の国は自分で守ってくれ」と言い出すに決まっている。きっと昨年のオバマ来日で言われたに違いない。その後安倍首相がやったことといえば、特定秘密保護法の制定と集団的自衛権の行使で、現在は憲法改正を表明している。
国民が自国の歴史を見失えば国家は大国に依存する。敗戦という精神的空白を経て日本はアメリカに身を委ねた。アメリカがダメになったら、今度は中国に身を擦り寄せるのだろうか? その可能性を否定できないところにこの国の悲しさがある。
日本文明の主張―『国民の歴史』の衝撃
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新装版『深代惇郎の天声人語』正続
朝日新聞1面のコラム「天声人語」。この欄を70年代に3年弱執筆、この短い期間に読む者を魅了し続け、新聞史上最高のコラムニストとも評されながら急逝した記者がいた。その名は深代惇郎――。氏の天声人語から特によいものを編んだベスト版が新装で復活!
2016-03-12
新版『パリは燃えているか?』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆訳
沢木耕太郎氏推薦「現代ノンフィクションにおける叙述スタイルの革命は、この著者の、この作品から始まったのだ」
柳田邦男氏「戦後70年の間に世界で書かれてきたすぐれた戦史ドキュメントの中で十指に入る作品だ」(本書解説より)
第二次大戦末期、敗北を重ね追い詰められたヒトラーは命じた。「パリを敵の手に渡すときは、廃墟になっていなければならない!」。この命令を受けたコルティッツ将軍により、ドイツ占領下のパリの街なかには、至る所に爆薬が仕掛けられた。エッフェル塔、凱旋門、ノートル=ダム寺院、ルーヴル美術館……世界が愛する美しい街並みは、灰燼に帰してしまうのか? 1944年8月のパリ攻防をめぐる真実を描いたノンフィクション。
2016-03-11
ジェームズ・リカーズ
1冊読了。
28冊目『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ:藤井清美訳(朝日新聞出版、2015年)/難しかった。SDR(特別引出権)の意味を初めて理解できた。タイトルに難あり。原題は「THE DEATH OF MONEY」である。「FRBがドルを捨てる方向に動いている」というのが真意である。SDRは事実上、世界通貨であり、ゆくゆくはSDR建てでアメリカの大型株が発行される可能性を示唆する。ゴールドの価値は不変であり、価格の上下はドルの価値が動いているに過ぎない、との指摘に目から鱗が落ちる。アベノミクスについても触れており、アメリカ経済の今後を日本の金融政策(金融緩和)が占うという。基本的には緩和マネーが資産バブルを形成し、首が回らなくなるという見立てである。ドル基軸通貨体制崩壊後に関しては三つのシナリオが描かれているが、ゴールドを裏付けとするSDR基軸通貨が実現するような気がする。デフレという化け物に紙幣が敗れる日はそう遠くない。必読書入り。水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』の後に読むのがいいだろう。挫折した『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』も読み直す予定だ。
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