・『物語の哲学』野家啓一
・『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
・自爆せざるを得ないパレスチナの情況
・9.11テロ以降パレスチナ人の死者数が増大
・愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る
・物語の再現性と一回性
・引用文献一覧
・『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
・物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
・『アメリカン・ブッダ』柴田勝家
・『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
・『悲しみの秘義』若松英輔
・必読書リスト その一
東日本大震災からちょうど2ヶ月が経った。被災地ではまだまだ不如意を強いられている方々が多いことだろう。家族や友人を喪った人々が、今日も体育館のダンボールで仕切られた空間に閉じ込められている。
日本全体で苛立ちが募っている。東京電力や原子力安全・保安院の態度に始まり、政府の対応の悪さ、福島原子力発電所の不透明な現状などを見るにつけ、「これで本当に国家といえるのか?」と疑問の念が湧いてくる。
今日現在でも死者・行方不明者を合わせると2万4834人にのぼる(時事通信)。この事実に対する緊張感が政治家からは殆ど感じられない。顔つきが一変したのは宮城県気仙沼市が地元の小野寺五典〈おのでら・いつのり/自民党〉だけだろう。
地震も津波も天災である。それでも、やり場のない怒りを抑えることは難しい。もし神様がいるなら、5~6発ほどぶん殴ってやるところだ。
とりわけ2001年9月11日、ワシントンとニューヨークで起きた同時多発攻撃事件のあと合州国(ママ)政府の「テロとの戦い」に世界が同調していくなかで、イスラエル軍のパレスチナ侵攻も急速にエスカレートし、2002年3月と4月の両月、それまで二桁だったパレスチナ人の死者数は一挙に200名を越えた。
日常化した銃撃や砲撃、爆撃によって、日々誰かが斃れていく。隣人が、友人が、恋人が、兄弟が、親が、子どもが、夫が……。愛する者を暴力的に奪われるという、人間の生にとって非日常的であるはずの出来事がこの頃のパレスチナでは日常と化し、「遺された者たちの悲嘆はありふれたものとなった」(※アーディラ・ラーイディ著『シャヒード、100の命 パレスチナで生きて死ぬこと』インパクト出版会、2003年)。
人間にとってそのような生を生きるとはいかなることなのか。パレスチナ人がパレスチナ人であるかぎり、そうした生を生きること――あるいは、死を死ぬこと――は仕方のないことだとでも言うように、世界が彼ら彼女らを遺棄しているとき、だからこそ、彼らが生きることを――あるいは死ぬことを――強いられている生の細部にまで分け入って、その生の襞に折り込まれた思いに私たちが触れることが何にもまして切実に求められているのではないか。
【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】
イスラエルへ勝手に入植してきたユダヤ人の手でパレスチナ人は殺されている。実に1948年から殺され続けているのだ。パレスチナ問題という名称は誤魔化しで、その実体はイスラエル問題である。
イギリスの三枚舌外交とロスチャイルド家の暗躍によってイスラエルは建国した。
もしも震災ではなく外国の軍隊によって数万人の同胞が殺戮されたとしたら、あなたはどうするだろう? パレスチナ人にとってはそれが現実である。
60年を経た今も尚ジェノサイド(大量殺戮)は進行中なのだ。既に三代にわたってパレスチナ人は迫害されている。イスラエルに対する憎悪は沸点に近づきつつあることだろう。本物の若きリーダーが登場すれば、怒りのネットワークは中東地域にまで広がることだろう。
理不尽に耐えることが人類の行く手を阻む。軍の命令とあらば罪なき人々を平然と殺し、他人の家をブルドーザーで破壊するような連中が滅びないわけがない。
ユダヤ人の歴史は悲劇の連続であった。しかし、それとこれとは別だ。岡真理の繊細な情感には共感を覚えるが、もはや文学を論じている場合ではあるまい。