2011-09-07

自らを島とし、杭とせよ(自帰依・法帰依)


 ・自らを島とし、杭とせよ(自帰依・法帰依)

『ブッダ入門』中村元

Lynmouth Sunset

 アーナンダよ。私はもう老い朽ち、齢を重ね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。例えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ。(中略)
 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年)】

「島」とは砂洲(さす)のことである。すなわち大河の氾濫(はんらん)にも流されないことを意味する。我々にとっては杭(くい)の方がわかりやすいだろう。この写真を見ながらブッダの遺言を思った。「依法不依人」(法四依のひとつ)の原典である。

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫)ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)
【左がワイド版で右が文庫版】

クリシュナムルティ流「筏の喩え」/『クリシュナムルティ・目覚めの時代』、『クリシュナムルティ・開いた扉』
日本の仏教は祖師信仰/『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

4人に1人が強姦されている南アフリカの女性


 南アフリカは大英帝国がつくった人口国家である。その成れの果てがこれだ。キリスト教覇権国家はこうしたことを世界中で行っている。日本が助かったのは資源がないおかげ。

 南アフリカの男性の4人に1人を上回る27%が、「過去に成人女性または少女をレイプしたことがある」と回答するという調査結果もある。また、比較的安全と思われる高級ホテルの中ですら、従業員が鍵を開けて客室に侵入し女性旅行客をレイプするといった事件も発生している。2010年11月26日に発表された、ヨハネスブルグやハウテン州などで南アフリカ政府によって行われた調査によると、男性は3人に1人を上回る37.4%が過去に女性をレイプした経験があると回答(男性の7%が集団レイプの経験があると回答)、さらに女性は25.3%がレイプされた経験があると回答した。

Wikipedia

南アフリカのジェイコブ・ズマ大統領「前にエイズ感染してる女をレイプしたけどすぐシャワー浴びたら大丈夫だったわ」

2011-09-06

世界のどこかで虐げられる人々が目の前に現れる


 アムネスティ・インターナショナルの人権啓発ポスター。ポスターが同じ場所の背景となっていて、驚くべき迫真性に満ちている。それでも尚、我々はこうした人々を無視し続けるのだ。

amnesty

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我々は虐殺される人に背を向けている
女子割礼に警鐘を鳴らすアムネスティのポスター

ジャン・ジュネ著『シャティーラの四時間』


 私はジャン・ジュネの「シャティーラの四時間」を読むことができない。(中略)
 私にとって「シャティーラの四時間」が読みえぬテクストであるのは、それが、惨殺された死体の様子を職業作家の冷徹な視線でカメラのように生々しく再現しているからではない。そこにあるのは、ジュネと死体とのあいだの親密な交歓、あるいはまなざしによる愛撫である。愛撫するようなそのまなざしのなかで、拷問され殺されて、いまは眼窩に蛆が湧く死体自らが、ほんの何十時間前には若い女として、たしかに生きていた事実を読む者に訴えはじめるのだ。私にとって耐えられないのはそのことだ。(「訳者あとがき」岡真理)

【『シャヒード、100の命 パレスチナで生きて死ぬこと』アーディラ・ラーイディ:イザベル・デ・ラ・クルーズ写真:岡真理、岸田直子、中野真紀子訳(「シャヒード、100の命」展実行委員会、2003年)】

シャヒード、100の命―パレスチナで生きて死ぬことシャティーラの四時間

2011-09-05

空飛ぶシルエット


 君たちは泳いでいるのか、それとも飛んでいるのか?

Toads

怒りは人生を破壊する炎


 怒りとは人生を破壊する炎です。炎を消すためには水が必要です。しかし、いったん怒りの炎が暴れ出してから、消化対策を考えたり、水を探しに行くようでは手遅れです。怒りは思わぬ、ささいなことで点火されるので、日頃から心の井戸に水を溜めておくことが賢明です。

【『怒り 心の炎の静め方』ティク・ナット・ハン:岡田直子訳(サンガ、2011年)】

怒り(心の炎の静め方)

自由と所有/『怒り 心の炎の静め方』ティク・ナット・ハン

2011-09-04

雨水に映える赤い砂


 ナミビアの砂漠が燃えている。雨に現れた砂が生き生きと赤色を放つ。水際にはうっすらと青が刷(は)かれている。水と砂が生と死を象徴しているかのようだ。人間を寄せつけない厳しき世界の何と美しいことよ。

Desert Reflections

未来を明るく照らす言葉/『重耳』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光

 ・占いこそ物語の原型
 ・占いは神の言葉
 ・未来を明るく照らす言葉

『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 宮城谷昌光が描く政(まつりごと)には人の息遣いがある。それを著者の創作として一笑に付すわけにはいかない。資料を通じて人間と人間とが出会うことは可能であるからだ。

 それにしても中国は凄い。重耳(晋の文公)は紀元前696-628年の人物である。卑弥呼(170年頃-248年頃)が生まれる800年前の時代に、これほどの君主を輩出していたのだ。

 中国の伝統は毛沢東の文化革命によって破壊されたと思われるが、いくばくか継承されているものはあるのだろうか? 気になるところである。

 19年間に及ぶ放浪は重耳を鋼(はがね)のように鍛え上げた。運命は容赦なく鉄槌(てっつい)を振り下ろした。

 飢渇(きかつ)も極限に近かったのであろう。重耳は馬車をその農夫に寄せ、声をかけた。農夫は黒い顔を上げた。重耳は車上で頭をさげた。農夫はしゃがみ、器らしきものに飯を盛り、ささげるようにもってきた。
「秬(くろきび)らしいが、ありがたい」
 重耳は車輪のかたわらにいる狐偃(こえん)にいった。狐偃がその器をうけとった。山と盛られているものをみた重耳は嚇(かっ)とし、鞭(むち)をふりあげて、馬車から飛び降り、農夫を打とうとした。
 ――衛(えい)は、君主も民も、わしを侮辱した。
 それにたいする怒りである。器に盛られていたものは、秬ではなかった。土であった。農夫は悪声を放って逃げようとした。重耳は鞭で足をはらい、ころんだ農夫のうしろえりをつかむと、曳きずってきた。
「公子」
 狐偃にしてはめずらしく明るい声であった。重耳は眉をひそめた。狐偃が静かに笑みをみせている。かれは高々と器をかかげ、
「これこそ、天の賜(たまもの)です」
 と、いった。なぜなら、民がこの土を献じて服従したのであるから、これ以上、求めるものがあろうか。天意にはかならず兆(きざ)しがある。公子が天下を制するのであれば、それはこの土塊を得たことからはじまる。狐偃はそういうと、農夫を重耳の手からはなし、群臣のまえに立たせ、みずからひざまずいて拝稽首(はいけいしゅ)をした。重耳ははっと気づき、狐偃にならうと群臣はみなその農夫にむかってぬかずいた。
 農夫は魂が飛んだような顔つきになり、この一団が去ったあとも、ぼんやり野面をながめていた。
 農夫から献じられた土は捨てず、重耳はだいじに車に載(の)せた。

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)以下同】

 拝稽首(はいけいしゅ)は最も重い礼で、両手を組んで地に頭をつけるというもの。この件(くだり)を読んだ瞬間に閃光が走った。

 狐偃(こえん)は土を通して未来を占った。しかも行きずりの農夫から小馬鹿にされた一事を反転させた上で、劇的な物語を描いてみせた。すなわち、未来を明るく照らす言葉こそが「占い」であり、ここに物語の原型(モデル)があるのではなかろうか。

「馬鹿にされた」と思えばそれまでの話だ。実際、そういう物語は我々の周りにいくらでも転がっている。事実のみを語るのであれば、言葉は死んでいるといってよい。新聞には死んだ言葉が並んでいる。それを活字と称するのだから皮肉だ。

 現実を客観視して笑い飛ばす力が英知であるとすれば、英知は強靭な否定に支えられている。それは現実を無視するという意味での否定ではなく、環境から自分に働きかけるマイナス作用に対する完全否定である。前を向いて強気で進めば、環境を引きずってゆくことができる。

 不況になると何かにつけ自分が否定されているような場面に出くわすことがあるものだ。しかし相手が否定しようとも自分で自分を否定しなければよい。どこまでも自分を信じながら、自分を否定した相手を否定すればいいのだ。身勝手な振る舞いを慎みながら、時を稼いでいると思えばストレスも溜まらない。

 物語とは展望でもある。視点が低ければ低い物語で終わってしまうことだろう。今がどんなに苦しくとも志だけは高く堅持することだ。貧しくとも富者(ふしゃ)のように振る舞うことは可能だ。

 自分で自分を占い、未来を明るく照らす言葉を紡ぐことが求められている。

 重耳は徳をもって人を治めた。

「信は国の宝である。信があってこそ、民の財を守り、身を守り、生命を守ることができる。たとえ原(げん)を得ても、民から信頼されなければ、なにをもって民を守ることができるのか。そうなれば、得るものより、失うもののほうが多かろう」
 と、いって、引き揚げ、原邑(げんゆう)から一舎離れたとき、重耳の信条をきいた原邑の民は門をひらいて降伏した。

 重耳より150年あとに生まれた孔子は「信無くば立たず」(『論語』)と教えた。孔子は兵や食よりも信を重んじた。

 では我々の政治はどうだろうか? 既に政治不信というキーワードは手垢まみれになっている。政治不信にすら不信を抱きたくなるような体たらくだ。放射能にさらされている人々がいる。生活保護の申請を拒まれている人々がいる。働きたいのに就職できない人々がいる。子供が欲しくてもつくれない人々がいる。

 政府を信頼している国民が少ないとすれば、この国は既に滅んでいるのだろう。国家のふりをしている領土で政治ごっこが行われているのだろう。

 たしかに民は義と信とを知った。が、それで充分というわけにはいかない。人が家族でまとまり、一族でまとまり、国でまとまり、中華でまとまり、というふうに、小さな存在が集合して大きな組織をつくり、人それぞれが協調して組織を動かしてゆくには原則があり、その原則の基(もとい)にあるものが礼なのである。礼はべつなことばでいえば、他者を尊ぶということである。自分が生きていることは、他者があってはじめて成り立つ。他者といっても、人とはかぎらない。水があり、火があり、というように宇宙を形成しているものも、人を生かしている。したがって礼を知るということは、宇宙の原則を知る、ということである。

 文化とはもともと礼楽(れいがく)を意味した。礼を弁(わきま)え、音楽を嗜(たしな)むところに人生の豊かさがあったのだ。孔子は作詞家でもあり作曲家でもあった。

 ストーリーにひときわ光彩を与えているのが晋から送られた刺客である閻楚〈えんそ〉と介子推〈かいしすい〉の闘いである。介子推は低い身分であったため、陰で重耳を守っている事実を誰も知らない。彼自身、黙して功績を語ることがなかった。

 後に重耳は閻楚〈えんそ〉から介子推の働きを聞かされる。が、論功行賞から漏れた介子推は既に去った後だった。

 言は身の文(かざり)なり。身まさに隠れんとす。
 いずくんぞこれを文に用いん。
 これ顕(けん)を求むるなり。

 介子推がこの世に残したさいごのことばである。
「ことばというものは身を飾るものです。これから身を隠そうとするのに、どうしてことばで飾る必要がありましょう。飾りは顕(あらわ)われるために求めるものです」
 そういったのである。

 介子推こそ真の忠臣であった。重耳は大いに恥じて介子推を探させたが見つかることはなかった。後世、中国の民は晋の文公以上に介子推を称(たた)えた。重耳の瑕疵(かし)とするにはあまりにも大きな過失であった。信賞必罰はかくも難しい。

重耳(上) (講談社文庫)重耳(中) (講談社文庫)重耳(下) (講談社文庫)介子推 (講談社文庫)

2011-09-03

光と闇


 濡れた道を歩く二人が決定的なアクセントとなってドラマ性を与えている。

グレッグ・モーテンソン


 1冊読了。

 60冊目『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)/アメリカで360万部を突破したベストセラーだけのことはある。一気読み。K2登頂に失敗した登山家が、その後パキスタンの山間部に学校を建てる話だ。9.11テロ~アフガニスタン紛争も描かれている。マスードの名前も何度か出てくる。グレッグ・モーテンソンは中央アジア協会の会長となり、本書が刊行された時点で何と53もの学校を建設した。中村哲との併読を勧める。厳選120冊に追加した。

連合型失認の患者は視覚体験に意味を付与することができない/『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー


 つまり、連合型失認の患者は、視覚体験は問題ないが、その体験に意味を付与することができない。これがどのようなものかを想像するには、ふつうの西洋人が漢字を前にしてどう感じるかを考えてみてほしい。

【『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー:鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)】

 とすると「見る」行為は「読み解く」能力を意味する。連合型視覚失認と関連性があるかどうかはわからないが、長期間にわたって眼の不自由な人が手術で見えるようになると様々な視覚障害が報告されている。彼らは錯視画像を見ても錯覚することがない。また顔の表情も認知できない。

 失認は心理レベルにおいて数多く見受けられる。先入観や差別意識に染まった人は物事を正しく見ることが極めて困難である。

 同じ本を読んでも感じ取るものは人によって千差万別である。感受性の乏しい人は意味の浅い世界で生きているのだろう。

「悟る」とは「見える」ようになることである。ウロコだらけの目に真実は映らない。

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

2011-09-01

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送


 ハビャリマナにとってアルーシャ協定が政治的な自殺に等しい、というのは事実だった。フツ至上主義党の指導者たちは裏切りだと叫び、大統領その人が同調者になったと告発した。アルーシャ協定の署名から4日後、アカズのメンバーと友人から出費を受けた千の丘の自由ラジオ(ラジオ・テレヴィジョン・リブル・デ・ミル・コリン/RTLM)がジェノサイドのプロパガンダ専門局としてキガリから放送をはじめた。



 そうした(※ラジオからの)メッセージ、そして社会のあらゆる階層の指導者たちからの命令によって、ツチ族の虐殺とフツ族反体制派の暗殺は各地に広がっていった。民兵たちの手本にならい、フツ族は老いも若きも仕事にとりかかった。隣人が隣人を自宅で切り刻み、同僚が同僚を職場で切り刻んだ。医師が患者を殺し、教師が生徒を殺した。多くの村ではわずか数日でツチ族の人口がほぼゼロになった。キガリでは、囚人たちが釈放されて労働班を編成され、道路沿いにならぶ死体を片づけた。虐殺にともなうレイプと略奪がルワンダじゅうに広がった。酔っぱらった民兵集団は薬品店から略奪したドラッグで景気をつけ、虐殺から虐殺へと駆けまわった。

【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実


ルワンダ大虐殺の爪痕
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

母の胸に抱かれながら死んでいったパレスチナの少年


 私は心の底からイスラエルを憎む。私は忘れない。血にまみれて母親にしがみつく少年の姿を。眼の前で我が子を奪われた母親の悲しみを。

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自爆せざるを得ないパレスチナの情況/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

赤誠の人物がいない


「全く人がない。出来る奴はいる、策の立つ奴もいる。智慧の溢れる奴もいる。外交折衝の巧みな奴も――。が、赤誠の人物がいない。今の世の中あ、智慧や策ではいけねえのでんすからねえ、素っ裸で、対手(あいて)にぶつかっていける人間、それがいない」

【『勝海舟』子母澤寛(日正書房、1946年/新潮文庫、1968年)】

勝海舟 (第1巻) (新潮文庫)勝海舟〈第2巻〉咸臨丸渡米 (新潮文庫)勝海舟 (第3巻) (新潮文庫)

勝海舟 (第4巻) (新潮文庫)勝海舟〈第5巻〉江戸開城 (新潮文庫)勝海舟〈第6巻〉明治新政 (新潮文庫)

2011-08-31

泳ぐゾウ


 まったくもって意外な光景。

Swimming elephants

遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国


 ウエスタン・コーン・ルートワームという代表的なトウモロコシの害虫に、遺伝子組み換え(GM)トウモロコシが出す毒素に対する耐性が広がりつつあり、トウモロコシ生産者にとって新たな脅威となりつつある。
 イリノイ大学(University of Illinois)のマイケル・グレイ(Michael Gray)教授(作物科学)は「ウエスタン・コーン・ルートワームは米国で最も多いトウモロコシの害虫で、欧州でも増える可能性がある」と説明する。
 これまでのところ耐性の拡大は限定的だとみられているが、専門家たちは耐性を持った害虫がまん延すればトウモロコシ生産者は再び農薬の大量使用を余儀なくされるだろうと警告している。また、害虫が耐性を獲得しにくい方法でGMトウモロコシを栽培する必要があると指摘している。

2009年に初めて見つかる

 トウモロコシ生産者は従来、同じ土地に性質の違う数種類の作物を順番に作付けする輪作を行って害虫被害を防いできた。しかしこの害虫は、トウモロコシと組み合わせて輪作されることが多い大豆にも卵を産むようになったため、農家は農薬を使用せざるを得なくなった。グレイ教授によると、ウエスタン・コーン・ルートワームは頑強で順応性も高く、いくつかの農薬への耐性も持ち始めているという。
 米バイオ企業大手モンサント(Monsanto)は2003年、この害虫に強いGMトウモロコシの種を発売した。以降、米国のGMトウモロコシの作付面積は増え、2009年には国内で収穫されたトウモロコシの45%をGMトウモロコシが占めるようになった。
 だが、2009年にこの害虫による大きな被害を受けたアイオワ(Iowa)州の4か所のトウモロコシ畑で、GMトウモロコシへの耐性を持ったタイプが初めて発見された。今年はイリノイ(Illinois)州でGMトウモロコシがこの害虫による食害被害を受けた。グレイ教授はここで見つかった害虫がGMトウモロコシ毒素への耐性を持っているかどうか調べている。
 前月発表された研究結果では、アイオワのトウモロコシ畑で見つかった害虫は、GMトウモロコシ毒素への耐性を子孫にも引き継いでいることが分かった。

輪作や「おとり作物」栽培をしっかりと

 アイオワ州立大学(Iowa State University)のアーロン・ガスマン(Aaron Gassmann)主任研究員は、「この結果は、害虫の耐性獲得管理を改善するとともに、Bt作物(毒素を出すバチルス・チューリンゲンシスという細菌の遺伝子を組み込んだ作物)の使用にあたって統合的なアプローチを取る必要性を示唆している」と、研究報告書のなかで指摘した。
 耐性を持つ害虫が発見された畑では、少なくとも3年連続してGMトウモロコシを栽培していた。このことが、害虫が耐性を獲得する一因になったとガスマン氏は考えている。
 さらにガスマン氏は、もう一つの要因として「おとり作物」の作付け不足を挙げた。トウモロコシ農家は、農地の20%に遺伝子組み換えではない普通のトウモロコシを植えることになっている。耐性を持つ害虫が発生しても、耐性を持たない害虫と交配すれば耐性を次世代へ引き継ぐ可能性が減るからだ。
 すでにモンサントは、政府が義務付けるおとり作物の栽培を容易にするため、1袋にGMとそうでないトウモロコシの種を混ぜたセットを販売しているほか、耐性を持つ害虫が大量発生した場合に代替となる数種類の作物を販売しており、さらに新品種も開発中だという。
 モンサントは耐性を持つ害虫が増えているという研究結果を深刻に受け止めていると話しているが、既存のGM作物は作付けした土地の99%以上で良好な結果が出ているとして、農家が既存のGM作物の栽培を止める理由は何もないと主張している。

AFP 2011-08-31

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕) 拡散希望!!


ドイツのテレビ局制作の原発事故番組が福島中央テレビによって削除される
 原発から60km離れた伊達市のシイタケからは、1kgあたり7000ベクレルの汚染が測定された。基準値は500ベクレルである。「もはや食べ物ではなくて放射性廃棄物です」。(番組より)
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第2ドイツテレビ(ZDF)の放送内容について 取材の実際について

入矢義高、宮城谷昌光、高橋昌一郎


 1冊挫折、3冊読了。

 挫折『臨済録』入矢義高〈いりや・よしたか〉訳注(岩波文庫、1989年)/期待が外れた。その軽(かろ)き言、さながら天魔の如し。幻惑に目的があるとしか思えず。言葉遊びの感を抱いた。

 57冊目『晏子 第三巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏弱は死んだ。が、晏嬰の出番は少ない。斉(せい)の国の権謀術数を中心に描かれる。晏嬰は3年間にわたって喪に服す。編集者である池田雅延の解説は蛇足の謗りを免れない。

 58冊目『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏嬰は道理の人であった。そしてその道理が忠孝に貫かれていたところに晏嬰の偉大さがある。三代の君公に仕え、断固たる諫言を惜しむことがなかった。孔子が晏嬰に遺恨を抱いたというエピソードも興味深い。池田雅延の解説は読者をコントロールしようとする企図が見え見えで嫌悪感を覚える。

 59冊目『東大生の論理  「理性」をめぐる教室』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(ちくま新書、2010年)/正確には東大一年生の論理である。高橋が非常勤講師として東大へ出向いた模様が描かれている。確かに東大生の優秀さは図抜けている。その発想の柔軟さが素晴らしい。あまりにも東大生の出来がいいため、論理学のテーマが少しぼやけてしまっているのが少々難点。

『ロビンソン・クルーソー』は生き方の問答集である


 そう。『ロビンソン・クルーソー』の物語は、生き方の問答集である。人間とは何か、いかに生くべきかの寓話といってもよい。ここには、人間、この不可解なものの正体が、原始の姿さながらに浮き彫りにされているからである。

【『生き方の研究』森本哲郎〈もりもと・てつろう〉(新潮選書、1987年/PHP文庫、2004年)以下同】



 さいわいなことに、その島には猛獣はおらず、彼を襲ってくる人間もいなかった。だが、天涯孤独に追いやられた人間は、そこで、いわば人類史を反復しなければならない。じじつ、ロビンソンは人類として一からやり直さなければならなかった。したがって、28年にわたるロビンソンの孤島での生き方は、何万年、いや、何十、何百万年にもわたる人類史の復習だったといっていい。それを、向こう見ずのロビンソンは見事にやりとげるのである。理性的動物(ホモ・サピエンス)として、道具を使う工作人(ホモ・ファーベル)として、経済人(ホモ・エコノミクス)として。
 マルクスやマックス・ウェーバーなどがこの物語を人間の経済活動のモデルとして取りあげたのも、そのゆえであった。

「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」

生き方の研究 ロビンソン・クルーソー (集英社文庫)