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『管仲』宮城谷昌光
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『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
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大いなる人物の大いなる物語
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律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
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孫子の兵法
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田文の光彩に満ちた春秋
・枢軸時代の息吹き
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『長城のかげ』宮城谷昌光
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『楽毅』宮城谷昌光
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『香乱記』宮城谷昌光
宮城谷作品は淡さとともに幕を下ろす。長い尾を引く流星のように。田文(でんぶん)こと孟嘗君(もうしょうくん)は数千年の彼方に舞い戻る。
──なにゆえ、星はまたたくのか。
空は深い感情がつみかさなってできたような黒である。その黒をやぶって光る星は、神の感情の余滴(よてき)のようにみえた。
【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】
歴史には民の苦しみ、悲しみ、怨嗟が堆積(たいせき)している。重畳(ちょうじょう)たる山脈のように無念が横たわっている。星は照らすことはないが方向を指し示す。
「大愚は大賢に肖(に)ております。なんの愁(うれ)えがありましょうか」
前途が見えないと嘆く田文(でんぶん)を夏候章(かこうしょう)が励ます。物を語る力が現実に新しい解釈を施す。田文に従う人々の美しい心根は言葉の花となって薫る。そこに打算はない。強靭な確信があるだけだ。
もともと笑いには人を魅了するはたらきがあり、およそ英雄と讃(たた)えられた人は、億万人にひとりといってよい笑貌(しょうぼう)をもっていたはずである。
貧弱な笑いでは人の心をつかめない。
田文の笑いには奕々(えきえき)としたものがある。その笑いのむこうに渾厚(こんこう)としたものを暗示させる笑いでもある。
笑い声の卑しい人がいる。明るく笑えない人はストレスで身体が歪んでしまっているのだろう。今時は「フフフ」と奥床しく笑う女性も少ない。バラエティ番組の笑いは人を貶(おとし)めるものが多い。笑い声も千差万別である。
「人は、在(あ)るだけのものではない。得るものだ。わしが人を得るのは、外からそうみえるだけで、じつはわしは、人が自分を得るように手助けをしているにすぎぬ」
父・田嬰(でんえい)の食客(しょっかく)や説客(せっかく)は千人を超え、田文の代になると数千人となった。海千山千のつわものたちは思わぬところで活躍する。多様性はそれだけで強みといえる。排除の力学が作動しなくなるからだ。常識から知恵は生まれない。現状を打開するのは非常識とも思える奇抜なアイディアによることが多い。
「おそらく屈原(くつげん)どのには棄ててゆく自己はありますまい。自己に盈(み)ちた自己にとって、理想はかなたにあります。そうではなく、棄ててゆく自己に理想が具現(ぐげん)するというふしぎさをおわかりにならなかったようなので、あやうさがみえたのです」
田文を支える夏候章(かこうしょう)の言葉である。詩人として知られる屈原は政治家でもあった。人の生きざまは覚悟で決まる。
屈原の弱さを夏候章は鋭く見抜いた。
僕栄(ぼくえい)の声に真実のひびきがあった。
絶望的な境遇に身をおいて、はじめて自分という者がわかった声である。人はほんとうに独(ひと)りにならなければ、自分がわからぬものか。
──ここにあるのは、苦しみが産んだ美しさだ。
と、強くおもった。
洛芭(らくは)は夭(わか)いころの美貌をぬけたところにきている。ほかのことばでいえば、天与の美貌というものは、それにこだわればこだわるほど醜さを産むもので、洛芭はそういう美貌を惜(お)しげもなく棄てて、自分の美貌を独力でつくりあげた。
人を見る眼は厳しさを伴えばこそ温かみも宿るのだ。人の苦労は苦労をした者にしかわからない。生(せい)の重みを知る者は多くを語らずとも心が通い合う。何をどう見るかは視点の高さで決まる。田文は洛芭(らくは)を娶(めと)った。
寡人(かじん)にしろ孤にしろ、この世で一人、ということであり、いわば孤児にひとしい。そういう絶対のきびしさの中にいるからこそ、万民のさびしさがわかるのである。おのれを楽しませるように万民を楽しませ、おのれをなぐさめるように万民をなぐさめる。王とはそういうものである。さらに言えば、王はそのことのみに心をくだけばよく、万民の幸福が十全(じゅうぜん)でないことに悩み苦しむ存在であるともいえる。自分との苦闘において生ずるのがほんとうの理念であり、そこを経て生ずるのが信念である。
おのれをいとおしむ者はかならず自分をみがくものであり、王としてそれをおこたった懐王は、当然のことながら臣下やことがらの良否をみぬけず、屈原(くつげん)のような忠臣を逐(お)い、敵の詐謀(さぼう)にはまらざるをえない。
楚(そ)の
懐王(かいおう)は謀略に躍らされた。それにしても春秋時代の政治のダイナミズムには驚かされる。各国の強弱が緊張感をはらみながら絶妙なバランスを保っている。腕と頭に自信のある者は各国を渡り歩く。交流し流動する人々が黄河のように大陸をうねる。
田文(でんぶん)は大度に侠気をふくみ、その底に仁義をすえていた人である。
果断の人ともいえるが、無謀の人ではなかった。むしろ慎重な人で、秦を攻伐する軍を催したのは、怨(うら)みと怒りにまかせたわけではなかった。
孟嘗君は
戦国四君の一人となる。秦の始皇帝によって全土が統一されるのは後のことである。
諸子百家(しょしひゃっか)を通して
枢軸時代の息吹きが伝わってくる。人間とはかくも巨大であったのだ。
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「武」の意義/『中国古典名言事典』諸橋轍次