・『銀と金』福本伸行
・『賭博黙示録カイジ』福本伸行
・男の背を鞭打つ詩情
・『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
・『無境界の人』森巣博
・『賭けるゆえに我あり』森巣博
・『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
福本伸行はギャンブル漫画の第一人者である。私が初めて買ったのは『無頼伝 涯』で、その後『銀と金』を読み、福本ワールドに絡め取られた。
私はギャンブルとは縁がない。それでも心を揺さぶられるのは、ギャンブルという装置を通して福本が限界状況を描いているためだ。熾烈な攻防と過酷な勝負。ビジネスであれ、学問であれ、そうした局面に身を置くことは珍しくない。少なからず人生において「戦う」姿勢をもつ人であれば、福本が弾(はじ)く弦(いと)の響きに共振するはずだ。
はっきりいって本の構成が悪い。せっかくの詩情が、解説のせいで台無しになってしまっている。それでも尚、福本の言葉は輝きを放って色褪せることがない。男の背が一直線になるまで鞭打つ。
30になろうと40になろうと奴らは言い続ける…
自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使っていないから
今はこの程度なのだと…
そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
その間際 いやでも気が付くだろう…
今まで生きてきたすべてが
丸ごと「本物」だったことを…!(『賭博黙示録 カイジ』)
【『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)以下同】
怠惰(たいだ)に甘んじ、怯懦(きょうだ)を恥じることなく、のうのうと人生を過ごしているうちに、弱さが実体となる。決断を先送りにすることが猶予(ゆうよ)であると錯覚し、「待った」をかける。優勝チームが決まった後の消化試合みたいな人生を送っている中年男性は山ほどいる。
彼らは、いつか神様が降りてきて一発逆転を約束しているかのように漫然と構えている。僥倖(ぎょうこう)への淡い期待が、白馬に乗った王子様を待ち侘びる少女を思わせる。
伸びきったバネは弾力を失う。力は発揮してこそ強まる。
リスクを恐れ 動かないなんてのは
年金と預金が頼りの老人のすることだぜ(『賭博黙示録 カイジ』)
簡単にできそうで実際にはできないことがある。例えば転職や引っ越しなど。離婚も同様だ。こんなことが一大事件になること自体、瑣末な人生を歩んでいる証拠といえよう。
保身は自らを腐らせる。
あの男は死ぬまで
純粋な怒りなんて持てない
ゆえに本当の勝負も生涯できない
奴は死ぬまで保留する…(『アカギ』)
波をかぶる勇気を持たなければ泳ぐことは不可能だ。今時は溺れることよりも、濡れることを心配する若者が目立つ。決断を先延ばしにするな。間違ったら修正すればいいだけのことだ。歩き出せば、今までとは違った景色が見えるものだ。
一生迷ってろ
そして失い続けるんだ……
貴重な機会(チャンス)を…!(『賭博黙示録 カイジ』)
判断力を欠いた人は、判断を放棄することで、ますます判断に迷う性向が強まる。少子化のせいで、親が過干渉になっている側面もあるのだろう。依存心を棄(す)てなければ人生の主導権は握れない。チャンスは人との出会いに集約される。ボーっとした人間は大切な人を見失っている。
教えたる
正しさとは【つごう】や……
ある者たちの都合にすぎへん…!
正しさをふりかざす奴は…
それは ただ
おどれの都合を声高に主張しているだけや(『銀と金』)
短刀のように肺腑(はいふ)を突く言葉だ。正義とは特定のポジションから放たれる「言いわけ」なのだろう。
無念であることが
そのまま“生の証”だ(『天 天和通りの快男児』)
無念とは念を空(むな)しくすることである。欲望・願望から離れ、自我をも超越したところに悟りの境地が開ける。自由とは「自由に離れる」ことなのだ。生の証は死を自覚する中から生まれる。
勝負へのこだわりを捨てれば、戦場は磁場と化す。それは宇宙の姿と一緒で格闘というよりは、むしろダンスというべきだろう。
みんな… 幸福になりたいんだよね…
だから… 危ないことはしたくないの
自分にとって都合のいい条件を
どんどん揃えていくの──
そして限りなく安全地域(セーフエリア)に入っていって
そこで今度は絶望的に煮詰まってゆくんだわ
揃えた好条件に囲まれて…
身動きもできない──
なんて不自由なんだろう(『熱いぜ辺ちゃん』)
政官業のサラリーマン化を見よ。エリートとは奴隷の中から選抜された奴隷監督者にすぎない。真のエリートは独立独歩の道を往く。国家や企業に寄生する輩をエリートと呼ぶべきではない。支配者は常に被支配者でもある。
棺さ…!
お前は「成功」という名の棺の中にいる…!
動けない…
もう満足に… お前は動けない
死に体みたいな人生さ…!(『天 天和通りの快男児』)
目に見えぬ重力や圧力が社会の至るところで働く。我々は知らず知らずのうちに「競争」というレールの上に乗せられている。情報という情報が消費を煽り、幸福像を示し、犬ように吠え立てながら迷える羊を誘導する。
現代社会における自由とは「モノを買う自由」でしかない。社会的ステイタスは賃金の多寡で決まる。レールの上を走る電車は脱線することを許されない。それは身動きできない棺(ひつぎ)のようなものだろう。
モノと金に隠れて現実が見えにくくなっている。福本作品は、人生の虚像を剥(は)ぎ取って読者に現実を突きつける。それは手垢(てあか)にまみれた教訓ではなく、剥(む)き出しにされた「痛み」なのだろう。