シリアではイスラエル安定のための現政権打倒計画が進んでいる。2011年6月13日。
2011-12-19
2011-12-18
過去65年で未成年者数万人が性的虐待被害、オランダ教会
オランダの独立調査委員会は16日、国内のカトリック教会で1945年から2010年までの間に数万人の未成年者が神父、修道士らの教会関係者から性的虐待を受けていたことが判明したとの報告書を発表した。子どもの被害者は数千人。
加害者約800人の身元も確認し、うち少なくとも105人は生存していると述べた。聖職の座に依然就く人数は不明。
悪質なものから軽微なものまでの虐待の被害者は後遺症に数十年悩み、専門的なカウンセリングが必要な場合もあると指摘した。オランダ人の信仰宗教では3割を占めるカトリックが最大宗派。
今回調査は教会関係者による性的虐待問題が増大していることを受けて開始された。独立調査委によると、1795件の虐待情報を入手し、加害者の身元に関する手がかりも得た。発表した報告書は昨年3月から同10月までの間に得た具体的なデータに加え、教会の公文書分析からの情報などを基に作成した。
性的虐待が広がった背景について、教会側は1950年代までにもさかのぼるこの問題の存在を知らなかったわけではないと指摘。ただ、多くの場合、教会は防止のための適切な措置や被害者への配慮に欠けていたと主張している。未成年者の性的虐待がオランダ社会で広範に起きていることも作用したとし、教会の公文書の分析では聖職者が若い時に虐待の犠牲者だった例もあったと指摘した。
虐待の被害者の救済方法については金銭的な賠償が必要と強調、教会側の真剣な対応を求めた。加害者と犠牲者の会合もここ数年設けられ、多くの場合、加害者や教会責任者が遺憾の意を表明していると説明。謝罪や賠償の表明は2000年以降に増えているという。
【CNN 2011-12-17】
性的暴行受けて姦通罪で服役させられた女性が釈放 「報復が懸念」 アフガン
アフガニスタンで性的暴行の被害者でありながら姦通罪に問われて服役させられていた女性が14日、カルザイ大統領の命令により釈放された。
グルナズさんは2年前、いとこの夫に暴行され、その後妊娠が発覚。「既婚男性と性行為を行った」という理由で姦通罪に問われ禁錮12年を言い渡された。グルナズさんは当時19歳だった。
グルナズさんは釈放後、女性のための救護施設に娘(加害者の子ども)とともに収容された。だがこれで彼女の苦難が終わったわけではない。
加害者は犯行を否認したまま有罪判決を受けて現在服役中で、その一族からの報復が懸念されている。また、一族の名誉を汚したという理由で自らの親族から命を狙われる可能性もあるからだ。
【CNN 2011-12-15】
五島勉
1冊読了。
71冊目『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉〈ごとう・べん〉(ノン・ブック、1988年)/数年前から感じていることだが、「ヒトラー=悪党」という構図はわかりやすすぎて、どうも胡散臭い。そもそも人間を善悪で分けること自体が子供じみている。広く知られた話ではあるが、ナチス政権による経済政策は高く評価されている。歴史を振り返ってみても、ユダヤ人を虐殺したのはヒトラーに限ったことではない。ま、詳細は後日。ヒトラーは超能力者であった。20世紀末や21世紀のことまで正確に予言していたそうだ。五島勉を読むのは久し振りだが、やはり論理の飛躍が目立つ。事実を羅列している印象があり、書き手としての手腕は評価できない。
2011-12-17
光と影の対角線
カストロ暗殺未遂の大半はCIAによるもの
最も命を狙われた男:16日読売「カストロが、最も命を狙われた男でギネスブックに掲載」「暗殺未遂は計638回。CIAによるもの大半で、葉巻に毒物を混ぜたり、野球のボールに爆発物を仕込んだりなど、様々な手法」、日本の政治家は対象になったことあるか、読売さん教えて下さい。
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) 2011, 12月 17
・カストロ氏、暗殺企てられた回数世界一 ギネスが認定
修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく/『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
・『われら』ザミャーチン
・『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
・現在をコントロールするものは過去をコントロールする
・修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく
・ビッグブラザーと思考警察
・『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
・SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
・ドキュメンタリー映画『プランデミック 3 ザ・グレート・アウェイクニング』〜PLANDEMIC 3: THE GREAT AWAKENING〜
・必読書リスト その五
凄いニュースだ。
野田佳彦首相は16日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。
【TOKYO Web 2011-12-17】
どうして誰も喜ばないのだろう? なぜ胸を撫で下ろす人がいないのだろう? それは「収束」が嘘であることを知っているからだ。ゴムひもじゃあるまいし、放射能がそう簡単に収束してたまるかってえんだ。
福島原発の現場で働く人々の反応はどうか?
「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。
【TOKYO Web 2011-12-17】
やはり現場の声は重い。野田首相の言葉の軽さとは対照的だ。政府、東電、保安院は今まで散々嘘に嘘を重ねてきた。巨大な力を持つ連中は少々叩かれたところでビクともしない。「どうせ正確な情報を流したところで文句を言う奴はいるわけだから、これくらいは構わんだろう」という思惑があって当然だ。詐欺国家ニッポン。
我が国が法治国家であるならば、政策ミスによる犯罪性を司法が裁くべきであると考えるがどうだろう? 鈴木傾城〈すずき・けいせい〉氏が「せめて、東京電力の責任者くらいは、しっかり死刑にすべき」と書いている。私は原子力行政に絡んで利権に預かってきた連中は、最低でも禁固刑にすべきだと思う。菅直人前首相は死罪に値すると考える。民主党内から切腹を求める声が上がってしかるべきであった。
ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』的世界が現実となりつつある。以下の記事を熟読されよ。
・現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル
ダブルシンク(二重思考)という概念(オーウェルの造語)が歴史の本質を炙(あぶ)り出す。歴史とは事実を意味しない。記録されたもののみが歴史なのだ。
例えば原発労働者の声は歴史として残らない。大体、数百年後の日本史年表であれば「収束宣言」すら記録されない可能性が大きい。よほどのことがない限り、カッコの中や脚注に書かれることもないのだ。我々は当事者だから日々のニュースを極太ゴシック体で受け止めるが、100年前の事件は名称でしか認識していない。つまり100年後には「東日本大震災時における福島原発事故」で全部片づけられてしまうのだ。1000年立てば「日本昔ばなし」レベルだ。
この恐ろしさが理解できるだろうか? 権力者が修正し、改竄(かいざん)を施し、捏造(ねつぞう)を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆくのだ。
権力とは、暦(こよみ)、文字、度量衡(どりょうこう)を決定するものだ。そして歴史とは政治史を中心に綴られる(※岡田英弘を参照のこと)。
・歴史とは何か/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
・歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
彼は彼女に理解させようとした。「これはまずめったにないことなんだ。単に誰かが殺されるという問題じゃない。分かるだろう、昨日を起点としてはるか続く過去が現に抹消されているんだ。過去がどこかで生き延びるとしたら、それは何のことばもついていない数少ない確固たる物体のなかでしかない。例えば、そこにあるガラスの塊のようなもののなかとかね。すでにぼくたちは、革命について、そして革命前の時代について、文字通り何の手がかりもなくなっていると言っていい。記録は一つ残らず廃棄されたか捏造され、書物も全部書き換えられ、絵も全部描き直され、銅像も街も建物もすべて新しい名前を付けられ、日付まですっかり変えられてしまった。しかもその作業は毎日、分刻みで進行している。歴史は止まってしまったんだ。果てしなく続く現在の他には何も存在しない。そしてその現在のなかでは党が常に正しいんだ。もちろん分かっているさ、過去が捏造されているって。でもぼくがそれを証明するなんて、とうてい無理な話、たとえ自分がその捏造に直接関わっていてもね。作業が終われば証拠は何も残らないのだから。唯一の証拠はぼくの頭のなかにあるだけ。そしてぼくの記憶を共有してくれる人間がはたして他にいるものやら、とても自信がないね」
【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集 10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年/新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)以下同】
そしてオーウェルの時代には判明していなかったことと思われるが、人間の記憶自体も日常的に書き換えられていることが科学的に証明されている。つまり人の数だけ事実があるってわけだよ。歴史修正主義は社会主義国家の専売特許に非ず。
ウィンストン・スミスとジュリアは恋に陥る。恋愛そのものが自由であり反逆行為であった。しかし二人の自由は長く続かなかった。管理社会はありとあらゆるところに罠を張り巡らせていた。二人は逮捕される。
「しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は人間の精神のなかにだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ」
オブライエンの指摘が読む者の背筋を凍らせる。そして記憶と精神を改造すべく、一片の容赦もない拷問が加えられる。
「他人を支配する権力はどのように行使されるかね、ウィンストン?」
ウィンストンは考えた。「相手を苦しめることによって、です」と答えた。
「その通りだ。苦しめることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいなければ、はたして本当に自分の意志ではなくこちらの意思に従っているのかどうか、はっきりと分からないだろう。権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。権力とは人間の精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ」
原書の脱稿は1948年12月4日(1949年刊行)。下二桁の数字を入れ替えてタイトルにしたとされている。イスラエル建国と同年であることが不気味だ。
スタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験を通して服従心理のメカニズムを解明したのは1963年のことである。
・服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
オーウェルはミルグラムより15年も先んじてディストピアを描いてみせたのだ。当初は『ヨーロッパ最後の人間』(The Last Man in Europe)と題されていた。単純なソビエト批判でないことは明らかだ。中世において人間はヨーロッパにしか存在しなかった。これが西洋史観である(※化物世界誌)。
・コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
すなわちオーウェルが描いた世界は、集団化が行き着く極北を示したものと考えられる。組織における人間は機能や役割に貶(おとし)められる。社員はいつだって交換可能な部品のようなものだ。そして大衆は会社や国家に依存せざるを得ない情況へと追い込まれる。
国民国家が目指すのは「国家依存主義」であり「国家万能主義」であろう。ゆえに無謬性(むびゅうせい)が重んじられるのだ。
「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」と、みつをは言った。人間はつまづくが国家はつまづくことがない。決して。
・物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
「私の宗教はジェダイ」と1万5000人が回答、チェコ国勢調査
チェコ政府は15日、3月に実施した国勢調査で、自身が信じる宗教をSF映画『スター・ウォーズ(Star Wars)』シリーズに登場する「ジェダイ(Jedi)」と回答した人が1万5070人いたと発表した。
首都プラハ(Prague)には人口の0.31%にあたる3977人の「ジェダイの騎士」がいた。チェコ統計局は、ジェダイの倫理的価値観に共感する人が多いためだとみている。ジェダイの熱烈な「信者」は、ニュージーランドやオーストラリア、カナダ、英国にも多いという。
統計局の副責任者は、国勢調査用紙の宗教の選択肢に「ジェダイ」を含めることには厳しい議論もあったが、何が宗教で何が宗教でないかを決めるのは統計局の仕事ではないと述べ、「約1万5000人という数は小規模な都市の人口に相当し、無視できない社会現象だ」とコメントした。
このほか、自身の宗教をカトリックと答えたチェコ人は108万3899人、神は信じるが特定の宗教はないとの回答は70万7649人で、500万人は宗教欄が空白のままだった。
カルト的な人気を誇る『スター・ウォーズ』に登場するジェダイ騎士団は、銀河共和国の守護者で、特殊な剣「ライトセーバー」を持ち、触れずに物を動かしたり他人の心を操ったりできる能力「フォース」を備えている。
ジェダイ騎士団が従う道徳的なおきてはスター・ウォーズファンの心をとらえ、熱烈なファンの中には自身もジェダイのおきてに準じた人生を歩もうとするものもいる。
【AFP 2011-12-17】
2011-12-16
暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
東京の冬は苦手だ。もう人生の半分以上を過ごしているのに慣れることがない。道産子の多くがそうであろう。雪がないのに寒い、という事実が北国育ちの感覚を混乱させる。
冬の月が好きだ。透明な光が静かに冷厳な宇宙を照らす。星々が応じるように揺らめく。人々が寝静まった時間帯に月を見上げると、宇宙に浮かぶ自分を感じることができる。
そしてクリシュナムルティは私にとっての月光である。暗く冷たい世界を照らす智慧の光だ。
これまでの時代を通じてずっと、人間は自分を超えるもの、物質的な幸福以上のもの――私たちが真理とか神、真実在(リアリティ)、不滅の状態と呼ぶもの――環境や思考、人間の腐敗によって妨害されることのないもの、を探し求めてきました。
人はいつも自問してきました。全体どういうことなのか? 人生にそもそも意味などあるのだろうか? 彼は生のひどい混乱を、残虐さ、反抗、戦争を、いつ果てるともない宗教やイデオロギー、国籍による分裂〔不和〕を見て、深い、終わることのない欲求不満の感覚と共にこうたずねるのです。人はどうすればよいのか、私たちが生と呼ぶこのものは何なのか、何かそれを超えるものがあるだろうか、と。
そして自分が探し求めてきた、無数の名をもつこの名づけ得ないものを見つけることができないので、彼は信仰――救世主または何らかの理想への信仰――を培(つちか)ってきのたですが、それは必然的に暴力を生み出すのです。
私たちが生と呼ぶこのたえまない闘争の中で、共産主義社会であれ、いわゆる自由社会であれ、私たちは自分が育てられた社会に従って行動規範を作ろうとします。私たちは何らかの行動基準を受け入れますが、それはヒンズー教、イスラム教、キリスト教、あるいは何であれ自分がたまたまそこに生まれ合わせたものの伝統の一部をなすものです。私たちは誰かに頼って行動の善悪を、思想のよしあしを教えてもらおうとしますが、こうしたパターンに従ううちに、私たちの思考と行動は機械的になり、反応は自動的なものになります。このことは、自分自身を省みれば容易に理解されることです。
【『既知からの自由』J・クリシュナムルティ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2007年/『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ:十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳、霞ケ関書房、1970年の新訳版)以下同】
今年も様々な出会いがあった。昨今は人や本もさることながら、インターネットを介して遭遇する場面が少なからずある。そして擦れ違うような出会いでも影響を受けることは珍しくない。中でも鈴木傾城〈すずき・けいせい〉氏のブログには衝撃を受けた。
・Darkness
このブログを読破すれば、クリシュナムルティが指摘する「暴力」の現実が理解できる。
私が「暴力」に対して眼を開いたのはルワンダ大虐殺によってであった。
・『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
大乗仏教が説く「因果の物語」が呆気(あっけ)なく吹き飛ばされた。虐殺された子供たちに「過去世の罪」があったなどとは到底考えられない。そんな論法は「暴力の正当化」にさえなり得る。
そしてパレスチナを取り巻く情況を知り、アラブ文学と巡り会った。
・自爆せざるを得ないパレスチナの情況/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
・パレスチナ人の叫び声が轟き渡る/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー
・暴力が破壊するもの 1/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)
それまでに読んできた魔女狩り、奴隷、ナチスなどの知識が全部結びついた。そして脳科学や人類学で解明されつつあるネットワーク構造を知ると、暴力の根元が「集団」にあることがわかってきた。では集団性を支えるものは何か? これこそが宗教なのだ。(詳細は明年の書評で)
残酷極まりない世界の現実を目の当たりにした時、我々の中で何が変化するのだろうか? 多分二つのタイプに分かれることだろう。無力感に打ちひしがれて暴力を回避しようとする人。もしくは自分の周囲に限りなく存在する暴力の芽を鋭く見抜いて戦う人だ。
更に重要なのはニヒリズムから宗教否定に回る人と、既成宗教を超える宗教性を模索する人とに分かれることである。鈴木氏は前者で、私は後者である。
理由を一言で述べよう。科学は知性の次元であって感情を揺さぶることがない。知性とは思考であり、その本質は言葉である。人類は後天的に言語機能を獲得した。すなわち人間を奥深いところで支えているのは感情(情動)なのだ。そして感情を支配しているのが実は宗教なのだ。
・善悪とは
人類には文化という背景がある。そして文化は宗教に基づいている。
過去の宗教は「物語」であった。それゆえ「別の物語」とは戦わざるを得ない。アブラハムの宗教を巡る争いの理由もここにある。ま、コカコーラとペプシみたいなものだ(笑)。
無神論が脆弱なのは、人々がバラバラになることで結果的に種の保存を危うくするためだ。だから「新しい共同」なんてものは、「新しい宗教性」なくして成立しない。
例えば「飢餓」という名の暴力がある。西洋列強の植民地政策が今も尚、第三世界に暗い影を落としている。すなわち「経済」もまた形を変えた暴力なのだ。
・ウガンダの飢餓
・ケビン・カーター「ハゲワシと少女」
最初の動画はソマリアの子供である。「人はどうすればよいのか、私たちが生と呼ぶこのものは何なのか、何かそれを超えるものがあるだろうか」?
あなたと私はそれで、どんな外部の影響もなしに、どんな説得〔persuasion:「確信・信仰」の意味もある〕もなしに、どんな処罰の恐怖もなしに、自分自身の中にもたらすことができるでしょうか――私たちの存在のまさにその精髄の中に、全的な革命、心理的な突然変異を。そうしてもはや残虐冷酷でも、暴力的でも、競争的でも、不安でもなく、恐怖に満ちてもおらず、貪欲でも、嫉妬深くもなくなって、私たちが日々の生活を生きているこの腐った社会を築き上げた、私たちの性質の諸々の現れから自由になれるでしょうか?
真の自由とは「何かからの自由」でもなければ、「マイナスからの自由」でもない。歴史における革命は常に閉塞した社会が自由を求めて起こされたものだが、常に新しい権力者を生んだだけであった。
宗教(=教団)は恐怖というロープで信者を縛り上げる。ご丁寧なことにタブー(禁忌)という猿ぐつわをされ、迷える子羊は「安全」という名の椅子に腰掛けている。椅子を支える脚が「暴力」であるとも知らずに。
上述したように暴力の根元はヒエラルキー構造の集団性にある。つまり上下関係自体が実は暴力なのだ。クリシュナムルティは「どんな説得〔persuasion:「確信・信仰」の意味もある〕もなしに、どんな処罰の恐怖もなしに」と一言でシンボリックに表現している。
世界を変えるためには、まず自分を変えなければならない。
それこそが真の問題です。精神に完全な革命をもたらすことは可能でしょうか?
そのような質問に対するあなたの反応はどのようなものでしょう? あなたは言うかも知れません。「私は変わりたくない」そして大方の人はそうなのです。とりわけ社会的・経済的に安泰な人たち、ドグマ的な信念をもち、自分自身や事物の現状や、それをほんのわずか加工して満足している人たちの場合には。そのような人々に私たちは関わりません。あるいはあなたはもっと微妙なこういう言い方をするかも知れません。「まあ、それは少しばかり難しすぎるね。私には向かない」と。こういうケースでは、あなたはすでに自分自身をブロックしてしまっているのです。あなたは問うことをやめており、だからもうそれ以上進むことはないのです。
痛烈な批判だ。我々は盲目的な信者を嘲りながら、自分たちが資本主義の奴隷となっている自覚を欠いている。安全、安定、現状維持こそ我々が望むものだ。餓死しつつある幼児が既に立つこともできず地面でクルクル回る姿を見ても、我々は生活を変えようとはしない。おわかりだろうか? 世界の残酷を支えているのはあなたと私なのだ。
先に進む前に、人生におけるあなた方の根本的、永続的な関心は何なのか、おたずねしてみたいと思います。もって回った答はどけて、この問題にまっすぐ誠実に向き合うとすれば、あなたはどう考えますか? それが何かわかりますか?
それはあなた自身ではありませんか? いずれにせよ、正直に答えるとすれば、それが私たちの大部分が言うだろうことです(ママ)。私は自分の進歩に、仕事に、家族に、私が暮している小さな片隅に、自分のためのもっとよい地位、もっと多くの特権、もっと大きな権力を得ることに、他者への支配力を強化すること等々に、関心があるのです。あなた自身に対してそれが自分の第一の関心事だということ――「私」が何より大事なのだということを認めるのは理にかなったことだと思うのですが、いかがでしょう。
自分のことを第一に考えるのは間違ったことだと言う人もいるでしょう。しかし、私たちがきちんと正直に、それを認めることはめったにないということは別として、そのことのどこが悪いのでしょう? もし自分が何より大事だと認めるなら、私たちはそれをかなり恥ずかしく思うでしょう。それで、こういうことになります――人は基本的に自分自身に関心がある。そして様々なイデオロギー的、伝統的理由によって、人はそれを間違ったことだと考えるのだと。しかし人がどう【考える】かは重要ではありません。なぜ「それは間違っている」などという要素(ファクター)を持ち込むのですか? それは考え、観念です。【事実】は、人は根本的・永続的に自分自身に関心がある、ということです。
あなたは言うかも知れません。自分自身のことを考えるより、他の人を助ける方が満たされた気分になると。違いは何ですか? それは依然として自己関心です。他の人たちを助けることがあなたにより大きな満足感を与えるとすれば、あなたは自分により大きな満足を与えてくれるものに関心をもっているのです。なぜそこにイデオロギー的な観念を持ち込むのですか? どうしてこの二重思考があるのでしょう? なぜこう言わないのですか? 「私が本当にほしいのは満足感だ。セックスでも、人助けでも、偉大な聖人、科学者、政治家になるのでも〔それが目当てなのだ〕」と。それは同じプロセスではないでしょうか? あらゆる種類の満足、微妙なものでもあからさまなものでも、それが私たちが欲しているものなのです。私たちが自由になりたいと言うとき、それは私たちが自由は素晴らしい満足感を与えてくれると考えるからです。そしてもちろん、究極の満足は、この自己実現 self-realisation という殊更(ことさら)な考えです。私たちが本当に追い求めているものは、そこにどんな不満もないような満足感なのです。
幸福の意味は満足に転落した。我々は欲望の実現が幸福であると完全に錯覚している。宗教家は自分が満足するために世界平和を唱えているのだ。死にたい、死にたくないというのも欲望だ。賢くなりたい、悟りたいというのも欲望だ。
一方の欲望から別の欲望へと移動したところで、何かが変わるはずもない。
「自己実現」とはマズローの欲求段階説に基づく考え方だ。心理学的な意味はあると思うが、こんなものは「神の国実現」の焼き直しであろう。最大の問題は、現在の自分を否定的な存在と見なしている点だ。宗教的視点からすれば、時間を要するものは「知識」や「技術」にすぎない。人生という時間の有限性を打破することが不可能だ。
世界はエゴ化した。
・自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他
この暴力に覆われた世界と、欲望にまみれた自分を超脱するためには「諸法無我」しか道はない。クリシュナムルティは「あなたが世界だ」と突きつけた。ならば、私の内側に自由と平和を打ち立てるまで。
クリシュナムルティについては書いても書いても書き足りない。
ジッドゥ クリシュナムルティ
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・すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない/『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ
・人間は人間を拷問にかけ、火あぶりに処し、殺害してきた
・飢餓に苛まれる子供たち
・なくならない飢餓/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
カストロ氏、暗殺企てられた回数世界一 ギネスが認定
「暗殺を命じた国」としてアメリカもギネス認定すべきだろう。
暗殺されそうになった回数が世界一として、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が、ギネスブックに掲載されることになった。複数の同国メディアが伝えた。キューバ政府によると、米中央情報局(CIA)の文書に基づく記録で、暗殺の企ては2006年までに638回に上るという。
暗殺方法は、狙撃、葉巻への毒の注入、野球のボールに仕込まれた爆薬など様々だが、いずれも政府が事前に情報をキャッチし、失敗に終わった。
キューバの情報機関のトップを長年務めたファビアン・エスカランテ氏は昨年、前議長に対する暗殺の試みについての本を出版。最も深刻だったのは、61年にニューヨーク市内で企てられた爆弾計画だったと回想する。ミルクセーキに毒入りカプセルを入れられたこともあったが、幸運にものみ込まなかった。「フィデルは、待ち伏せを直感する能力がある」と話している。
【asahi.com 2011-12-16】
・カストロ暗殺未遂の大半はCIAによるもの
・若きカストロの熱弁
2011-12-15
関岡英之、別冊宝島
2冊挫折。
『別冊宝島 原発の深い闇』(宝島社、2011年)/見出しが過激に踊り、鼻白む。大衆迎合の臭いがプンプンしているよ。好評だったようで続刊も発売されている。『別冊宝島 原発の深い闇 2』。今まで不問に付してきた情況こそ問うべきであろう。
『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編(イーストプレス、2006年)/関岡と佐藤優の対談は面白かった。大川周明、有末精三、陸軍中野学校について。あとは生臭くて手が出ない。
2011-12-14
光が照らし出すもの
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